第二十四話~手の内~
少女は蹲踞の姿勢から微動だにしない。手に持つ竹刀の切先はまっすぐ竜太に向けられている。
「なにぐずぐずしてはりますんや。さっきも言うたけど、うちを見た目どおりの子供やと思ってはったら、あんたホンマ痛い目に遭いますで」
「……」
竜太は無言のままでゆっくりと蹲踞の姿勢をとり、少女の竹刀の切先に自らのそれを重ねた。
「怪我をしても知らないからな」
「それはうちの台詞や!」
少女は吐き捨てるように言い、蹲踞を解き、中段の構えから竜太に向かって飛びかかった。
「どおぉお!」
「え?」
竜太が言葉を発したときには、少女の気合い声とともに竜太の左胴に少女の竹刀が打ち込まれた後だった。
残心から、竜太に向き直った少女からは、怒声が飛ぶ。
「なんや、むちゃくちゃ弱いやんか! 本気出してはるんか!」
そう言うと少女はまた竜太に突進し、竜太の小手と面を易々と打ち抜いた。
(この子早い!)
「めぇえぇん!」
竜太がそう思った時には少女の三度目の打撃が竜太の面をとらえた後だった。
「あんた! ええ加減にしいや、それでも高校生か?」
少女は竜太に向かって叫ぶ。すると竜太は竹刀を握り直し、少女に向けて中段の構えとなった。
「やっと真剣にならはったな。手の内を見せへんと、ほんま心狭いお人やしな。じゃあ、うちも手の打ち出して本気ださんとな」
そう言って少女は竜太に向かって踏み込みながら面の連続打ちに出てきた。竜太は少女の打撃をこらえながら竹刀で受け止めている。
「どぉぉぉ!」
「痛!」
少女の声とともに、竜太の胴に少女の打撃が入る。思わず竜太が声を上げる。
(確かにこの子のスピードは速い。おまけに打撃が正確に来る。手強い……)
防戦一方の竜太に対し少女が聞く。
「あんた、ホンマに強いんか? 『けんにい』はホンマにあんたに負けたんか?」
「え? けんにい?」
少女は一瞬たじろいだ。
「あんたには関係あらへん! 気にせえへんでもええ。うちはほんまにがっかりやわ、もうこれで終わりや、ボコボコにしてまうしな!」
そう言って少女は竜太に向かって面、胴、小手を休むこと無く打ち続けた。竜太は打撃を受けながらも竹刀でかろうじてかわし続ける。少女の打撃はひたすら続く。
(もう、何だよこの子は――何に怒っているんだ?)
竜太は少女の攻撃を受けながら悪態をつく。少女の打撃が少し間が開いた時、竜太はすぐさま少女から少し間合いを取るために一足ほど離れた。
「なんや、逃げはるんか!」
「……」
竜太は答えない。その代わりに竜太は竹刀を自らの前に出し、斜め下段に構えた。
(撃ち合いはできない。でも相手の動きを止めて、打つのを押さえるにはこれしかないか。それに……)
竜太は先日母に教わった|樹神《こだま》の構えをした。
「その構えは樹神のやね」
(やっぱりこの子は樹神の何かを知っている)
竜太は少女の言葉にある確信を持った。そして軽く深呼吸をし、少女に対して体を真正面に向けた。
「構えはうちの知っている人と同じやけど――。ほんまもんかどうかは解らへんしな」
そう言って少女は再び中段に構えた。
「これで最後や」
そう言って少女は、竜太に向かって真正面から突きにでた。
「あぁ! つきぃ!」
少女の切先が竜太の面下をとらえようとした刹那、竜太の姿が少女の視界から消え、少女の竹刀は獲物を見失った。すると、少女の頭上に竜太の竹刀が落ちてきた。
「面……」
竜太は少女に諭すように言葉を発した。
「きゃっ!」
少女は竜太の竹刀が面に当たると同時に軽く悲鳴をあげた。
「はい、二人ともそこまで!」
竜太と少女の間に野太い声が割り込んできた。刹那、少女の頭上に今度は声の主の拳骨が降りてきた。
「痛っ! お父はんなんで!」
「ことね、それはこっちが言うことや。お客人になんて失礼なことをしはるんや」
「だって、けんにいが負けた相手やんか!」
「竜太くんと剣二は良き仲間であり、良きライバルや。ことねみたいに勝ち負けだけこだわってはらへん。あんたはいつになったらわかりはるんや!」
「そんなん――剣道は勝ち負けやんか」
『ことね』と呼ばれた少女は、師範代に厳しくとがめられ、だんだん涙声になっていた。
「ことね。剣の道は勝負事だけやあらへん。それを理解できへん人は、剣道続けてはあかんのや。おまえが兄を思う気持ちは解るんやが、その前に剣の意味をもう一度考えなはれ」
「……だって、剣兄が負けへんかったら、遠いとこに行きはらへんかったのに――そやのに、負けてしもうたから、遠い学校に行ってまあはったんや」
ことねの目からは大粒の涙がこぼれた。
「それは違うんや、ことね。うちはもっと強い相手を求めて桜ヶ丘の高校を選ばせてもらったんや。竜太はんみたいな強いお人がゴロゴロいはりそうなとこに」
剣二が騒ぎに気が付いて、竜太とことねの前にやってきた。そして、
「竜太はん、ほんまにすんまへん。うちの妹が粗相してもうて」
