準備
評価&ブクマありがとうございます。
自分が召喚者であることがバレバレなのだと知って、自立の道がますます遠のいたことをわたしは自覚した。
(現実って、甘くない)
何かを悟る。
見た目がここまで違えば、ばれるのは仕方ないのかもしれない。
だが、凹んでいられるほど暇ではなかった。
公爵夫人としての勉強のスケジュールはなかなかの過密さで組んである。
どうしてこんなに慌しいのか不思議に思った。
公爵夫人として相応しい教養をつけなければならないというのは理解できる。だが、聖女教育でこの国のことはいろいろ学んでいた。不足しているのは貴族間の人間関係の把握くらいだろう。聖女の時にはそんな人間関係は気にする必要がないと省かれていた。なので、そのあたりを学ぶ。具体的には、どことどこが取引をしているとか、どことどこが一緒の派閥だとか、わりと世知辛い話が多かった。
本当は芸術とか音楽とかに関しての教育もしたいようなのだが、そういうのに関しては付け焼刃ではどうにもならない問題だと諦めたらしい。
やたらと急いでいる感じがしたので理由を尋ねると、教育期間が限られていることを教えられた。
赤ちゃんがやってくる前に、最低限のことは終えるように指示が出ているらしい。
赤ん坊がいては勉強に集中出来ないだろうという配慮のようだ。
(それは正しいな)
わたしは納得する。
赤ちゃんという生き物はそこにいるだけでみんなの意識を持って行ってしまうものだ。きっとわたしも勉強どころではなくなるだろう。
乳母がいるのでわたしの手は必要ないとは言われているが、赤ん坊の泣き声が聞こえて、それを平然と無視できる神経は持ち合わせていない。
勉強のスケジュールが押さないよう、わたしは頑張った。
聖女教育のおかげで基礎知識は身についていたので、ルーディスに褒められる。
(そりゃあアラフォーなわたしが半年も勉強したんだもの。何も身についていなかったら虚しいわ)
そんなことを考えて苦笑した。若くないから、記憶力だって落ちている。聖女としてそれなりにわたしも頑張ってはいたのだ。……イヤイヤながらだけど。
そうしてあっという間に、赤ちゃんがやってくる日が翌日に迫った。
赤ちゃんの部屋を整えるため、使用人たちは朝からずっと階段を行ったり来たりしていた。
この屋敷は簡単に言えば中庭を挟んだコの字型になっている。
玄関を入って正面の階段から右手が東棟で、左手が西棟だ。
アインスの部屋は東棟の二階にあり、わたしの部屋は西棟の二階にある。
赤ちゃんの部屋はアインスの部屋の近くに作られるのだと、わたしは勝手に思っていた。だが違う。
使用人たちは正面の階段を左に上った。つまり、わたしの部屋がある西棟に赤ちゃんのための部屋は用意されている。
わたしの部屋は通路の突き当たりの角部屋だが、赤ちゃんの部屋はその反対端の突き当たりの角部屋だ。
おそらく、泣き声が出来るだけ届かないようにという配慮なのだろう。
その配慮には感謝するが、そもそも何故、東棟ではなく西棟なのかが不思議だ。
(わが子の部屋は自分の近くにしたいという感覚は貴族にはないものなのかな?)
貴族の子弟は乳母が育て、実親が手をかけないのが普通のことであるとは学んだ。だからたぶん、自分の部屋と子供の部屋が離れていても不便はないのだろう。だがそれをわかった上で、自分の部屋から遠いであろう西棟に部屋を作ることになんとなく違和感を覚える。
なぜそう感じるのかは自分でもよくわからない。
ただ、もやもやした。
しかしそれを誰かに問うていいのかがわからない。自分が余計なことを口にしようとしているのではないかという漠然とした不安も感じていた。
(聞くならたぶん、アンナだ)
答えてくれるかどうか別にして、質問するならその一択だろう。
アインスには聞けない。彼との関係を気まずくしたくなかった。
実はわたしとアインスは案外、いい関係を築いている。
それが愛情かどうかはおいておいて、少なくとも友情みたいなものは感じていた。
お互い、相手のことを大変だなと同情している。
食事やお茶を一緒に取っているので、顔を合わせる機会は多かった。たぶん、少し無理をして時間を合わせてくれているのだと思う。
そんな無理はしなくていいのだと伝えようと思ったこともあるが、それはそれで嫌味っぽくなりそうなので止めた。嫌われたいわけではないので、積極的に嫌われるような行動はとらない。
アインスは真面目でマメだ。いろいろ気を遣ってくれるので、わたしの方は嫌いにはなれそうにない。
だだでさえ顔はめちゃくちゃ好みなので、優しくされるとそれはそれで困った。
ほとんど顔を合わせないような生活になると結婚式の時は思っていたので、順調な公爵家での生活に戸惑う。
傍から見れば、わたしとアインスは仲のいい夫婦に見えなくもないのだろう。
もうこのまま、公爵家で養われてしまおうかと、生来のぐうたらさが顔を出してしまいそうになる。
わたしは勤勉でもなければ、働き者でもない。楽ができるなら楽をしたい。公爵夫人として、何もかも面倒を見てもらえる生活なんて天国じゃない? と本音では思わないわけではない。
だが自分の悠々自適生活に若いアインスを巻き込むのは気が引ける。妻を亡くした痛みから立ち直ったら、ちゃんと愛する人を妻として娶って、第二子、第三子を儲けて、幸せな家庭を築いて欲しい。それには形だけだとしても正妻であるわたしの存在は邪魔だ。愛人で満足する女性は普通いない。
親しくなったからこそ、彼の幸せをわたしは願っていた。
子供の養育の問題で、わたしが妻の座にいた方が都合がいいというなら離婚の時期は少しずらしてもいい。
互いにとってベストのタイミングを計ろうとは思っていた。
それでも最終的に、離婚するという気持ちに変化はない。19歳美青年と平気な顔で結婚を続けられるほど、38歳のわたしの神経は図太くはなかった。
(でもその前に、気になることは解決しておこう)
一人で悶々と悩むより、さっさと話を聞く方が得策であることは初日に学習済みだ。
アンナをどうやって呼び出すか、ちょうどいい理由がないかわたしは考え込んだ。
放っておけばいいのに放っておけない性格です。




