30 【リュドビク視点】底知れぬ伯爵令嬢
亡くなったモンテンセン伯爵の噂がほぼ真実であることは、少し調べただけですぐにわかった。
貴族としての最低限の社交もしない。領地経営は家令に丸投げ。一人娘は教育もしないまま放置。女性にはとことんだらしない。
「令嬢についてはカッサンドル伯爵からの情報のみでしたもんね。それも、『父親とは正反対の真人間』というくらいで。まともな使用人は領地にいる家令だけなんて。さすがのリュドビク様も同情心が湧きました?」
従者のギヨームはパシェール伯爵家の次男で、生まれたときから私の従者になることが決まっていたため随分と厳しく躾けられたはずなのだが、乳兄弟の気やすさか、二人きりになると途端に主人を揶揄うような口ぶりになる。
「同情? まさか。この私がそんな安っぽい感情で動くと思っているのか?」
お互いにそんなことはないとわかっているが、軽口を叩き合うのは本題に入る前の準備運動のようなものだ。
「早速あの領地を食い物にしようと動き出した輩がいたので仕方あるまい。後見人の立場を利用して勝手に税率を上げ、その分を着服しようなどと考えているのは明らかだ。まあ領地経営は安定しているようだし、あの家令ならば数年任せたところで問題なかろう」
「それにしてもマルティーヌ嬢には驚きましたね」
「ああ」
確かに驚いた。聡明な令嬢だった。
最初から後見人は引き受けるつもりだったのだ。
くだんの令嬢には、少しばかり世間話をしてから後見人を引き受けることを伝えればよいと思い、特段、準備もせずに伯爵家に出向いた。
後見人の話が終われば、彼女に然るべき教育を受けさせる手配をし、領地については家令と話をするだけのつもりだった。
面談予定の相手は十二歳とはいえ女性。女性。そこだけが唯一の、そして最大の問題だった。
初対面の女性が私に向けてくる女性特有のねっとりとした視線は、一向に慣れない。
成人女性ともなれば、その視線を私の全身に這わせてくる。「視姦」はマナー違反どころか犯罪ではないのか。
不快な時間を極力短くするため、令嬢に挨拶をして少し話をしたら後見人を引き受けると返事をするつもりだった。
それなのに――。
長く病床にあって亡くなった母親は言うに及ばず、家庭教師もいない中、彼女の、あの落ち着いた対応には本当に驚かされた。どうやって身につけたのだ?
しかも例の女性特有の絡みつくような視線などは一切なかった。興味を持たれなかったことは嬉しいはずなのに、あの歳でそこまでの自制心があるのかと、少し恐ろしくも感じた。
「あれは美人になりますよー? これから成人するまでが一番の見どころですからね! あの純朴な少女がいつの間にか妖艶な美女に――」
「純朴? それにしても、それが十二歳の少女に対する感想か? お前に少女趣味が芽生えたのならば考えねばならぬな」
「やだなー。冗談じゃないですかー」
騙されるか。お前、絶対に半分は本気だろう。
おそらくマルティーヌ嬢は精神年齢が高いのだろう。落ち着いた雰囲気と大人びた言葉遣いのせいで、ギヨームの食指が動いたのかもしれない。
面談では子どもを相手にしている気がしなかった。理論立てて話すし、現地視察までしたという……。
おそらく、領地に行ったことがなければ、領主として立ちたいという考えを信じてもらえないと踏んだのだ。
だからといって親を亡くしたばかりの少女が、まさかいきなり領地に視察に赴くとは……。可憐で大人しい見た目と違って、とんでもない行動力だ。
それに――。
「あの絵はなんだ」
「そう! あれ、面白いですね。円を区切って色を塗り分けただけで、あんなにも理解しやすくなるなんて! ホント一目でわかりましたもんね! ものすごい発想力じゃないですか。いやあ将来有望ですよ!」
ギヨームが目を輝かせているのもうなずける。あんな風に図解するとは。こちらが一目で理解できるように心を配った結果なのだろう。
最初は家令が資料を作成したのだろうと考えた。面談後にそれとなく尋ねたが家令に否定された。
『全てマルティーヌ様がお一人で作成されました。尋ねられたことにつきましてはお答えいたしましたが、私の方から申し上げたことはございません』
信じられないが、あの説明用の資料は――構成も内容も全てが彼女の考えなのだと言う。なんとも言えない底知れぬ恐ろしさを感じる。
