1-4 日常、異常、非日常?
1-4 日常、異常、非日常?
「徹~」
「徹さん~」
黄色い声がその男の名前を呼んだ。その声には嫌味なところはまるで感じられなかった。むしろ陽光きらめくペントハウスのオープンテラスからの呼び声という状況を加味すれば、かって船乗りを魅了したセイレーンの歌声のごとき魅力をもっているとも言えた。もちろん、それが普通の状況であったのであればであるが・・・。
「徹。なにぐずぐずしてる。3時の定時報告の時間だろうがっ!」
先ほどの甘い呼び声から、30秒も経たない内に、同じ声色の怒声が飛ぶ。
ペントハウスの一角にある物々しい最新のメカに囲まれた部屋、そう、ミゥのメンテナンスルームのある方角から小さな声で返事らしい唸り声が2人の耳に届く。
黒髪の女が、ビジフォンの設置されている円卓に隅にある親指大のボタンを、その細くしなやかな指が押しながら静かに語り始める。
「徹さん。いつもお願いしているでしょう?私達はその電磁波の要塞に近づくつもりはまったくないのよ。それにあなたの声は小さくて聞こえないの。だからこそ、このオープンテラスに似つかわしくないあんなスピーカーを設置したのですよ」
そう言って、その女はテラス入口の扉の上に視線を向けた。
そこには、どこでこんなものを見つけたきたのだ!と、思わずつっこみを入れたくなるようなスピーカー、しかも灰色に色あせたメガホン型のスピーカーが針金でくくりつけられていた。ため息をつくと、女は話を続た。
「ですから、唸り声にしか聞こえないそのもそもそ声を止めて、ちゃんとテラス直通の糸電話をお使いなさい」
ピ、ピガ、ピガガガガー、キーーーーン
けたたましいハウリング音がスピーカーから洩れたかと思うと、ようやく声が聞こえて来た。
「舞さん、何度も説明をしていると思いますが、これは糸電話でありません。テラからの移民期に主に使われていた、光ファイバーを用いた極めて音声の劣化が少なく、伝達 速度も速い、超超高精度な音声伝達システムなのですよ・・・それを糸電話とは・・・」
その話がスピーカーから流れる間、徐々に舞の額に青筋が浮かびあがる。
「と、お、る、さん?」
反射的に返事が徹の声がスピーカーから飛び出す。
「は、はい」
慌てたように、そして、スピーカー越しに直立不動している姿が目に浮かびそうな声の徹の返答が聞こえる。
「いいですか?この時代に、有線を使っているだけで十分糸電話です!毎回毎回同じ説明をさせないでください。
今後、もう一度でもそのうんちくを私の耳に入れたら、一生私の雑用ですよ!」
「はぁ・・・。」
「返事に力が入っていないように聞こえるのですが?」
「はい・・・」
別の声が割ってはいる。
「舞。そんな機械オタク相手にしても時間の無駄だよ」
舞が、嘆息をつきながら、カレンにこたえる。
「カレン・・・。そうね。私ったら、ついついムキになってしまって」
「と、いうことだ。徹。とっととミゥの定時報告をしにこいよ」
カレンは、舞の徹に対するいつもの『漫才』(カレンはそう思っている)が終わったのを確認するとそう徹に伝えた。
「はい。それではそちら向かいます」
舞がボタンをもう1度押すと、耳障り、ボスッ、という音を残してスピーカーが沈黙をした。
徹は目の前のコンソールから、ミゥを自動監視モードに切りかえると、カレンと舞の元に向かった。
オープンテラスの扉をくぐって2人の元に姿を現した男は、小ぶとりで背が低く、ぼさぼさの頭に牛乳瓶の底のような眼鏡。マッドサイエンティストを絵に描いたような男であった。
「・・・・が、ミゥが本日実行した業務ですね」
徹が報告を行っている間、カレンは少し伸び過ぎた中指のつめにヤスリをかけており、舞は普段耳の上に掛けているダイレクト・アイ・コントロールパネル(ダイコン)を左目に装着し、徹の報告を聞きながら伝票の処理をしていた。
ダイコンとは、薄いメガネ状のレンズで、部屋の中に設置されているパソコンと無線で接続されており、その画面を直接人間の眼球の水晶体に映像として映しだしてくれるウェラブルコンピュータの一種である。舞が小声で喋りながら処理をしているのは入力・操作を音声によっておこなっているからである。ダイコンは音声による入力の他に、レンズの前で指や手を上下左右に動かすことによってカーソルやアイコンの操作を可能とする視覚的な入力インターフェースも有している。今回の舞のように定型業務を行うぐらいは音声入力だけでも十分といえる。
徹の報告が一通り終わり、舞がカレンの方に視線を向けてうなずくと、カレンもダイコンを装着した。
そして、目をまっすぐダイコンに向けると、
「承認」
と、発声した。
舞が、ミゥの配達業務から得た配送費用の入金とその経費に承認をして、その伝票をカレンに回す。同じようにカレンがその書類を受けとり、社長としての最終的な承認、つまり業務の終了を認める。声紋と網膜認証による2重の認証方式でカレン本人と認められた場合のみ、承認処理が行われることとなるのだ。
