【④ リナリエル=セレステ・ディム・グロリオサ・アーデルハイド】
「面会だ」
その日は、突然の面会に、驚いたものです。いつものように、今日も1日、勝てそうな階級の試合に出て小銭でも稼ごうかと、独房のベッドの上で、バンデージを巻いていた時の事でしたから。
「へ?」
面会とは何か。それについても、ディーンは説明してくれた事がある。
ごく稀に。たまにあることなんだと。
闘技場の客が、奴隷剣闘士を気に入り、直に話をしたい……とか。運がいいと、お買い上げしてもらったり。
ま、自分で自分を買ったわけじゃねえですので、そん時は飼い主さんが変わるだけ。ディーンなんか、何度か話が来てるって話です。
それを断ってるのは、本当の意味で自由になりてえのか。はたまた、存外にここでの生活が気に入ってんのかも知れません。
「早く支度しろ」
「いや、支度と云われましても」
誰だ? 僕に面会を求めるなんて。
これが、売れてきたって事でしょうか。
たぶん、闘技場のお客さんなのでしょうがね。いや、誰だよ。
本当に。
僕に名声が全くねえってわけじゃねえのでしょうが、それでも僕より売れてる奴隷剣闘士なんて、幾らでもいらっしゃるでしょうに。
「何で僕に?」
「俺に聞かれたって知るかよッ! いいからさっさと出てこいよ」
おっと。怒らせてしまいました。
…………まあ、この国の兵士さんは、最下層に来たくもねえでしょうからねぇ。早く、こんな地の底からおさらばしてえんでしょうよ。
闘技場の入場ゲート前の通路で、よく顔を見る人です。顔馴染みっちゃあ、顔馴染みなんですが、べつに仲良しじゃねえっすもんね。
そりゃ、こんな態度にもなりますわな。
「…………」
隣の独房を見ると、スレイマンはお出掛け。てか、普通に試合に出てんでしょ。
お早い出勤ですこと。
「……あの、武器は」
「持っていけるわきゃねえだろボケが」
なじられながらも、後ろ髪引かれる想いですよこっちは。なんで、いねえんすかスレイマン!
相談出来るような間柄じゃねえのですが、つい、頼りたくなりました。だって、心細いじゃんすか。
僕は、なけなしの装飾品である指輪をはめると、ボロ布を身に付けて、独房の格子扉を開けました。僕の格好に、兵士さんは顔を顰める。
仕方ねえじゃんすか。こちとら、持たざる者なんすよ。
身なりに気を遣ってばかりも、いられねえでしょうが。そりゃまあ、たまには、お風呂に浸かったりなんかしますが。
「……っち」
おおう、舌打ち。「ついてこい」と、先を行く兵士さんの先導に従い、僕は両足を動かしました。
最下層の住人達による、好奇の視線が、全身に突き刺さります。なにこの、アイアンメイデン。
まいったなあ。こんな事なら、もうちょっと、仲良くなってたら、色々と聞き出せたかも知れないのにな。
「よし」
そう云って、兵士さんが立ち止まったところは、歓楽街の大衆浴場。…………の、名を借りた大人のお店。
いや、何が「よし」なんだ。よくねえよ。
説明しろ。
「個室、40分。洗いのみ」
受付のおばあちゃんに、兵士は僕を指差しながら云う。
「はいよお」
おばあちゃんが、歯の無い口を横に伸ばして笑った。カウンターに置かれた、1000アンディス金貨を、しわくちゃな指で摘まんで引っ込める。
「え、ちょ」
「よし、行け。全身綺麗にしてもらって来い」
後で聞いた話ですが、奴隷の面会には、最低限、身なりを整えて顧客の前にお出ししているらしいんですわ。
迎えに来た兵士さんも、上から支度金を預かってんだと。ケチって横領する奴も中にはいたらしいけど、この国の有り様を見てると、幸せな結末にはならなかったでしょうね。
「なにこれ」
「それじゃあ、1名さまご案内でーっす」
「や、だからなにこれ」
奥から出てきた従業員のポックル族のお姉さんが、僕を店内に押し込む。
「何が始まんの!? ねえっ!!
僕はこれから何をされちゃうの!?」
僕の叫び声が、店内に呑まれていく。
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歓楽街に、そういうお店があるのは、知ってました。いやらしい感じのお店。
僕はまだ、身体が出来上がってない身体だと思ってて、年若いうちから、そんなお店に行くもんじゃないよね。とは思ってました。
思ってましたが。僕らは、いつ死ぬかも分からない生活をしてるんですよね。
…………悔いなきように、か。奴隷だからこそ。
まあ。いい経験をさせてもらいましたよ。
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「まったきってねーえ!」
僕に手を振って見送ってくれる、ポックル族のお姉さんに、僕も満面の笑顔で手を振り返します。
「…………ふぅ」
「さっぱりしてんじゃねえよッ!」
兵士さんに頭を叩かれてしまいました。
痛い。僕を待っている間、兵士さんは簡素な麻布の服を用意してくださったようで、僕は久しぶりに清潔な服の袖に手を通したのです。
ちょっとでかめのフリーサイズ。僕は、一応、混血種族って事で通してますから、混血種族のサイズから選んでくれたのでしょうか。
なんて事でしょう。僕がお風呂に浸かって身体を綺麗にしてもらっている間に、この人は僕の服の調達を……!
…………と、そう考えると、ちょっと申し訳ねえな。
「……くそっ! アホらしくなってきたぜ。
なんで俺が、こんな奴の為に」
いやあ、すんませんねえ。おかげさまで、すっかり綺麗さっぱりですよ。
…………まあ、あんまり、通い詰めようとは思いませんけどね。全裸を人目に晒すのは、なかなかにリスキー。
僕の身体的特徴は、それだけで運が悪けりゃ身バレしかねない。丸耳だったり薄い体毛とか。
…………異性に全裸見られたの、はじめてだよ。
お姉さんはあくまで、僕の身体を洗ってくれただけですがね。お金出したら、身体を洗うだけじゃなかったりすんのかな、あれ。
「さっさと行くぞ。面会予約の時間が差し迫ってる」
兵士さんが、ぶっきらぼうにそう云って歩き出す。
どこまで行くのでしょう。お話が出来る雰囲気ではないので、黙って後を追い掛けます。
歓楽街から、貴族街に続く階段を登り、貴族街を抜けて、さらに上の階層へ。
王族階層。
古い資料で見たことある美術館みたいな内装。天井がね、やけに高いのよ。
なんなのあれ。巨人を想定して設計したの?
