33 勉強は二の次――という訳にはいかず
いかにも夏真っ盛りという日差しは、容赦なく馬車の中まで差し込んでくる。
暑い。ものすごく暑い。多分、日光よりも馬車全体に熱がこもっているせいだと思う。
黒に近い焦茶色の塗料のせいで熱を吸収しちゃうんだ。夏向けに白い馬車があるといいかもしれない。
あぁ、でもなぁ。このカラーと紋章は一体でモンテンセン伯爵のマークみたいなものだからなぁ。代々使っていたものは、おいそれとは変更できない。
そんなことを考えつつ、なんだかんだで二度目の旅程はあっという間に終わった。今回はゆったりと三日かけて移動したので、それほど疲れてはいない。
カントリーハウスに到着すると、前回と同様に使用人が総出で出迎えてくれた。
うわぁ。これは何回見ても圧巻だな。
でも前回と違って顔馴染みもちらほらいるので、そこまでは緊張しない。よかった。面目が保てている。
「お帰りなさいませ、マルティーヌ様」
レイモンの安定感ときたら! なんかもう、苦楽を共にしてきた仲間のよう。
「レイモン。今日から改めてよろしく頼むわ」
「はい、マルティーヌ様。我ら一同、誠心誠意マルティーヌ様にお仕えいたす所存にございます。王立学園にご入学なさるまでの一年間となりますが、マルティーヌ様がこちらにいらっしゃる間、つつがなくお過ごしいただけますよう最善を尽くしてまいります。ですが、もし至らぬ点がございましたら、すぐに私におっしゃってくださいませ」
あら? レイモンが堅い。初対面みたいな言い方。どうしちゃった? 使用人たちの前だから?
あれかな? 私が今日から領主として正式に着任する――みたいな感じだからかな? 別にいいのに。
まずは休憩をすることになり、レイモンたちとは別れてローラとリエーフを連れて、前回と同じ部屋に入った。
思わず、「お!」とはしたない声が出てしまった。
なんか可愛らしさが増している。
私が「白とピンクが好き」と言ったせい? カーテン以外のファブリックが白とピンクで統一されていた。アラサーの私には甘過ぎる……。
でも一応は労ってあげるべきだよね。
「すごく可愛くしてくれたようね」
誰に向けたでもなく言うと、ローラが、「マルティーヌ様に喜んでいただけるよう、みんな頑張ったみたいですね」と、自分が褒められたかのように喜んだ。まぁこれで他の使用人たちにも伝わるか。
ベッドの上に大の字になりたいところだけど、さすがに無理。
「マルティーヌ様。お着替えなさいますか? それとも先にお茶をお持ちしましょうか?」
うーん、そうだなぁ……。
「着替えるわ。もうここからは素の私で過ごすことにする」
「す? すとは何でしょうか?」
「飾らない私本来の姿っていう意味よ」
ローラが、「また寝転がるのか?」とでも言いたげに訝しげな表情を浮かべた。
ちがーう!
「社交で見せる姿じゃなくて、家の中の私っていう意味だから」
もう口調が令嬢のそれではないけど、ローラはそんな私にすっかり慣れてしまっている。
「当主として帰還に相応しいドレス姿をお披露目したからもういいの。動きやすいワンピースに着替えるわ」
「それでは、その前に湯浴みなさいますか?」
うーん。湯浴みって時間もかかるし、今お湯に浸かっちゃうと寝てしまいそうなんだよね。
「湯浴みは夕食前でいいわ。とにかく楽なワンピースに着替えてお茶をいただきたいの」
「かしこまりました」
ローラが荷解きをして、ワンピースを取り出す。
「すぐに皺を伸ばしますので少々お待ちを」
「平気よ。今日からはそういうことを気にしないようにするの。ローラも慣れてちょうだいね」
ローラは数回目を瞬いたあと、「はい」と返事をした。
「お湯の代わりに温めたミルクで紅茶を淹れてほしい」とローラに伝えると、ケイトが見事なロイヤルミルクティを作ってくれた。
一緒に添えられたお菓子は、お菓子というよりも菓子パンに近いものだった。前世で流行っていたシュトーレンみたいな。
ふーん? これはこれでアリだけど。
もう二、三日すればアルマもこちらに到着するはずなので、いつものお菓子を食べられるようになる。
……あ! いっそのことアルマはパティシエにしようか。ケイトを食事係にして分担した方がいいかも。うん。うん。これは本人たちに直に聞いてみるとしよう。
さてと。一息ついたところで頭の中を整理しなくては。
領地に引っ込む前に、公爵から色々と注文――とにかく勉強しろ――をつけられたけど、私は自分の掲げた野望を忘れてなどいない。
何故なら私は、CEO兼CFO兼COO兼――とにかく他にもいろんなチーフ何ちゃらオフィサーなのだから!
自分で立案して自分で決裁できるってスゴくない?
ソファーの上で私が背筋をピンと伸ばしたのを見て、ローラは私が休憩を終えたことを察したらしい。
「マルティーヌ様。家庭教師の先生は一週間後に到着される予定です。それまでの間に、こちらの内容を全て覚えるようにとフランクール公爵閣下からお預かりしております」
ちょ、ちょ、ちょっとー! 何を勝手に預かってきてんのー!
「こちらの――」と、ローラが掲げて見せたのは、この国の貴族名鑑。
――は?
もしやこれに記載されている内容を覚えろと?
――は?
「ねえローラ――」
「学園に入学される皆様は、入学前に全て頭に入っていらっしゃるそうです」
ローラ。そんな無邪気な顔で悪魔みたいなことを言わないで。
仕方なく受け取った貴族名鑑をパラパラとめくってみる。
思ったよりもよくできていた。家名はもちろん、領地が苺形のどの辺りかも図で示されている。当主だけは姿絵まで掲載されているし。もしや豪華版? いや愛蔵版か?
違う違う。そんな考察はいい。巻末の家名一覧を見ると家の数が百を超えていた。
この国の貴族ってそんなに多いの? ああ、一代貴族も掲載しているのか……。
「まずは領地持ちの家から覚えるようにとの伝言です」
あっそ。
「マルティーヌ様。ドニの方が余程厳しく鍛えられているはずです。きっと今頃しごかれていると思いますよ」
ローラは私の機嫌の取り方が上手い。
そうなのだ。ご近所付き合いと称していろんな家のメイドや侍女たちとキャッキャウフフな生活を満喫していそうなドニだけど、なんと留守番(という名の情報収集活動)の傍ら、定期的にフランクール公爵家の執事に指導してもらうことになったのだ。
うん。我が国が誇る名家だもんね。絶対に厳しく指導されていると思う。まさに「しごき」。ふふふ。
他人の不幸を笑っている不埒な私にも神様は優しいらしく、天使の吹くラッパの音が聞こえた。
厨房からの使いで私の部屋にやってきた男性が、ドア越しに対応したローラにこう言ったのだ。
「マシューさんからマルティーヌ様へ、トマトが届きました」
トマト! ふっふー! トマト! イェーイ!
――っと。落ち着け、私。
「まあ! 忘れずに探してくれていたのね。それはアルマが来てから調理する予定だから、しばらく保管するように言っておいて」
「かしこまりました」




