165 KOBAN完成
「アルマ。このスポンジは完璧だわ。卵の泡立て加減と火加減はもう大丈夫みたいね」
「はい。オーベルジュでも同じように焼けるまで練習してもらいます」
「よろしくね。ふふふ。早くお茶会でお披露目したいわ」
お茶会の準備も一段落し、トマトの生育も順調だと報告を受けて、うっきうきで新作スイーツの試食をしていると、レイモンから意外な人物の来訪を告げられた。
「マルティーヌ様。ドニが到着しましたので、お手数ですが応接室に移動していただけますでしょうか」
「ん? ドニが? 珍しいわね」
タウンハウスのお留守番係なのにね。
応接室に入ると、年明けに公爵邸で会って以来のドニが立っていた。
「お久しぶりです、マルティーヌ様。お元気そうで何よりです」
ちょっぴり胡散臭いスマイル。うん。ドニだね。
「久しぶりね。王都は特に変わりないかしら?」
「はい。タウンハウスの改修もほぼ完了しましたので、いつマルティーヌ様がお戻りになっても大丈夫です」
ん? 改修?
私の怪訝な表情を見て、レイモンが口を挟んだ。
「王立学園に通われる間はタウンハウスでお暮らしになる訳ですから、マルティーヌ様が少しでも快適にお過ごしいただけるよう手を加えておりました。先代様は住まいに関してはそれほど関心がないようでして、館のあちこちが傷んだままになっておりました」
言われてみればそうだったかも。
「ドニは支払いのために呼んだのです」
あ、なるほど。振り込みなんて便利なものはないからね。お支払いは、『キャッシュを手渡し』な訳ね。
そのためにまとまったお金を王都に運ぶのか。うわー。面倒だな。それに危険じゃない?
「マルティーヌ様。ご心配には及びません」
あら。顔に出ちゃってた?
ドニがにっこり微笑んだ隣でレイモンが言った。
「念の為にディディエに護衛を頼むことにいたしました」
「さすがに何かあった場合、私一人では対処できませんから」
「そうね。気をつけてね」
「はい。ありがとうございます。それよりも、マルティーヌ様にお伺いしたいことがございまして」
「何かしら?」
ドニは彼独特の微笑のまま話を続ける。
「マルティーヌ様のお部屋の模様替えなのですが、特にご希望がないようでしたら白とベージュといった無難な色で済ませておくこともできますが、やはり王都に戻られてからご自身で職人にご要望をお伝えになりますか?」
あー、うーん。どうしようかな。
「そうねぇ。希望と言われても、うーん……壁紙は白でいいし……あなたが呼んだ職人にお任せするわ」
別にこだわりはないしね。
「かしこまりました」
そっか。こっちにいられるのもあと少しだ。
今月末のお茶会が終わったらサッシュバル夫人ともお別れして来月には王都に戻るんだった。全然実感が湧かないけれど。
「コホン。マルティーヌ様。来週にはKOBANが完成いたしますが、しばらくは観光案内所として運用し、オーベルジュの従業員が交代でカウンター内で待機すればよろしいのですね?」
そうだ! KOBAN!
一階は完成していて、レイモンが言っているのは二階の住居部分なんだよね。
ふふふ。さすが、レイモン。私のテンションの上げ方をよくわかっているね。
「ええ。それでいいわ。でも、最初に言ったように、ディディエやマークには街中を巡回してもらいたいわ。制服姿の騎士が目を光らせているって知らしめたいの」
「それでは、そのように伝えておきます。マークがシェリルに領内を案内するとのことでしたので、その際はまずKOBANに顔を出してから中心街をぐるりと巡回し、そこから田舎へ向かうよう伝えておきます」
「そうね。まずはそんな感じでいいと思うわ」
いよいよ市内の見回りも開始か。
馬車の定期運行も始まったし、どんどん夢が現実になっていっている!
「そういえば、私もオーベルジュとKOBANを見学してからこちらに参ったのですが、あの掲示板は面白いですね」
お! ドニも気がついた?
「そうでしょ?」
「新聞の切り抜きが貼られているのには驚きました。読める人は少ないかもしれませんが、一度誰かの口に上れば広がっていくでしょうし」
ふふふ。そうなのだ。掲示板の一角に領民たちにも知っておいてもらいたいニュースを掲出しているのだ。
もちろんゴシップ以外の社会面や経済面からの切り抜き。
どんな記事を掲出するかはマルコムに任せてある。もちろん上司のレイモンが承認してから切り抜くんだけどね。
マルコムが切り取った記事を定期運行の馬車の御者に渡して、御者が掲示板に掲出する流れになっている。
一応、月に二回更新を目安にしてもらっている。
この世界は前世と違ってニュースが溢れている訳じゃないし、田舎で暮らす人々に有益な情報ってかなり限られてくるからね。
それでも王都の学校に通う子どもだっているのだから、「え? そんなことも知らないの?」なんて王都で馬鹿にされない程度には情報を入手しておいてほしい。
とはいえ、領内の商人の中には、一、二週間分の新聞をまとめて王都から取り寄せている人もいるらしいから、無料での情報開示は最低限にしておかないと不公平だもんね。
「レイモンやマルコムには仕事を増やしてしまって悪いと思っているけれど、領地のためだからと快く引き受けてくれたの」
「なるほど。先ほど私が立ち寄った際に掲示板を見ていると、『読めるのか?』と聞かれたので、そのまま読み聞かせたのですが、内容について質問されました。今後、観光案内所内に人が常駐するとなると、そのまま新聞の内容を尋ねにやって来る人がいるかもしれません。そうなると本来の観光案内に支障をきたすおそれも出てくるのではないでしょうか」
えっ! まあ、そうか。『案内所』ってデカデカの看板を掲げているしね。
カウンターの奥で、「何でも聞いてください」ってニコニコと待っているようにも見えるかもね……。うーん……。
「それは確かにそうね。本格的に観光客が訪れていない間は対応できるとしても、考えないといけないわね」
何でもかんでも聞きにこられては困る。
そもそも『よろず相談所』じゃないからね。相談事は今まで通り顔役のところへ――あ。顔役って、そういう取りまとめをしてくれていたんだよね。無償で。
顔役たちにはなんらかの方法で報いたいなぁ……。
「マルティーヌ様。最初から完璧な運用など不可能です。少しずつ改善されていけばよろしいかと。人員が不足するようでしたら私の方でなんとでもできますから」
「ありがとう、レイモン。それにドニも。よく教えてくれたわ」
ドニも公爵家で揉まれてレベルが上がってんのかな? 元々高かったのかもしれないけれど。そういうことに気がついて報告してくれるのは本当に助かる。
「マルティーヌ様が王都に行かれた後は、屋敷の使用人たちを交代でオーベルジュに派遣して仕事を覚えさせてもいいかもしれませんね」
「レイモン……そうね、それはありがたいけれど……あなたに任せるわ」
「かしこまりました」
最初にレイモンに私の三大改革を打ち明けたとき、オーベルジュについて熱く語ったから、なんとしても成功させようと気にしてくれているんだろうな。
「レイモン。ドニ。私は未熟なくせにあれこれ思いついたことをやってしまうから、あなたたちに迷惑をかけると思うけれど、こればかりはそういう領主を頂いた縁だと思って諦めてちょうだい。でも諫言や忠告はありがたく聞くので、そこは躊躇しないでくれると嬉しいわ」
「はい。マルティーヌ様」
「かしこまりました。マルティーヌ様」
私はアイツとは違うのです!