第1章 1-1 拝啓、背景、この世の常識
第一章
1-1 拝啓、背景、この世の常識
はるか昔に地球を脱出した人類は、宇宙各地にその生活の場を移していた。天体を模した完全な筒形のドーム型スペースコロニー、テラπ型Type06が、人が地球という大地の次に選んだ生活空間だった。このタイプ以外のコロニーは現在は廃止されているか、移行期にはいっていなければならなかった。
宇宙コロニー管理公社の定めた基準によると、Type04以前のものは、ハードの面では人工重力、ソフトの面では大気や生物から体内に摂取できる細菌の活性状況に問題があり、長 期にその環境で世代交代を繰り返すと、人類以外のものに進化、あるいは退化、奇形児の出生率の増加を招くする可能性があるということだった。
そんなコロニーの1つで、カンパニー・ミゥは会社経営を行っていた。
社が経営を営んでいるのは、地球で生活していたころの天候タイプにならって言えば温帯湿潤気候ニホン型と呼ばれる春夏秋冬という四季があるタイプに調節されていた。コロニーの名称は『シュワーツ』と呼ばれていた。
数あるコロニーの中には、気温は常に寒く1年のほとんどが雪に閉ざされているような天候型のものある。そんな過ごしにくいコロニーに誰が住むのかという気もするが、実際にはそこそこ人口がいるから不思議である。
コロニーは、宇宙統一政府として存在している正式名称、宇宙コロニー管理公社(以下、公社)がその全体を管理し、さらにそれぞれのコロニーは、その公社の支局が運用を行っていた。おおまかなガイドラインは本社が決めていたが、実際のコロニー自治は支局が独自の判断でおこなっていた。
それぞれのコロニーの居住人口は、200万人から1000万人程度で、宇宙全体では約1000近くものコロニーが稼動していた。
宇宙生活の公用語は英語だが、実際には地球時代の言語の6割程度は生き残ってそのままつかわれていた。ただ、イヤホン型の自動翻訳機が発達していたため、言語で困ることはまず皆無と言えた。
時の流れは宇宙におけるさまざまな分野での発達をもたらしていた。その中でも、宇宙空間を高速で移動するための技術は飛躍的に進歩をしていた。それは空間湾曲を利用した、空間跳躍技術、つまりのところSFによくあるワープ技術のことである。そのため人の宇宙での移動はそこそこ高速でできるようになっていた。現在、唯一技術的な問題として立ちはだかっているものは、ワープのための空間湾曲に比較的大規模な装置が必要になるために、宇宙空間にしか装置を設置できず、ちょっとした荷物の宅配であっても宇宙船を使用して、その装置が作り出した、ギガスペースラインを通行しなければならない点であった。
ギガスペースラインとは、地球で人類が生活していたころの類似物で例えるのであれば、ハイウェイ(有料高速道路)といったところであろうか。と、いっても実際に道がつながっているわけではなく、一度ラインに突入した後は、空間湾曲が作り出した亜空間内に微弱に流れている電波を頼りに、目的とする出口が存在する作業に向かうだけであった。ようは何もない空間を突き進むだけである。交通渋滞もなければ、衝突事故などもなかった。どんなに離れたコロニーであろうと、ほぼ一定時間、30分程度で移動することでいきた。
このギガスペースは、交通だけではなく、コロニー間の通信やTV放送などもすべてこのラインを利用して行われていた。まさに現人類の生命線といえるラインである。
人類が宇宙に初めて居住空間を建造し始めた当初は、どのコロニーも単独で自給自足できるように、食物の培養プラントや各種工業設備が一通り備わっているのが一般的であったが、それから何世紀も年を経た現在では、そのコロニーによっての特色が強くでている場合がほとんどだった。あるコロニーは農業を主産業にしていたり、またるコロニーは電子工業部品を主産業にしているといった風である。コロニーの繁栄は、イコールその人口にあるといっても間違いない。そのため、各コロニーを統括する公社の支局は、人を誘致するために様々な特徴をだしたり、移住者への特典をつけるところが多くあるほどであった。
近年では、居住者が女だけであったり、あるいはベジタリアンしか居住不可といった極端なコロニーも出現していた。コロニー間の移動には規制はなく、誰でも自分が気に入ったコロニーに移住することができた。ただし、移住にともなう住民票の移動には、かなりのお金が必要だった。一般的なコロニー公社勤務の職員の給料で換算すればおおよそ5年分程度に匹敵した。コロニー間の移動は自由であるが、金銭的にはとても自由にというわけにはいかなった。きわめて金回りがよければ、いくつものコロニーにそれぞれ住居を用意しておいて、1年ごとに移住を繰り返すといったことも可能であるといえば可能なのだ。
