19 当主としての所信表明演説
実はずっと気になっていたんだよね。
音がね、人が大勢集まっている雑踏のような喧騒が、この屋敷の裏のここまで聞こえてきていたんだよね。
あれ? なんか人が集まっている? ――っていう気配は感じていて。
でもレイモンの口ぶりだと、予定通りみたいな感じだし。
レイモンに先導される形で歩いて行くと、人の姿がちらほらと見えてきた。
……………………!!!!
カントリーハウスの前に、うじゃうじゃと人が集まっていた。え? 余裕で百人超えてない?
老若男女っていうんだっけ? 本当にいろんな人がいる。ほとんどの人が徒歩で来たみたいだけど、中には馬を連れている人もいる。
年齢も身なりも様々だけど、なんだかみんな興奮しているみたい。
「レイモンさん!」
「レイモン!」
レイモンの姿を見て、みんなが口々に声をかける。
あー。そっか。長いことレイモンがこの領地を仕切ってきたんだもんねぇ。
この人たちになんて挨拶したらいいんだろ? こんにちは? 初めまして?
「おっと」
急にレイモンが立ち止まったものだから、ぼけっと歩いていた私は、もうちょっとでレイモンの背中にぶつかるところだった。
「……?」
視線が――。たくさんの目が私を見ている。どっちを向いても目。目。目。
人の目って、ものすごく怖い。
あ――れ? しんと静まりかえっちゃった。
それどころか、密集していた人が左右に分かれて、エントランスポーチまでの道が綺麗にスーッと現れた。モーゼかよ。
これはつまり――。私が誰なのか、ここにいる人たち全員が気づいたってことだよね?
とりあえずドレスに着替えておいてよかったー。危なかったー。
レイモンの背中だけを見て頑張って歩いた。
そしてエントランスポーチに着いて、よっこらしょと群衆の方を向くと、レイモンが私の後ろに下がった。
あ、ちょっと! 私が一歩前に出たみたいになってる!
「知らせを聞いて早速集まったのだな。そうだ。このお方が、領主になられたマルティーヌ様だ」
ぎゃあぁぁ。い、いきなりだね。
え? 何? 私、お披露目されてんの?
レイモンはよく通る声で、滔々と語った。
「本来であれば、領主の帰還を祝い宴席を設けるべきだが、先代の旦那様がお亡くなりになったばかりであり、また、今回のご帰還は一時的なものであるため、そのような宴を開く予定はない。それにマルティーヌ様は、つい先ほど長旅を終えられて到着されたばかりだ。領主としてのお勤めが王都に残っているため、こちらにも二日間しか滞在できない。これから一言だけお言葉を頂戴するので、今日のところはそれまでということで、皆、マルティーヌ様にご負担をかけぬよう速やかに解散してほしい」
え? は? レー、イー、モーン! それを人は無茶振りと言うのですよ。
領主として一言ご挨拶? あれでしょ? 最初にする挨拶って、所信表明演説っていうやつじゃないの?
社長とか本部長とかが着任したときにやるやつ。あと、首相とかもね。
いやちょっと! 現状把握もできていないのに、長期展望も何もあったもんじゃない。せっかくなら三ヵ年計画とか、なんかそれらしいことを言いたいけれども!
まだ無理だからー!
あー。AIとチャットしたいよー。
でももう、みんなの視線が痛くて時間稼ぎもできそうにないわ。
えーい!
「こんにちは、皆さん」
第一声が「こんにちは」で合ってた? とにかく、精一杯、大きな声で挨拶しよう。今こそアラサーだった前世の経験を活かすときじゃない?
「後ろの方にいる人は、私の声しか聞こえていないでしょう。前の方にいる人には、私は小さくて頼りなく映っていることでしょう。私は十二歳になったばかりで、背も低く、経験もありません。正直に言うと、先代領主から次期領主としての教育も受けていません。ここに来るのも生まれて初めてのことです」
言葉を区切って周囲の反応を窺った。
みんな、真剣な表情で私の言葉に耳を傾けてくれている。
ありがたい。こんなお子ちゃまでも、「領主」として敬ってくれているんだ。
「先代の死去に伴い領主となった私ですが、その責任から逃げることなく――」
多分、ここ重要だよね。先代は逃げっぱなしだったんだもんね。
「領主としての重責を果たしたいと考えています。皆さんが望む領主がどういうものかはわかりませんが、私は、皆さんの暮らしが少しでも向上するよう、出来ることを惜しまずやっていくつもりです」
ちゃんと仕事をして、務めを果たすことを約束しておかないとね。
「今回は二日しか滞在できませんが、この領地のことを、ここで暮らす皆さんのことを、まずは知りたいと思いやって来ました。たった二日では、正直、ほとんどわからないと思います。ここにいるレイモンの作成した納税記録を読むのと変わらないかもしれません。それでも、わずかな時間でも、ほんの一部しか足を運べなくても、領主としての私の最初の一歩は、領地を歩くことだと思ったのです」
……あ。なんか自分で言ってて感情がこみ上げてくる。
毅然としていなくっちゃ。
「モンテンセン伯爵領で暮らす皆さんは、我が領地の血であり肉です。領地が健やかであるためには、温かい血が通い、健康な肉がついている必要があります。どうか皆さん、自分と家族の健康を第一に考えてください。あなた方が健康で幸せな生活を送ることが、ひいては我が領地の安寧と発展につながるのです」
ちょっと言い過ぎ? クサいセリフだよね。
「今はまだ、理念しか伝えることができないことを私自身、不甲斐なく思います。今後は、高位貴族の後見もいただく予定ですので、私自身、領主として成長し、我が領地の発展に尽力することを約束します。私からは以上です。どうもありがとう」
妙な間が空いた。失敗だった!?
チラッと後ろを見ると、なんと、レイモンが手で目を覆っていた。もしかして泣いている?
――パチ。――パチ。――パチ。
少しずつ拍手してくれる人が増えていき、その音がだんだんと大きくなった。
みんな顔をくしゃくしゃにして拍手してくれている!
すごい歓声に包まれている……。みんなが私の名前を呼んでいる……。
聴衆の中にも何人か涙を拭っている人がいる。
なんだろう……?
面倒臭いことからは逃げたいって思っていたのに、何だか無性に頑張りたくなった。
この調子に乗りやすい性格は、異世界に来ても全然直らないみたい。




