第二十一話~後の先(ごのせん)~
「覚悟って……何をはじめるつもりなんだよ?」
竜太は母に向かって思わず声を上げた。竜太の母は不安気な竜太を見てクスリと笑った。
「何をって、ただ稽古するだけよ。それ以上でもそれ以下でもないわ」
「そんな、今からはじめて、すぐに身につくもんじゃないだろろうし、大変じゃないのか?」
「そうね、今から始めても優に半年はかかるかしら? 上手くいけばもう少し短くなるかしら」
竜太の母は表情を変えずに答えた。
「そんな! 入れ替え戦に間に合わないよ」
「間に合わないじゃない。間に合わせるの!」
竜太の母の語気が強くなる。
「竜太、あなたの悪い癖。初めから出来ないことを前提で話をしていないかしら。今のあなたには発田という先輩に入れ替え戦に挑んで勝ち、剣道部に入部したいのでしょ」
「そうだけどーー」
母の剣幕に押される竜太。
「なら、簡単な話じゃないの。あれこれ考える前にまず行動しないと」
「ちょ! お母さんちょっと待ってよ」
「待つ、待たないの問題じゃないわ」
「ええっ!」
中村親子の押し問答が続く。
「あの~。ちょっとかまへんやろうか?」
竜太の横にいた剣二が声を挟んだ。
「うちやかえではんとかこの場にいててええんやろうか? さっきから秘密とか御留とか言ってはるけど、ほんまに関係のないうちらが、聞いたらあかんと思うんやけど」
「いいわよ」
「え? なんて?」
剣二は竜太の母の返答に思わず聞き返した。
「いいわよって言ったのよ。あ、ごめんなさいね。北条くん。きちんと説明すると、あなたも全く関係ないことは無いのよ」
「へっ? うちが?」
剣二は驚きのあまり、返事した声がうらがえった。 その声を聞いて剣二以外は思わず吹き出してしまった。張りつめていた空気が少しゆるんだ。竜太の母は一つ深呼吸してもう一度その場の全員に語りかけるた。
「ごめんなさいね。竜太を見ていたら、つい言いたくなって」
「解ります! 竜太のお母さん。お気持ちはよく解ります。竜太って見ていたら、こう何て言うのかな、イラッとくるって感じかな」
「何だよ! イラッて!」
「そうね、この子結構優柔不断だからね」
「お母さんも!」
竜太は顔を真っ赤にして怒り出した。
「ごめん竜太、もう茶化さないから。話しを戻すわね。さっきから樹神や平法と言ってたけど、正式には『樹神流平法』と言うの。
元は平安時代から鎌倉時代にかけて京都の公卿が自分たちを護るための武士に兵術をしたためたのが始まりと言われている。その頃は護術と読んでたみたいね。でも内容は占いや呪術が中心で安倍晴明も少し関わりがあった言い伝わっているわ」
竜太たちは固唾をのんで話しを聞く。竜太の母は続ける。
「時代は鎌倉、室町時代になり武士中心の世になった。戦は世に溢れ、神仏の力を求めるようになった。その時代は木々や石、山を信仰する事は普通のことだったから木々や森に宿る神の力をつまり樹の神を拠り所にした。これが樹神の始まり。その後の流れはもう言ったわね。
つまり、樹神は京都が発祥なの。実はこのことをお父さんに教えてくれたのは、剣道のライバルだった北条くんのお父さんなの」
「北条のお父さんとライバル同士なんて初めて聞いた」
「よう竜太はんのお父はんのこと言ってはったわ」
竜太は驚き、剣二は感慨深げにつぶやいた。
「私が知っている樹神の歴史はここまで。その後はあなたのお父さんが知っているはず。でも今はここにいないから解らないわね。あとは、お父さんが私に教えてくれた樹神指南の技だけ。さあ話しはこのくらいにしてはじめましょう」
そう言って竜太の母は立ち上がり、武道場の中央に向かった。
「じゃあ、東堂さんもう一度お願いします」
竜太の母は杖=棒を右手に持ち、頭を下げた。しのぶは呼応するように木刀を持ち武道場の開始線に立った。
「竜太、もう一度よく見ておきなさい。私も樹神の技を基本三本を今から始めます。心を清くしてからご覧なさい」
「心を清く? どうやって?」
「それは、あなたが道場に入り稽古に入るまでにすること。よく思い出してごらんなさい。そうしないとただの演武にしか見えないわ」
