第二十五話~千思万考(せんしばんこう)~
「東堂先輩…………多分この坂で間違いないと思うんですけど」
「そうね、この先に武道場があるって看板があがっていたから、間違いないと思うけど――」
お互い大きな荷物を持ったかえでとしのぶは、降り立ったバス停の前でかえでの持つ地図を確認していた。
「確か北条くんが言っていたけど、武道場は石段の階段を上ればすぐ見えるって」
「そうですよね、こういう時こそ、竜太が迎えに来たらいいんですよね。先に行っているんだからぁ」
そう言ってかえでは少し頬を膨らませる。
「まあまあ西園寺さんそう言わないで、もしかしたら稽古の時間かもしれないでしょ」
「それはそうですけど――京都駅に着いたときにメールしたんですよ。でもアイツ返事もしてこないんですよ」
より一層頬を膨らませるかえで。
「まあ、ここで待っていても仕方無いかしら。そろそろ周りも暗くなるから、少し先を急ぎましょう」
「はい、東堂先輩がそう仰るなら……」
かえではしのぶに促されて、自分の荷物を肩にかけ歩き始めた。大きな荷物を持っているからか、ゆっくりと歩く二人。少し歩いたところで、かえでがしのぶに少し不満気味に話しかけた。
「もう竜太って、何でもいきなりだから大変なんですよね。急に北条くんの実家に行くって決めてしまって。夏休みまで待てばいいのに、何も昨日決めなくても」
「丁度連休だったからいいんじゃないかしら? 別に観光に行く訳じゃ無いから」
「それはそうですけど、東堂先輩まで付き合わせるなんて――迷惑ですよね」
「それは気にしないでね、西園寺さん。私も少し真剣に稽古がしたかったから、北条くんのお家の道場は京都ではかなり有名なんでしょう。丁度最近私スランプ気味だし、少し環境を変えるのもいいかな、と思っていたところだから」
「そう仰るならいいんですけど……」
しのぶの前向きな言葉を聞き、また頬を膨らませるかえで。しのぶは、そんなかえでを見てクスリと笑い、
「西園寺さん、気にしすぎよ。今回は稽古に来たんだから、たまたま中村くんと北条くんのお父様とがお知り合いだったから――中村くんはお父様のことが知りたい。私たちは稽古がしたいそれだけかしら?」
「プチ合宿ですか?」
「そうね、私たちもちゃんと目的があるってことね」
「はい!」
かえでは、少し気が晴れたのか元気よく返事をした。
(確かに、勢いで京都に来てしまった感があるわね)
しのぶはふと思いを巡らし始めた。
(どうも、納得できないのよね。入部試験で勝った発田先輩が中村くんに再試合を求めたこと……どう考えてもおかしいわね。普通は勝った相手からは求めない。でも発田先輩は中村くんとの再勝負にこだわっている――。なんか、中村くんの何かを発田先輩はどうしても必要と思っている)
しのぶの思案は続く。
(そこに昨日中村くんのお母様から武術『樹神』の事が聞けた。『樹神』は人を殺めるのではなく人を護る武術である事、兵法ではなく平法だと言う事も――。そして、その武術は京都発祥で、おまけに北条くんのお父様がかなり係わっている…………。ますます解らなくなってきたわ)
考えがまとまらず、いつしか立ち止まって思案を巡らすしのぶ。
(中村くんのお父様は、中村くんが小さい時に武術を極めるために京都に向かったとお母様から聞いたわ。そして、今も戻って来られていない。でも、発田先輩は中村くんとの勝負の中で、ここ一年の間にお父様と剣を交えたと言っていた――つまり、発田先輩と中村くんのお父様は、ここ京都で会っている可能性が高いかしら……)
「東堂先輩?」
(そもそも何で発田先輩は、いきなり失踪してしまったの? それもはるみ先輩に何の連絡もせずに)
「東堂先輩? どうしたのですか」
立ち止まるしのぶにかえでが話しかける。
(やっぱり解らないわ。発田先輩は何を求めているの?その答えが何故中村くんなの? 全てを投げ打ってまでしなければいけない事っていったい何なのですか? 発田先輩。わたし……やっぱり解りません。この一年間何をされていたのですか? 中村くんの何をお望みなのですか?)