剣二は竜太に向かって深々と頭を下げた。それに合わせて剣二の父、父に促されて渋々ことねも頭を下げた。
「いや、そんな、みんな頭あげて下さいって。ボクはそんなに気にしてませんから」
竜太は、困惑した表情で答えた。
「ただ、ことねさんが、気になることを言われたから、そのことを聞かせて欲しいとは思ったんですが」
「気になること?」
「はい。ボクのお父さんのことです。ことねさんが何か知っているみたいで……」
その言葉を聞いて師範代は一瞬言葉に詰まった。
「そ、それは、晩にでも私から話しまひょう。そやし、今日は稽古はこの位にして」
そう言って師範代はゆっくりとその場から離れた。
残った竜太、剣二、ことねは、誰彼と無くその場でつけていた防具を解きだした。身支度をしている中、剣二が竜太に向かって、
「竜太はん。ほんまに堪忍や。うちの妹がえらいこと言ったり、突然稽古つけてもろうて」
「いや、こっちも謝らないと。こっちの手の内を見せないって言われたからつい……」
そこにことねが剣二の横から竜太に向かって、
「ごめんなさい。うち……つい剣兄取られた気持ちになってしもうて。でもな、あんた――竜太はん。手の内は隠すためだけじゃなくて大事なときに出さへんとあかんと思うわ」
「ことね! まだそんなこと言わはるんか!」
剣二がことねに向かって声を荒げる。
「でも剣兄! この人のお父はんは、こんなうちにでも手の内をみせてくれはった。樹神のこともちょっと教えてくれはった。やっぱりそれは大切やと思わへん?」
「思う」
竜太がゆっくりと答えた。それを聞いて、剣二とことねは竜太に視線を向けた。
「じゃあ、ことねさん。もうすこしだけ勝負しよう。
今度はお互いの手の内を全て出し切って。本当に少しの時間だけど、それで、ことねさんが知っている樹神のこと、ボクをお父さんのことで知っていること全て教えてくれないか?」
ことねは竜太の言葉を聞いて小さくうなずいた。
「じゃあ、うちが審判やらせてもらうわ。ただし一本勝負のみやで」
剣二が二人に向かって言うと、竜太、ことねはうなずき、身支度を始めた。
「それでは、これより一本勝負。ただし一方が場外になれば、それで終了とします。両者よろしいな?」
剣二の問いかけに、二人は小さくうなずく。
「はじめ!」
「いやあぁぁ!」「あああ!」
竜太、ことねの気合いの応酬が始まり、互いの切っ先は軽く触れては離れることを繰り返す。両者の間合いは一足一刀を保ちながら、攻撃の時をはかる。何合か切っ先の競り合いを繰り返したところで、ことねが意を決して切っ先を払い、前をうかがいながら、竜太の小手を脅かす。竜太はその間合いを嫌い一歩下がり間合いを保つ。
「いやぁああ! 小手ぇ!」
ことねは竜太が下がると一気に前を攻め、再び間合いを詰め、小手を狙う。竜太は今度は右に身体を振り、打撃を受け流し、間合いを保つ。
「あんた、もしかしてほんまもんの嘘つきか?」
攻撃を何度もかわす竜太に対してことねは苛立ちをあらわにする。竜太は何も答えず、中段の構えを続ける。
「いやぁああ! 小手! 面!」
再びことねは前に出て、合わせ技で竜太に打撃を繰り出す。しかし竜太はそれをかわし間合いを保つ。その後、何合か打ち合ったところで竜太は竹刀を下げ、下段に構えた。その構えを見て、ことねはつぶやいた。
「それや、その構えや。剣兄と勝負をしはった時のや。おおきにやで、本気出してくれはって」
ことねはそう言うとゆっくりと竹刀を頭上にあげ、上段の構えになった。
「剣兄の得意な構えや。うちはこれで行く」
そう言うとことねは一気に間合いを詰め竜太の頭上を狙った。
「いぁああ! めぇん!」
ことねの一気の攻めに一瞬竜太の反応が遅れ、ことねの切っ先が竜太の頭上をとらえた――かに見えた。しかしことねの竹刀は空を切り、床に切っ先を叩きつけてしまった。ことねはその衝撃で竜太を見失う。刹那、竜太の竹刀がことねの面をとらえた。
「面あり!」
剣二は竜太の打撃を有効と取り、勝負は決した。
勝負後、ことねはいきなり竜太の前に詰め寄った。
「あ、こら! ことね!」
剣二は慌てて制しようとする。しかしことねは剣二の手を払いのけ、竜太の眼前に迫り、
「おおきに。竜太はん。本気出してくれはって」
そう言って、とびっきりの笑顔を竜太に向けた。竜太はことねの言葉を聞いて笑顔で返した。
「うち解ったわ。なんで剣兄が竜太はんの勝負にこだわらはったか。だってほんまは負けて悔しいんやけど、また勝負したくなるんや。何回でも勝負したくなるんやわ」
瞳をを輝かせてことねは話し続けた。そして、一息ついたところで竜太に向かって頭を深々と下げ、
「竜太はん、ほんま堪忍してな」
「いや、そんなに気にしなくてもいいから頭を上げて」
竜太がことに諭すと、ゆっくりとことねは頭を上げ、
「ほんまにお詫びになるか解らへんけど、うち竜太はんのお父はんのこと――うちの手の内をみんな話しするわ」
(第二十五話に続く)