貴族街では、一般兵士や貴族、外から来たであろう客とすれ違う事もしばしばありましたが、こっちはやけに人が少ない。
精々、警備に兵士や貴族が数人いるくらいか。やがて、僕らは厳かな雰囲気の扉で立ち止まりました。
「……いいか? 中に入ったら、聞かれた事にだけ、嘘偽りなく答えろ。
余計な事は一言も口にするなよ」
兵士が、僕にくれぐれもって感じで釘を刺してきました。ふうむ。
この人の、この感じ。この先で待ってるのは、大物と見ましたよ。
「いいな? 本当に頼むぞ」
「フリじゃないからな」って目で僕の事を見てきますじゃん。分かりましたってば。
ちゃんとお行儀よく。おとなしーくしてますよ。
今の僕は、何故か頭がすっきりしてますからね。たぶん、賢者モードと呼ばれてるやつ。
昔の文献で見ましたよ。あるんですよね。
そういうの。
「…………よ、よし、じゃあいくぞ。いくからな!」
兵士が扉をノックする。
ゴクリと、生唾が喉を落ちていく音。緊張してんのが、よく分かります。
「凖一級兵、ベネット=チャンドリー!
D級剣闘士、ヘクター=ジェイデン・タウンゼントをお連れしました!」
あ、そんな名前だったんだ。はじめましてチャンドリー。
よろしくね。
「…………入れ」
お、中から声が。
「ハッ」
なんか、チャンドリーがやたらキレのいい返事をしてます。ゴウン、ゴウンと。
重厚な音を響かせながら、扉が左右に開かれました。……え、なにこの部屋。
広いし、なんで部屋に噴水が? シャンデリアはまだ分かりますが。
いや、ほんとなにこの部屋。
「バカ! 早く跪け」
チャンドリーが、僕を引っ張ります。そうか。
ここは跪く場面なのか。僕は座りました。
「馬鹿野郎てめえ!」
胡座をかいて座ったら、チャンドリーに蹴り倒されてしまいました。
もー。
ちょっとした冗談じゃんよー。僕が先程までのチャンドリーの姿勢を真似して跪く横で、彼は、我に返った様子で慌てて跪くのでした。
「ほお、そのガキか」
──────ッッッ!!!!
ぞくん。
肌が粟立つ。
声だけで。細胞までもが。
絶対強者。人類の天敵。
それを、理解させるプレッシャー。
化物だ。怪物だ。
噴水の奥に見える玉座。そこに鎮座していたライカン族。
ああ、あぁ、あああ。
噂でのみ、その名を耳にする。
奴隷都市ジェイルの王。
ライカン族の魔王。
百獣の魔王レオラグナ=トラバルト・ベオウルフ。
現ベオウルフ王国の女王ロキシーの、実の兄。
その容姿は、巨大な獅子。獅子が、人間の骨格になってます。
周りには、女性を侍らせております。そのうちの1人と、目が合いました。
つい最近、顔を合わせた相手。
カサンドラ? 王様の愛人でもやってんのか。
いや、まあいい。今は。
それどころじゃねえから。
僕は、跪いたまま、魔王の姿を盗み見てましたが、目が合いそうになり、すぐに大理石の床に敷かれたレッドカーペットに視線を落としました。
あれが、魔王。身長が3メートルくらいありそう。
なんだよ、あのガタイ。今まで見てきたライカン族の中で、一番でけえじゃんすか。
鼻先に、サイの角。獅子の鬣から覗く、牡鹿の角。背中には、大鷲の翼。
ライカン族でありながら、複数の獣の特徴を受け継ぐも、さらに多くの獣を受け継いだ妹の誕生により、後継者争いに敗れた。だけど、獣の王になり損ねた敗者は、共和皇国の軍門に降り、国を与えられたのだ。
それも、追われた故郷の近くに。
「ふん。混血のガキと聞いたが」
魔王レオラグナは、玉座の右側に立つ燕尾服のウサギに話し掛ける。
貴族、クロック=メイガス・サンドイッチ・ボーマン。
主に、入荷した奴隷の、商品価値を決める仕事をしてるウサギのライカン族です。
かくいう僕も、あの人に値札を付けられました。
「その通りでございます陛下」
軍艦島の一件があってから、この国は大量に商品を入荷しました。
13騎士団の襲撃に逃げ出した、出島の住人の生き残りや、軍艦島の脱獄囚。それらのほとんどが、ここに流れ込んできた。
僕みたいに。あの紳士だが執事だかそれっぽい何かのウサギ野郎は、その大量の商品を、1人で捌いたらしいですね。
「こんなのが、まだ生き残って売れ残ってんのか」
魔王レオラグナは、左側の道化師に話し掛けた。
「くひゃ。ウケるウケる、嗤える。
そうそう、ソノトーリなんすよォオ」
太陽の被り物の道化役者。
貴族、オーギュスト=クラウン・サン。
闘技場の実況・解説兼、審判・司会進行を務めてる。
ふざけた態度と言動ばかりが目立つ野郎ですが、貴族なだけあって、逆らったら命は無い。以前、試合中に武器を手にした剣闘士を指パッチンでミンチジュースに変えたって話です。
……いや、どうやってだよ。得体の知れない怪人代表っすね。
「……ほーん」
そう云って、魔王レオラグナは僕を見据える。僕の後頭部に、視線を感じました。
こっぇええ……!!
たぶん、強さはあいつ以上。僕が倒したあの魔王…………鋼鉄の魔王デュランよりも。
尤も魔王デュランの場合、数による暴力こそが、強味だったから、数さえ揃えば、魔王デュランでも、魔王レオラグナを圧倒出来るのでしょう。最多と思われていた貴族の数も、魔王デュランが墜ち、かなりの人材がこちらに流れた以上、現在、最も貴族を従えてんのは、魔王レオラグナなのでは?
