求道者の目!
平凡な家庭から出て、天台宗の高僧になった人に、NHKアナウンサーがインタビューして、体験や、考え方を聞く話です。趣味人倶楽部の「日記」という形で、転載しようと思っています。
もし、御覧頂けたら、その高僧の、澄んで、力強い目を写真で紹介するつもりです。一人ぼっちにサヨナラできるかも。
6月12日5時からNHKETLで、「こころの時代」があり、この日は、武田アナが、比叡山観明院住職の宮本祖豊師を訪ねて、インタービューしておりました。
師は、室蘭の近くの出身で、そこは、寺社より教会の方が多いという土地柄でした。
宇宙の真理を追求したくて、宇宙物理学のある大学に行きたかったのですが、失敗。
自分自身のこと、家庭環境のことを考えても、浪人するという選択肢はありませんでした。
なんとかして徳を積みたいという気持から、本を読みあさり、仏教に傾いて行きました。
決め手は、最澄が19歳の時に書いた「願文」を読んだことです。
最澄は、この中で、自分のことを、愚の中で最低の愚、と書いています。それで発願したのだ、と。
20歳でしたが、「修行に出ます」という置き手紙を残して家出、比叡山の事務所で「お坊さんになりたいんですが………」と、言いました。応対してくれた方が、親切に話を聞いてくれて、それじゃあ、座禅に詳しく、打ち込んでいる方がいいだろうと、堀澤祖門師を紹介してくれました。
この方は、京都大学を中退して仏門に転じた人で、戦後、初めて、十二年籠山行を満行した人でした。
小僧見習いの時、一度は、「帰れ」と追い出されたこともあります。
あてもないので、吉野山のあたりをうろついて、また、堀澤師の所に「お願いします」と、もどりました。
比叡学院を卒業したのが28歳。住職になったのが34歳でした。
師のように、十二年籠山行をするためには、その前に、心身を浄めるための好相行ということをしなくてはなりません。
これは、いわゆる五体投地を1日に3000回します。3000仏の名を唱えながら、です。
仏の像が見えるようになったら、合格です。
早い人は、3か月で、そうなります。
宮本師の場合は、足かけ3年かかりました。
24時間、トイレ、食事、沐浴以外の時間は、五体投地です。意識朦朧、疲労困憊。
ドクターストップが、途中、2度、ありました。と、言っても、完全にやめるわけではありません。
1日1000回は続けて、その間に、回復をはかります。
何回も、限界を感じます。それでも、あと1回。出来たら、あと1回。その積み重ねです。
自我が消えて、無の境地になります。そしたら、阿弥陀様が見えました。
そう、先輩に報告します。見えた仏様の姿は、どんなだったか、聞かれます。
結果が天台座主に報告されます。
37歳で、「十二年籠山行」に入ることになりました。
比叡山の奥の浄土院で、最澄の魂に直接お仕えする侍真職として、12年間、毎日、同じことを繰り返します。たった一人で。……一歩も、門外には出られません。
3時半に起きて、読経、供飯、朝御飯、阿弥陀さんの供養、国家安泰、世界平和のための祈願、昼御飯。
掃除は、塵一つ、枯れ葉一枚、草一本、残さないように、きちんとします。そして、また、読経。
夕方5時に閉門したら、寝るまで、座禅、写経。
もちろん、休日とか、ありません。365日、同じことを繰り返します。12年間。
単調なことを繰り返していると、時間の経過が気にならなくなります。
掃除や料理をする時も、いつも、自分の心を見つめるような気持ちになります。
寂しさはありません。自我が消えると、まわりに溶け込んで行く感覚でしょうか、自分と自然が一体になっているような感じになるのです。
「ステージ4のガンと分かってから、心境の変化とか、ございませんか?」
若い時から、死に直面して来たようなものですから、特に、変わったことはありません。
残された日を、毎日、一歩でも、半歩でも、心を高めるように、生きて行きたいと思っています。
「今、コロナなどで、孤独感を強く感じて、死にたいとか思っている人も多いそうですが、12年間、たった1人の生活をなさった経験から、何か、参考になることを教えて頂けませんか?」
一人で、自分の心を見つめるというのは、座禅など取り入れても、とても難しいことです。
ボランティアなど、他の人のために何かをすることで、小さな自分=我を捨てることが出来ます。
利他とも言います。人を助けることによって、かえって自分が救われるということが起きて来るのです。
最澄さんの言葉で、「一遇を照らす」という言葉があります。
小さなことでも、ベストをつくせば、その人のまわりが明るくなります。そういう人が、多くなれば、世の中全体が明るくなるのです。…………………
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