1 結婚式で大惨事
よろしくお願いします。
正装されたお父様が、ソワソワしながら花嫁の入場を待っていらっしゃいます。
我が家の小さなホールでは、参列された皆さまが貴族特有の、「万事心得ておりますよ」というお顔で、にこやかに祝福する客を演じていらっしゃいます。
大人の中に子どもが一人だけ紛れ込んでいることに、お父様は気づかれていないようです。
『訳あり』の場合は、結婚式と銘打ってお客様を呼ぶよりも、婚姻の手続きを済ませた後、夜会等で後妻のお披露目を行うことが多いと、ずいぶん前に耳年増な親友から聞いたことがあります。
ホールに入る前にご挨拶させていただいた方たちは、皆さま口々に、私とどういう間柄なのかをおっしゃっていました。つまり、親族の方ばかりで他家のお客様はいらっしゃっていないということです。
――これはつまり、『訳あり』なのではないでしょうか?
それなのに式を挙げるということは、後妻の座を射止めた女性が、お父様に我が儘をおっしゃったのだと思います。義理の娘になる私は、その方とご挨拶すらしておりませんけれど。
お父様は私の存在など気にされたことがないので、私とその方との関係を――いえ、関係があることさえ思い出されることがないのでしょう。
なにせ私はこの結婚式に、お父様から「出席するように」とは言われていないのです。親族のどなたかが、私の支度は大丈夫かと使用人にお尋ねになったらしく、その結果、久しぶりに侍女の手でドレスを着させてもらったにすぎません。時間がなくて湯浴みまではしてもらえなかったのですが……。
でもそのお陰で、今日のお昼は久しぶりに美味しいごはんが食べられます。
「新婦アンヌ様がご入場なさいます」
ホールの大きなドアが左右に開かれ、真っ白なウエディングドレスに身を包んだ女性が、颯爽と歩いて入っていらっしゃいました。
そのドレスは恐ろしいほど贅沢に布を使っています。ドレープとプリーツを上手く組み合わせて豪華さを演出したデザインのようです。
お父様は、お母様と違って派手な方がお好きなのでしょう……。
「……な! ……マ、マチルド。どうして――」
呆然としたお顔のお父様が、それだけしか言えずに立ち尽くしていらっしゃいます。
あら? マチルド様? 新婦はアンヌ様とおっしゃったように思うのですが……?
「ちょっとぉぉ!! 何してくれてんのよぉ!! 私の結婚式よぉぉぉっ!!」
鬼の形相で叫びながら、これまたフリフリの純白のドレスに身を包んだ女性が、ホールに駆け込んでいらっしゃいました。
ドアを押さえていた使用人は顔を引きつらせながら、そっとドアを閉めています。
「お黙り! 泥棒猫の小娘がっ。本当なら、私が主役のパーティになるはずだったのよ! 伯爵様との結婚式で着るために仕立てたドレスを皆さんに見て頂かなくっちゃ」
「ふざけんなっ!! 伯爵様と結婚するのは、この私よっ。せっかくの見せ場を、よくも台無しにしてくれたわね!! 今日の、この結婚式は、伯爵様と私の結婚式よっ!! お前みたいな意地悪な年増、捨てられて当然よっ!!」
美しく着飾った女性同士が口汚く罵りあっています。これは、いつぞや親友が目を輝かせて言っていた、『修羅場』というやつではないでしょうか。
お父様と結婚されるということは、アンヌ様はおそらく貴族令嬢のはずです。
もしかしてマチルド様は平民だから結婚できず、お父様に捨てられたのでしょうか。酷いことをなさるものです……。
はぁ。亡きお母様から、こういうときは子どもの特権を使えばいいと教わっています。「大人の世界はよくわかりません」という無邪気さで、お子ちゃま然としていればいいのだと。
……え?
ちょ、ちょっと、お待ちを――。
ちょっとお待ちください!
ドレスの布が邪魔でよく見えなかったのですが、お二人が揉み合ってすぐにアンヌ様のドレスに赤いシミが広がっていたような……?
それって――それって――。
あっ! なんということでしょう! マチルド様がナイフを持っていらっしゃいます。
「てめえもふざけんなよっ!」
……あ。マチルド様がお父様の方にナイフを向けました。やっぱり、お父様に対しても腹を立てていらっしゃるのですね。それはわかりますけれど。
ナイフを振り回すのは止めていただけないでしょうか。怖くて、とても見ていられません。
私はお子ちゃまらしく、両手で目を覆って前屈みになり、現実から逃げることにします。するとすぐに、どなたかの、「ぎゃあっ!」という悲鳴が聞こえました。
嫌です。本当に怖いです……。
もうそこからは悲鳴と怒号が飛び交いました。
何かの割れる音や、バリバリッと何かが壊れる音がしています。
うぅ。どなたかに押されて私は床に転がってしまったようです。立ちあがろうとしたところを、またどなたかに突き飛ばされて、私は激しい痛みに襲われました。
目を覚ますと、頭がズキズキと痛んだ。
あれ? 今日って定例会議の日だっけ? 片頭痛がするのって、決まって月曜の朝なんだよね。
……………………。
……………………!!!!
「わ、た、し――」
体を起こそうとするとよろめいてしまった。信じられないくらいに脆弱!
それに体の感覚がおかしい。両手を開いたり握ったりしてみる。
「手ぇ――ちっちゃ」
何これ……。私はマルティーヌ……。
「――じゃないよ! 平林紀代音ですけどっ!」
そう口にした途端、マルティーヌが抗議するかのように彼女の記憶が溢れてくる。
「知ってる。知ってるけど……。ちょっと待って。マジでどうなってんの?嘘でしょ……?」
でもこの部屋はマルティーヌの部屋だし、私は――あのゲス親父の結婚式で頭を打って、それで――多分、気を失ったんだ。
――って、おいっ!! そうじゃない。そうじゃない。
私は昨日の夜、企画書の見直しをしていたじゃないの。五時間は眠りたいから一時には止めようって思っていたのに、結局三時までかかってしまって。
それでも朝食を抜けば三時間は寝られると思って、それから――。確か小腹が空いて一階に降りようと思って――。
……嘘。そこまでしか記憶がないわ。階段落ちて死んじゃったとか? それで異世界に転生したとか?
そんなこと言わないでよねー!!
髪の毛をかきむしって頭をこづいていたら、ドアをノックする音が聞こえた。
え? 今? 無理なんですけど。
「お嬢様? まだお気づきではありませんか? ……………………。ドアを少しだけ開けさせていただきますね?」
私が返事をしなかったから寝ていると思われたようで、ドアを開けられてしまった。
「お、お嬢様! お気づきに! ああいえ。大変失礼いたしました」
知っている男性だった。
この家の――モンテンセン伯爵家の家令であるレイモンだ。
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