第2章 2-1 始まる、始まり、最初の一歩
やっと2章に突入。宅配実務が始まります。
第2章
2-1 始まる、始まり、最初の一歩
まだまだ駆け出しの会社とは言え、天下の伊那笠財閥がバックにある。クレームを抱えながらも、そこそこ注文は入っている。今日も、そんなオフィス内に有能な社員たちの黄色い声が響く。
「舞、今日の宅配のリスト、アップしてくれた?」
「してありますよ。カレン」
「OK。じゃすぐ承認しておく」
「よろしくお願いします」
毎日始業と共に繰り返される、そんなやり取り。
ダイコンの画面で、先ほどのアップされたばかりの宅配リストに横の『受注』のアイコンが『承認』に代わるのを確認すると、そのまま金髪碧眼のゴージャス美人が、手もとの白いボタンを乱暴に叩く。
ピーガガガー
嫌なハウリング音が室内に響くと、いらいらした様子を隠しもせず、ボタンを押した女性が声を荒げる。
「おい、メカおたく。今日の配送・集配リスト、アップしたよ。リンクしてやんな」
舞、カレンがいた部屋の隣の部屋では、最先端のハードが満載しているその部屋には似つかわしくない、白いメガホンスピーカーが、震えるようにその指示を繰り返していた。
多くの人間が視力調整を施している現在では、こちらも極めてアナログチックに映るメガネを、しかもかなり厚い、掛けたボサボサ頭の男が、その指示を聞いてめの前のパネルの操作を行う。
パネルには、『complete』の文字が赤く点滅をするのを確認すると、先ほどの女性を同じように、しかし緩慢な動作で机の脇にある白いボタンを押した。
「カレンさん、リンク終わりましたよ。彼女にはカレンさんの倉庫・・・、あ、集積所でしたね。向かってもらいますね」
同じようにその声は、カレン達が倍速で仕事をこなしている部屋にこだました。カレンは、その徹の返事を聞き終わると、深く息を吸った。
「はいはい・・・・では・・・」
カレンが言いよどむ。
「コホンっ。では・・・」
再び言いよどむ。 もう1人の女性、艶やかな長い黒髪に黒い瞳、そう舞が、にっこり笑いながら、似つかわしくなく頬をそめてもじもじしているカレンに声をかける。
金髪碧眼のナイスバディの女性がもじもじしている姿は、それなりに惹かれるものがあるが、ここには舞しかいないので、残念ながら誰も見ていない。
「カレンさん」
舞の冷たい声がカレンの耳に入る。
「っち。わかってるよ。言えばいいんだろ」
「社命ですから」
「・・・」
「どうぞ」
舞が追い打ちをかける。
カレンは、目をつぶって大きく深呼吸をした。
「ミゥ、お仕事に向けて、はっし~~~~~~ん!!!!」
一気に号令を発した。その頬は、更に赤く染まっており、息は荒かった。
扉の前で待機していたミゥは、その号令を聞くと、
「ミゥ、発進シマス!」
そう、自分も号令をかけると、そのままハッチの扉をあけて、その中へ飛び込んだ。
もともとダストシュートであったその出入口は、帰ってくる時は扉横の上昇用の巻き上げ機の手すりにつかまって巻き上げてもらうことになる。もちろん自動ではあるが。行きはこれよりもっとすごい。まさにそのダストシュートをほぼ直角にすべるようにして表へと出ていくのだ。まさに発進である。普通の人間ならショック死するかもしれない。
この仕組みを舞が見たときに、株主総会の意向として、この号令を定めたのである。もちろん、その栄誉ある役目は社長であるカレンが引き受けることが前提ではあったが・・・。
ミゥが無事業務を開始したのを見届けると、舞がゆっくりと立ちあがってカレンの肩を叩く。
「カレン。ご苦労様」
カレンは、まだ顔を赤くしたまま、多少落ち着いたものの、いまだ肩で息をしていた。
舞が、お茶をいれて来たばかりのお茶をカレンの机においた。自分はそのままお盆を部屋の中央のテーブルに置くと、そのままテーブルよこのソファに腰かけた。舞がお茶を飲もうと湯飲みに手を伸ばすと、ようやく落ち着きを取り戻したカレンが口を開いた。
「舞・・・」
「なんですか?」
「本当に、あれ・・・これからも毎日やるのか?」
「ええ。そのように株主総会で決まったじゃありませんか。それに毎日ではありませんわ。営業日だけよ」
「くっ・・・毎日じゃねぇかよ」
カレンの顔が歪む。
「なにか?」
舞はあくまでも涼しげである。カレンは、怒りを飲み込むと、再び口を開いた。
「ああ、そうだ。でもな、誰が聞いている訳ではないだろ?」
「ええ。本当にそうですわね」
「やめてもいいんじゃないのか?」
そう言って、カレンはお茶に口をつけた。カレンが横目で、ちらちら舞を覗き込む中、舞もお茶を一口すすった。そして、長くゆっくり息を吐きながら、湯飲みを机の上に置いた。そして、満面の笑みを浮かべた。
