中洲
中洲
「今日は別の店に行ってみよう」橋を渡ると松岡が福を振り向いた。
福は新富町の丸山以外知らなかったので、そう言われて少し緊張した。
「丸山も良いが他の店も知っておいて損は無い」
そういうと松岡は、さっさと中洲第一ビルに入って行った。
三階でエレベーターを降りると、正面にC &Cと書いた金属のプレートが目についた。
ドアを引いて入る時、カラン、とカウベルが鳴った。
「いらっしゃいませ」カウンターの中から中年の女性がこちらを振り向く。
「あら松岡先生お久しぶり。どこで浮気をしてらっしゃったの?」
「お久しぶりって事があるかい。先月来たばかりじゃないか」松岡は笑って受け流す。
「それはもう、お久しぶりって事ですよ」
店は、カウンター席が七席、ボックス席が一つという小さな店で、ママの他には若い女の人が一人、客に水割りを作っていた。
ママはウイスキーのボトルを松岡の前に置いた。
「水割りでよろしい?」
「ああ・・・福もそれでいいか?」
「はい」
「福ちゃんて言うの、可愛らしい名前」
そう言ってママがウィンクを投げた。
「はははは、福、気をつけろよ。夜の中洲は狐や狸がいっぱいだ」
「ま、酷い。大切に可愛がってあげるのに」
ママは笑いながら水割りを作ってカウンターに置いた。
「ママも飲め」松岡がママにも勧める。
ママは、頂きますと言って、小振りのグラスに薄めに水割りを作った。
「乾杯だ」松岡がグラスを軽く持ち上げる。
福も真似してぎこちなくグラスをあげた。
「新しく入った子を紹介するわね」ママが一口飲んだグラスを下に置いて、カウンターの奥にいた女の人を呼んだ。
目の前に立った女の人を見て、福はドキリとした。
「初めまして、ケイと申します」
その人は、ふんわりと纏ったワンピースの襟を揺らして挨拶をした。
肩まで届くストレートの黒髪、切れ長な目が知的な美人だ。
年は福と同じくらいに見えたが、福は大学でこんな印象的な女の子に会ったことは無かった。
「おい福、何をぼ〜としている、何か喋れ」松岡が福を突いた。
そう急に言われても、福にはこんな時必要な気の利いた言葉の持ち合わせが無い。
「え、え〜と、と、年はおいくつですか?」全く最悪な質問をしてしまった。
「馬鹿野郎、女の子に年を聞く奴があるか!」松岡が呆れている。
「構いません、私今年で二十五になります」
「ええっ!」
そう言ったきり福は絶句した。てっきり十代だと思っていた。
「女性に歳を聞いたんですもの、あなたのお歳とできればお名前を教えて頂けるかしら?」
ケイがニッコリ笑って小首を傾げた。
「は、はい、や、矢留福といいます、十八になります」
福はしどろもどろに答える。
「まあ。弟と同じ歳ね。じゃあ、福ちゃんって呼んで良いかしら?」
「は、はい・・・」福は真っ赤になって俯いた。
「福、どうした、俺に空手を教える時みたいにもっとハキハキしたらどうだ」
松岡がニヤニヤしながら福を揶揄う。
福はさらに小さくなった。
その晩福は飲み過ぎた。ケイの質問にうまく答えられなくて、会話が途切れるとついグラスに手が行ってしまうのだ。
「ありがとうございました」ママがエレベーターの前で頭を下げた。
「ああ、また来る」松岡が片手を挙げる。
「福ちゃんも、またケイちゃんに会いに来てね」
中洲を大通りの方に歩きながら、松岡が言った。「福、ここは幻想の世界だ、決して現実と取り違えてはいかんぞ」
「はい」
「タバコでも吸えば、多少世の中が見えてくるのだが・・・ま、無理にとは言わんがな」
「・・・」
「さ、もう一軒行くぞ」
福の修行は始まったばかりだ。