たしか、20人以上は居たと思うけど。
僕がおとなしく、奴隷として過ごしているのは、この、魔王の布陣から逃げ出せる自信がねえからだ。一応、脱獄計画を練ったこともありましたがね。
でも、すぐ隣が西パノプティコン最強の剣闘士であり貴族のスレイマンと考えると、諦めちゃいますわ。絶対、すぐにバレんだろ。
そんで、ぐちゃぐちゃの肉塊にされちまうんだ。脱獄は、無理。
諦める。
「しっかし、こんな貧相なガキが、通算、100勝したって?」
ああ、そういや、そうでした。
魔王レオラグナの言葉に、僕は、自分が試合で荒稼ぎした結果、ついに、勝利回数が3桁に達したと、この前、闘技場の受付で云われたのを思い出しました。優勝は逃しても、試合に勝利すれば、その試合分の賞金は貰えますからね。
下の階級でも、そこまで荒稼ぎしてる奴なんて、なかなか居ません。いくら格下の階級だろうがハンデマシマシでやり合えば、足元掬われることもしばしば。
特に、乱戦が予想される試合では、予期せぬ事故死ってありますもんね。僕自身、ハンデなしのフルパワーの魔法が直撃したら、死んじゃいます。
「おい、ガキ……お前、名前は」
「ヘクター=ジェイデン・タウンゼントでございますよ陛下」
「おお、そうだったそうだった、そうだったな」
覚えなくていいよもう。なんなの。
ルールはちゃんと守ってやってたじゃん。なんで呼び出されてんのよ。
「で、ヘクターとやら」
なんすか。
「貴様、魔力に頼らぬ戦い方をするらしいな?」
「…………っ!!」
恐ろしい。
手元に武器がねえっつーのが、こんなにも恐ろしいものだなんて。ああ、そうだ。
武器は独房に置いてきた。今の僕は丸腰。
無力な子供です。
ぶわ、と。
途端に汗が、滝のように流れ落ちてきます。
「なんで、そんな戦い方を?」
僕には、魔力がねえから、魔力を感じねえ。
けれど、今の魔王レオラグナはおそらく、僕に対して、魔力の圧力を掛けているに違いない。息苦しいのだ。
「魔力が生れつき少ねえのか? それとも、魔法の素養がねえのか?」
「…………!?」
いつの間にか、僕の両隣に、オーギュストとクロックが立っていました。そして、二人は僕の枷を外し始めたのです。
なんで!?
これを外して、なんのつもり…………あ。やば。
「…………!!」
「どうした? 顔色が悪いぞ、奴隷」
枷を外されたら、僕から魔力の反応がなきゃおかしいんだ。だって、普段は抑制しているのだから。
それを今、暴かれそうになってる。僕が、何か細工をしてるのか、疑われてんだ。
筋力はエルフ並。魔力は0。
そんな奴が、闘技場で100勝も出来るなんて、何かカラクリがあるんじゃねえかと。疑われてたんだ。
最初から。くそ。
「おっと」
「くれぐれも、おとなしくして戴きますよう」
立ち上がろうにも、貴族2人から、肩を押さえ付けられてる。駄目だ。
何か喋るか? いや、下手な事を云えば、即座に殺されそうだ。
バレたらどうなる? 僕が、魔力を持たない人間だと。
おそらくは、身体検査をされるでしょう。いや、もしかしたら。
てか、確実に居ますよね。
僕と、旧人類を結び付けてくる者が。軍艦島で、噂になったのが最後。
世間じゃあ、その後、僕がどうなったのか、さっぱりでしょう。
多くの人間に、僕の情報が回れば回る程に。秘密が露見する確率はゴリっゴリに高くなっていくんです。
駄目だ。バレるのは。
どうする。どうする。
どうする。どうする。
どうすればいい。
「がッ!?」
「お、し、ず、か、に」
筋肉の緊張を感じ取ったのか。
床に顔を押し付けられた。ちくしょう。
このウサギ野郎め。また一つ、僕から枷が外されていく。
くっそ。昔なら、スタングレネードなんて、幾らでも調達出来たのに。
「……どうした。それを外されると、困ることでもあんのか?」
魔王レオラグナの声がする。破滅が、すぐそこまで来てるんだ。
そして。
……────そして。
最後の枷が、首から外された。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△
────…………「つまんねぇな」。
僕は、魔王レオラグナから、そんな言葉を吐かれて、地の底に追い返された。生きてる。
首と胴は繋がってる。信じられねえことに。
殺されずに済んだ。理由は分からない。
いや、分かってる。分かってはいるんだ。
「なんだ、魔力があるじゃねえか」と、魔王レオラグナは云っていた。「……まあ、そうでしょうな」とは、貴族クロックの言葉。
奴は、僕に値札を付ける時に、檻の中の僕を見ている。その時に、そこそこの魔力を感じたのだと。
だから、闘技場で僕が魔力を捨てた戦い方をしているのが、腑に落ちないと云っていた。
…………そこそこの魔力? 僕は、生まれてこのかた、魔力なんざ持ち合わせていなかったんだよ。
その僕から魔力……? どうなってる。
僕は、独房のベッドで身を丸めた。喧騒がやけに遠い。
僕は、見逃されたのか。魔王達から。
いいや。きっと、そんなことはない。
魔王達は、僕が枷に何か細工をしていないか、確かめるつもりではいたのだろう。そして、何かしらの細工を見付ければ、その場で処刑…………されてた。
あの空気は。
でも、枷が外され、僕から魔力を感じた事で、奴等は枷が正常に作動していると納得したんだ。
その時に、僕から微塵も魔力が感じられなければ、それはそれで、不審に思われていた。かなり、危ない場面だったんだ。
あの時の僕は。
「~~~~~~っ!!」
抱えていた頭を掻き毟る。
分からねえ。魔力……なんで僕から魔力が?
旧人類は、魔力に適応出来ずに、滅んだんじゃなかったのか。
同じ肉体である筈の僕も、魔力は持たない筈でしょうが。なんで、そこそこの魔力を?
その魔力は、どこからきた? 分からん。
そんな時だった。
「?」
明るい? 身体を丸めてた、僕の手から光が。
光は、指輪からだ。闘技場の景品で貰ったやつ。
つっても、魔力を消費して魔法を撃ち出したり、魔法のダメージを軽くしたりする本来の効果を、僕は受けられない筈だ。ただのアクセサリーとしての指輪でしかねえ筈。
この【火精の指輪】という物は。
売ってもよかったけど、どうせ売るなら、まとまって売れるやつを持っていった方が、色を付けてくれそうだから、普段はお洒落で気分によって着けてたんだ。
その指輪が、発光してる。赤く。
……なんで? 身体を起こすと、ベッドに腰掛け指輪を眺める。
ふと、身体を支えていたもう片方の手の指先に、何か固い物の感触を感じた。
見れば、枷だ。ああ、そうだ。
一応、これも調べて、問題なしと判断されて返されたんだったね。
「!」
指輪が光り、一瞬、僕はくらくら眩む。
気が付けば、目の前を羽虫が飛んでいた。いや、虫かこれ?
