146 【リュドビク視点】久しぶりのモンテンセン伯爵領
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車窓から見えるモンテンセン伯爵領の風景もすっかり見慣れたものになった。
マルティーヌ嬢が改装した馬車は、少々の悪路ならものともせず快適に過ごすことができる。
賞賛すべき才能だが、日頃の彼女の振る舞いを鑑みれば、安易に褒めればきっと調子に乗ることだろう。
だからそうならないよう、いつも私は思い留まっている。
「それにしてもリュドビク様。夜会に出られないことはあっても、この時期に王都から離れるというのは初めてではないですか?」
「ああ」
ギヨームの言う通り、春から初夏にかけての社交シーズンに王都を離れる貴族はいない。
家々が競い合うように夜会を開き、訪れた高位貴族の家名を自慢し合う……。
社交自体を否定するつもりはないが、なにも毎週のように顔を合わせる必要はないだろう。
マルティーヌ嬢の運動会とやらの競技の方がよっぽど建設的だ。
少々遊びに振り過ぎているところはあったが、使用人の採用を兼ねた競技で領民たちを競わせるアイデアは面白いと思った。
まあ、おそらくそれはついでで、領民たちに娯楽を提供したいというのが本音だったとは思うが。
「それにしてもあれ程の大きさの時計の注文には驚きましたね」
「注文もそうだが、その使い方だ。馬車を停めるところに設置するとはどういうことだ? これほどの大きさのものなら、大聖堂の中に設置されていてもおかしくないものだがな。世間知らずな彼女の考えそうなことだ。おかげで彼女にはもう少し見聞を広めるために社交をさせる必要があることがわかった」
「あっはっはっ。なんですか、それ? あのマルティーヌ様を連れ歩く宣言ですか?」
「いい加減にしろ。馬車の発車時刻がわかるように停留所とやらに時計を設置したいからと、直径五十センチの巨大時計を三つも発注するなど、非常識にも程がある」
まったく何を考えているのやら。
自分の屋敷にもない大時計を領民たちのために、それも馬車の発車時刻の確認に使用するなど、どうしてそのようなことを思いつくのだろう。
「あ、そろそろですね」
「ああ」
馬車の窓からカントリーハウスが見えた。
敷地を囲うように同じ高さの木立が整然と並んでいる。以前はそこまで整備されていなかった気がするが……。庭師でも雇ったのだろうか?
「ようこそお越しくださいました。まさかフランクール公爵閣下が自らお持ちくださるとは恐縮でございます」
レイモンにも言いたいことがあるが、まあ折を見て話すとしよう。
「お茶のご用意ができておりますので応接室へどうぞ」
応接室に入ると、マルティーヌ嬢が揉み手をしそうな勢いで迎えてくれた。
売り買いをした訳だから商売の話には違いないが、なぜ商人のような対応になるのだ。
伯爵という身分を忘れがちになる癖はいつ直るのだ。
残念そうに主人を見ている侍女は、我が家の教育を受けてしっかり一人前になっているではないか。
型通りの挨拶をして着席し、マルティーヌ嬢を睨みつけると、「ん?」と疑問を浮かべた後で、ようやく思い至ったらしく慌てて貴族令嬢らしい微笑みを浮かべた。
……遅い。
後見人である私と二人だけ、しかも場所は自家の応接室ということもあって、貴族らしく取り繕う必要がないと考えたのかもしれないが。
「今君は私を客としてこの部屋に招き入れたのだから、それ相応の振る舞いをするべきなのはわかるな?」
「……はい。公爵閣下がこれまで私の気安い対応をお咎めにならなかったことをいいことに、増長してしまったようです。大変申し訳ございません」
「わかったならいい」
何気に私のせいでもあるのだと、一部責任を転嫁するようなことを言っていたが、まあ目こぼししてやろう。
「この度は、お約束の期日よりも随分と早く大時計を納品していただきましてありがとうございます。お陰で領都の整備に弾みがつきます」
「オーベルジュだったか? 君と最初に会った日に、モンテンセン伯爵領の象徴のようなものを作りたいと熱く語っていたな……。その一部として大時計を設置するのかと思ったが、違うらしい」
私は遠回しに嫌味を言ったのだが、どうやら通じなかったようだ。
マルティーヌ嬢が嬉々として語り出した。
「はい! もちろんオーベルジュにも時計は設置するつもりです。宿泊用の各客室に一つずつと、併設のレストランにも一つ、それぞれ壁に掛けるタイプを設置する予定です。こちらは通常のサイズで――その、定番商品の中で一番大きな物が二、三十センチと伺っておりますが、そちらを別途注文させていただく予定です……。定番商品であれば数週間で納品可能と伺いましたので」
微妙に話がずれてしまっているぞ。
――と、眉尻を少し上げてみせたら理解したようだ。
「あ、ええと。特注の大時計ですが、遠くからでも見えるように大きな物がよいと思いまして。定期運行馬車の売りは、決まった時間に馬車が出発することなのです。ですから――」
「待て」
「……?」
またか。定期運行馬車だと? 聞いていないぞ。
「何の話をしているのだ?」
「定期運行――!」
ああそうだ。その定期運行馬車だ。しまったという顔をしているが、詳しく聞かせてもらおうか。
「大変申し訳ございません。公爵閣下へのご報告を失念していたようです。定期運行馬車とは、領都のKOBA――騎士たちが市内を見回りする際の起点となる場所から、このカントリーハウスまでの道を決められた時間に走る馬車のことでして。途中に領民たちの居住区があるので、領都の出発地点と、居住区、それに終点のカントリーハウスの三ヶ所に案内板を立てて、馬車が発車する時間を知らせるつもりです。その案内板に大時計を設置して、馬車が発車する時間がわかるようにしたいのです」
まさか、本当にそんなことのために大時計を特注したのか?
