23 領地視察③
視察二日目は、森林の管理と畜産についてだ。
明日は王都に向けて早朝に出発するため、疲れを残さないよう、今日の行程は前世風に言うと、「下車せず車窓にて観光」となるらしい。
カントリーハウスを出て一時間もしないうちに森林が見えてきた。森林は苺の縁の部分にある。つまり国境だ。
「ねえ、レイモン。森が国境っていっても、森の中のどこまでなのか目印でもついているの?」
レイモンが「ふっ」と柔らかい笑みを浮かべた。これは私のことを「子どもだなぁ」と思っているときの顔だ。
「森は、その全貌を把握することが困難なほど広大です。印のような明確なものはございません。森を抜けた向こうが隣国と覚えておかれたらよろしいです」
明確な国境ラインがない――。そういう考え方って、やっぱりまだまだ慣れないな。
「隣国へと続く道はきちんと整備されてはいませんが、それでも街道と呼べるものがあります。そこを通らずに森の中を徒歩で歩けば、いったい何日かかるかわかりません」
「それって、歩いて隣国へ行った人などいないってことね」
「はい。そのような無謀な者はおりません」
まあ、それだけ大きな森なら、少しくらい伐採したところで領土侵犯にはならないだろうからよかった。
馬車が森から離れていく。え? もう? と思わずレイモンを凝視してしまった。
「何かございましたか?」
「ん? あー、レイモンはあの森に入ったことはあるの?」
「いえ。さすがに中までは。近くに住む者たちは慣れているので、子どもなども森で遊ぶようなことを言っておりましたが。マルティーヌ様が歩けるような歩道は整備しておりませんので、中に入られるのは難しいかと。せいぜい切り倒した木を搬出する道くらいしかございません」
えー。勿体無い。森林浴とかできそうなのに。夏の避暑に森って素敵だけどなぁ。
まあこれも後で考えよう。
「確か、木材の加工もしているのよね?」
「はい。住宅用の建材や薪にする加工場が近くにあります。ご興味がおありでしたら次回ご案内いたします」
「そうね。こっちに引っ越したら行ってみたいわ」
「かしこまりました」
森を後にしてすぐに、なだらかな勾配を感じた。平地から高地へと上っていってる。
着いた先は高原というほど高地じゃないけど、なだらかな牧草地帯だった。牛が点在する風景はのどかで、見ているだけで穏やかな気持ちになる。
「もしかして、あの大きな建物で乳製品を作っているの?」
「はい。ミルクとチーズを。冬場は王都にも出荷しております。――ではご覧に――――試食なさいますか?」
私のガン見に耐えかねたレイモンが、「下車にて観光」に変更してくれた。
「もちろんよ!」
見たい! 食べたい!
レイモンがノックして御者に行き先を告げた。
もちろん前世でもチーズを試食したことはあるけど、工場で出来立てを試食するのは初めて。
あーもう。ソフトクリームがないのが残念だわ。観光地で見つけたソフトクリームは必ず食べる主義の私としては本当に無念。
「りょ、領主様。こ、こ、このようなところへお越しいただけるとは、きょー恐悦、し、至極に存じます」
私、吊り目の悪役令嬢じゃないのに、作業着を着た丸っこいおじさんに恐れられている……。
ここは、お子ちゃまらしく、あざと可愛い仕草でご機嫌を伺うべき?
「そのように緊張する必要はない。マルティーヌ様は普通に接して大丈夫な方だ」
サンキュー、レイモン。
そうそう。ざっくばらんとはいかないと思うけど、普通でいいよ。
おじさんは、「え? 本当に? ちっこくても領主様だよな?」と、おそらく一言一句そのまま顔に書いてある。
「ええ。マルティーヌと呼んでちょうだい。先ぶれもなく突然お邪魔して悪いわね。それで早速だけど」
本当にとってつけたような挨拶の後、早速なんだけど。
「こちらで製造しているチーズを試食させてもらえるかしら?」
ふふふ。疑問形だけど命令っていうやつ。
「りょうし、あ、ま、マルティーヌ様? ええっと。――――――――はい」
またなのね。お約束のレイモンの了承確認。いいけど。
ここでは、結構な種類のチーズを製造しているらしい。興味はあるけど製造ラインの視察はまた今度ということで、今は実食あるのみ!
それでも途中で発酵中の棚にある丸いスポンジケーキみたいなチーズを見たときは、思わず「おー」と令嬢らしくない声を漏らしてしまった。テレビで見たことあるやつだったから。
すかさずレイモンとローラがキリッと視線で武装したから、おじさんはビビって何も言えなかった。
リエーフが真顔で平常運転なのは、私に危険が及ばないとわかっているからだよね。
食堂のようなところへ通され、私一人だけがテーブルに着席させられた。まあ、そうなりますよね。
「お、お口に合いますとよいのですが……」
カチコチに緊張したおじさんが、私の前にレストランで出されるような洒落たチーズボードを置いてくれた。
チーズボードには四種類のチーズが載せられている。
どうやら子ども向けに癖のないクリーミーなものをチョイスしてくれたらしい。青カビ系はない。私も苦手だから助かった。試食を頼んでおきながら手をつけないってひどいもんね。
よし、実食――と思ったら、ローラが、「失礼致します」と、全種類の毒味を始めた。
え? そういうものなの? ここはさも当然という振る舞いが正解?
ローラが問題ございませんという風にうなずいたので、ようやく私も口に運ぶ。
うっそ。濃ゆ! 美味しい! えー、これって元となる乳がいいってこと? 何にしても美味しい。
どうしよ……。うっかり昼時にお腹に入れちゃったから、余計に食べたくなってしまった。
いいかな? 言っちゃってもいいかな?
「ご主人」
「ひゃっ、は、はいっ」
「皆さんは、温めてトロトロとした状態のチーズを食べたりするのかしら?」
「へ? あ、はいっ。します」
「それは頻繁に? それとも特別なときだけ?」
「ええっ? あ、えーとまあ。そうですね。たまに集まったときですかね」
「そう」
「はい」
「ふーん」
もー。皆まで言わせる気?
レイモンとローラは気づいているみたいだけど、口添えするつもりはないのね。あーそうですか。
「今、私が食べたいと言ったら、用意してもらえるのかしら?」
「は? え? ――――――」
こらこら。レイモンの表情がイエスなのかノーなのか読み取れないからって返事しないのは駄目でしょ。
「ねえ。厨房を見せてもらえるかしら?」
「へ?」
「厨房。あるわよね?」
「はい。あります、ございますっ」
「そのとろけるチーズを見たいの。参りましょう」
「ふぇっ」
たーべーたーいーのー!!
一応、お行儀よく椅子から立ち上がり、ご主人に目で合図した。ご主人は、「ほえ?」と固まったまま動こうとしない。
「厨房に案内してちょうだい」
「は?」
「マルティーヌ様!」
「マルティーヌ様?」
諌めるような口調のレイモンと、マジで? と言いたげなローラ。
「心配しないで、レイモン。見るだけよ。何かあればローラに手伝ってもらうから」
ローラまでレイモンの顔色窺いをしている。
でも、絶対に引けないよ。
今、私の中じゃ、トロトロのチーズをかけられて女子たちが、「きゃー」とか「うわー」とか言っている映像が、脳内に無限リピート再生されているからね。
 