赤い発光体に、羽っぽいのが生えてる。
なんだこれ。
「………………」
言葉もでない。
なんだろう。刺されたりする危ねえやつじゃないでしょうね。
叩き潰した方がいいか? 発光体は、僕の指の間をぬって飛び回る。
遊んでんのか? 犬くらいの知能があったりするのかも。
「おや、帰ってきてたのかい」
独房の外から声を掛けられ、びくつきながらも目をやれば、ディーンが鉄格子越しに、僕に笑顔を向けていた。
「今朝、君が兵士に連れられ貴族街を歩いていたと聞いたが」
ディーンは、僕の指先に停まる羽虫に興味を持つ。
「ほぅ、その様子だと、精霊を内緒で飼っていたのかな?」
えっ。これ、精霊なの?
「はは。なんだい、その顔は。
心配しなくても、誰にも云ったりしないさ」
いや、まあ、それはどうでも。
…………いや、やっぱり内緒にして。あんまり、漏らさない方がよさそうな気がしてきた。
「しかし、弱ってるね。あまり、質のいい魔力を摂取できない様子だ」
ああ、そうなの? よくわかんねえですが。
「しかし、意外だね。精霊魔術師だったのかい?」
精霊魔術師?
…………精霊魔術師ってーと、精霊に愛された魔法使いで、普通の魔法よりも強力な精霊魔法が使えるっていうあれか。
「火の精霊か。怒らせると怖そうだ」
「!」
火の精霊!
こいつ、火の精霊だったの!?
待て待て。なんか、心当たりあるかも。
「…………」
僕は、指先の火の精霊を見つめる。
「こいつ、もしかして」
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「────いや、そんな話は聞いたことがないよ。精霊が前に付いていた人間を殺したからといって、殺した相手に精霊が移るなんてルールはない。
君がその精霊に好かれているのは、ただ単に、君の素質だよ」
最下層の屋台広場にて、僕はディーンと話していた。
火の精霊は、僕のターバンの中に潜り込み、人目を避けてくれている。ディーンは、エルフの知識を以て、精霊のなんたるかを講義してくれていました。
おそらく、この火の精霊は、ジュストについていた精霊です。ジュストが死んだ後、僕についていた。
気付かないうちに。理由は分からないけれど。
特に目立ったメリットもありませんが。だって、結局のところ、僕には魔法が使えねえんですよ。
魔力がねえから。魔力がねえ僕には、精霊に魔力を与えて発動する精霊魔法も使えない。
「……ただ、今日ばかりは、命を救われましたねぇ」
「なにが?」
「いえいえ、こちらの話です」
魔王達が僕から感じていた魔力の正体は、この火の精霊のもの。僕の衣服かなんかに紛れ込んでた火の精霊は、ある日、僕が枷を着けることで、完全に外から感知出来なくなった。
僕も、魔力を感じる感覚がねえから、火の精霊が自分にひっついてたなんて、気付かなかったのです。枷が外された時、久しぶりの魔力の刺激に、こいつは魔力を滾らせたのでしょう。
「名前は?」
名前つけるもんなの? まあ、分からなくもねえですけど。
魔力を与えて、力を借りる関係っすもんね。普通は。
そりゃ名前もつけるか。ジュストは、なんて呼んでたかな。
…………僕の前じゃ、特に呼んでなかったような気がする。うーん。
名前、かぁ。……名前ねえ。
正直、精霊がついたところで、僕には何の戦力アップになりませんが、懐いてくれてる相手は、無下に出来ません。火の精霊ですから、それにちなんだやつをつけましょうね。
「…………ヴァロ」
呟くと、すぐに自分の名前と理解したのか、ターバンの中でもぞもぞしてる。
「ヴァロ、か。いい名前だ」
ディーンが微笑む。
僕は、ネーミングセンスをエルフに認められて、悪い気がしない。ヴァロってのは、神話の神の名前から取った。
太陽を司る神とも、火の精霊の名前だとも。その名はスヴァローグ。
「ところで」
屋台のホットドッグを頬張りながら、ディーンは思い出したように聞いてくる。
「上での食事はどうだった?」
そうだった。僕は、上にお呼ばれして、疑いが晴れた後は、魔王レオラグナが「ほれ、100勝記念だ」つって、奴隷都市ジェイルの一流シェフがふんだんに腕を振るったフルコースを食べてきた。
「遠慮すんなよ、ほら。食え食え。肉あんぞ、肉を食え」と。魔王レオラグナがおすすめしてくる肉とか魚とか野菜とかお酒なんかを、ご馳走になってきたのです。
直前まで、死の恐怖に直面してた僕は、とても喉を通らねえ感じでしたが、それで機嫌を損ねてブチ殺されても洒落んなんねえっすからね。
味も分からねえまま、すすめられるままに飲み食いしてきたものです。
「……やー、でも、奇跡っすね、ありゃ。奇跡の味ですよ」
「そんなにかい」
しっかし、食べてると、こう。
口腔内に楽園が築かれるとでも云いますか。語彙を捨てて表現すれば、ただただ「うまい」と。
おいしかった。
すごく。その前まで、死ぬかも知れねえと、ガタガタ震えてたのが、嘘みてえにさ。
恐怖をも塗り替える奇跡の味。エビなんて、ナイフで殻ごとさっくりよ。
ナイフがすげえのか、はたまた、調理法によるすごさなのか。後者に決まってる。
食器もドワーフ製の一級品なんでしょうけれど。
「たらふく食わせてもらいました」
「満足したようで何より」
ディーンが、生徒に向ける教師のような眼差しで僕を射抜く。なんじゃいその目は。
「食事も経験。君の血肉を構成する要素だ。
よく歩き、旅をし、いい料理に出会う事だよ」
「奴隷だけどね」と。彼は笑う。
…………笑うところか?