「いいえ。社命ですから」
ゴトッ・・
カレンの机で何かが倒れる音がした。カレンは机の上のティッシュを慌てて4,5枚引き抜くと湯飲みからこぼれたお茶の上に押し付けた。そのまま机に肘をつくと、薄目で舞を睨んだ。
「カレンさん・・・・」
同情するような舞のその視線にカレンの目が開く。
「じゃぁ・・・・・?」
カレンが顔を乗り出す。今、こぼしたお茶はティッシュに完全に浸透してしまっていた。そこに手を突いて顔を乗り出したものだから、カレンの手はお茶まみれになってしまっていた。
「ティッシュも会社の備品ですよ。こぼれたお茶を拭くときには、給湯室から台拭きをお持ちになってくださいね・・・」
「△×※!」
カレンがその場で崩れ落ちる。辛うじて机の手前で体を支えると、カレンが吼える。
「そうじゃねぇだろ?あんなもんいらねぇっていってるんだよ!」
カレンがお茶まみれの手を握り締めて力説する。
「要りますわ。ミゥは我が社のマスコットでもあるんですから」
舞はあくまで涼しげである。
「それは、そうだけどな・・・それとこれと関係ないだろ?」
カレンも食い下がる。
「うーん。カレンさん、あの時の顔、とっても可愛らしいですわよ」
「くはっ」
決着はついた・・・。
「とにかく、カレン。お仕事なんだし。いいじゃありませんか」
カレンは、うなだれたまま、顔だけを舞の方に向けた。
「じゃあ、お前がやったらどうだ?」
舞の顔に初めて緊張が走った。
「いえいえ。あれは、社長であるあなたの・・・」
カレンの目に力がこもる。
「株主の代表としてやったらどうだ?」
「いえいえ。そんな大役。とてもわたくしには」
「いや、十分だろ」
「いえいえ」
「十分だ」
徐々に2人が危険な色を帯びてくる。
そのときである、お客様からの依頼を受ける専用のビジホンが着信を告げた。
「あ、カレンさん。依頼ですね。あー忙しい。忙しい」
舞はそういうと、眉をひくつかせているカレンから視線をそらすと、ビジホンに向かった。
「はっ。何が忙しいだ。そのテーブルにもビジホンがあるんだから、そこで受ければいいじゃねぇか。何でわざわざ自分の机まで戻るんだよ」
午後になると、ほとんど仕事がなくなり、毎日バカンスを楽しむことができる本社の面子なのであるが、午前中はそこそこ仕事がある。注文を受けた宅配の伝票の端末への打ち込みや経理処理、それに注文そのものである。ほとんどの注文は支社で受注しているとはいっても、リピーターなら本社の電話番号を知っているからである。
舞は、机に戻ると、ビジホンを受信ボタンを押した。
「サワディカ」
ビジホンから、女性の声が流れる、それと同時にパネルにタイ語の表示が点滅する。舞は、素早くその表示を指でなぞると、自動音声が同時通訳を始めた。
「おまたせいたしました」
先ほどカレンと話していたときよりも一段高い、そして幾分澄んだ声で舞が対応をする。
「本日はどのようなご用件でございますか?」
「えと、宅配を・・・」
電話の先の声は幾分戸惑いを含んでいた。翻訳されてくる精度はかなり高いはずなので、依頼主がはっきりと用件を伝えていないことになる。
「荷物の集荷でございましょうか?」
「は、はい」
ビジホンは原則音声のみの通話であるため相手に姿は見えることはないのだが、舞は満面の笑みを浮かべて応答を続けた。
「集荷先はこのビジホンナンバーの地点でよろしいでしょうか?」
「え、えと、うん」
電話口の声はあいかわらずたどたどしい。口調からは、かなり若い依頼人なのかもしれない。舞が、ビジホンのパネルを再び操作する。
「お客様。集荷地点を検索致しますので、住所の通知許可をいただけませんでしょうか?」
沈黙が流れる。
「ビジホンのパネルの左下にございます、検索許可をタッチしていただけますか?」
舞の声のトーンが心無しか少し下がる。カレンが面白そうに、まゆげをピクつかせながら、舞の顔を覗き込んだ。舞は、カレンから視線をそらすと、会話に集中した。
「検索許可をお願いします」
「あー、はー、これかな」
同時に、舞のパネルの検索許可の表示が点滅を開始した。
「はい、ありがとうございます」
「え、い、いえ・・」
舞のパネルに相手の居住区域の地区ナンバーが表示された。
『居住エリア・東地区D23ブロック』
その表示を読むと舞の顔が一気に曇る。
「あの、お客様・・・」
「は、はい」
「お客様の区域は、当社の担当エリア外でございますが・・・」
沈黙が流れる。
「え・・・で、でも、どこでもって・・・」
「大変失礼ですが、どこで当社のビジホンナンバーをお知りになられたのでしょうか?」
