家族(中編)
回想回です。
ブクマ、評価、ありがとうございます。
ふと、召喚された時のことをわたしは思い出した。
召喚された当初、自分の身に何が起ったのか正確には理解できなかった。
ただただ、驚く。
会社で仕事をしていたら、突然、足元が光った。見た事がない文様が床に浮かぶ。
(魔法陣だ)
咄嗟にそう思ったのは、自分がアニメとか漫画とかが好きだったからかもしれない。わかりやすくいえば、わたしはオタクだ。
(ヤバイっ)
反射的に感じたのに、逃げ出すことは出来なかった。想定外の出来事を前にすると人間の身体は硬直するらしい。
足元の光は増殖し、わたしの身体はその光に包まれた。
「きゃっ」
かろうじて、悲鳴は上げられたと思う。
その声に、同僚が何人かこちらを見た。光に包まれるわたしを呆然と見ている。
助けてと叫ぶ暇も無かった。
次の瞬間にはこちらの世界にいる。
いかにも怪しげな儀式を行っていましたと言わんばかりの雰囲気が漂う部屋の中で、わたしは沢山の人間に取り囲まれた。
召喚者補正なのか何なのか、彼らが何を話しているのはわかる。
最初に耳に飛び込んできた声は全く馴染みのない言語だったが、それを理解したいと願った瞬間から日本語としてわたしの耳には聞こえるようになった。
仕組みは理解不能だが、自動翻訳機能みたいなものがあるのだろう。わたしが話している言葉も、勝手にこちらの言語に翻訳されて相手には伝わっている気がした。
とにもかくにも、わたしは話すことも聞くことも可能らしい。
わたしは怪しげな部屋から、立派な調度品が揃った応接室のような場所に案内された。
その時、わたしの手を掴んで引いてくれたのはキルヒアイズだ。だが、案内してくれるのが目を見張るようなイケメンであることも、彼と手を繋いでいることも、その時のわたしにはどうでも良かった。
それ以上の問題がある。
まさかまさかと、心の中で否定していたことをキルヒアイズの説明で現実だと証明された衝撃の方が大きかった。
異世界に召喚されたことを、そこで知る。
貴女は聖女だと言われた。
その時のわたしの心境を一言で表すなら、『ふざけるな、バカヤロー』だ。
実際、心の中ではそう喚く。
勝手に呼ばれて、迷惑でしかない。
だが、わたしも伊達に年を食っている訳ではなかった。喚いたり騒いだり当たり散らしたりするのが悪手であることはわかる。その前に、話を聞くべきだと思った。
人間というのは、驚き過ぎると逆に冷静になるらしい。
目の前の現実はあまりに浮き世離れしすぎていて、現実感が乏しかった。自分が映画とかドラマの中に入り込んだような錯覚を覚える。
この世界には魔法があるそうだ。治癒魔法もあるが、それで治せるのは怪我だけだという。病気は治せないらしい。病気を治せるのは聖女だけだ。だから聖女の存在は人々の拠り所になる。国を支えるのだと説明された。
「誰かの病気を治すために、わたしは呼ばれたのですか?」
王子だと名乗ったキルヒアイズに聞く。
「いいえ、違います。聖女とはその存在そのものが国にとって必要なのです」
前の聖女が亡くなったので、次の聖女が呼ばれたのだと教えられた。
(そんなことで?)
わたしは腹を立てる。それが彼らにとっては”そんなこと”ではないことはわかっていた。だが、わたしには関係ない。
病気で死ぬなんてごく当たり前の普通のことだ。人間はいつか必ず死ぬ。
それを厭うたから人類は医学を発展させ、病気に対抗してきた。だが、医療技術がどんなに進歩しても病気はなくならない。医療が発達すればするほど新しく難しい病気が発見される気がした。病気というのは人間を間引くためのツールのようだとわたしには思える。永遠に終わらないいたちごっこを続けている気分だ。
(勝手に死ねばいい)
心の中で毒づく。その時、わたしの中は絶望で一杯だった。
「それはつまり、わたしは元の世界に帰れないということですか?」
問いかける声が震えてしまいそうになる。存在が必要ということは、ずっと居なければいけないということだ。それはわたしには帰れないという宣告に等しい。
「そうです」
キルヒアイズは頷いた。
言葉少なにただ肯定することが、その言葉の重みを伝えている。
(ああ、この人はわかっているんだ)
そう直感した。
自分が何を告げ、それがわたしにとってどういう意味なのか、目の前に座るこの人はちゃんとわかっている。わかっていて、わたしに残酷な現実を告げているのだ。
「……」
わたしはただ静かに目の前のキルヒアイズを見つめた。
ここで泣けたら、可愛い女なのだろう。だが、泣いてたまるかという妙な意地があった。
今、ここで泣いたら、わたしは自分を保てなくなる。自分で自分の感情を抑える自信がなかった。
黙っているわたしをキルヒアイズも黙って見ている。
沈黙だけが重苦しく部屋に満ちた。
その夜、わたしは聖女の離宮に案内された。今後、そこで生活すると言われる。
わたしは何も言わなかった。
与えられる食事を取り、風呂に入れられ、寝間着に着替えてベッドに入る。
涙が溢れて止まらなくなったのは、それからだ。
二度と会えなくなった家族のことが頭から離れない。
会社のことは心配していなかった。仕事はわたしがいなくなってもきっとそんなに困らない。わたしなんて歯車の一つだ。替えはいくらでもいる。友達も、悲しんでくれるだろうが心配はしていない。
だが、家族のことは心配だ。
きっと凄く悲しんでいるし、心配もしているだろう。唐突に娘を失った親の嘆きは想像するのに難しくない。母はショックで死んでしまうのではないかとも思えた。自分のことで家族が苦しむことを考えると、胸が張り裂けそうになる。
哀しくて、苦しくて、腹が立った。
感情がめちゃくちゃで、自分でも整理できない。
たたひとつだけ確かなのは、この世界の人間を救うつもりがわたしには欠片もないことだ。
だって、考えてみて欲しい。
自分が誘拐されて、誘拐犯から家には帰さないけれど、自分たちを助けて欲しいと言われているのだ。助けてやろうなんて思える人は果たしているのだろうか?
少なくとも、わたしには無理だ。これっぽっちも助けたいとは思えない。
ゲームとか漫画とか小説の中に出てくる聖女様はきっと本当に性格がいいのだろう。助ける気になれるのだから。
(みんな死んでしまえはばいいのに)
そんなことを考えているわたしは絶対に聖女ではないだろう。
明け方まで、わたしは泣き続けた。そして無駄な抵抗だと知りつつ、部屋に立てこもる。相手の思惑通りになるのがただ悔しかった。そんなことをしても何にもならないとわかっていても、やってしまうことが人にはあるらしい。合理性にかける自分の行動に苦笑が漏れた。人間は理性とは別の何かに突き動かされる生き物らしい。
それはささやかな抵抗だった。
助けたい気持ちはないのです。