「今夜は私の安酒に付き合ってくれよ」
そう云って、ディーンは最下層で造られてる密造酒を掲げた。
「やだよ。せっかく上で高いお酒をいただいてきたのに」
ディーンは笑う。
「くくっ。ま、そりゃそうだ」
夜は更けていく。どっぷりとっくりと。
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数日後。
「面会だ」
うんざりした顔で、凖一級兵士チャンドリーが、僕の独房の前に立つ。
「またっすか」
ついこの前の事じゃんすか。面会なんて。
なんなの。面会って、レアイベントだったんじゃねえの? そんな、週一で起こるようなもの?
「…………くそが」
チャンドリーが、地面に唾を吐く。
それは、僕が着ている麻布の服が破れてトーガみてえになってるせいでしょう。
済まんな。虎にやられたんだよ。
つか、日々、戦いに明け暮れなきゃいけねえ奴隷生活なんだから仕方ねえでしょ。そんな環境にしたのは、あんたの上の人達なんだから、文句は自分の上司に云いなさいよ。
「行くぞ、クソガキ。さっさと立て」
この前、僕がおふざけしたせいか、彼との距離を感じます。そんなに態度に表に出すなよう。
業務に支障が出るだろ。
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「ふぅ」
「だからさっぱりしてんじゃねえよッ!!」
スパーンと久しぶりに頭を叩かれました。お前が風呂に入ってこいと云うから、それに従ってあげたっつーのに。
「次はもっとサービスしちゃうからねえ」
ポックル族のお姉さんに、手を振り返します。はぁ、気持ちよかった。
このところ冷えますからね。人肌恋しくなる季節ってディーンが云ってたのは、こういう意味だったんでしょう。
今日もキレイさっぱりです。最下層にも似たような施設はあるんでしょうけれど、歓楽街は、使ってる水の質が違いますよね。
質が。……よく分からんけど。
いいお湯でした。寒い冷たい独房で、底冷えした身体の芯まで温もりましたもん。
そろそろ、洗ってくれる以上のサービスがどんなものか、興味が湧いてきますわ。どんなことしてくれるんだろ。
「おら、これ着けてろ」
新品になった麻布の服を着た僕に、チャンドリーが胸当てを渡してきます。かっる。
なにこれ。やたらキラキラしてっけど。
……もしかして、アルミニウム?
アルミニウムの胸当てか?
金属製のわりには、軽いなあと思ってたら、アルミニウム製か。防御性能は、鉄より劣りそうなもんですが、錆びには強そうです。
「いいの貰っちゃって?」
「着けてから聞いてんじゃねえよ」
よく磨かれた、銅の額当てまで貰っちゃった。
「あ、そりゃそうと、今日はいいの? これ、持ってきちゃってるけど」
僕がチャンドリーに、鉄パイプを見せると、彼は横目でそれを一瞬見たあと、溜め息をつく。
「ああ、今日はそれを持ってこいってお達しだ」
ふうん? なんだろう。
戦わせるつもりでしょうか。だとしたら、なにと?
あんまり、変な展開にならなきゃいいな。
僕は、今日も機嫌の悪い、チャンドリーの後ろを歩くのでした。
「おやぁ?」
貴族街にて、カサンドラとすれ違う。ゆっくりお話をする時間はないので、お互いに軽く手を振って、それで終わり。
…………あの人がフリーってことは、今日は魔王レオラグナに呼び出されたわけじゃないのかもな。たぶん。
分からんけど。おそらくは。
…………じゃあ、一体、僕は誰に呼び出されて、どこへ連れていかれてんですかねえ。
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魔王レオラグナの謁見の間よりかはこぢんまりとしてますが、それでも十分広い間取りを設けてある応接間。
「やはり、あの時のお前ですか」
おおう。
通された先で、僕は口をあんぐり。感情はアングリーっつーより、びっくり驚愕。
下顎が下にストーンよ。
「その顔は、私を覚えている顔ですわね。当然ですわ」
覚えてる。
つか、そっちこそ、こっちの事を覚えてたんですね。意外です。
1年半ぶりの再会でしょうか。
有翼人種アンギル族。
僕が、奴隷商人の商品として、まだ奴隷市で出品されていた時の事です。
表に出されて安く叩き売りされてる商品に、一瞥くれる通りすがりは居ても、足を止める人間は、なかなかいません。
「お前、本当に混血種族なのですか?」と。僕の前で立ち止まり、僕の値札に書かれた種族について、眉を顰めてました。
僕は、どう反応すればいいのか分からずに、俯いてました。しばらく、どうするか悩んでいたアンギル族は、僕と値札に記された技能を見てました。
読み書きや言語の教養。当時の僕の履歴書に書かれた特技はそんなもの。
小間使いには、なるでしょう。でも、わざわざ買って維持費を掛けるなら、もっと優れた個体を選ぶのが、当たり前なんです。
暖炉の着火も出来ない人間なんて、この世界には探しても滅多に見付かるもんじゃありません。ちょっとした火を灯す魔法すら扱えない奴隷。
商品としちゃ不良品。そんなもんに、金を払う酔狂な奴なんて、いやしませんよ。
実際、あの時のアンギル族も、結局は、自分が求めている奴隷とは違ったと、奴隷商人と何事か話した後に、何故か小銭を握らせると、僕の前から去っていきました。
そのアンギル族のお姉さんが、応接間に入った僕を、あの時よりも熱を込めた視線を、僕に向けていた。
あの時は、ベージュのローブでしたから、背中の翼は見えませんでしたが。でも、その顔は覚えてますよ。
目が醒めるような美人さんでしたからね。
ふかふかしてそうなソファーに座り足を組み。
今日は、絹製品でしょうか。上品な光沢のドレスを着ております。
テーブルを挟んだ、反対側のソファーでは、貴族クロックが、銀の懐中時計で時間を確認していました。
「フム。ちょうど、ご注文の品が着いたようですな」
モノクルの奥で、兎の赤い瞳が怪しく輝いている。
気になるのは、テーブルに置かれた麻袋だ。なんですかあれは。
「フム」……そう云って、貴族クロックは、袋の口を縛る紐をほどく。
うげ。
中身の重さに耐えかねて、開いた袋の口が傾き、やがては横に倒れる。
ざああっと。
開いた袋の口から放出されていく大量の粒。それと共に、袋から放り出された何かが、どすんと床を跳ねた。
ごろごろと、床を転がる何かが、僕の爪先にぶつかって、少し後ろへ戻る。
この匂い。
香辛料……か? 袋の中身は、おそらく香辛料だ。
それと、香辛料の粒まみれで少し分かり難いけど、首だ。人間の、首。
それが、麻袋の中に、香辛料と一緒に詰められていた。
「……フム」
貴族クロックが、何か合図を送ると、騎士みてえな甲冑を着込んだスレイマンが現れ、床に落ちた首を拾い上げる。
いつからいた……?