「こころを清く……」
竜太は思いを巡らせる。稽古に入る前に何をしているのか。心を清くするにはどうしたらいいのか。
「はじめに、正座する。気を静める。静かに上座を見る。礼をする……」
竜太の声が次第に小さくなり、微動だにしなくなった。そして……。
「解った。礼節を重んじ。相手を敬う気持ちを持つ」
竜太の母はその答えを聞き大きくうなずいた。
「その通り。まず一つクリアね」
そう言って竜太の母はしのぶに目で合図をし、演武を始めた。静寂の中、稽古着のすれる音のみが武道場に響く。
「やあ!」「とお!」
最初の演武は先ほど竜太たちに見せたものを繰り返した。入部試験で竜太がもうろうとした意識の中で発田に繰り出した技。
「二本目お願いします」
竜太の母がしのぶに言うと、しのぶは開始線からゆっくりと八相の構えから竜太の母に近づく。竜太の母は右手に持った棒を左手を添えて構え、先をしのぶの目先につけた。しのぶは目付と同時に一足一刀の間合いを取り、進むのを止めた。しばし互いに間合いを保つも、しのぶが間合いを詰め上段から竜太の母に切り込んだ。
「やあ!」「とおぉ!」
しのぶの木刀が空を切る。竜太の母はしのぶの太刀筋を右に半身分寄ってかわし、その反動を利用して右手の棒をしのぶの額に目がけて払うように動かした。棒の切っ先がしのぶの眉間の前にぴたりと止まり、しのぶはそこから押すことも引くことも出来なくなった。
動きが止まったところで、お互いが構えを解き、両者開始線に戻った。
また、しのぶは八相の構えとなり、間合いを詰める。一足一刀の間合いとなったところで、今度は竜太の母が棒を中段の構えに取り、しのぶと切っ先を合わせた。
お互いが相手の出方を探るかのごとく動きが止まったところで、しのぶが上段に構え、竜太の母に向かって右肩から袈裟切りに木刀を振り下ろした。
すると寸前のところで竜太の母は中段に構えた棒を袈裟切りに来たしのぶの木刀を薙刀のようにこすり上げ、しのぶの体制を崩してから棒の切っ先をしのぶの目先につけた。
しのぶは動きを封じ込まれたため間合いを外し開始線に下がる。
お互いが開始線に下がったところで礼をし、演武が終わった。
「竜太。三本見て何か気がついた?」
竜太の母は竜太に問いかけた。竜太は考えを巡らせているのかすぐには答えない。
「よく考えて。竜太。樹神の基本が解らないと先が無いわよ」
武道場内は静寂に包まれた。かえで、剣二、しのぶ、そして竜太の母が竜太をじっと見守る。
「わかった……と思う」
竜太がゆっくりと話し始めた。
「樹神の基本は、すべて後の先だ。棒は全て相手が動かないと自らは出て行ってない。でも最後には棒が有利に持って行っている。剣道では積極的ではないので良くないと教わったけど」
「その通り。樹神の本意は後の先にあるの。あなたはまず始めにこの基本三本を会得しないといけないわ」
「でも……相手を待ってから技を出すのは――」
母の言葉を聞いた竜太の面は戸惑いの表情が溢れていた。
「そんな事言っている場合? 竜太。確かに剣道では先の先が良く用いられているかもしれないけど、後の先も立派な剣道の戦術の一つよ。それに、樹神の精神はそこにあるのだから」
「そうなんだけど……この基本三本を身につけたとして実際に発田先輩と再試合をしたら、僕は発田先輩の技をすべて受けてからでないと、自分の攻撃が出来ないんじゃないかな」
竜太の言葉には不安がにじみ出ている。すると竜太の母は一つため息をついて、竜太の額に向かって指をおもいっきり弾いた。いわゆるデコピンである。道場にかしわ手のような乾いた音が響く。
「いてっ! なにするんだ――」
竜太は大声を出し、母を睨みつけようとして――思いとどまった。竜太の母の表情が怒りに満ち溢れていたからである。
「竜太。あなた――勝ちたくないの? 発田先輩に負けたままでいいの?」
「そんなことはないけど……」
「けど……何なの? あなたは同じ相手に負けるために練習するつもりなの?」
「……」
竜太は言葉を返せない。