「先輩! せ・ん・ぱ・い!」
「え? あ、どうしたの西園寺さん?」
しのぶは我に返った。
「どうしたのって――東堂先輩が立ち止まってずっと考え事していらっしゃったから……」
「あ、ああ、西園寺さんごめんなさいね、ここ最近目まぐるしくて、つい頭の中で整理していたの」
「先輩、お疲れなんですね。ささ、早く北条くんの所に行って休みませんか? 京都まで半日もかかりましたから」
そう言ってかえではしのぶの手荷物を一つ持ち、歩き始めた。
「あ、西園寺さん。私、大丈夫だから――」
「ダメです。東堂先輩が疲れてしまったら、竜太に何言われるか解りませんから。先輩は少しでも力を残しといてもらわないと」
かえではそう言うと、先に歩きはじめた。
(ごめんなさい。西園寺さん。私の我が儘でついて来て貰ったようなものね。私、発田先輩が京都で何をしていたのか確かめたいの)
そう言ってしのぶは前を歩くかえでに向かって小さく会釈した。
あたりは薄暮となり、街灯が少しずつ灯を点し始めたころ、小さな地図を頼りに目印を探しながら歩く二人の前に、『京都北条道場』と矢印が書かれた看板が現れた。
「どうやら、着いたみたいね」
「はい、北条くんが言っていた階段がありますから」
二人は安堵の表情を浮かべ、道場へ通ずる階段を登り始めようとした刹那、二人の前を一筋の風が横切った。
「きゃっ!」
かえでは、いきなりのことでその場にしゃがみ込む。一方しのぶは通り過ぎた風の先を見つめかえでを庇うように身構える。
「…………」
しのぶは持っていた竹刀袋に手を掛け、竹刀を取り出せるように柄を握る。果てして風下になる薄暗い階段の先には気配が感じられた。
「誰!」
しのぶは、気配の先に向かって叫ぶ。返答は無い。しかし気配は感じられる。
「誰かいるの!」
「…………」
返答は無いが明らかに身を潜めた気配が二人に伝わってくる。
「東堂先輩――きっとネコか何かの生き物じゃ……」
かえでがしのぶに耳打ちするように話しかける。しのぶはかえでの言葉を聞き、構えを少し外し、
「そうね、きっとそうでしょうね。先を急ぎましょう」
しのぶはそうつぶやき、荷物を持ち直し階段を再び登ろうとしたとき、
「オマエタチハ、コレイジョウ、ココニイルナ。カエレ。イラヌセンサクヲ、スルナ」
二人の耳に言葉が飛び込んできた時、しのぶ目がけて黒い塊が飛び込んできた。
「なんなの!」
しのぶはとっさに竹刀を手にし、黒い塊に向かって目付をした。すると黒い塊は間合いを取るかのようにしのぶの前で止まった。
「あなた、姿を見せなさい。隠れていないで正々堂々と出てきたらどうなの?」
声を荒げ声を出すしのぶに対して、黒い塊は徐々に霧が晴れるかの如く人の形に見えた。
「貴様、なかなかの使い手だね。気迫の出し方も正統派と言ったところかしら。後ろの大きな彼女は粗削りだけど伸びしろは大いにあるかしら」
「え? 女の子」
かえでは霧が晴れ姿を現した人をみてつぶやいた。
「女の子とは失礼な! これでもれっきとした大人だ! 少なくとあなた達よりはだ!」
しのぶとかえでの前に姿を現した女の子いや、自称女性は、黒装束に身をまとい、一見忍者のいで立ちそのものであった。かえではその姿をみてまたつぶやいた。
「コスプレイヤーさん? それとも京都だから映画村のアトラクションの方とかかしら?」
「後ろの大きい彼女は自分の置かれている事柄が理解出来ていないようですね。そんな人が何であなた方をいきなり襲うのですか?」
「どういうことですか? 事と次第によっては――」
「どうするのですか? 凛々しいお方。そんな子供だましの竹刀だけで」
しのぶの言葉にかぶせるように黒装束女性は失笑気味に話す。
「そんなの、やってみないと解らないと思うわ。馬鹿にしていると痛い目に合わせるわよ」
しのぶは竹刀を出し、中段の構えを取り相手に切っ先を向ける。
「ほう、貴様やる気か――面白い。実力を見せていただこうか!」
黒装束女性はそう言うが早いか、懐の脇差しのようなものを引き抜き、しのぶとの間合いを詰め襲いかかった。しのぶは手許の竹刀でそれを受け、自らは半歩下がり間合いを取る。黒装束女性は、再び間合いを詰めしのぶの竹刀と一合また一合交え、今度は自ら下がり間合いを取った。
「ほう貴様、その太刀筋、手練、まるでこの前の白細いヤツみたいだな」
(え? この人発田先輩のこと知っているの?)