そんな声が僕の中で、気泡のように浮かんでくるが、すぐに弾けた。僕が応接間の室内の様子へと気を回す前に、状況が動いただけのこと。
スレイマンが、気配を消していたって部分が大きいのだろうけれど。スレイマンは、首の表面に着いた香辛料を、手で払い落としていく。
…………なんてこった。この生首、抉じ開けられたであろう口の中にも、眼球があった筈の眼窩にも、小銭がぎっしり詰まってる。
「見覚えは?」
兎野郎が訊いてきますが、こんな状態で見覚えもくそもあるか。辛うじて、ドワーフ男性っぽい輪郭かなって感じ取れなくもねえ。
「そうです、か」
そう云って、貴族クロックは立ち上がると、僕の方へと歩いてきました。
「この首は生前、私の部下でした」
魔王レオラグナの、直接部下である貴族の、さらにその下の部下ってところでしょうか。
しかし、部下と云われましてもねえ。僕はべつに、あんたの部下の1人1人まで把握してねぇんですけど。
いや、待てよ。魔王レオラグナは、自分の興行の為に日夜、奴隷を掻き集めてるわけで。
その部下の貴族クロックは、集められた奴隷の検品と、パノプティコンの振り分けを担う。貴族クロックの所に奴隷を持ってきてんのは、この国の奴隷商人だ。
その奴隷商人の部下が、直接、奴隷を調達してくる奴隷狩り。横の繋がりで、盗賊から売り飛ばされる奴隷もいて、僕の場合はそれ。
この首を僕に見せて、わざわざ「見覚えは?」と訊いてくるってことは。
「もしかして、僕の元飼い主さんでしょうかね」
僕の答えに、兎が満足そうに頷く。
「そう。その通りだ。
記録を遡ったところ、確かに君の担当は、彼であり、私は彼から君を納品された」
へえ。そうなんだ。
なんで頭だけになっちまったのかは分かりませんが、この頭が何者だったのかは、分かりましたよ。
貴族クロックが促すと、スレイマンは無言で首をテーブルに戻しました。
いや、こっち向けんな。顔を。
「ええと、ところで」
僕は、どうして呼ばれたんでしょうか。貴族クロックを見れば、兎のヒゲを上下に揺らしてました。
「つい先日、君を久しぶりに見た時は、まさか、君がこんなトラブルの引き金になるとは思いませんでした」
貴族クロックが、芝居がかった様子で、首を左右に振る。なんやねん。
気取りやがって。
「まあ、それも、君が悪いわけじゃない。君は確かに、トラブルの原因ではあったが、事は君の預かり知らぬところで始まり、進み、そして、終わってしまったのだから」
チラリと、アンギル族のお姉さんを見れば、睨まれました。
なんでや。僕はなんも悪くなくね?
状況がいまいちわかんねえから、ちょっと見ただけですじゃん!! そんな風に、睨まれなきゃいけねえ事を、僕がなんかした!?
「悪いのは、彼だ。全部、彼が悪い」
貴族クロックが、かつての部下だった者の頭を、ステッキでつつく。
首はごろりと倒れた。……断面をこっちに向けんな。
「この国の奴隷市の制度の中に、商品……この場合は、君のような奴隷の事だけどね。商品を買うにしても、まだ、商品を置く環境が整っていないお客様が、手付金を商人に支払う事で、『キープ』が出来るわけだがね」
ほうほう。なるほど。
なんか、居酒屋のお酒のボトルみたいなシステムですね。
「彼は、事もあろうに私に君を納品してしまったわけだよ。手付金を受け取っておきながら、ね」
兎さんが、ステッキでテーブルの首をころころ転がしてる。死体で遊ぶな。
「当然、君を正式に引き取りにきたお客様は、大激怒だ。当然だね」
ははあ。そうなると、話の流れを読み解くに、あのお姉さんは、僕を買い取る意思があったんだな。
このお姉さんが、ここに居る理由がやっと見えてきました。
「1日。たった1日、ですよ」
兎さんが、人差し指を立てる。
「私の部下は、たった1日、お客様が店に来なかったうちに、私に君を売り飛ばした。結果、君を再び見つけ出すのに、ずいぶんと時間がかかったらしい。
………………そう、1年以上も」
1年も!? 道端で見掛けた奴隷1人の為に!?
「どう思う?」
貴族クロックが、奴隷商人の元締めとして、僕に問う。いや、どう思うと訊かれましても。
急にそんな事を訊かれましても。
「ふっ」
兎が鼻で笑ってみせた。
「どうした? 答えたまえよ。
遠慮せずに、さあ、ほら」
えぇ。なにこの空気。
なにこの雰囲気。話を聞く限り、やっぱり僕はなんも悪くねえじゃん。
その頭だけになった奴が悪いっしょ。
「…………まあ、一般論として? 客商売でそれは、不誠実なんじゃないかなって」
「不誠実!」
うぉっ。
んだよ。急にでけえ声を出すな。
「そうッ! 不誠実!