「全部受け止めてから出ないと攻撃が出来ないって、誰が決めたの? 何も樹神の基本だけで勝負をしなさいって言っているわけではないのよ。あなたの剣道の引出しを増やそうとしているだけなのよ。早くそのことに気が付きなさい
「はい」
竜太はうなだれて母の話を聞いている。
「もちろんあなたが試合の時に先の先の戦術に出ても良いのよ。ただ、東堂さんからあなたが発田先輩との試合で防戦一歩だったにも関わらず、無意識に出た樹神の技によって戦況が変化したことと、その発田先輩が樹神の技について調べていると聞いたから。あなたの勝機はそこにあるんじゃないかと思ったの」
「私もそう思います」
しのぶが静かに、そしてその場の全員を諭すようにゆっくりと話し、続けた。
「発田先輩は、中村くんの技についてか、なにか思うところがあって、調べられていると思います。それもかなり執拗に。中村くんが試合終盤にその技を出した途端、うろたえたようにも見えました。その技が先ほど中村くんのお母さんが出した技と同じでした」
「つまり、発田先輩は竜太はんの技に怯えているんやろうか?」
「私にはそう見えたけど」
剣二とかえでが言うと竜太の母はうなずき、
「そうだったら、なお良いのじゃないかしら」
「多分、発田先輩は認めたくなかったと思います。一時でもうろたえてしまった自分に……。だから試合後にもう一度勝負を挑んできた。勝ったにもかかわらず」
しのぶはそう言い終わってからため息をつき、周りに聞こえないくらいにつぶやいた。
「勝負師ですから。先輩は」
一方の竜太は、その場にいる人たちが自分をそっちのけで話をしていることに気がついた。自分のためとはいえ、議論で盛り上がってきている。技を身につけるのは自分。発田先輩と戦うのも自分。なのに自分は全く何もできていない。話にも入れない。己への腹立たしさが湧き上がってきた。これを解決する方法は竜太には一つだけしかなかった。
「わかったよ」
竜太がつぶやくと、周りの皆は話すのをやめ、竜太の方を見た。
「やってやるよ。お母さんの言う樹神の技を身につけて、今度こそ発田先輩に勝って見せるよ。だから……お母さん、みんな、よろしくお願いします」
竜太は皆に向かって深々と頭を下げた。
その姿を見て、竜太の母はゆっくりとうなずき、話しかけた。
「竜太。良く言いましたね。大丈夫。あなたが勝つためには私たちはあなたを導くから」
そう言って、竜太の母はゆっくりと武道場の中央の開始戦の前に静かに立った。
「さあ、竜太。はじめましょうか」
「え、何を?」
「何を、じゃありません、早く此方に来なさい。ほら、グズグズしている暇はないんのしょ」
「だから、何をする気なのお母さん?」
「私と試合をするの」
「え?」
「何度も言わせないで、竜太。私と本気で勝負するのよ。一本勝負で」
「いきなり?」
竜太はうろたえた。剣道を嗜んでから、父とはよく稽古をつけてもらった事はあるが、母と竹刀を交えることは初めてだったからである。
「お母さん、本気で勝負してもいいの? 怪我させてもいいの?」
「竜太。人を見かけで判断してほしくないわ。一度も剣を交えたことがないのに、どうして怪我するって決めつけるのかしら?」
「え? だって……」
「竜太! その自惚れがあなたの弱点。おそらくあなたは私に一太刀も――いいえ、何も出来ないはずよ。 つべこべ言わず、早く開始線に立ちなさい!」
そう言うと竜太の母は、開始線の上にある左足を半歩身の後ろに下げ、半身の体勢になり、持っている杖を身の側面に並行となるように両手で持ち。、切先を竜太に向けた。
「わかったよ。でも、防具くらいは付けて欲しいけど」
竜太の言葉に母はかぶりを降って拒絶した。
竜太は、一つ溜息をつくと、手許にあった竹刀を持ち、ゆっくりと開始線の前立った。
「さあ、どこからでも打ち込んできなさい」
「竜太の母は、静かに言い、そばにいたしのぶに合図を送った。しのぶはゆっくりと二人の間に立った」
「それでは、一本勝負をはじめます。お互いに礼」
竜太の母は一度構えを解き、竜太と礼を交わしたあと、再び半身の体勢となった。竜太も中段の構えとなった。
「はじめ!」
(第二十二話に続く)