十二歳になったばかりの子どもなのに……? 生まれ持った資質だとでも? いや、やはり信じられない。
それに、あの眼差し……。私の正面に座り、私の目をまっすぐに見たあの眼差し……。
この私を交渉相手と認識した上で、私から色良い返事を引き出させてみせるという意思を感じた。そんな子どもがいるだろうか。
今までろくに屋敷から出ることなく、他者と交流をしていない子どもなのに。親からも家庭教師からも何も教わっていない子どもなのに。
事実を理路整然と話すだけでも、それなりの訓練がいるものだ。
渡された資料はそれだけでなく、最終的な目標を達成するために必要な事項をどのような順で着手するのか、まるで物語のようなストーリー仕立てになっていた。
恐ろしいのは、きちんと数字で裏付けされており、単なる絵空事に思えなかった点だ。
「そんな怖い顔をする必要あります? にっこり笑って座っていれば可愛らしい貴族令嬢だったじゃないですか」
ギヨームめ! 茶化さずにはいられないのか。
そういえば、彼女は一度もそんな風には――よく躾けられた貴族令嬢のようには笑わなかった。
いや、微笑みはしていたか――違う。ほくそ笑んでいたと言う方が正しい気がする。
本当に、およそ子どもらしくない令嬢だった。
私の同情を引くために、子どもらしく辛い心情を吐露するだろうと予想していたのだが、見事に裏切られた。
私に対して思いの丈をぶつけてきたが、それは言葉ではなく数字を根拠にした資料だった。
領地のシンボルとなる建物を建てたいという夢みたいな目標はまあ置いておくとして、領地を良くしたいという気概は十分感じられた。
「あと、このお菓子はマルティーヌ嬢が自ら試行錯誤の末に生み出した物らしいですよ?」
そう言ってギヨームは気に入ったらしい、しっとりとした生地のケーキをパクついている。確か「パウンドケーキ」と言っていたか。
それも美味しいが、私はこのサックリしたクッキーが気に入った。甘さ加減が絶妙なのだ。バターの風味も効いていて素晴らしく美味しい。
去り際に、「よければどうぞ」と持たせてもらった焼き菓子は、ギヨームと二人でほぼ完食しつつあった。パウンドケーキは四切れ、クッキーは十枚。五分と持つはずがない。
それにしても、これを自らの手で作ったとは……。マルティーヌ嬢は菓子作りの才もあるのか。
「いやあ、それにしても、久しぶりにがっつくリュドビク様を見ましたねー。マルティーヌ嬢も目が点になっていましたよ」
「うるさい」
……うるさい。
その失態については早く忘れたいと思っていたのに。
食べ物に執念を燃やしていたのは、子どもの頃の話だ。
「……あ。そう言えば、マルティーヌ嬢は学園に入学するまでは領地に滞在したいっておっしゃっていましたよね。お許しになるんですか?」
「そうだな。住み込みの家庭教師を見つけられれば、それもよかろう」
「そうなったら、途中経過を確認するために私がモンテンセン伯爵領に出向きますよ」
「……お前。自分の仕事が何か忘れているだろう。それに田舎は性に合わないんじゃなかったか? 田舎娘に宗旨替えでもするつもりか」
「嫌だなー。ひどくないですか。そりゃあ素朴なお嬢さんも嫌いじゃないですけどね。私は洗練された遊び慣れている美女専門ですからねー。あと二十歳以下はお断り」
一緒に育ったはずなのに、ギヨームはいつの間にか華麗な女性遍歴を重ねている。確か上は四十代とも付き合った経験があるはずだ。
「リュドビク様もそんな顔をしないで、もっと気軽に遊ばれたらどうです? 別に全員が全員、公爵夫人になりたいなんて思ってる訳じゃないですよ? あっちだって割り切ってますから」
「私の顔はどうでもいいだろう」
「あははは。確かに。それはそうと、そっち系も悠長にしていられませんよね?」
そうなのだ。いくらこれまで社交の場に出てこなかったとはいえ、女伯爵として社交を避けることはできない。
正式なものは後見人の私が対応することになるだろうが、それでも同席はさせるべきだろう。
領地持ちの伯爵となれば狙う輩は多い。
無菌状態で学園に行かせるのは心配だ。婚約者の選定については、早々に話し合う必要があるな。
やけに大人びた令嬢だが、そちら方面はどうなのだろうか?