事実、カンパニーミゥに勤務する、日系人伊那笠 舞の家族は、複数のコロニーに住居をもっている大富豪であった。また、会社の筆頭株主は舞の父親であり、舞自身も大株主であった。
カンパニーミゥの社長は、カレン・ホールデイズといった。舞を日系とよんだのと同じように称すれば、アングロサクソン系、つまりアメリカ系の女社長である。
なぜ大株主の舞が社長でないかについて語るためには、まずコロニーにおける宅配業務の仕組みを説明する必要があるだろう。
コロニー間は、先述したようにギガスペースラインで結ばれている。交通渋滞はないが、通行の順番待ちはある。そのため、ギガスペースラインが整備されてから間もない頃、際限無くコロニー間宅配業者が起業をしてしまい、順番待ちで大変な事態に陥ったのだ。次々とゲートから宇宙船が飛び出してくるために、ラインを出た後での事故も多発した。
先ほど述べたように、旅行で他のコロニーを訪れるのであればいいのだが、移住をしようとすればかなりの費用がかかる。そのため、当時は『運び屋』と呼ばれる闇の移住斡旋業者が大量に増えてしまい、収拾が付かなくなっていたのだ。舞の父親も、この『運び屋』家業で財をなし、現在の地位を築いたほどである。どのコロニーも移住者が1人でも欲しい時代である。来る者は拒まずという風潮もそれを手助けしていた。
そこで、公社は1つの対策を取った。ギガスペースラインを使用できる運送業に免許制度を導入したのだった。そして、この免許はその当時、社としてもともと宅配業務を行っていた企業のみに、ギガスペースラインの貨物専用宇宙船の通行証という形で発行された。現在では、この免許で要人等の人物護送なども可能に変更が加えられていた。
旅行などはどうするのだ?という疑問がでるかもしれない。しかし、この旅行に関しての通行は、すべて公社が利権として有していたために、気にする必要はなかったのだ。
もちろんこの政策は多くの人の反感を買った。事実あわや内紛の寸前まで事態は緊迫したが、それでもインフラをもっている方が強いのは昔も今も変わらない。結局、公社の考えるとおりの整理が行われたのだった。
法律としての良し悪しは今でも時々議論されるところであるが、一度通行証を発行された企業は、倒産しないかぎりそれを相続することができるのも、このシステムの特徴であった。そして、この免許はいまや、当時に発行された企業の独占であり、新しく発行されることはほとんどなかった。
そんな理由で、巨万の富を有している伊那笠家でも、闇家業としての運び屋のみをその生業にしていたため、その通行証を手にいれることはできなかったのである。それに対してカレンの家は、先先先先代がその通行証を手にいれていたために、いまでも通行証を有しているというわけだ。この免許は世襲制であるため、その家の跡継ぎに代々引き継がれることとなっている。つまり、カレンが社長として登録されている会社であれば、いつでも宇宙宅配業務を行うことができるという訳だ。
ただ、伊那笠の支援が行われるまでは、カレンの会社は社員1人、つまり社長1人が小さな車で、自分が住んでいるコロニー中のほんの一地域のみを宅配しているのみの極小零細企業でああり、この時代のカレンの会社は宇宙とは縁がなかった。大学の同級生である、舞が商売っ気をだして話を持ちかけたために、名実共にコロニー間宅配業者昇格することができたのだ。とはいっても、宇宙船もドックの賃貸料も、宇宙船の乗組員もすべて、伊那笠、いや正確には舞の父親がその代表を務める、伊那笠財閥の持ちものである。本人達は、形ばかりの本社、それでも一等地のマンションの最上階のペントハウスで、掛かってきたビジフォンの対応と、受け付け業務を行っているのみであった。
経理は、もちろん舞の仕事であり、毛ほどの隙も無い財務管理がおこなわれていた。
本社には、カレン、舞、ミゥ、それと、雑用兼お茶くみの本社唯一の男性である江藤 徹の4人が勤めていた。
この会社の名前にも使われている看板娘のミゥ、彼女はちょっと変わっていた。
では、なぜ、このミゥが社名にまでなり、そして看板娘になったのか。
これを説明するためには、カンパニー・マイが設立されて、その数ヵ月後、カンパニー・ミゥとして社名変更された、そのきっかけとなる、あの事件を説明しなければなるまい。
改行を入れて、読みやすくした上で、プロローグと1ー1を分割しました。