不条識な狼の理86
♗86
キアラは死んだんだ。
その瞬間は遠目からでも分かった。
なぜなら、ハクスイがの腕の中で倒れているキアラには、あの芋虫が湧いていた。その芋虫が突然、青い蝶に変わって空に飛んで行ったのだ。
まるで、人間の魂が抜けて空に帰っていくのを象徴するかのように、キアラの身体に寄生するあの呪いの蟲たちはどんどん美しい蝶に姿を変えて飛んで行った。
ヒカミが、ハクスイの方へ近付いて行ったので、あたしも木から降りて、一緒にハクスイの元へ近付くと、青い蝶の柄がハッキリ見えて改めて綺麗だなぁと思った。
ハクスイの着物の色して、アゲハ柄で赤の差し色が入っている。見たことのない、綺麗な蝶だった。
「アサギマダラっていうのよ。亜美さんの好きだった蝶。渡りをする唯一の蝶で、あの小さな体でどこまでも飛び続ける姿はまるで人間の魂みたいだって言ってたわ。」
ハクスイが立ち上がると、ハクスイの目も覚めるあの浅葱色の着物は、キアラの返り血に染まり、まるで、ハクスイの容姿がそのアサギマダラのようであった。
不思議な気分だった。
死とは何なのか?
少なくとも、ここに来るまでにあたしは二回の死を見ている。
その一つは、この世界を救う為に死んだ余村歩。あたしたちを導いた彼女は、最後は孤独で壮絶な死を遂げた。
と言っても、あまり死んだという実感が無い。多分、これはあたしだけじゃなくて、もしかしてヒカミとハクスイもそうなんじゃ無いかと思う。
あたしたちは歩が死ぬ瞬間を見ていないのだ。
あの爆発で悟っただけなんだ。
対し、もう一つの死は、さっきの霧の道で一年前に、あたしを庇ったヒカミの死だ。
これもなんだかおかしいかもしれないが、あたしにとって、死とはこっちの方がまだ理解に近い。
視界が、ヒカミの血で染まった直後、左腕と頭しか残っていなかった、ヒカミ身体はあたしを見たまま絶命した。
最後まで、目は合わせたままだった。なのに、その直後死んだというのがなぜか分かった。あの後、あたしはトチ狂った行動に出たわけだけど、後で冷静になった時に、どうして目を閉じさせてあげれなかったんだろうと。
そんなヒカミはシキの遺体の前でしゃがみ。何をするのか見てると、シキの顔に手を当てて目を閉じさせていた。
一連の動作であたしは反射的に、キアラの遺体を見ると、キアラの遺体はもとより目が無かった。
目からの出血で血だらけの顔面で、もともと巻いていた、黄緑色の布が若干まだ血に染まってないだけであった。きっと端から見たら、酷い有様の遺体なのかもしれない。
でも、キアラの身体から飛び立ち続ける無数のアサギマダラを見ていると、それは酷い有様というよりかは、美しい情景と形容した方が正しかった。
「蝶って一匹でも一羽でもなく、一頭って数えるそうよ。なんだか可笑しいわよね。こんなことも亜美さんと話さなければ、知りえない知識だったわ。」
キアラの身体から溢れる蝶が少しずつ減り、最後の一頭は、ハクスイの周りを飛び回った。
ハクスイが、指を差し出すと、その蝶は、一度ハクスイの指に止まり木代わりにして止まり。
やがて、西日に変わりつつある、空に飛び立っていった。
「ハクスイ。どうする?埋めるか?それとも燃やすか?」
ヒカミの言葉に対し、ハクスイは、西日をぼうっと見つめたままだった。
ふた呼吸、三呼吸ゆっくりおいてから。
「景色が綺麗だから、死後硬直が始まる前に、見晴らしの良い場所に座らせてあげましょう。」
ハクスイは、キアラの遺体を大切そうに抱き上げ、歩き出した。
その際に、キアラの腕が、だらっと力なく、下に落ちたので。それで、ああ死んだんだって。死んだからもう動かないんだ。それを見てあたしは、急に涙が溢れてきた。一度瞼に溜まった涙が、落ちた後は止まらなくて、次から次へとどんどん涙が溢れる。
ああ。死んじゃった。キアラが死んじゃった。
あたしたちが再会出来たのは、キアラのお陰だった。
初めて出会った時は、見るからにオタクって人種でなんとなく陰気臭いし。絵だけはめっちゃ上手い変な奴って印象だったけど。
ヒカミがああなった時に真っ先に覚悟を決めて、この世界の条理に身を任せ、死神と契約して、そうしてその契約は今全うされた。
キアラはまともには死なせてもらえないと言っていた。
最も愛した人に殺された。
端から見たらそれは最悪な死に方なのかもしれない。でも、キアラにとっては、最も幸せな死に方だった気がする。
ただ、最も愛した人の手を汚させるというのは、キアラはどれほど、辛かったんだろう。
あたしは嗚咽交じりで泣き出して、座り込んでしまった。
そんなあたしに、ヒカミはあたしの肩を抱いて、
「君は休んでな。おれはシキさんの身体をハクスイと一緒に運んでくるよ。少し待っててくれ。」
そう伝えて、シキの身体をおぶって、ハクスイの後を追っていた。
体格的にあたしがやるべきだったんだろうけど、あたしにはそんな余裕がなかった。
あの幻想的な蝶の後に、遺体という現実を見て。なんだか心が擦り切れてしまった。
今まで、何度も死体を食ってきたのに、何をしてるんだろうあたし。
あたしが今まで食べてきた死体の中にも、こうやって誰かに泣かれて別れていった人もいたんだろうか?
考えても何も答えは出てこなかった。
二人が戻ってきた頃には、陽は完全に西日で夕焼けが綺麗だった。皮肉にも、ヒカミが死んだあの日の景色と似ていた。
「行こうぜ。」
ヒカミがあたしへ手を差し伸べる。
キアラの魂の代わりに繋がられたヒカミの魂。
「ほら、早くしろよ。おれたちは託されたんだ。絶対あの塔の上まで行くぜ。」
あたしは、ヒカミに手をしっかりと握り返した。




