15 馬車の揺れが耐え難い
「マルティーヌ様、ご気分が優れないときは遠慮せず早めにおっしゃってくださいね。どんな場合でも対処できるよう、ローラやリエーフは仕込まれていますから。使用人に変に気を回したりしないでくださいね」
ドニがアイドル顔負けのスマイルで言う。
「リエーフは歳の割に体も大きいですし、何より剣の腕前は本物です。領地に着くまで怖い思いをすることはないでしょう。疲れたとかお腹が空いたとか、何かしら気分に変化があれば、すぐにローラにおっしゃってくださいね」
ここにいる四人の中でドニが一番年上だからか、出発する私たち三人はなんだか、いくら注意してもしすぎることはないと見送られる幼な子みたいな扱われようだ。
リエーフとローラは褒め言葉だと受け取ったようで、ドニの言う通りだと言わんばかりに胸を張って、「任せろ」と言いたげだ。
いや、リエーフはわかるけど、ローラまで護衛のノリに見えるのは何故?
でもほんと、いざっていうときはローラも戦いに加わりそうで怖い……。そういうときは手でも握っていてほしいんだけど。
「ありがとうドニ。リエーフとローラが一緒なんですもの。心配なんかしていないわ。いろんな問題が山積みなのに、私の我が儘で屋敷を離れることになって悪いと思っているの。本当にごめんなさいね。それじゃ、じいじやアルマたち使用人のことを頼むわね」
「かしこまりました、マルティーヌ様。それではお気をつけて」
ドニのとびっきりのスマイルに別れを告げて、荷物と一緒に馬車に乗り込んだのは、レイモンが出発してから二時間ほど経った後のことだった。
リエーフは乗ってきた馬があるので、馬車には私とローラの二人だけだ。
記憶が戻ってから初の馬車移動なので、なんだか緊張してきた。
「マルティーヌ様?」
「平気よ、ローラ。いよいよ領地に向かうのかと思うと、なんだか胸がいっぱいになってしまって……」
「モンテンセン伯爵領は良いところです。ご心配は要りません」
ローラが満面の笑みで請け負った。
「そう。早く見てみたいわ。色々と」
王都の街並みを見て、「おー」とテンションが上がったのも束の間、目抜き通りはあっという間に通り過ぎてしまった。
きらびやかな店がなくなり、大きな邸宅から小さな家へと景色が変わると、座り続けているのが苦痛になった。
馬車の振動を感じながらも、しばらくは窓から見える景色に集中していた――――んだけど。
頭の中に浮かぶ、「こんなに揺れる?」と「痛い!」が消えない。
このままではまずいと気になり、気にはなったけど我慢して、我慢して、我慢して、我慢していたんだけど――。
え? 馬車って、めっちゃダイレクトに揺れを感じるんですけど?!
――っていうか、ムチウチにならない? この振動――お尻だけじゃなく首も腰も心配だよ。
これ、田舎道とかだったら、路面の状況次第では跳んだり跳ねたりしちゃうレベルなんじゃない?
「大丈夫ですかマルティーヌ様? 休憩なさいますか?」
いや、三十分も経たないうちに休憩なんて、我慢が足りなすぎると思う――けど、理性では抑えきれなかった。私ってば、気づかないうちにローラに目で訴えていたみたい。
「ごめんなさいローラ。ちょっとだけ確認したいことがあるから馬車を止めてもらえる?」
「かしこまりました」
ローラはそう言うと、壁を叩いて御者に馬車を止めるよう指示した。
「お茶をご用意いたしましょうか? 携行用の道具を積んでおりますので、温かい紅茶をお淹れいたしますね」
「違うの、ローラ。本当に馬車を確認したいの」
「マルティーヌ様?」
あ、いいの。いいの。こっちの話だから。
「少し待たせることになると思うから、ローラとリエーフは休んでいて」
「そんな! なんでもおっしゃってください。私がマルティーヌ様の指示で確認をいたしますから」
あのね。そうじゃない。そうじゃないのよ。「サスペンション」って言ってもわかんないよね?
あれ? でもベッドのマットは弾力があったというか、柔らかい反発があったような……。スプリングとは違った気がするけど。中に何が入っているんだろ……。綿かな?
いやいや、今はマットは置いておいて。
「いいの。自分で見て確かめたいの」
ドレスの裾をたくし上げて、その布をむんずとつかんで馬車の下を覗きこんだ。
「マルティーヌ様! 何をなさっているのです!?」
まあまあ。落ち着いて。
あー。やっぱりね。
「ローラ。それにリエーフも」
「はい。マルティーヌ様」
「お呼びでしょうか?」
名前を呼ぶと、二人は私の前に並んで立ち、かしこまった。これは多分、レイモンの教育の賜物だね。
二人にだけ聞こえるように声を潜めて言った。
「あなたたちを信用して、私の秘密を打ち明けるわ。だから、まずは御者には離れたところで休んでいてほしいのだけれど」
「それでは私が」
リエーフはそう言うと、サッと行動に移した。
彼は自分の馬の手綱を御者に預けて何やらささやいた。御者は大きくうなずくと、彼の馬を連れて馬車から離れて行った。
「今時分は往来も少ないようです。民家とも距離がありますから、馬車道から少し離れれば、誰にも見咎められたりしないでしょう。話も聞かれないはずです」
リエーフの赤い瞳に好奇心が浮かんでいる。いくら背が高くって剣術を習っているからって、秘密って聞くとワクワクしちゃう年頃だよね。
リエーフって、まだひょろっとした体格をしているけど、身長が百六十五センチくらいあるから、日本人の感覚だと高校生くらいに見えるんだよね。これが私と同じ十二歳とは恐ろしい……。
「マルティーヌ様。その秘密とやらは、厨房に一人でこもられていた件と関係があるのでしょうか? 厨房には、見たことのないモノがいくつかございました。それらは、『誰にも見せない』と奥様と約束されていたことと何か関係があるのでしょうか?」
鋭いローラ。ってか、あの厨房を見たらわかるか。
「ええ、そうよ。……そうだ。もう見てもらうのが一番早いかも。リエーフ。悪いんだけど、鉄とか銅とか、何か固いものを調達してきてほしいの。鍋でも鍬でも何でもいいから」
「……? かしこまりました」
「あ、ええと。ローラ。お金はレイモンから預かっているのよね?」
「はい。マルティーヌ様」
そう言うとローラはリエーフに小袋を渡した。
スプリングって、誰かが発明してくれたものだったんだね。なくなって初めて有り難みがわかったわ。