その顔は――そうなのだな。
「ほとんどの平民は鐘でしか時間を知る術がありません。案内板に書かれた時間に馬車が来て、その時間は案内板の時計を見ればわかるとしたらものすごく便利だと思うのです」
「なるほど。それは便利だろうが、これまでは時計がなくても馬車に乗れていたのだろう? 君がそこまでして改善すべきことだろうか?」
「おっしゃる通りです。ですが、これは『定期運行馬車』というものを周知させる手始めに過ぎません。ゆくゆくは路線を拡大して、モンテンセン伯爵領では、領都の起点となる停留所から、各地へ決まった時間に馬車が出発する仕組みを整えたいのです」
「随分と壮大な計画だな。そこまでの利用者がいるのか?」
「……今申し上げたのは全てが理想通りにうまく運んだ場合の最終計画でして、現在、利用者や利用時間帯等を調査しておるところです」
「つまり、領都からカントリーハウスまでの路線は調査せずとも利用者と利用時間帯がはっきりわかっていたのだな?」
「はい」
「聞いた限りでは、とても失念するような案件ではないがな」
「……申し訳ございません」
レイモンに目線をやれば、珍しく彼も反省している。
これまではマルティーヌ嬢が失念してもレイモンが尻拭いをしていたが、彼が失念してしまうほど執務状況が悪化しているのだろうか。
「コホン。フランクール公爵閣下。ひとまずお茶をお召しあがりくださいませ。今日のお菓子はマルティーヌ様が公爵閣下のために新しく開発されたクレームブリュレでございます」
助け舟を出したレイモンに免じてこの辺で許してやろう。
目の前のそれは、随分と変わっている菓子だ。
マルティーヌ嬢が得意げに説明を始めた。
「こちらはシュークリームに使用するカスタードクリームの上に砂糖をまぶして焼き焦がしたものになります。冷えて固まっておりますので、どうぞスプーンで割りながらお召し上がりください」
変わったことを思いつくものだ。
砂糖を焼き焦がして固めただと?
試しにスプーンで叩いてみると、本当に固くてカチカチと音がする。
少し力を入れて叩くとサクッと割れた。そのままクリームと一緒に掬って食べると……なるほど。
固まった砂糖の食感と柔らかいクリームの食感が両方楽しめて面白い。
クリームだけをこのように愉快な菓子へと変貌させるアイデアは大したものだ。
向かいに座っているマルティーヌ嬢のしたり顔は癪に障るが、それでも美味しいことには変わりはない。
私が完食すると、マルティーヌ嬢は全てが滞りなく進んだとでも言いたげに、満足そうな顔で余裕を醸し出していた。
彼女は私に目新しい菓子を出しさえすれば、大抵のことは大目に見てもらえるとでも思っているのか。
ふむ。その誤解は解いておかねばな。
「君はまだ幼いとはいえ伯爵家の当主だ」
「へ?」
「今、おかしな声が聞こえたが」
「も、申し訳ございません」
「せめて同じことを注意されないよう成長してもらいたいものだ」
「……はい」
やっと公爵邸で学習したことを思い出したのか、整った微笑を浮かべて姿勢を正した。
ふう。先が思いやられるな。