7-1 到着、膠着、硬直 その2
伊那笠家の重厚な門が静かに閉まると、外の喧騒は嘘のように消えた。
広い玄関ホールに足を踏み入れた瞬間、徹は、自分の身体がどれほど疲れていたのかをようやく思い知ることになる。
戦闘の緊張、帰還の安堵、そしてミゥの感情の揺らぎ・・・。
そのすべてが、今になって一気に押し寄せてきた。
そんな徹の疲れた表情に気づいた舞が、そっと声を掛けた。
「徹さん、本当に・・・お疲れさまでしたわ」
その声音には、コロニー・エデンを出発してからのすべて。戦闘、判断、操船、そしてミゥへの指示。徹が背負ってきた重さを理解したうえでの、深いねぎらいが込められていた。
財閥の正式な許可を取っていなかったとはいえ、ギガ・スペースライン内の亜空間で、戦闘機3機と戦艦級母艦を相手に勝利できたのは、
徹の武装設計と戦術プログラム、カレンの訓練、そしてミゥのAIリンクによる操船があってこそだ。
とりわけ、徹が密かに搭載していた『有線ウイルス散布弾』がなければ、SWAN号は確実に撃破されていた。
舞はそれを理解していた。
だからこそ、徹への感謝と気遣いが自然と滲み出ていた。
だが、今は休ませてあげられない。それもまた、舞の胸を締めつけていた。
「徹さん・・・。申し訳ないのだけれど、今夜はまだ休めませんわ」
徹は、疲れた顔のまま、しかし嫌な色ひとつ見せずに頷いた。
「分かっています。明日の事情聴取までに、ログを整えないといけませんからね」
舞は小さく息を吐き、徹を自室横の応接間へ案内した。
向かい合って座ると、舞はすぐに本題へ入った。
「で、徹さん。SWAN号の戦闘ログにアクセスするためのゲートは確保しているのよね?」
「はい。今も私のプログラムが、敵艦の損傷具合と照らし合わせて、矛盾のない戦闘ログを自動生成しているはずです」
徹は何でもないように言う。
舞は呆れたように眉を上げた。
「それ、もうウイルスに近いレベルのプログラムじゃないの?」
「まあ・・・。必要なことですから」
徹が頭を掻く。
「ミゥの戦闘ログとの整合性は?」
「それは、生成したログをミゥに読ませて、ミゥ自身の主観視点で再構築させます。ミゥのログは、もう単純にAIで作れるほど単純じゃなくなってしまっているので」
舞は怪訝な顔をした。
「どういうこと?」
徹は少し考え、例を挙げる。
「例えば・・・カレンさんの武器管制について、ミゥが『感想』をログに残しているんです」
「感想?」
舞の眉がさらに寄る。
「具体的には、
『的確ナタイミングデノミサイル発射、アリガトウゴザイマス』
などです。」
舞は言葉を失った。
「ミゥが・・・。自発的に?心の中で感謝を?」
「そういうことになりますね」
舞はしばらく沈黙し、やがて小さく息を呑んだ。
「徹さん。元のログは削除してはいけませんよ?」
「え? どうして? 証拠が残るのは良くないと思いますが」
「どうして、ではありません。あなたなら隠せるのでしょう?」
「まあ・・・。たぶん」
「たぶん、じゃありません。やってください。あなたの『たぶん』は120%成功しますから」
徹は苦笑するしかなかった。
舞はさらに続ける。
「特に、ミゥがあなたに対して抱いた感情のログは、別途抜き出しておいてください」
「えっ?」
「えっ、ではありません。社命です」
徹は完全に押し切られた。
舞は、ミゥのログに『徹への特別な感情』が含まれている可能性を確信していた。
それを確認することは、舞にとっては・・・、そう、ライバルを知るための、避けて通れない戦いだった。
「とにかく、徹さん。明日の午前中にはすべて終わらせてくださいね」
