洗脳殺人
その男は、突然家にやって来て、高琉の家庭を壊した。
男が何を要求しても、言いなりになる両親。
姉や高琉が逆らうと、暴力を振るう男。
ある時は、高琉達本人に。またある時は、家族の誰かに。
男が家族の誰かを人質に取るので、逃げる事も助けを呼ぶ事も出来ない。
やがて、高琉も姉も両親のように怯えて従順になった。
と、男には見えていたが、高琉は違った。
彼女の中にあるのは、激しい憎悪。
男が何をしても、高琉は憎悪を募らせていった。
何をされても男を憎めと、自身に言い聞かせていた。
父親を殴らせられても・男に命じられた姉に殴られても・母がレイプされるのを見させられても・満足な食事を与えられなくても・睡眠を妨害されても・煙草の煙を吹きかけられても。
罪悪感・無力感・劣等感・疲労感、全て憎悪に変換して。
しかし、男の目には、そうは見えなかった。
意識して演技をしていたのではない。
元々高琉は、活発なのに大人しく見られたし、怒っていても機嫌良さそうに見られた。
その為、今回も偶々、絶望して言いなりになっているように見えただけだった。
男の目を盗み、高琉は毒を塗った包丁を用意した。
毒は、男が持ち込んだものを使った。
しかし、彼女は躊躇っていた。
一応、相手は人である。
どんなに憎くても、実際には、刺したり斬ったり出来ないのではないかと。
毒が、どれだけ効くかも判らない。
だから、実行に移せなかった。
「おい、お前等。こいつ、殺せよ」
ある日、男が父を殺すように言った。
男が碌に食事を与えない為に、随分衰弱していた。
放っておいても長くないだろうに、妻子が殺すのを見て楽しみたいが為に、そう命じたのだった。
母も姉も逆らえず、高琉も逆らう訳にはいかなかった。
こうして、男は、高琉に一線を超えさせてしまった。
人を殺す経験をさせてしまった。
次は、上手く殺せる。
彼女に、自信を付けさせてしまった。
その時は、案外早く訪れた。
非日常が日常となり、慢心と慣れと疲れが男のミスを誘った。
姉で性欲と支配欲を満たしていた男は、うっかり高琉と母から意識を外してしまっていた。
気付いた時には遅かった。
背後から凶器を手に襲い掛かった高琉が、男の尻に包丁を突き刺した。
「ギャアアアア!!!」
今までの人生で経験した事の無い激痛が男を襲う。
痛みに脳内を支配されながらも、男は前方の離れた場所にいる母を目にし、自分を刺したのは高琉だと理解した。
しかし、男は反撃に移れなかった。
その前に、彼女が追撃したからだ。
こいつさえ居なければ……!
薄れ行く意識の中で、恨み言が浮かんで消えた。
「お前が、私を人殺しにした」
最期にそう聞こえたが、それについて何か思う事は出来なかった。