この疑問はもっともである。そもそもここの直通のナンバーは、地区限定の伝票にしか載っていないはずである。
「えと、お友達のさっちゃんが・・・」
「はい?」
「アンドロイドのお姉ちゃんがって・・・」
「はぁ・・・」
「それで、もらった紙に、どこでもって・・・」
「・・・」
「だ、だから・・・」
舞のこめかみに青筋が浮かぶ。
「お客様、そのさっちゃんは、どこの地区に住んでおられるのですか?」
「え、えと東地区だけど・・・」
「東地区ですか・・・・」
「うん」
「少々お待ちいただけますか?」
「は、はい」
舞は、返事を聞き終わると、ビジホンに保留を掛けた。横では、そんな舞をカレンが横目で舞を伺いながら、笑いを噛み殺していた。
「カレン・・・・」
「ひゃ?あは?何?」
「殴るわよ・・・」
「ま、落ち着けって。スマイル、スマイル」
カレンは、一向に様子を改めもせず、口先で舞に声をかける。舞は、一度深呼吸して、口を開く。
「どうしたらいいと思う?」
「確かにコロニー内容の伝票には、
『いつでも、どこでもご用命を』
って、書いてあるよな」
「ですわね」
舞はしぶしぶ頷く。
「確かにうちの守備範囲は、西居住区、しかもDからHのブロックだけだが、あの伝票にはそれは書いてないな」
「ですわね」
舞は再び、しぶしぶと頷く。
「そもそも他の地区に伝票が流出することは前提としていないしな」
「ですわね」
舞は更に再び、しぶしぶしぶと頷く。
「ま、受けるしかないんじゃないの」
「ですか・・・」
舞は、力なく項垂れる。
「だな」
そのカレンの一言で決着はついた。
舞は、今もって可笑しそうににやついているカレンを努めて無視をすると、机の脇の白いボタンを乱暴に押した。カレンも舞も何気なく、机の脇の白いボタンの扱いが酷い・・・。
「ミゥはいまどこにいるのです?」
一時をおいて、徹が返答する。
「今日は2件しか配送がありませんので、もう2件目に向かっているところですよ」
「では、そこが終わったら、東地区D23、集荷お願いします」
舞は努めて平静を装いながあらそう告げた。
「東地区って思いっきりエリア外じゃないですか?」
「いちいち言わなくてもわかってるわよ・・・」
「はぁ」
徹の気のない生返事が聞こえてくる。
舞は大きく深呼吸をする。
「ミゥのナビは大丈夫なのでしょう?」
「ええ、まあ、うちのそばですしね」
「そ、それは、徹さんの家のそばだから、ミゥがよく知っているという意味なのかしら?」
徹の返事を聞いた舞が声を荒げながらそう聞き返す。
「そんなことはないですよ。万が一のことを踏まえて地図はインストールしてありますよ、という意味です」
舞の声に対する返答としては、間延びした緊張感のない徹の声。
カレンが、舞の肩を叩く。
『わかってますわよ』
舞も、そう視線をカレンに返す。
「それでは、よろしく頼みますね」
なんとか、怒りと焦りを収めた舞がそう話を締めくくり、会話は平常運転に戻る。
徹も、
「はい」
とだけ短く了承の返事を返した。
「ところで、ミゥは多国語に対応してますよね?」
「それは大丈夫です」
「よかったですわ」
徹の返事ともに、舞がビジホンの保留を外す。
すっかり笑顔モードの声色に戻った舞は、ビジホンの相手を『お客様』に戻す。
「お客様、大変お待たせ致しました」
「いぃぃっ、いえっ」
「それでは、本日午後、当社のミゥが集荷にお伺いします」
「はい、ありがとうございます!」
「お客様のお名前をお伺いしてもよろしいですか」
「チャイです」
「チャイ様でございますね」
「はい!」
「それでは、集荷、伊那笠が承りました。お電話ありがとうございます」
舞がビジホンを、静かに切った。同時に、カレンに鋭い視線を向ける。
「カレンさん・・・」
「ん?」
「地区外の集荷の経費は、社長決済ということで、あなたの役員報酬から差し引くことに致しますね」
機嫌は直ってはいなかった・・・。
「えっ?」
カレンが思わず聞き返す。
「何か?」
「そりゃおかしいだろ?」
カレンが、額に手を当てて再度聞き返す。
「昨日のアフタヌーンティーの経費もお支払いになります?」
舞の冷たい視線が突き刺さる。
「い、いや」
「そうですか。残念ですわ」
「き、汚ねぇ・・・」
「何かおっしゃいました?」
舞がカレンを見下ろすように、唇に薄い笑みを浮かべている。
「何も」
「では、以上です」
冷戦が繰り広げられているその隣の部屋では、徹がミゥに集荷地点の座標を入力しながら、独り言をつぶやいていた。
「たしか、この地区ナンバーって・・・」
舞は、見覚えのあるその地区ナンバーに首を傾げた。