不誠実だよ……実に。実に不誠実だ!!」
情緒どうなってんだ。落ち着け。
「私は、商いに携わる者として、お客様には誠実であれ、と。真摯であれと、そう、部下には口を酸っぱくして云い聞かせてきたつもりなのだよ」
ああ、だから紳士みてえな格好してんのかな。この兎さん。
「だと云うのに、私の部下のやった事はなんだ? 不誠実なんて言葉とは程遠い行いだと、そうは思わないかい?」
「そーですね」
「嘆かわしい!」と、兎さんが、ステッキを振れば、叩き飛ばされた生首が、室内の宙を舞って飛んでいきました。飛んでいった先で、部屋のすみに飾られていた、観賞用の甲冑の頭を吹っ飛ばし、見事に頭を入れ替えましたので、拍手しそうになりましたね。
新しい顔ですが、すぐに腐りそうですな。
「ヘクター君」
兎さんが、僕の名前を呼ぶと、掌でアンギル族のお姉さんを差し示す。
「こちらのお客様は、不幸な行き違いさえなければ、君の飼い主になっていたかも知れない方だ。ご挨拶なさい」
はあ。そっすか。
僕は、お姉さんにぺこっと頭を下げる。
「ども。奴隷剣闘士のヘクター=ジェイデン・タウンゼントです」
「結構!」
挨拶させておいて、結構とはなんだ、結構とは。仕切りたがりめ。
お姉さんの方はというと、しかめっ面でソファーから立ち上がりました。
「リナリエルです。
リナリエル=セレステ・ディム・グロリオサ・アーデルハイド」
ゆっくり、ゆっくりと、彼女は名を告げていく。言葉なぞるように、形を変えていく唇に、思わず見とれてしまいそうだ。
稀少種とまで呼ばれている、アンギル族。初めてじっくり見ましたが、こんなにも、綺麗なんですね。
いや、もう、ほんとに。翼もあいまって、天使みたいだ。
むしろ、天使っつか、女神様。
「なんですか、その間抜けな顔は」
おっと、ついつい、ボケッとしてしまいましたよ。美人過ぎて。
客観的に見れば、グリゼルダ並の美人さんなのですが、なんやかんや、ずっと一緒に居たせいで、気心を知れ過ぎたとでもいいますか。気後れしねえんすよ。
でも、この……リナリエルでしたっけ。彼女は美人過ぎて竦み上がっちゃいますな。
「残りの料金を支払いますわ。彼を私に譲りなさい」
リナリエルが、貴族クロックに云い放つ。
「フム」
そこで、貴族クロックが黙ってしまった。
なんだろう。なんでしょうかね。
急になんと云いますか、歯切れが悪いじゃん。彼女は、僕を買い取るおつもりなんでしょう?
こんな美人のお姉さんにお買い上げ戴けるなんて、最高じゃんすか。
渋ってんじゃねえよクソ兎。
「買って戴けるのであれば、僕からは云う事は何もないのですが」
「フム、ま、そうでしょうな」
僕の言葉を、貴族クロックが頷きながら肯定する。
「しかし」
そう云って、貴族クロックが、甲冑の頭になった元部下を見た。
「事はそう、単純な話ではないんだよ、ヘクター君」
んだよ。
いいじゃん。お客さんが買ってくれるっつってんだから。
黙って仕事しろや。
「何故なら、私はすでに、君に値段をつけてしまっている」
「えぇ……」
まさか。
「僕を100万で売るかどうかで揉めてるんですか?」
貴族クロックは頷いた。……うわぁ。
マジかよ。
「そんなバカな話があるか」
思わず、本音が漏れた。
「え、だって、その人は、本来なら僕を定価の100アンディスくらいで買えていた筈なんでしょ? それを、勝手によそに売り払うっつーのは、完全に店の落ち度じゃんすか」
それが、一度、もう値段設定がされたからって、100万はねえでしょ。100万は。
詐欺もいいとこ。ぼったくりじゃん。
貴族クロックは、僕の言葉を頷きながら聞いていた。
「うんうん。そうだね。
君の云い分はごもっともだ」
…………状況が少しずつ見えてくる。
「だが、見てごらん」
そう云って、彼は、甲冑の生首をステッキで差す。
「彼は殺されてしまった」
…………ん? えっ?
今、「殺された」っつったか?
僕が、勢いよくリナリエルを見れば、勢いよく顔を逸らされた。
殺しやがったのか!! こいつ……!!
傘下の傘下。末端とは云え、魔王の配下を。
「彼を殺されてしまったが、私には、お客様を責める気にはなれない。何せ、お客様の話によると、彼は後日、店を訪ねてきたお客様に対して『まさか、本当に来るとは』と酔っ払った様子で答えたそうだ。
どうせ、気紛れでキープしただけだろうと、お客様は思われていたらしくてね。在庫処分感覚で、売れるところに売っ払った後だったとのことだ」
……えぇ。店も店でやっぱひでえな。
客を嘗めてるとしか思えねえですよ。
「どこに流したのか聞き出そうにも、帳簿は見せられないの一点張り。……当然だろうね。
何せ、上司である私に無断でやってしまったのだから。しかも、その後の報告もせずに、隠し通そうとしていた」
ああ。
チラッとリナリエルを見れば、腕を組み眉間に皺を寄せていた。ストレスだったろうに。
でも、殺せば手掛かりが本当になくなる筈だ。殺すに殺せない。
かなり辛い状況だったでしょうね。お察ししますよ。
奴隷商人が、ここに売ったという証拠がなけりゃ、ここまで乗り込んで交渉する事も出来なかったでしょうし。
「だが、つい先日、君を見掛けたらしい」
へえ。
って事は、お客さんとしてですかね。
「闘技場で、熊の首をはねた君を見て、確信したそうだ。あの時の商品であると」
どの試合かな。
…………ああ。熊。
熊か。やったな。
そう云や。12人で、3匹の大型肉食獣とやり合うエキシビションマッチ。
いやあ、まさか、味方の筈の他の奴隷が、僕を残して全滅するとは思いませんでしたよ。あん時は、なかなか会場が湧いたんじゃねえっすかね。
最後に熊の首を落とした時は、客席の熱気が凄かったっすもん。お客さん達は皆、奴隷達が猛獣の胃袋に納まる方に賭けてたらしいですがね。
いや、1人だけ奴隷の勝ちに賭けてて、大穴だったのが大当たりしたって客が居たとかなんとか。まあ、それはいいや。
とにかく、あんなに客から受け入れられたのは、初めてですよ。360°、客席からゴミになって破られたチケットが飛んできてですね。
なんか、紙吹雪になってたんですよね。投げてるお客さんの顔を見てると、どっか晴れやかなと云いますか。
笑ってんですよね。あんなに勝利を闘技場で祝福されたのは、あの試合が初めてでした。
「見てましたよ。絶望的な3対1からのあの大逆転劇は、見事の一言に尽きます。
この闘技場での英雄譚として語り継がれていくでしょう」
