110 強化合宿⑥
公爵から出された特訓のメニューは二つ。
『表情の制御』と『ダンス』
そう。何も日がな一日、顔面体操だけをしていたわけじゃない。
ダンスのレッスンも受けていたのだ。
それもタップタプの床スレスレまであるドレスを着た状態で。重っ。
ダンスのレッスンは、サッシュバル夫人が十歳くらい歳を取ったような先生から指導を受けている。
練習相手の男性役は、私より頭一つ背が高いお姉さん。確かどこかの男爵家のご令嬢だった。そんな情報は忘れてもいいだろうと油断していたから、案の定忘れた。
「それにしても最初は心配しておりましたのよ? マルティーヌ様はその――あまりダンスが得意ではないと伺っておりましたから……。ですが、ご領地で真面目に練習をなさっていたようで安心いたしました。公爵閣下からは、『一曲踊りきることができればよい』とのことでしたので、あと少しですわ」
なんでも年始のパーティーの一曲目は決まっているらしく、ひとまずはその曲だけ踊れれば、次のパーティーまでしばらく猶予ができるらしい。
ただ、『不測の事態にも対応できるように常に準備を怠ってはならない』と、公爵には釘を刺されたけれど。
そんなに急に呼ばれたりすることがあるのかな。やだねぇ。
――と、そんなことを思い返しながらステップを踏んでいると、「集中なさって!」と先生から注意された。
でも、すごくない? 考え事をしながらでもステップを踏めるようになったんだよ?
若い体はコツを覚えたらぐんぐん吸収するからね。
まあ、リエーフのお陰だけれど。
課題曲を踊りきったところで休憩となった。
「マルティーヌ様。今日のところはこれくらいにして、休憩が終わられましたら、お茶会について少し相談をさせていただけないでしょうか」
あー、あれか。最終試験という名のお茶会だ。ダルシーさん主催っていうところが、ものすごく引っかかるけど。
「はい。最終的な試験の場ですよね」
「ええ。お茶会での振る舞いが合格となったら、その後ダンスの試験に移られると聞いております」
「はい」
その試験に合格しないと領地での年越しができなくなるんだよね。絶対に合格しなきゃ。
「先生。私のダンスはいかがでしょうか。ダルシー様から合格をいただけるでしょうか?」
「ええ。ええ。問題ないと思います。私も招待されておりますので、どうかご安心ください。少し辛い点を付けられたときは私が大丈夫だと請け負いますので」
「ありがとうございます!」
本当に嬉しい。
「ただ……」
え? 何ですか? 懸念事項が有るなら早めに聞かせてほしいんですけど。
「何でしょう?」
「ええ。マルティーヌ様のお相手をどなたが務められるのか……。その場にいらっしゃる方なのか、はたまた前公爵夫人がサプライズでどなたかをお呼びになるのか……。あまり背の高い方だと、踊り慣れていない分、緊張と相まってステップが乱れるかもしれません。その点だけが気がかりですわ」
た、確かにね。
でも何? サプライズって。
「あの。ダルシー様は人を驚かせることがお好きなのでしょうか?」
あちゃー。言わずもがなって顔だ。先生はダンスの専門だから、顔芸はできなくてもいいんだね。
「そういう一面もお持ちの方ですので……」
「はぁ……」
くぅぅ。
何か、扇子に隠されたダルシーさんの口元がニィと歪む様を想像しちゃった。
碌でもないことを企んでいなきゃいいけど。
……ということで。
「どういうことですか?」
練習に使用している小さなホールにドニを呼びつけて、自主練をすることにした。彼は成人男性で高身長の部類に入るからね。
「私の最終試験のお茶会の話は聞いているでしょ? 万が一、ダンスのお相手に年上の背の高い男性を指名されても慌てないために練習しておきたいの。ずっと身長差のない優しい方を相手に練習をしていたから」
「何だか優しくない相手として私が選ばれたように聞こえますが」
「そんなことは言っていないでしょ。とにかく、どんな方とでも、それなりに練習の成果が出るよう慌てない訓練をしたいだけなの。まずは、背も低く社交の経験がほぼない少女相手に一切配慮しない男性の役をお願いするわ」
ドニは、「はあ」と主人を前に気の抜けた声を出して肩を落とした。
「そんな役だなんて……マルティーヌ様は私のことを誤解なさっておいでです」
「もう。あなたがどうとかじゃないから。ほらっ、じっとして。まずは私があなたの足の上に乗るから、あなたは動かす足の幅を変えずに、いつも通りにステップを踏んでちょうだい」
「マルティーヌ様が私の足の上に乗られる?」
あーそうだった。この練習方法はリエーフ専用だったものね。
「そうなの。私が考案した練習方法よ。まずはそうやって体感するの」
「はあ」
「ただし下半身のステップだけよ。私も頑張ってあなたの腕に掴まっているけれど、私を振り落としたりしないようにしっかり支えながらステップを踏んでね」
「かしこまりました」
ドニがダンスが得意だということはレイモンから聞いて知っている。
彼は上級貴族の家でも働けるくらい、貴族の子息に必要とされる行儀作法をみっちり身に付けている。平均点以上だそうな。
よっこいしょとドニの腕に掴まりながら足を乗せる。
「準備はよろしいですか? それでは動きますよ?」
そう言うと、ドニは本当に遠慮なく、想定以上にぐわんと大きく動き出した。
私の短い足では追いつけず、ずるんとドニの足の上から滑り落ちてしまった。
「マルティーヌ様! 大丈夫ですか?」
驚いた顔でローラが駆け寄ってきた。
「ひどいじゃありませんか!」
ローラがドニに噛み付いたところを初めて見た。まあ、今のは私のオーダーに問題があった気がする。
「いいのよ、ローラ。私が順番を間違えただけだから。ドニ。あなたはこのやり方に慣れていないんですものね。まずは子ども相手にお遊戯をするつもりで、少しゆっくりと動いてくれる?」
「はい。それではまずはマルティーヌ様を落とさないように動いてみます」
「ええ。お願いね」
そうしてドニがそろりと足を出す。よかった。今度は大丈夫そう。
そんな風にして徐々にスピードを上げて歩幅も広くしてもらって、背の高い容赦のない相手に当たった場合の感触を得ることができた。
お茶会当日にどんな人を当てがわれるのかはわからないけれど、とりあえず心の準備はできた。




