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福 物語 〜大学生編  作者: 真桑瓜
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松岡

松岡 



三日後、福が部屋でくつろいでいると松岡から電話があった。

「はい、矢留です」

「松岡です。早速だが、今度の火曜日空いているかね?」

「はい、大丈夫です」

「済々会病院は知っているか?」

「はい、県庁の隣りですね?」

「そうだ、病院の東側、大通りに面したところに『魯迅ろじん』という喫茶店がある。そこに夕方の六時迄に来てくれるか?」

「分かりました」

「では、待っている」

簡潔に言って電話は切れた。


*******


当日指定の場所におもむくと既に松岡は待っていた。

テーブルに置いてあるガラスの灰皿には、タバコが一本細い煙を上げている。

「遅くなりました」福はテーブルの横に立ち挨拶をした。

「いや、俺も今来た所だ、呼び出して済まなかったな。まぁ座りたまえ」

「はい・・・」福は松岡と二人だけの状況に緊張した。

「コーヒーでいいか?」

「はい」

松岡がカウンターに向かってコーヒーを注文すると、マスターが上品な笑みを浮かべて松岡に訊いた。

「先生、珍しく若いお客様ですね」

「うむ、これから俺の先生になる人だ、よく覚えておいてくれ」

「承知しました」マスターはそれ以上何も訊かなかった。


松岡は福に向き直った。

「俺は空手は初めてだが、この年でも大丈夫か?」

「大丈夫です」

「そうか、安心した。俺は柔道と野球にはちょいと自信がある」

「僕も、柔道は小学生の頃やっていましたが病気で出来なくなりました、野球は下手くそです」

「ははは、正直だな」

そこに、マスターがコーヒーを運んで来た。

「まあ、飲め。ここのコーヒーは美味いぞ」

「はい、いただきます」福は一口飲んで驚いた、大学のそばの喫茶店のコーヒーとは全然違う。

「美味しい・・・」

「だろう?」松岡は満足げに頷いた。「ゆっくり飲んでくれ。飲んだら早速稽古をつけてもらう」

「分かりました」福はコーヒーカップを両手に持ったまま頷いた。


*******


病院の玄関を入って左側のエレベーターで最上階の七階へ上がる。そこに病院の会議室があった。

「暫くは、ここか屋上を使うことになる。悪いがそこの隅で着替えてくれ」

「はい」

福は、医学書のぎっしり詰まった本棚の前で空手着に着替えた。

福が着替えると、松岡も着替えを終えていた。驚いた事にボロボロの柔道着に白帯を締めて立っている。

「当分、部員は俺一人だ。とにかく人に『形』の手順を教えられるくらいに鍛えてくれ。ものになりそうなら新しい道着を買う」


それから二時間、福はみっちりと基本の手解きをした。松岡は、躰は年相応に硬いものの、意欲的で驚くほど理解が早い。

「成る程なぁ、さすが無門先生の空手は奥が深い、全く合理的に出来ている」

稽古のあと松岡が嘆息した。

「ところで、これから何か用事はあるか?」松岡は、タオルで汗を拭きながら福に言った。

「いえ、特には・・・」

「なら、少し付き合え。病院の風呂場にシャワーがあるから汗を流して飯でも食いに行こう」

「えっ、でも・・・」福は思いもよらない誘いにたじろいだ。

「遠慮するな、授業料だよ。なんでも好きなものを言ってくれ」

松岡は屈託がない、断る理由が見つからず福は松岡に付き合う事にした。


*******


病院から少し歩くと居酒屋の並ぶ通りがある。『本丸』という焼き鳥屋で松岡はビールを注文した。

「プハー、汗をかいた後のビールはまた格別だ!」一杯目を豪快に飲み干した後、松岡が目を細めた。

「はい、うまいです!」

福は緊張しながらもビールを喉に流し込んだ。冷たい液体が、火照ほてった躰を冷やしながら胃の腑に落ちて行く。

「君はまだ未成年かね?」

「はい、今年大学に入ったばかりです」

「大学生なら問題はないな」

問題はあるのだが、『許容範囲だろう』、と松岡は言った。

「師匠には時々呑まされていました」

「何?さすが無門先生だ。既に酒は教育済みか!」

「あまり強くはありませんが・・・」

「それは俺がこれから鍛えてやるよ、正しい酒の飲み方も教えてやる」

「酒に正しい飲み方があるのですか?」

「当たり前だ、作法を知らなければ、酒など百害あって一利無しだ」

「そ、そうなのですか・・・」

「今日は一つだけ教えておいてやる」

松岡は真顔になって福を見据えた。

「安い酒は飲むな」

「安い酒・・・値段の安い酒のことですか?」

「そうじゃ無い、意味は自分で考えるがいい」

「はい」意味ありげな松岡の言葉だったが、福は素直に頷いた。

松岡は酒を呑みながら、福にいろいろなことを訊いた。

「ところで君の両親は離婚されたと訊いたが?」

「はい、僕が中学生の時に・・・」

「君は・・・ああ、かったるいな、俺は君の事をなんて呼べばいい?」

「福でいいです、みんなそう呼びます」

「ではそうしよう」松岡は口調を改めた。「福は両親を恨んでいるか?」

福は突然言われて答えに窮した。

「わ、分かりません、でも一緒にいても良いことは無かったと思います」

「そうか・・・」松岡は唸ったきり黙り込んでしまった。

「よし、もう一軒付き合え!」突然松岡が言った。

「福は中洲には行った事があるか?」

「はい、師匠に呼ばれて丸山というスナックに一度」

「おお、丸山か。俺も無門先生と行ったことがある、今夜はそこにしよう」


その夜、福は松岡に連れられて二度目の丸山へ行く事になった。




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