130 春の大運動会⑤ お絵描き
「これから皆さんには絵を描いてもらいます」と言うと、わかりやすくキョトンとされた。
まあ、そうだよね。紙も鉛筆も触ったことがないのに、ましてや絵なんて描いたことがないよね。
「絵を描いたことがない人がほとんどでしょう。今日を逃すとこの先絵を描く機会は訪れないかもしれません。皆さんにはできるだけ色んな経験をしてほしいので、どうか初めてのことでも勇気を出して取り組んでください。上手か下手かは関係ありません。楽しいと思った人が勝ちなのです!」
おっと。一人熱くなってしまった。
「コホン。絵を描くと言っても、何をどうしたらよいのかわからないですよね。でも大丈夫です。心配いりません。先ほど紹介したパトリック卿が、絵の描き方を教えてくださいます。それではパトリック卿。よろしくお願いします」
パトリックがニッコニコしながらウッドデッキから下りて、整然と並んでいる机の最前列までやってきた。
もちろんパトリックのお手本用に、ドニがイーゼルをセットしてくれている。
キャンバスはもったいないので、薄い木の板を使ってもらう。
パトリックが子どもたちに喋り出す前に私の方を向いてニコッと微笑んだのが、ちょっと不気味……。
「紹介ありがとう、マルティーヌ。みんなには花を見たまま紙に描き写してもらおうと思う。花びらを一枚だけ描き写してもいいし、花と茎と葉をバランスよく描いてもいい。自分が描きたいと思ったことを描けばいいからね。おっかなびっくり鉛筆に触っている子がいるけれど、鉛筆の持ち方に正解なんてないからね。グーで握ってもいいし、そっとつまんでもいいし。とにかく自分が描きたい線が描けるように工夫して持てばいいんだ」
へぇ。よくわかんないけど、そういうものなのかなぁ。
でも子どもたちはちゃんと真剣に聞いて、聞いたそばから色んな持ち方を試している。
可愛いなぁ。
あ! みんなの手首に例の番号を刺繍した布が巻かれている!
ほぉ。ドニがちゃんと差配したんだな。名簿を見ながら受付してその場で自分の番号の布を巻かせる手筈だったよね。
「ええと。あんまり時間はかけられないんだよね? 時計の最小単位っていってもわかんないよね?」
そうだった。パトリックには三十分と伝えたんだった。三十分刻みの時計を持っている家ってあんまりないよね。
「そうだな……ご飯を食べるくらいの時間で描けるところまで描くといいよ」
確かに。
あっ、肝心なことを言い忘れている。
「皆さーん! 紙の端っこに手首に刺繍されている番号を書いてくださいねー! それだけは忘れずに最初に書いてくださいねー」
なんとか公爵に後で叱られない程度の大きな声で伝えたけれど、まあ、後ろの方のテーブルまでは届かないだろうから使用人たちに任せる。
一応、最後に紙を集める使用人が番号の書き漏れがないかチェックすることになっているけど、案内しておかないとね。
ここでも、「はーい!」という返事がほしかったけど、ガヤガヤという私語しか聞こえなかった。
「じゃあ、番号を書いてから絵を描こうか」
パトリックも子どもたちと同じ鉛筆を持って描き始めた。
いよいよ一つ目の競技『お絵描き』の開始だ!
「僕は最初にぼんやりとした輪郭を描いて、徐々に線を増やしていくけれど、これが正解ってわけじゃないからね」
パトリックはそう説明しながらシャカシャカと鉛筆を動かしてデッサンをしている。
どうやら来賓席にある花を描いているみたい。
公爵たちのテーブルには、私のリクエストで蕾や花だけをトレイに敷き詰めて置いてもらったのだ。
パトリックはその中の蕾を薄板の左上に描いている。
さすがプロの絵師だけあって、二、三分で描き上げた。そして休むことなく右上にトレイ全体の花々を描き始めた。
そしてそれも仕上がると、「まあ、こんな感じかな」と言って鉛筆を置いた。
「じゃあこれからみんなのところを順に回るので、質問があったら遠慮せずに声をかけてくれたらいい。それと、隣同士で話しながら描いていいんだからね。マルティーヌによると楽しむことが一番重要らしいから!」
おぉぉ。どうなることかと思っていたけれど、いい感じじゃない?
ふふん。私も見て回ろうっと。
パトリックは右側から見て回るようなので、私は逆側から回ることにする。
参加者の年齢分布とかは作ってないけれど、ほとんどが小学生くらいの子で、その中に、ぽつ、ぽつ、と中高生くらいの子がいる感じだ。
パトリックが「お喋りOK」と言ってくれたお陰で、ワイワイガヤガヤと遊びの延長みたいな感じで盛り上がっている。
パトリックが近づいても誰も緊張せずにお喋りしているのが、ちょっとおかしい。
カチッとした格好をしていないせいか、はたまた砕けた物言いだからか、彼のことを貴族と認識していないのかも。
絵の方は――まあ、こんなものかな。そもそも「絵」に関する知識も概念もないよね……。
ほとんどの子どもの絵は、前世の幼児が描くような謎のぐるぐるの線のようなもの。
じっと座っていられない子は、隣の子の紙にいたずらするように黒く塗りつぶしたり、逆に描いた絵を消してやろうと手で擦ったりと、紙と鉛筆で遊んでいる。
まあ一回目から絵心のある子どもを発見できるとは思っていないから、いいんだけどね。来年以降も続けていくつもりだし。
そんな風に少しだけテーブルから距離を取って歩いていたら、パトリックに呼ばれた。
「おーい! マルティーヌ!」
パトリックが手招きをするので行ってみたら、何を私に見せたかったのかすぐにわかった。
そのテーブルの真ん中の子の白い紙の上に、実物大の花が描かれていた。
花びらの色のグラデーションを濃淡で描き分け、葉の葉脈までもしっかり描写している。
え? うっそ。何この絵……凄い……凄過ぎる!
これが天才っていうやつなの? 採用! もう、即採用! 六十二番ね!
いたんだね、うちにも絵心のある子が!
『子』っていうか、数少ない大きな少女だけど。
左右に十歳くらいの子が座っているから、真ん中のこの大きな少女が先生みたいだ。
でもよかった。やったよ。見つけたよ!
よっし。『お絵描き』はそろそろ終了でいいな。
「あなた、お名前は?」
「は、はい。ヴィッキーです」
「おいくつかしら?」
「……すみません。子どものためのお祭りって聞いていたのですが、二十歳くらいまでは大丈夫だとお聞きしたので来てしまいました。……ちょうど二十歳です」
「まあ、全然いいのよ。私がそう伝えたのですもの。ヴィッキーね。この絵はとてもよく描けているわ」
「あ、ありがとうございます」
ヴィッキーは自分の才能に気がついてないね。
あー、どうしよー。なんかロゴを大量生産してもらうだけなんて、ちょっと勿体無い気がしてきた。




