171 マルティーヌのお茶会⑥
「ジュリアンさん。大変失礼いたしました。ませた子どもの発言だと思ってお許しください」
同じ歳の私がそんな風に言うのもおかしなことだけれどね。
「いえいえ。ここ最近はあのようなことを聞かれることがなかったものですから、少しだけ戸惑ってしまいました。一時期は会うたびに同じような質問をされていました」
あははは。ちょっと笑えない。
やっぱりジュリアンさんは優良株だよね。この世界じゃ、貴族令嬢は将来の生活が結婚相手に左右される。
その点、ジュリアンさんは公爵家お抱えの薬師だし、優しいし、イケメンだし、本当にいいことずくめの優良物件。
ヤバい。ヤバい。
ちゃんと口を閉じていてよかった。うっかり発言しようものなら大炎上案件だ。
「それではカントリーハウスに戻られる際は、フロントにお声をおかけください」
「承知しました」
笑顔のジュリアンさんに見送られて、ほわほわした気持ちでドアを開けると、ドアの真ん前にルシアナが鬼の形相で立っていた。
…………え?
慌てん坊がドアから飛び出したら避けられないくらいの近さ。普通に人が立つ距離じゃないんですけど?
ぶつかるかと思ったよ。っていうか、「ぎゃっ」って悲鳴を上げちゃうところだったよ。もう、ただの恐怖。
それに顔! いつものツンと澄ました感じじゃなくて、メラメラと燃えたぎる業火を背中にしょっているし。
怖っわ。
まさか、私が調合室から出てくるのを待ち構えていたの?
あっ。ソフィアとソフィアママが小さく手を振っている……「助けてあげられなくて、ごめんなさいね」っていうこと?
そんなぁー。
「マルティーヌ様。ジュリアンさんと随分親しいようですが、彼はフランクール公爵家の薬師なのでしょう? いくらフランクール公爵閣下があなたの後見人だからといって、あなたが主人気取りで好き勝手に使っていいはずがないわ。あなたまさか――公爵家の女主人にでもなったつもり?」
……え?
いやいやいやいやいやいや。なんか丁寧な物言いが逆に怖さを助長する……。
公爵家の女主人はダルシーさんですから!
ダルシーさんを差し置いて女主人気取りなんて、もう命がいくつあっても足りない気がする。きっとじわりじわりと追い詰められて、最後には……ひぇぇぇっ。
どこで誰が聞いているかわからないんだから、嘘でも妄想でもそんなことは言わないでね!
「あの、ルシアナ様。何か誤解をなさっているようですけれど、ジュリアンさんは私の先生でもありまして、薬草の調合などを一緒にさせていただき学ばせていただいているのです」
「まあ。二人きりで作業をする間柄だから何だというの? それで私に勝ったつもり?」
……え?
「ふーん。でも焦ってはいるようね。彼に近づくなと、そうおっしゃりたいのね」
……は?
いや、だからぁ。
焦っているように見えたかもしれないけれど、正確にはビビっているに近いのよ。あなたのその顔と難癖の付け方にね!
普通にジュリアンさんを紹介して二言三言喋っただけなのに、私が彼に気があってルシアナの邪魔をしていると勝手に思い違いをしている? どうして?
言いがかり的な三角関係なんて、ものすごく迷惑なんですけどっ!
よく見てください。
そもそもルシアナからジュリアンさんに対して「好き」っていう向きの矢印が一本あるだけで、しかもその矢は彼に刺さってもいないけれど、私とジュリアンさんとの間には、恋愛系の矢印は繋がっていないので!!
だいたい、私とルシアナとの間にも、友達っていう薄い点線のような矢印がかろうじてあるだけでしょ?
三つの線で結ばれていない以上、三角形とは言えないのです。
「はぁ。ルシアナ様。ジュリアンさんの交友関係に口を出すつもりはありませんが、一方的な好意を押し付けて迷惑をかけるようなことはなさらないでね」
「はぁん? 何よそれ……何なのよ! 身分は関係ないんだから!」
えぇぇぇ。いつ身分の話をしました?
そういうセリフは身分を笠に着てあーだこーだ言っている人に言ってね。
しかも感情的になって、すっかり言葉遣いが乱れっちゃってるよ。
……あれ?