しのぶは咄嗟に感じた。
「あなた! 発田先輩と何があったの!」
しのぶは叫ぶ。
「何がって、そんなの一勝負をしただけよ」
「一勝負?」
「そう、この白樫棒で少しだけね。もちろん勝負にはならなかったわよ。だって弱いんですもの」
「嘘を言わないで。発田先輩が弱いはずがないわ」
しのぶの気合いの乗った声が辺りにこだまする。黒装束女性は口元をわずかにゆるめ、
「貴様も物事の本質が解っていないのだな。良い力を持っているのに使い方が全く解っていない。白細いヤツと一緒だ」
「当たり前です! 私は発田先輩の後輩です!」
「なら、もう一度武道を勉強し直してこい、本当のことが知りたいなら――」
そう言うが早いか黒装束女性は、再びしのぶとの間合いを詰めた。不意を突かれたしのぶは、わずかに反応が遅れ、無防備となった。
(しまった! やられる!)
刹那、しのぶを狙った白樫棒がしのぶの眼前で何かにはじき飛ばされた。
「何!」
「東堂先輩には指一本触れさせません!」
そこには、先竹の薙刀を構えた。かえでの姿があった。その切っ先は黒装束女性にピタリと向けられている。
「ほう、ただの大きなだけの彼女じゃなさそうだな。良く相手を見ているし、純粋だ」
「お褒めいただきありがとうございます。でも、東堂先輩を襲うあなたは許しません」
かえでと黒装束女性とは互いの間合いを保ちながら対峙する。お互いの呼吸が感じられる間合いを続けながら、出方を待つかのように。すると黒装束女性から間合いを解き、手に持った白樫棒をかえでに向かって放り投げ、姿を消した。
「東堂とやら。本当に知りたいのなら筋を通せ。しっかりとな」
辺りは静寂が戻った。かえでは持っていた薙刀をおろし、その場にへたり込んだ。
「西園寺さん大丈夫?」
「東堂先輩。それは私の台詞です。」
そう言うかえでの目には大粒の涙が浮かんでいた。
「ごめんなさい。西園寺さん。恐かったでしょ」
「だ、大丈夫です。東堂先輩こそお怪我ありませんか?」
鼻を少しすすりながら話すかえで。
「私は大丈夫。でもびっくりしたかな、いきなりだったから」
「もう、なんなんででしょうね。コスプレイヤーさんにしては、腕が立つ人みたいでしたけど」
「そうね、ただ者じゃないわね」
そう言ってしのぶは黒装束女性が残していった白樫棒を拾い上げた。するとかえではその棒を見て、
「この棒――竜太のお母さんが持っていた棒によく似ていませんか?」
「そうね、でも中村くんのお母様とは使い方が違うと思ったわ。お母様の方は自分から先に攻撃してこなかった。でも今の人は先に仕掛けてきた」
「あっ」
「でも、同じ棒を使う。何がちがうのかしら……」
(ますます解らないわ。どうしたら良いのかしら。そして、筋を通せって、いったい誰に? 何処に?)
しのぶは、竹刀を片付けながら、思案する。
(ただ、解ったことは、今の人は、初めて会うのに私が何かを探していることを知っていた。おまけにその人は私が調べているることは、発田先輩と同じ事だと決めてかかっていた。何故?)
「東堂先輩。やっぱりお疲れですよね。変なことがあったからですよね」
心配そうに見つめるかえでにしのぶは笑顔で返した。
「大丈夫。心配かけてごめんなさい。もう大丈夫。北条くんの所に着いたら、モヤモヤした気持ちを稽古で吹き飛ばしましょう。西園寺さん」
「はい。でも――」
「さあ、もう行きましょう。あ、それと、今あったことは中村くんや北条くんには少し内緒にしておきましょうね。心配かけさせたくないから」
そう言ってしのぶは手元にある白樫棒を見つめてから、棒を竹刀袋に収めた。そして、黒装束女性が消えた先を鋭い眼差しで見つめた。
(そんなに教えたくないなら私、意地でも少しでも解って帰ってみせるから。私、少し解った気がする。何故そんなに隠したいのか。発田先輩が何を探していたかを)
(第二十六話に続く)