151 女性騎士シェリル
シェリルの雇用については、レイモンのお陰で何とかモンテンセン伯爵家の体面を保つことができた。
私は勢いで「採用! 迎えをやる!」って叫んだだけで、どういった手続きが必要なのか、まるでわかっていなかった。
大きなところでは格上の侯爵家への挨拶だったり、細かいところならシェリルの道中の宿の手配とか。
まあ一番は、公爵への報告だったけれど。
ついつい報告を忘れがちになっちゃうのはなぜなんだろう?
毎日顔を合わせていたら忘れないと思うんだけどね。物理的な距離がそのまま心の距離な気がする。
うーん……パトリックに頼んで証明写真サイズの公爵の姿絵を描いてもらおうか。
それをロケットペンダントにして身につけて、毎朝カチャッと開けて写真に向かって、「リュドビク様、おはようございます」って挨拶をしていたら報連相はバッチリかも。
……キモ! 絶対にやらない。
「でも、よかったわ。侯爵家から餞別として彼女の愛馬をそのまま下賜していただけて」
向こうも少なからず後ろめたい気持ちはあったのかもね。だからといって馬をもらったくらいじゃ許せないけどね。
「マルティーヌ様の練りに練ったお手紙が功を奏したといえますね」
「そう?」
ふふふ。レイモンと二人がかりで頑張って遠回しに匂わせたんだよね。人馬一体となった騎士の馬について。
「午後には着くのよね? さすがに到着早々お茶に誘う訳にはいかないから、一言だけ挨拶する感じかしらね?」
「さようでございますね。応接室で簡単に顔合わせをされるとよろしいかと。同僚への紹介や宿舎の案内などはマークに任せておけば問題ないと思います」
そこは「若い人同士で」って感じなのかな。
「マークって幾つだったかしら? シェリルと歳が近いといいわね」
「マークとシェリルは王立学園の同級生と伺っております。二人とも二十歳です」
「え? そうなの? 知り合いだったんだ……」
なあんだ。じゃあシェリルの置かれた状況もマークは知っていたのかな?
「じゃあ、マークも一緒の方が話しやすいかもしれないわね」
「それでは、到着次第マークも呼ぶことにいたします。マルティーヌ様はそれまでお部屋でお寛ぎください」
「わかったわ。じゃあ後のことは頼んだわ」
「かしこまりました」
自室でシェリルの到着を今か今かと待っているところにノック音がしたので、やっとレイモンが呼びに来たのかと思った私はソファーから腰を浮かしてしまった。
「マルティーヌ様」
ローラにジト目で注意された。
呼びに来たのはレイモンではなくマルコムだった。
オーベルジュのフロントを任せる予定の、ドニの弟弟子。
レイモンはオーベルジュがオープンするまで、マルコムに家令見習いとして少しずつ仕事をさせているのかな?
マルコムはローラに伝言だけして去った。
そんな使用人同士のやり取りなど、これっぽっちも関心ないという感じに優雅に無視しなきゃいけないんだけど、ついつい顔がドアの方を向いちゃう。
でもローラがこっちを向く前に正面を向いて知らんぷり。
「マルティーヌ様。お客様が到着され、応接室でお待ちだそうです」
「ありがとう、ローラ」
すっかり侍女らしくなったローラの手前、私も女主人の顔を作って応接室まで歩く。
応接室に入ると、マークと女性が立って待っていてくれた。
何度も心の中で『デフォルト』『デフォルト』と自分に言い聞かせる。
マークの隣に立っている女性がシェリルなんだろうけど、女性にしては結構背が高い。
金髪をポニーテールにしていて、青い瞳が綺麗。
頬にそばかすがあるけれど、それがかえってチャーミングだ。
「二人ともかけてちょうだい」
私が微笑を浮かべてそう言うと、マークとシェリルも、「はい」と返事をしてソファーに座った。
二人ともピンと背筋が伸びていて姿勢がいい。私も意識して伸ばさないとね。
「あなたがシェリルね。引っ越しを急かしてしまってごめんなさいね」
「い、いえっ。助かりました。面接抜きで採用していただき、住むところまで用意していただけるなど――本当に感謝してもしきれません」
シェリルがなんだか感極まっているんだけど、泣いたりしないでね?