身分といえば、ルシアナって爵位持ちと結婚するんじゃなかったの?
さっきそんなことを言ってなかった?
あなた、母親を説得できるの? そっちの方が大変なんじゃない? 私に構っている暇なんてなさそうだけど。
いや、そもそもジュリアンさんが子どもを本気で相手にするとは思えない。
あれだね、小学生の子が「先生、大好き!」とか言って、「はいはい。ありがとう」みたいな感じになるのがオチだね。
いったいこの場をどう収めたらいいものか。
言葉を探していると離れたところから嬉々とした声が聞こえてきた。
「そうですわ。確かに身分は関係ないかもしれませんわね? というか、身分がどうとかの前に人柄ではございませんこと?」
はぁぁぁ?! なんでソフィアが参戦してくるの?!
そしてなぜに勝ち誇った顔?
「はぁん? 私の人柄に問題でもあるように言うのね!」
うわー! ソフィアの口が、「ありまくりのアリじゃないの!」って言おうとしている!
「ソフィア! コホン。ソフィア様。それよりも――」
「ねえ、マルティーヌ。ジュリアンさんとはずぅーっと二人一緒に、あれこれと調合をしてきたのでしょう?」
うん? 何かちょっと違うけど。
「ひと目見てすぐにわかったわ。マルティーヌとジュリアンさんとは目と目で会話をしていたもの。本当に心が通じ合っているのね」
いや、ちょっと待って。話の持っていき方が不穏なんですけど。
「もしかして、マルティーヌはジュリアンさんのお部屋に招かれたことがあるんじゃないの?」
え? どうして知ってるの? 私、ソフィアに話していないよね?
公爵邸でのレッスン地獄については手紙で愚痴ったけど、ジュリアンさんのことは何も書いていないはず。
ソフィアが相手だから、つい心の叫びが表情に出たらしい。
図星だと確信したソフィが畳み掛けてきた。
「ね? そうなんでしょう?」
うわぁ。どうしよう、これ……。
迂闊に肯定しようものなら、ルシアナがブチギレそう。
でも嘘をついてまでルシアナの機嫌を取るのは違うし……。
「ま、まあ……あった……かな?」
ひぇぇぇっ!!
ルシアナに、バッキバキに見開いた目で睨まれてるんですけど!!
「そうでしょう? やっぱりね。それに引き換えルシアナ。あなた、全然相手にされていなかったじゃないの。そんなこともわからなかったの? ジュリアンさんがお気の毒だったわ。可愛い弟子のマルティーヌのお客様だからって、無神経で無遠慮な人に付き合わなきゃならないなんてね」
「なぁんですってぇー!」
あー、なんか記憶にあるかも、こういう場面……。
ルシアナの「ムッキー!!」ていう膨れっ面に見覚えが……。
そういや、この二人は最初に顔を合わせたときから、こんなだった気がする。
ソフィア的には全勝しているんだったよね……?
これ以上ややこしくなる前にルシアナママに引き取ってもらおうと思ったら、部屋にいない!
いつの間に出ていったの?
……あ。ルシアナもプンスカ怒って外に出て行っちゃった。
えー、ちょっと!
ハーブティーのブレンドは?
「マルティーヌちゃん。あなたが遠慮する必要はないと思うわ」
「そうよ、マルティーヌ! 私はあなたを応援するわ!」
もう、ちょっと、二人とも落ち着いて。
私、ルシアナが勝手に作った土俵に上がる気はないよ?
「あのね、ソフィア。おば様も。ルシアナがおかしなことを言っていたけれど、見当違いも甚だしいというか。それよりもブレンド体験をしてほしかったのに」
「もう、マルティーヌったら。ちょっと予定が狂ったくらいでそんなに落ち込んでどうするの。それよりもあのルシアナの顔みたぁ? うっふっふっふっ。いい気味だわ」
はいはい。また勝利数が増えたんだね。
「ふふふ。ごめんなさいね、マルティーヌちゃん。またいつでも来られるのだから、ブレンドはまた今度やらせてもらうわ。今日のところはお勧めのブレンドティーをいただいて帰るわね」
「はい。ありがとうございます」
 




