34 ケイトとアルマの役割分担
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私は三日間、悶え苦しみながらも貴族名鑑ばかり読んでいた。
でももう限界。無理。
「ねえローラ――」
「マルティーヌ様。レイモンさんからも、フランクール公爵閣下からも、くれぐれもよろしくと頼まれております。王立学園でマルティーヌ様が他家の方々に侮られるようなことがあってはならないと、それはもう、よくよく申しつかっております」
お、おう。
ローラが私の言葉を遮るくらいだもんね。みんなから相当言われたってことだね。
仕方がない。一応はやる気を見せて安心させてあげないとね。
「わかったわ、ローラ。私もモンテンセン伯爵として恥ずかしくない素養を身に付けたいと思っているの。ご指示通りに覚えることにするわ」
確かにこの世界で生きていく以上、今後必要となる知識だもんね。
やり始めればやる気は出てくるのだ。
私はソファーからデスクの方に移り、貴族名鑑を開いた。
……………………。
……………………。
……………………。
駄目だ。目も脳も無意識に拒否している。一文字も頭に入らない。
ローラに言われて、なんとか三十分くらいは真面目に頑張ったと思う。脳が若いだけあって、何となく――は頭に入ってくる。そう、覚えられなく――はない。
でも覚えづらい。ただ字面だけを覚えるのって、めちゃくちゃ大変。
この三日間で、意味のないことを暗記する領域は使い切ったらしい。もう容量オーバーで入らない。
なんというか――エピソードと共に脳の引き出しにしまいたいんだよね。こっちの新領域にかけるしかない。
私の勉強の邪魔にならないように、花瓶の向きを静かに直していたローラに声をかけた。
「ねえローラ。領地で働いている人たちって、他家の噂話を聞くことはあるのかしら?」
「噂話ですか? いえ、聞こえてくるような話はあまりないと思います。私たちのようにカントリーハウスで働いていれば、レイモンさんから新聞の情報を教えてもらうことはありますが。王都にいれば違うのでしょうけれど――」
そうだよねえ。平民たちには知るよしもないか。
王都の新聞は毎日早馬で届くけど、一日遅れの情報だ。これが情報格差というものなのかも。それに新聞には大したゴシップは載っていない。
「手を止めさせてごめんなさいね。ちょっと聞いただけだから」
「いいえ。そういえば、マルティーヌ様」
「なあに?」
「前から気になっていたのですが、使用人に簡単に謝られるのは、やはりお止めになった方がよろしいかと」
――!!
そ、そっか。子どもだけど領主だもんね。まぁその前に貴族なんだけど。やっぱり貴族って平民に対して謝ったりしないもんね。
色々と自覚が足りないわ、私……。
「ありがとうローラ。そうやって助言してもらえると、とても助かるわ」
「いいえ。差し出がましい真似をいたしました」
ペコリと頭を下げるローラの背後に、澄まし顔のレイモンが見える気がした。
さて。この会話はここまで。もうあとは似顔絵を頼りに想像を膨らませて覚えるしかないね。
例えば、このコブフック侯爵。頬が膨れている。コブ――ふふふ。こぶとり爺さんだね。良い方か悪い方かわかんないけど。こぶとり爺さんのコブフック侯爵。
この童顔の伯爵はローリーボーだから、ロリ坊やでどう?
「ぐふぐふ」と不気味な笑い声が漏れちゃうけど仕方がない。こうでもしなければ頭に入らないんだもん。
でも、七日間で全部はやっぱり無理だよなぁ。
「うーん」と伸びをしてローラにお茶を持ってきてもらおうと思ったら部屋にいなかった。どこに行ったんだろう?
結構集中していたから彼女が出て行ったことにも気がつかなかったみたい。
呼ぶ? この部屋から呼び鈴を鳴らせば、このマスターベッドルームから呼ばれたことがわかる仕組みになっている。
でもなぁ。なまじ前世の記憶があるせいで、こんな風に呼びつけるのは気が引けるんだよね。
これが以心伝心というものなのか、軽いノック音の後に、「失礼します」とローラが入ってきた。
「マルティーヌ様。失礼いたしました。真剣に取り組まれていらっしゃるようでしたので、下がる際にお声がけしませんでした」
「あら、いいのよ。気を遣ってくれてありがとう」
「先ほど厨房からマルティーヌ様にお聞きしてほしいと頼まれたのですが、お茶や食事について何かご指示はございますか?」
「指示?」
「はい。お召し上がりになりたいものとか。それと、アルマが到着いたしましたが、彼女はケイトの助手ということでよろしいのでしょうか?」
ちょ、ちょっと待って。確かに料理人の歴としてはケイトが上だけど。だからって上下の関係にするつもりはない。
「私が直接話した方がよさそうね」
「それでは私が先に厨房に行って、お二人を呼んでおきます」
お! 屋敷内での先触れ。まあ急に厨房に行ったら二人ともいない可能性だってあるもんね。
みんながゆとりを持って行動できるよう、ゆっくりと歩いて厨房へ向かうことにした。
ローラの、「マルティーヌ様がいらっしゃいました」という声で、厨房にいた全員に緊張が走った。
うーん……。私が厨房に顔を出すことに慣れてほしいなぁ。
「ケイト。アルマ。私がきちんと方針を打ち出さなかったせいで混乱させてしまったみたいね。悪かったわ」
そう言って二人の顔を見ると、揃って、「謝らないでくださいませ!」と返された。そうだった。ローラに言われたばかりなのに。
「料理人歴に差はあるかもしれないけれど、ケイトもアルマも厨房を一人で仕切っていたのだから、一人前の料理人だわ。だからどちらを上とか下とか、そういう序列をつけるつもりはないの。それよりも、まずは相手の得意な料理を互いに学んでほしいの」
「得意な料理ですか?」と、ケイトが不安そうに口にした。わかる。ただ食事の用意をしてきただけなのに――って思っているんでしょう?
得意料理と聞いて、レストランの看板メニューみたいなものを想像したのね。でもね。チッチッチッ。違うのよ。
「ケイトの得意料理は、この領地の料理――ここで穫れる新鮮な野菜やチーズを使った料理ね。王都では扱えなかった食材もあると思うから、そういうものをアルマに教えてあげてほしいの。アルマからは、私と一緒に開発したお菓子のレシピをケイトに教えてあげてちょうだい。最終的に二人ともが同じものを同じように作れるようになってほしいの。そうすれば、どちらかが病気で休んだりしても大丈夫でしょ?」
ケイトは安堵したみたいで、「はい。そういうことでしたら」と、やっと笑顔を見せてくれた。
アルマは逆に、「お菓子を開発されたのはマルティーヌ様ですのに」と恐縮している。
「とにかく、互いに助け合ってうまいことやってちょうだい」
……あ。何? うまいことって……。
なんか前世のオジサンみたいな、いい加減なこと言っちゃった。そもそも貴族令嬢が口にする言葉じゃなかったわ。
「ええと。とりあえずは、食事はケイトが、お茶とお菓子についてはアルマが仕切る形でどうかしら?」
「はい。かしこまりました」
「仰せの通りにいたします」
ケイトとアルマも承知してくれた。これでひとまずオッケーかな。
「あ! それでマルティーヌ様。このトマトをご所望されたと伺いましたが」
ケイトに聞かれて大事なことを思い出した!
きた! とうとうきた! キターー!