「私の事情はご存知のはずですのに……。本当によろしかったのですか? 婚約破棄をされた女を――」
もぉっ! 自分を卑下しないで! どれだけ言われたのよ。
それ、何回聞いてもムカつく。
「あのね、シェリル。あ、シェリルって呼ばせてもらうわよ?」
「え? あ、はい」
「私のことはマルティーヌって呼んでくれればいいわ。まあその辺りのことは後でマークに聞いてね。コホン。それでね、今回の件は本来ならば、あなたの方がお相手に婚約破棄を叩きつける事案だと思うの。それなのに相手が先に――そんなこと言う権利はないはずなのに、向こうが婚約破棄を口にしたからって、あなたには何の瑕疵もないわ。絶対に、誰が何て言おうともね! だからあなたは駄目な男と結婚せずにすんで清々したって顔をしていればいいのよ」
「……! マルティーヌ様……」
「ふんっ。もしうちの使用人がそんなことをしていたら、私がきっちりお仕置きするわ。ま、そんな倫理観を持っている人は採用しないけれどね」
やったらグーパン制裁だよ。
チラッとマークに視線をやると苦笑された。
その様子を見ていたシェリルがなぜか慌てて、「マークさんはそんなことされないと思います!」と大声をあげた。
は?
「あ、申し訳ございません」
「そういえば二人は同級生なんですって? マークは女性からの信頼が厚いのね」
急に叫んだのが恥ずかしくなったのか、頬を赤らめたシェリルが今度はボソボソと語り始めた。
「はい。マークさんは男性からも女性からも信頼が厚い方です。首席でしたので、卒業後はてっきり王宮警護の……あ、すみません」
シェリルさんって素直な人だなあ。うっかり発言にハッと気づいてアワアワしている。
そうか、首席だったのか。知らなかった。
首席にしてはまさかの進路だよね。アレスターと一緒に武者修行の旅って……。
それにしてもマークってそんな優等生だったんだ。
ほんと勿体無くない? 最高の就職先を蹴っちゃってよかったの? 王宮勤めってエリートなんじゃない? アレスターとの師弟関係ってそこまで強いの?
在学中はきっとモテモテだったんだろうなぁ。なのに就職しないで無職になっちゃったから、今でも独り身なのかなぁ。
「それは皆さん驚いたでしょうね。私にとっては幸運でしたけれど。アレスターに感謝しないといけないわ」
アレスターは解雇されていないっていう話だったけど、そんなの名ばかりの雇用で、実質は野良騎士だもんね。
「アレスター様というのは、もしや、あのアレスター・アダムス様ですか?」
ん? あの?
シェリルが私とマークの顔を交互にチラチラ見ている。
何だろう? 私、もっとアレスターについて知っておかなきゃ駄目だった? 内心では焦っているけれどシェリルの手前、怪訝な顔なんかできない。
頬に手を当てて、「あら? どういう意味かしら?」と可愛らしく追加情報を求める。
すると今まで黙っていたマークが嬉しそうに口を開いた。
「ええ。あのアレスター・アダムス様です。国王陛下の幼少期に剣の師として王宮に迎えられた方です」
ええーっ!!
あの熊男が王宮で働いていたの?!
いかん、いかん。『微笑』をセット。『微笑』をセット――ってできるかっ!
「あら、マーク。初耳だわ。アレスターは陛下に召し抱えられていたの?」
私が取り繕えていないのがおかしかったのか、マークは笑いたいのを堪えるように続けた。
「何でも、当時王太子だった陛下に、『一番腕が立つ者を』と請われた陛下の剣の師がアレスター様を推薦したと聞いております。ただ、アレスター様はあまり乗り気ではなかったらしく、短い期間でその職を辞したと伺っております」
職を辞した? クビになったんじゃない?
幼少の頃って幾つか知らないけれど、突然あんな巨熊みたいな大男が、「ガッハッハッ」と近づいて来たら震えるよね。
わかる。いくら男の子だって泣いちゃうと思う。
アレスターに追いかけられて逃げ惑う少年の絵しか浮かばないよ。
「そ、そう。そんな経歴があったなんて意外ね。コホン。まあでも本人がアレなのは――ええと。マーク、とにかくアレスターたちへの紹介や諸々の説明をよろしくね。宿舎の部屋は好きに選んでもらっていいので、使用する部屋が決まったら後で教えてちょうだい。あなたたちと同じようにドアに名前を書いた木片を掲げるから」
「かしこまりました」
「シェリルの制服は明日までに用意しておくわ」
「え? 明日?」
「ええ」
ふふふ。何たって私のお手製ですから。
「じゃあシェリル。疲れているでしょうから、今日のところはゆっくり休んでちょうだい。侯爵家で働いていたあなたにアドバイスしてもらいたいことが沢山あるのだけれど、まあそれはおいおいお願いするわ。うちは規律とか――なんというかまあ主に規律が壊滅的だと思うから」
そう言うとシェリルに不思議そうな顔をされたけど、アレスターに会えばわかるから!