実際にグループ全部の配送の承認を行っていたら、それこそ天文学的数字になってしまうが、そこはそれ、この本社で行われる業務のみを直接的に決済をし、それ以外は財閥で分担にして代理決済されていた。
契約上では、カレンは業務の最終責任者ではないため、これも特に問題ないといえた。カレンは、あくまでも本社の業務の範囲内でのみ責任を負っているのだ。この点では以前の、家族経営のホールデイズ宅配便である頃と、責任の重さが同じである。
カレンは、承認の作業を終えるとダイコンをはずし、ため息をついた。
「メカお宅。1日たった3件しか業務を行っていないのに、なぜ2件もクレームがあるんだ?」
不愉快そうな顔を隠しもせず、徹を問い詰める。
「そ、それは、まだミゥの人工頭脳は発展途上であって・・・」
「その言い訳はもううんざりだ。ただ荷物を届けるだけなんだぞ?」
徹の代わり映えしない返事に、本当にうんざりとした様子のカレン。
「は、はい・・・」
申し訳なさそう・・・ではないめんどくさそうなという徹の返事。
カレンは、一瞬徹をにらんだが、ダイコンを装着しなおし、詰問を始める。
「1件目は、30kgもある立体投影型・星間ビジョン”リアル君”、なんだこのふざけた名前は・・・・」
「・・・」
気を取り直して話を続ける。
「こほん、名前は置いておいてだ、30kgもある荷物を、直接配送先のご主人に文字通り手渡しするとは一体どういうことなんだ?」
カレンは半分呆れ、半分怒っている。
「それは、社の社訓でもある、『いつもにこにこ。荷物は笑顔で手から手へ』を、忠実に遵守しているのかと・・・」
今までも何とか聴いた徹の返答。
「うるさい。程度にもよるだろうがっ!そのぐらいプログラムしたらどうなのだ?」
これも毎回。
「し、しかし・・・。それでは、学習にならないのでは・・・。今回の事で人間は30kgの荷物を簡単には両手で支えることができない。だから直接手の上に手渡してはいけない。と、いうことを学んだはずです、その過程が・・・」
かぶりを振るとカレンは、次の事例の話に移る。
「もういいよ。じゃあ、この2件目はどうだ?」
「そ、それは・・・」
徹も、当然ながらミゥの起こしたクレームはすべて把握している。
ぶっちゃけカレンが怒っているのも理解はしている。だからこそ返答がしにくい。
「答えにくいのであれば言って聞かせるぞ。
『13時指定の荷物を届けるのに、12:55分に現地に到着。配送先の家族がたまたま早めに帰宅していたため、受け取り人が荷物の受け取りを伝えたところ、時間前だからと拒否。無視して荷物を持っていこうとすると、攻撃された』
と、あるぞ」
「それこそ、時間外の配送は信用にかかわりますし、配送途中の荷物を奪われそうになれば、抵抗するのも当然かと・・・」
まさに、理屈の上では、そんな徹の言い訳。
「当然!!良くそんなことが言えるな。相手は骨折とあるぞ!」
そう叫ぶと同時に、カレンは立ち上がって円卓をどんと叩いた。
徹は、ひるみながらも反論をした。
「ミゥには、人間への危害を加えることができないように倫理プログラムが・・・」
カレンは、ずれたダイコンを指で元にもどしながら再び椅子に座り、徹に向けて手のひらをかざして徹の話を制止した。
「そんなことは知っている。確かにミゥが自発的に攻撃をしたのではないのだろうが、ただ荷物を持っているだけであろうと、相手が怪我を負えばそれは同じことなのだ」
「そ、それは・・・」
カレンの言う通りである。徹も答えに窮する。
「いいか?そもそも5分前に受け取り人が受け取りたいとあった時に、状況を判断して渡すことができていれば、こんな問題は起きないのだ。これが出来て初めて他のアンドロイドと違う人工頭脳といえるのではないか?これ以上、私の顔に泥を塗るな」
カレンが怒るのも当然。
「はい。努力します」
徹は肥えた体を小さく丸めながら、そう答えるしかなかった。
そんな徹の様子を見ていた舞が口を開く。
「まぁまぁカレン。ミゥも悪気はないのです。ここは、人間らしさを学ばせるための場でもあるのです。それに・・・」
舞は、カレンと徹の双方を見て、カレンの話が終わったのをみて、そう話を締めくくった。
「それに?」
カレンが、ダイコンを外しながら舞に尋ねる。
「いえいえ。大したことではありません。それより、そろそろミゥが戻ってくるのではないですか?」
舞は、グラスに手を伸ばしながら話題を変え、
『それに、ミゥには大変な投資がされているのです。元を取れるようになるまできっちり賢く育ってもらわないと。それに徹さんの借金も・・・』
と、先ほどの会話の続きを心の中でつぶやいて、にっこりと笑った。