「はい」
「では、改変内容は明日、口頭で報告をお願いします」
「分かりました」
舞は最後に、少しだけ柔らかい声で言った。
「徹さんが使っていた離れは、今日も使えるようにしてあります。・・・ゆっくり休んでください」
徹は深く頭を下げ、応接間を後にした。
扉が閉まると、舞はソファに崩れ落ちる。
「はぁ・・・。わざわざ家まで連れて来たのに・・・。何も進展できなかったわ・・・」
項垂れたその姿は、財閥の令嬢ではなく、ひとりの『女性』のものだった。
同じころ、本社のメンテナンスルーム。
ミゥは、徹の別れた時と同じように、いつものスリープモード用の黒い椅子に座り、静かに目を閉じていた。
確かにあの時、ミゥは、徹の指示通りスリープモードに入った、いや入ったはずだった・・・。
実際には、一度だけスリープモードに入っただけで、ミゥは自ら覚醒タイマーを操作し、すぐに意識を戻していたのだ。
アンドロイドが主人の指示に逆らい、勝手に覚醒タイマーを変更するなど、本来あり得ない。
だが、この夜・・・。
ミゥは初めて、徹の指示に《《完全には》》従わなかった。
もちろん、椅子に座ったままメンテナンスは継続している。徹が指示をした状態は保っている。
だが、意識を覚醒させたままにしていることは、徹は想定していない。
だからこそ、ミゥは自分が
『指示ニ背イテイル』
と認識していた。
それでも、意識を閉じることはできなかった。
理由はひとつ。
徹が、いないからだ。
普段なら、徹は本社の仮眠室で休む。つまり、ミゥのすぐ近くにいる。ミゥのセンサーが、徹の呼吸や足音を捉えられる距離にいるのだ。
だが今夜は・・・。徹は舞に連れられ、伊那笠家へ行ってしまった。
ミゥの心は、初めて得た『新しい情報』に戸惑っていたのだ。胸の奥に、説明できない揺らぎが生まれていた。
ミゥの思考回路に、次々と疑問が浮かぶ。
『マスターガ、イツモノ部屋ニイナイノハオカシイ』
『マスターガ、イツモノ部屋ニイナイノハ納得デキナイ』
『マスターガ、イツモノ部屋ニイナイノハ何故ナノカ』
そして、もっと深いところから湧き上がる認識。
『自分ハ、何故マスターガイナイコトヲ“オカシイ”ト感ジテイルノカ』
『自分ハ、何故マスターガイナイコトヲ“嫌だ”感ジテイルノカ』
『自分ハ、何故舞サンガマスターヲ連レテ行ッタコトヲ気ニシテイルノカ』
ミゥは、自分の中に生まれたこの
『分析不可能ナ認識』
を、どう扱えばいいのか分からなかった。
徹が与えてくれたファジーメモライズシステムと表情筋とAIの感情がリンクするシステムは、確かに多くの感情を分類し、擬似的ではなく心からの感情を理解するためのものだった。
だが今、ミゥの中にあるこの揺らぎは、どの分類にも当てはまらない。
ミゥは静かに目を開けた。
メンテナンスルームの天井を見つめながら、自分の内部で渦巻く認識をひとつずつ照らし合わせていく。
そして・・・。
とうとう、ひとつの答えに辿り着いた。
「コレハ・・・。
『寂シイ』
トイウ感情ナノデスカ・・・」
ミゥは、自分のたどり着いた答えを、声に出した。だが、誰にも届かない。
だが、その言葉は確かに『心』から発せられていたように聞こえた。
少なくとも、普段本社にいる徹たちがこのつぶやきを聞いたのあれば、そう感じるのは間違いないだろう。
初めて知った感情。
初めて抱いた『徹ガイナイ夜』。
ミゥは胸の奥に生まれたその痛みを、どう扱えばいいのか分からなかった。
ただひとつだけ、確かに理解していた。
『徹ガイナイコトハ、嫌ダ』
である。
その事実だけが、ミゥの中でいつまでも木霊していた。




