4ー2 はて、さて、業務?
4ー2 はて、さて、業務
いそいそと着替え終わった舞は、自室に戻り、お気に入りの、オフホワイトの鍔の小さいメッシュ網のキャスケット帽を被り、玄関に向かった。
玄関に向かう途中で、一旦足を止めると、石庭の奥にる、以前3年間近く徹が下宿していた離れに目を止め、『ふふ』と、小さく笑みを溢し、再び歩き始めた。
その離れは、徹が孤児院を離れなければならなかった13歳から、高校に入学してから数ヵ月の間下宿していた6畳一間の茶室である。
徹は高校に入ると、すぐに物理部に入部し、コロニーの運用シュミレーターを超高校級のプログラミング技術で開発し、それを伊那笠財閥が買い上げたため、その資金を使ってすぐに下宿を引き払ってしまった。
まあ、その後賃貸したアパートも、舞が保証人になって探した物件であったため、真の意味では自立したわけではなかったが。
舞がいそいそと、お出かけの準備をしている頃、徹も久しぶりに帰宅した東地区にある自分のアパートで、必死に出掛ける準備をして・・・いるわけではなかった。
舞は、当初、徹が舞の家の離れから引っ越すにあたって、東地区ではなく自身の家のある北地区を中心に物件を探していた。
この宇宙時代になっても、賃貸物件を借りる場合は連帯保証人が必要である。両親をなくしてしまい、祖父祖母も音信不通の徹は、簡単に物件を借りることができない。
徹が離れから引っ越しをしようとしたのは、高校1年生の時である。当然、舞も同じ年であるから、普通に考えれば舞は保証人にはなれない。
しかし、そこは伊那笠の娘である、その名前を保証人欄に署名するだけでことは足りる。年齢はさておき、更には後見人にもなっていたので立場的にも問題はない。徹の身上がどうであれ、高級住宅街である北地区でも物件をみつけることはできたはず。
でも徹は東地区を希望したのだ。北地区の物件は賃料が高いという理由もあったが、なにより徹は東地区が好きだったのだ。
狭い通りには商店街がひしめき、日々喧騒のなかでの日常生活を送りたかったのだ。今でこそ、研究中心の生活であり、滅多に家に帰ることがないが、高校や大学の時は、この小さなアパートに引きこもるように、人工頭脳に関する基礎研究を進めていたのだ。
逆に、舞はこの東地区の雰囲気が少しだけ苦手だった。大学時代には、折を見て連帯保証人、および後見人としての現状把握を兼ねて足繁く通っていたが、その度に、付近の住人とは明らかに違う出で立ち、なんとなく漂う上流階級を思わせる雰囲気からか、奇異の目で見られること多かったからだ。
まあ、そもそも運転手付のリムジンっていう要素が一番なのかもしれないが、舞は、コロニー内ではそれ以外の移動手段をほとんど使った事がないので、仕方がないといえば仕方がない。
ちなみに、舞がアパートの保証人というのは今でもそのままであるが、後見人という肩書きは、徹の就職と共にお役御免となっている。
ともあれ、それでも舞は、頑張って通っていたのだから、まあ健気ではあるのだが。
さて、舞と出かけるその日、徹の準備が進んでいない理由。
それは、ズバリ、隣人関係であった。
伊那笠の娘が保証人になり、時折、舞の乗る運転手付きのリムジンが乗り付けるという、この界隈における非日常的な光景。冴えない、髪の毛ぼさぼさの万年浪人のような風貌の男を迎えにくる黒髪の可憐で清楚な女性。更には、伊那笠インダストリー製自律ニュートロン思考型アンドロイドHIX‐MIU001α、通称『ミゥ』が、時々このアパートに訪れるようになったのだ。ここまで揃って目立たないはずがない。
ちなみに、事件後、ミゥを利用した本社の宅配業務範囲が、支社の意向により東地区までに拡大された。そして間もなく、このアパートの近くの細い生活道路が、『定期的宣伝活動のための宣伝車両運行ルート』に定められた。
ミゥが宣伝活動としてこの東地区のこの場所を通り過ぎる時、必ず時計の針が昼の12時を回るため、ミゥは、徹が借りているアパートに併設した、『舞』が借りている駐車場に宣伝車両を駐車し、休憩をとるのだ、
車の中ではゆっくりと休憩はできないとの誰かの判断で、
------徹が望む地区に舞の眼鏡叶う衛生的な賃貸物件が無かったため、やむを得なく、財閥が地上げ、更には買い上げ、アパートを建築した上で、ご丁寧に管理を公社に戻したアパート
-------加えてカンパニー・ミゥの経理担当役員が賃貸の保証人を務めるアパートの一室
つまり、徹の部屋で休憩をするのだ。
休憩中に、ポストの中の郵便物の確認、部屋の換気、掃除等をしているのが休憩に当たるかどうかは議論を要するところではあるが、まあ1時間休憩をしているということになっている。正直、『灰色』とは言い難い。『黒』である。
まあ、それはさておき、そんな状態で、当該居室の住人、徹が隣人トラブル?に巻き込まれないわけがない。
目立つやら、奇妙やら、羨ましいやらで、いろいろ大変なのだ。
この日も、面倒は突然やってきた。
徹が、ミゥの新しい装備であるユニフォームを選定するために、舞と市場調査に出かけるその日、普段オフィスで着ている白衣以外の洋服を求めて自宅に戻った徹の部屋の扉を叩くものがいた。
「トントントン、江藤さん、徹さーん、いらっしゃいますか?」
若い女性の声である。
徹のアパートは、お世辞にも大きくない。いわゆる1DKというのだろうか。玄関スペースと、キッチン付きの食堂と、その奥に生活スペース兼寝室としての居室があるこじんまりとしたものである。
そして、徹は玄関にある収納の中の洋服を漁っていた。
人と関わりたい気分ではなかったが、聞こえない振りができるほどの位置にはおらず、むしろガサゴソという音が外まで聞こえている可能性すらある。
しょうがなく、徹は首を傾げながら、玄関のに近づき、
「はい、どなたですか?」
扉を叩く主にそう尋ねた。
声の主は、
「隣の、曽我・ミシェルです」
そう返答が返ってきた。
名前を聞いて、誰か思いあったったのか、徹は緩慢な動作でドアノブに手を掛けて扉を開けた。




