入学
入学
J J 740335、 西福大学法学部法律学科に入学した福の学籍番号である。
福が驚いたのは、学生の多さとキャンパスの広さだった。いったい何人いてどこまでが大学の敷地なんだろう。
頑張って入った大学だが、うまく実感が湧かなかった。
クラスはあったが、英語の授業以外は殆ど一緒になる事は無い。
憲法の講義などは、まるで有名人の講演会みたいに人が押し寄せて来る。
福は、あれほど早く卒業したいと思っていた高岡学園が、妙に懐かしくなった。
見知った顔にはまだ一人も出会わない。
部活の勧誘が煩わしかった。一度空手部の稽古を見に行ったのだが、福には何の興味も持てなかった。軍隊の教練みたいな稽古は福には馴染めない。
ただ、学食の存在は有難かった、安価で十分に腹が満たされるほど量が多い。
味に文句を言う学生もいたけれど、福にはどこが不服なのか分からなかった。
高校と違って規則に縛られる事はない。いや、規則は有るのだろうが高校ほど厳しく無いので、その分自由を感じるのだ。
講義のない時や休講の時は、近くの喫茶店で時間を潰すことも多かった。
福は通学の為、大型バイクの免許を取り250ccのバイクを買った。
翠が帰って来たら約束を果たそう。後ろに乗せてどこまでも走るんだ。
清水翔は、宣言通り東大に合格して東京へ行ってしまった。
空港に見送りに行った時、『お前らしく生きろ』と翔は言った。
福は、今までの分を取り戻すように妙心館へ通った。乾いた砂が水を吸うように平助の技を吸収した。
ある日、道場へ行くと平助が見知らぬ男と歓談していた。
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「おお、福、来たか。早う上がれ!」平助が急かすように手招いた。
福は道場に一礼してから、二人の側に座る。
「今お前の話をしておったところじゃ」
「僕の?」
「松岡先生、これが今話しておった青年です」平助が男に言った。
「福、挨拶をせよ」
「はい」福は男に向かい頭を下げる。
「矢留といいます」
「松岡です」男は鷹揚に頷いた。
「松岡先生は、済々会福岡総合病院の歯科のお医者様じゃ。昔、儂が何かと世話になったお方じゃよ」平助が簡単に説明した。
松岡は壮年の偉丈夫で、歳の割に黒々とした髪をオールバックに整えている。柔和な笑みを湛えているが目は鷲のように鋭く、言われなければ医者だとは分からないだろう。
「ところで、なぜお前の話をしておったかじゃが・・・」平助が福に向いた。
「はい」
「松岡先生が病院に空手部を作りたいと仰っておる」
「・・・」
「そこで、お前に指導員として行ってもらいたいのじゃ」
「えっ、僕がですか!」福の声は上ずった。
「槇草さんや辻さんの方が適任ではありませんか?」
「いや、松岡先生は職員にも親しみ易い若者が良いと言っておられる。日々、激務に追われる職員達の精神的な支柱を作りたいのだそうじゃ。お前にその手伝いをして欲しい」
あまりに突然の事で返事をしかねていると、松岡が口を開いた。
「今、無門先生が仰った通りです。突然でびっくりしたでしょうが引き受けて貰えんだろうか?」
「それは・・・」
「私は、無門先生を心から尊敬しておる。その先生が君を推薦しておるのだ、私は是非君が欲しい!」
松岡が畳み掛けるように言った。
福はただ呆然とするしかなかった。
「迷ったらやるのじゃ、福。行動する事でしか道は開けんぞ」
だが、福はまだ迷っていた。妙心館に稽古に来られなくなるのは困る。
「儂はいつでも、お前のために時間を空けておく」
福の心を見透かしたように平助が言った。
平助にそこまで言われたら、福に断る理由は無い。
「分かりました、お引き受けします」
松岡の顔がパッと明るくなった。
「ありがとう。恩に着る!」松岡が福に頭を下げた。「詳しいことは、追って連絡する。連絡先を教えてくれないか?」
福は自宅の電話番号を紙に書いて松岡に渡した。
松岡は、福の渡したメモを大事そうにポケットに仕舞いながら立ち上がった。
「無門先生、今日はこれで失礼致します。また改めてお礼に伺いますので、一献お付き合いください」
「ははは、楽しみにしておりますぞ」
松岡は二人に礼を言って帰って行った。
「福、突然でびっくりしたろう?」
「は、はい」
「お前はこれから儂や道場の者達だけではなく、もっと沢山の人と巡り会わねばならん。松岡先生は必ずお前の良き理解者となろう。儂はそう信じておる」
「はい師匠。全力を尽くします!」
「そう気張らんでも良い。気楽にやれ」そう言って平助は立ち上がった。
「さ、稽古を始めよう、もうじき槇草も来るであろう」