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 家族(後編)

回想から戻ります。


ブクマ、評価、ありがとうございます。





 それは永遠に失ったと思っていたものだった。

 向こうの世界にある家族のぬくもり。腕の中の暖かさは確かにそれを感じさせた。

 ジェイスはわたしを求めて縋ってくる。無力な赤ん坊は生残るため、自分を守ってくれる保護者を本能的に探すらしい。赤ちゃんが人でも動物でも丸くて可愛らしいのは生存戦略だと聞いたことがあった。可愛い生き物を本能的に人や動物は害せない。非力な赤ん坊の武器は可愛らしさだ。

 わたしは今、見事にそれに引っかかっている。


(この子を守りたい。この子の家族でいたい)


 そんな欲求がぶわっとわたしの中で膨らんであふれ出した。

 その一部は涙となって頬を伝う。

 泣いている自分に、自分が一番びっくりしていた。


「大丈夫か?」


 アインスはおろおろと声をかけてくる。

 子供部屋の中にはわたしたち3人しかいなかった。

 侍女たちは遠ざけてある。部屋から出し、呼ばなければ来ないようになっていた。それは家族水入らずで過ごさせようとする使用人達の心遣いでもある。


「何かあったのか? アンナでも呼ぶか?」


 普段は冷静でとても19歳には見えないアインスが、子供みたいに動揺していた。

 それが可愛らしく、愛しくも思える。


(この世界なんて、憎んでも憎みきれないと思っていたのに)


 わたしは心の中で呟いた。

 わたしから全てを奪ったこの世界そのものをわたしは許せなかった。恨んでいたし、憎みもする。だがここで生きていくしかないこともわかっていた。

 そのジレンマに心が千切れそうになる。

 自分の感情が複雑すぎて、自分でも理解できなかった。

 わたしも人間だから、どんなに憎もうとしても優しくされたら絆されるし、情も湧く。憎み続けるのも恨み続けるのも難しかった。

 そしてそういう自分に腹が立つ。

 だが、もう止めよう。無理に憎み続けるのは。そういう自分に、わたし自身が疲れた。


「大丈夫です」


 慌てるアインスをわたしは止めた。


「少し動揺して、涙腺が脆くなっているだけです」


 説明する。

 じっとわたしを見上げているジェイスにも笑いかけた。


「大丈夫。心配しないで」


 胸に抱きしめる。ジェイスはすりすりと胸に顔を埋めてきた。その背中をぽんぽんと優しく叩く。


「アインス様。少し、話をしていいですか?」


 問いかけた。


「ああ」


 アインスは何も聞かずに、ただ頷く。優しい眼差しでわたしを見つめた。この人はたぶん、端正すぎて少し冷たく見える整った見た目よりずっと優しい人なのだろう。

 わたしは一つ、息を吐いた。


「わたし、この世界が嫌いでした」


 事実を事実として、告げる。

 アインスが隣で息を飲むのがわかった。だが、わたしの言葉は遮らない。わたしが話し終わるまで待つつもりでいるのだろう。


「勝手に召喚されて、わたしは全てを失った。家族も、仕事も、友達も。なのにこの世界はわたしに人々を救えという。ふざけるな、勝手に死ぬなり滅びるなり好きにすればいいと思いました。この世界の人間を助ける義理なんて、わたしにはないから」


 ぽんぽんと背中を叩いていると、ジェイスの目がとろんとしてきた。眠くなったらしい。


「わたしに聖女の力なんて、発現出来る訳がないんです。人々を救おうなんて思っていないのだから」


 ふっと自嘲気味な嗤いが口からこぼれた。


「なのに聖女だと期待されて、持ち上げられて、きつかった。そんなことされても、わたしに救う気なんてないのにね。だから、聖女ではないと烙印が押されると聞いて、本当はほっとしたんです。ああこれで楽になれるって。でも、世の中そんな甘くなかった。聖女でなくなったわたしは自分が生きていく方法を探さなければならなくなった」


 そこでわたしはアインスを見る。

 アインスは真っ直ぐ、わたしを見つめ返した。


「本当は、自分で仕事をして自立したかった。でもそれは簡単なことではないと止められました。そして、アインス様と結婚することになったんです。でも結婚式当日にかけられた言葉に……、普通に腹が立ちました」


 今にして思えば、そこまで怒るような言葉では無かったかもしれない。だがあの時のわたしは普通にショックを受けた。


「あれは……」


 ずっと黙っていたアインスが口を開く。言い訳しようとした。だが、わたしはそれを言わせない。


「わかっています。アレは半分は本当にわたしのためであって、後の半分は、わたしがアインス様を好きにならないようにという牽制ですよね?」


 問いかけた。

 レティアの想いに応えられないことに苦しんだアインスは、同じ過ちを繰り返したくなかったのだろう。だからことさら、冷たい言葉を選んだ。レティアとのことを知った今ならそれがわかる。


「……ああ」


 とても気まずい顔でアインスは頷いた。


「わたしもいい年なので、結婚式に夢とか幻想とか抱いていたつもりはなかったのですが、さすがに式の直前にそんなことを言われるとは思っていなくて。絶対、離婚してやるって決めたんです」


 わたしの言葉に、アインスは目を見開く。


(おおっ。イケメンはそんな表情さえ、映画やドラマのワンシーンのようだ)


 変なことにわたしは感心した。綺麗な顔に惚れ惚れする。


「早ければ半年。遅くても1年後には、離婚を切り出すつもりでいました。別れてからも生活できるように仕事と家を探して、その準備が出来たら」


 わたしの言葉に、アインスは眉をしかめた。


「そんなことを考えながら、アヤは生活していたのか?」


 戸惑う顔をする。


「そうですよ。そんな風には見えなかったでしょう?」


 わたしは笑った。


「準備が整うまで、気付かれるのは困りますから。何でもない顔で普通に生活するように努めました」


 わたしの言葉を聞いて、アインスはため息を吐く。


「女って、怖いな」


 しみじみとしたその言葉には実感がこもっていた。


「そうですね」


 わたしは同意する。


「女って怖いんですよ」


 大きく頷いた。


「まあ、実際にはわたしが思っていた以上に、わたしが1人で生きていくのは難しそうなのでまだ何も準備はできていないわけですが」


 苦笑が洩れる。


「わたしの予想以上に、この国の人とは違うわたしの容姿は目立つし、聖女への期待が大きいことはわかりました。1人で生活するのはだいぶ難しいようですね」


 ちょっと肩を落とした。


「それでも一度決めたからには、初志貫徹する気満々だったのですが……」


 眠ってしまったジェイスを見る。ジェイスの小さな手はわたしの服をぎゅっと握りしめていた。それは離さないという意思表示に見える。


「ジェイスに出会って、思ってしまったんです。この子に母様と呼ばれる立場を手放すのは、なんとも惜しいと」


 そっとジェイスの頭を撫で、わたしは改めてアインスを見た。


「お願いします。わたしをジェイスのお母さんでいさせてください。この子が大きくなるまで、わたしはこの家に居たいのです」


 真摯に頼む。


「それは……」


 アインスは言葉に詰まった。

 あっさりOKしてくれると思っていたわたしは、その反応に戸惑う。

 王命で結婚したから簡単には離婚できないと思っていたが、そういう訳でも無いのかもしれない。


(さて、どうしよう)


 わたしは困った。



OKがもらえないことに戸惑っています。

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