不条識な狼の理89
♗89
瞬き三回の後、目の前には信じられない光景が広がっていた。
目の前には短剣を構えるヒカミの後ろ姿。足元はフロア一面に広がる青い蛇、そしてフロアの奥には刀を杖替わりに吐血しながら辛うじて立っているハクスイがいる。
そのハクスイの着物の裾から蛇がどんどん現れる。
まるでシキのゴキブリやキアラの芋虫のように。蛇が。
呪いが。佐竹が、原因不明の傷痕が、孵化が。
『ねぇ。ヒカミ。どういう事?なんで武器出してるの。』
ヒカミは構えた短剣を下げずに答える。
「ああ。いつからそこにいたんだ?」
『わかんない。さっき人間のあたしの姿をした奴に合格って言われて。気がついたら、蛇がいっぱいで、ハクスイがああなってて、ヒカミが今こうやって目の前にいた。』
「そうか。じゃあ。君もよくわかってねぇんだな。」
『わかんないよ。ハクスイから蛇がいっぱい出てるのも分からない。』
というか、わかりたくない。どうしてここまできてハクスイまでこんな事に。
「【大切な人を殺さないと死ねない呪い】だって。」
『なにそれ……』
死ねば戻れる願いなのに、死ねない呪いならずっと戻れないという事?
「サク。先に行っててくれ。」
『だって、それってヒカミが、ねえ。お願いあたし一人にしないで。』
だって、それはヒカミがハクスイに殺されにいこうってそういう意味でしょ。ねえそうなんでしょ。
「大丈夫だよ。君は強い。
あの雨の日も、あの洞窟の水路も君がおれの手を引いてくれた。君はおれ無しでも行けるよ。」
なんだろう。もう二度とヒカミに会えない気がする。ヒカミだけじゃなくてハクスイも。
『違うよ。それは、あたしはいつだってヒカミがいたから。』
キアラがさっきシキにやってあげたように。
「じゃあ、先に早く行ってくれ。おれも覚悟を決めるんだ。君が覚悟を決めてくれれば、おれたちは最悪記憶は持ち帰れなくても元の世界には帰れる。
それが、歩もキアラさんも救う為の最優先だ。」
ハクスイを救う為に。今度はヒカミが自分の命を使って。
『でもそれじゃあヒカミが……』
馬鹿なあたしでも分かるよ。大切な人を殺さないと死ねない呪いって。
「おれは、ハクスイを見捨てたという胸糞悪い記憶は持って帰りたくない。」
あたしかヒカミかどっちかがハクスイと一緒に死なないと救われないんでしょ。
『そうじゃなくて!ハクスイを一人にしなければ良いんでしょ。
ハクスイは大切な人を殺せば助かるんでしょ
だったら、ヒカミが、ヒカミじゃなくてあたしだって、ハクスイの所に行けば。
ヒカミは、二場の所へ行ってキアラに託されたものを。お願いだから。』
あたしは泣いていた。どこで泣き始めたんだろう。気が付いたら泣いていた。
「なんでそんな事言うんだよ。」
思えば子供の頃からそうだった。なんでヒカミはこんなにも頭が良いのにあたしでも分かる簡単な事が分からないんだろうって。
『逆に何でそんな事言うの?いつものヒカミだったら、〈おれの方がまだ二場と話し合える。もしかしたら、願い事は一つだけじゃなくて交渉次第では方法が・・・〉とか、そんな事言うじゃん。
いつものヒカミなら、頭の悪いあたしをこっちに配置して、頭のキレるヒカミが頭使う方担当するじゃん。
どうして?いつもヒカミの判断は正しいんだ。いつも冷静。なんなら、心が無いんじゃないかって思うくらい冷たい選択を取ったりするけど。ヒカミの決断はいつだって正しくて。
足ばっかり引っ張るあたしでもヒカミの言う通りにすれば、なんでも上手く行ったから。
だから、いつものヒカミの判断だったら、脳筋のあたしを置いて、ヒカミがゴールするんだって。あたしは大丈夫だから、ちゃんと逃げないでハクスイの傍にいれるって約束出来るから。』
どうしてあたしの気持ちが伝わらないんだろうって。
『ねえ。だからヒカミ……あえな』
「断る。」
『どうして?』
「ごめん。今まで君にそんな風に思わせてたなんて本当にごめん。おれは最低な奴だ。
だから十二回も殺されて来たんだ。やっとわかった。やっと気付けた。ある意味おれは二場の作ったこの世界に救われたのかもしれない。
なぁ、サク。本当にこれはおれの意思でおれの完全なる我儘だ。
きっと無理だと思う。でもやらないで諦めるのは嫌なんだ。今までおれがずっとそうだから、駄目だって分かってるんだけど。諦めたくないんだ。抗いたいんだ。あのハクスイを纏う呪いに。
おれがハクスイを倒す。
そしたらおれらが記憶を持ち帰る為に二人目のゴールとして、二場の元に辿り着く。
だから、おれのこの僅かばかりの可能性を信じて、先にゴールしててくれよ。」
あ。伝わった。
ヒカミはやっぱり変わった。良い方向に。この世界を通じて。ヒカミは変わった。
『わかったよ。』
「ありがとう。おれの我儘なのに、聞いてくれてありがとう。」
『ヒカミがそんな風に、自分の感情論だけを優先するって初めてだからね。』
「そうかもな。おれ、この旅を通じてちょっと良い方向に変われたんだよ。」
ヒカミは大きく息を吸ってから、静かに語り出した。
「なあサク。
ずっとおれの親友でいてくれてありがとな。」
そしてあたしを抱きしめてくれた。ちっさい身体であたしの身体なんて全然収まりきらないのに。
『あたしこそ。ありがとう。いつもなんだか恥ずかしい距離感であたしの方からいっつもありがとうって言えないのをヒカミは簡単に言ってみせる。いつもヒカミから先に言ってくれる。
あたしの方こそ、こんな世界に巻き込んでまでもずっと親友でいてくれてありがとう。』
あたしも身体を抱き返すように、ぎゅっと腕に力を込める。
そして、
抱き合った身体が離れた。
お互いに見合って一度頷いてから、あたしは階段を上っていった。
「ああそうだ。言い忘れてた。おれもなるべく行くつもりだけど、もし本当に行けなかった時の為に二場のこと一発殴っておいてくれ。」
『了解。責任もって殴っておくよ。』
ヒカミ。
頼んだよ。
「ハクスイ!愚か者のおれは、今から君を救済する。」




