2-5 いくぞ、とぶぞ、超えるぞ宇宙! その7
ミゥの事件後、財閥は出来る限り報道に関しては手をまわしていった。内部でのハッキング行為や無許可のドック使用などは、いくらでも隠蔽することができた。しかし、ギガラインの強制突破だけはこうはいかない。財閥の力をもってしても全ての事実の隠蔽は不可能であった。
いつの時代でもネタと事件に飢えているのがマスコミの常である。連日、暴走したアンドロイドのギガスペースライン強行突破の報をさまざまな角度から伝えていた。
報道当初は、ギガラインのあり方に端を発し、たった1機のアンドロイドに強制突破等という暴挙をを許してしまった、いわいる平和ボケの状態に、危惧を感じる声などが多くあげられた。
TVでも特番が組まれ、財閥も事態の収集にかなりの手を焼いていた。
もちろん、その火の粉はカンパニー舞自体にも飛び火し、連日報道陣に囲まれる日々が続いた。しかし、事件から1ヶ月も経つと、様子が変わってくる。
事態がギガスペースライン突破という犯罪を犯した当の本人であるミゥに対しての刑事事件の立件、という段にさしかかった時、1つの問題が浮上した。そしてそのことが事件を意外な方向に発展させることになった。
それは、
『人工物であるアンドロイドに人の法律を当てはめて裁くことができるのだろうか?』
という、問題である。
今まで、人がプログラムした命令通りに動作をすることを前提としていたアンドロイドは、ミスで事件を起こしてしまうことはあっても、自身の意思で事件を起こすことはありえなかった。そのため、アンドロイドを裁くという発想そのものが存在していなかったのだ。
ミゥのプログラムに、それらの行動の指示が存在しないことは、ミゥのプログラムの一部を公社の機関に提出することによってすぐに証明できた。もし仮に今回の事件を丸ごと動作プログラムするとしても、周囲の状況によって随時変化する環境に柔軟に対応できるような行動を可能にするプログラムの構築など不可能である。ロボット工学の進化している現代において、これも安易に証明が可能であった。
つまり、そこには、ミゥの自己判断とその行動の意思が介在しなくては、この事件そのものが起こり得ないのだ。
このことではミゥは、完全ではないにしても人としての裁きが適当であるといえた。
では、罪をどうやってあがなわせる?
拘束して牢につなげばいいのだろうか?そもそもスリープモードにはいってその時間をすごせばいいだけのアンドロイドには投獄など意味がない。
罰金?個人的な経済的行為に無縁であるアンドロイドからお金をとっても意味はないだろう。
仮にアンドロイドの所有権を有している伊那笠財閥にその罰金の支払いを命じたとて、宇宙の伊那笠財閥である。解決は容易い。
壊してしまえばいい?
これも次のミゥを製造して量子化された記憶データを移植すれば、同じミゥが存在してしまうのではないか?
こうやって、論議が論議を呼び、世論は、多少なりとも意思を持つにいたったアンドロイドを機械と判断するべきか、あるいは人として判断すべきかという論争を広げていった。
結局、結論を見出せなかった司法は今回の事件を、そのミゥの所有者である、カンパニー·マイ、つまり社の責任とし、今回関係しており、被害を被ったとされる、公社から多額の賠償金を請求することでその結論とした。こうして事件は一端の決着を見たのだ。
しかし、マスコミは止まらなかった。
更に時間が経つにつれて、マスコミはこのミゥの行動を、意思を持ちはじめているアンドロイドの奇跡と讃えはじめ、なんと最終的には、アンドロイドがとった超人道的な行為として、美談にまでしあげてしまったのだ。
『意思を持ち始めたアンドロイドが孤児の両親をもとめて宇宙を渡る』
といった風である。
いつの時代でも、マスコミの収益の大部分は広告収益で成り立っている。ようは視聴率が、ネットの閲覧数が伸びればいいのだ。結果、
災い転じて福と為す・・・
であった。もちろん財閥にとってである。
マスコミがそのように動くと世論もそれに追随する。
世の中の動きが、ミゥを後押しする風潮になったとみるや、財閥も素早く動いた。
この件で、人工知能の性能を世の中に示したことと、ミゥの知名度があがり、想像できない宣伝効果をえることができたことを、利益をして算出しはじめたのだ。
なんと最終的には財閥は、この美談を徹底的に利用することにより、先に支払った賠償金の元をかるーく回収できることを算出するにいたったのだった。
ここまで来ると、マスコミにとっては、大広告主でもある伊那笠財閥が···と勘繰りたくもなるが、まあそれはそれで、結果、
財閥も社も、文字通り『結果オーライ』であったので、財閥内でもこの事件は、すぐに過去の記憶となった。
ただ社会的なあれこれはさておき、そのことはもちろんミゥには色んな変化を与えていた。