やめてよもー。照れるじゃんよ。
やーめ。やーめて。
やーめーろーよー。
「やっと、1年以上にも及ぶ探し物を見つけ出したお客様は、冷静になった頭で、私の部下の元へ向かうと、即座に首を刎ねたそうです」
ああ。
冷静になってから、一気にピーキーに烈しく。冷徹な温度で。
報復をやり遂げたんだ。自分をコケにした相手を。
唾を吐かれ、汚された誇りと名誉を。
「グロリオサ商会は、主に香辛料を扱う商会なんだがね」
少しの間、会話に参加しなかった貴族が、口を挟む。
ほうほう。
香辛料ですか。お金持ちなんだろうなと思ってましたが、商人さんですか。
しかも、自分の商会があるとは。こりゃなかなか悪くない物件なのでは。
「いやはや、まさか、ご自分の商品に首を入れてしまうとは」
まあ。パッと見はわかんねえよなぁ。
そんなん。中までガッツリあらためるならまだしも。
香辛料が匂いを誤魔化してくれるでしょうし。
えっげつねぇ。
ちょっと、この人に買われるのが怖くなってきましたよ。虎の尾がどこにあんのかわかんねえ感じ。
ワンミスで死に直結みたいな。
「争点は、私達の落ち度と、お客様の報復。果たして、今、罪の天秤は、どうなっているのか、です」
うーん。
ややこしい。
最初に、客が予約を入れた商品を勝手に処分した奴隷商人。
そして、知らぬとは云え、部下であるその奴隷商人から僕を商品として買い取った、貴族クロック。奴隷商人は、その時点で、僕に手付金が支払われた事を隠してた。
その後、予約を入れた客が、僕を受け取りにきたあとでさえも。奴隷商人は、云わなかった。
奴隷商人が、一番悪いのだけど、その奴隷商人の上司は、貴族クロックです。
奴隷商人の教育をしたのも、たぶん、貴族クロックでしょう。
客が予約入れた品物を処分とか、客商売としてどうなの。物売るってレベルじゃねえぞ。
片や、リナリエル孃の方はと云いますと、最初に迷惑、損害を、店の方から掛けられた。
そして、店に問い合わせても、はぐらかされてばかり。のらりくらりと、酔いどれの奴隷商人は、客からのクレームを聞き流す。
客が、どんなに食い下がり、粘っていようとも。ずっと、ずっと。
1年先まで。そりゃあ、とんでもねえ精神的負荷だったでしょうよ。
キレて当たり前。
それを、ギリッギリのところで、我慢してたに違いねえです。殺せば、本当に、僕がどこに売られたのか、奴隷商人の口から聞き出せなくなる。
「ちなみに、僕がここに売られていたと、考えた事は?」
僕を見付けたのは、本当に、ただの偶然でしょうからね。その事について、リナリエル孃に訊ねてみました。
「探しましたよ。当然ですわ」
それは、まあ、そっか。そうだよな。
うん。そりゃそうだ。
この国で一番、奴隷が一番売られてきて、奴隷が一番集まるのは、この闘技場ですもんね。
……お察しします。簡単な事じゃねえでしょう。
だって、すでに、あっさり僕が、おっ死んでたって、不思議じゃありませんから。ここは、そういう場所ですもんね。
ただ、彼女の預かり知らぬところで、もうすでに僕が死んでいたとして。
そして、その死体も処分されていたなら、彼女は、損害を取り返せないままだ。奴隷商人から、手付金だけは返ってきたとしても。
「全く、嘆かわしい。大の大人が、上司に怒られるのを避けて、自分のやらかしを黙るとは」
兎さんが、なんか愚痴ってっけど。
それよりも、彼女の執念が凄まじいです。実際は、もう僕の事なんか、諦めてたでしょうが。
どこかの隊商に、僕が混じってるかも知れない。どこかの豪邸の馬小屋で、僕が馬の世話をしてるかも知れない。
それでも、東西南北のパノプティコンのから、僕を見つけ出すのは大したものですよね。
「我々としては、君を見付け出したお客様から、事の顛末を聞いた以上は、調査しないわけにはいかなかった。結果、部下の店を家捜しすると、ちゃんと帳簿が出てきました。
君を納品したことも、そこには記されてましたよ。事実を照らし合わせてみたところ、どうやら、君はお客様が確かに予約を入れていた品物だろう、と」
人を品物呼ばわりしてんじゃねえぞこの兎野郎が。
鍋の具とダシにすんぞ。
「お客様には、何かしらの迷惑料をお支払するとして、それと君を譲るのは別の話だ」
「!! なんでッ!」
おお。
リナリエル孃が、納得いかない様子ですよ。そうだそうだ、云ったれ云ったれ。
「もうすでに、彼には値がついていること。そして、お客様が私の部下を殺してしまったこと。
奴隷剣闘士の死闘をエンターテイメントとして運営している我々としては、一度、値がついた奴隷が安くなるなんて前提を作りたくありません」
貴族クロックが、リナリエル孃に淡々と告げます。
「それに、私の部下は、それ即ち、魔王様の配下も同然でございます。魔王様の配下を殺してしまったお客様を、どう扱うべきなのか」
「悩ましい」と。
貴族クロックが小さく呟く。なるほどねえ。
確かに、立場上、難しいところだわな。しばらく、応接間の中が、沈黙に包まれました。
やがて、耐えきれなくなったのか、リナリエル孃が、それでも僕を、自分に譲れと申し立てました。自分には、その権利がある筈だと。
100万はなぁ。ポンッと出せるような額じゃねえですもんなぁ。
リナリエル孃と、貴族クロックとの話し合いが長引きます。
「…………」
僕はいたたまれなくなり、なんとなーく居心地の悪さを誤魔化すのに、壁でじっとしてるスレイマンの横に移動しました。スレイマンは、横目で僕を見ましたが、すぐに視線を貴族クロックへと戻しました。
「…………」
僕らはそのまま、一言も話さなかった。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
「何を素知らぬ顔をしているんだい?」
やがて、話がまとまったのか、2人が僕へと顔を向けてくる。
「我々は協議を交わしたわけだが、未だにはっきりしない点がある」
リナリエル孃が、僕を指差します。
「それが、お前の価値です。現在のお前の価値」
……おん? そりゃまた、どういう……?
「100アンディス銅貨1枚の値段だったお前が、今は100万アンディスの価格の価値まで、本当にそれだけの価値があるのか」
「はたまた、もしかしたら、100万アンディス以上の価値が、君にはあるのか」
2人の声が重なっていく。
「我々が用意した相手と手合わせをして、君を再評価したいんだ」
どうしてこうなった。
「例えば、君の隣のスレイマン君なんかと、ね」




