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不条識な狼の理65

♗65


 相変わらず、雨の音は壁を叩いていた。


「冷静になって考えるとこの世界のシステムはおかしいんですよね。おかしいというか、皮肉地味たというか。

 招待状は一通しか送れない。

 だとしたら、最も戦力になる人間か、最も会いたい人に送るでしょう。そして殆どの人間が後者だと思います。

 しかし、愛する人に会いたいという我欲で、愛する人をこちらに呼び。しかしこの残酷な世界でこんな結末を迎える。

 この世界は確かに発展途上で美しい。でもそれは僕らのような元の世界で日陰ものであった人たちの価値観だ。きっと君たちのような元の世界で普通に生活できた人々はこんな残酷な世界は生きにくいと思う。

 こんな世界に呼ばれてしまうこと自体が不幸なんだ。

 だって、君たちはこんな世界に迷い込まなければ、僕のこの醜い姿を見ることはなかったし、妻の悲しみに付き合う事はなかった、そもそも存在さえ知り得なかった。

 君たち自身もそんな姿に変えられる事も無かった。

 この世界に来てしまう事が不幸の始まりです。

 でも人は愛する人に会いたいとどうしても望んでしまう。

 誰かが、愛する人に会うことを諦めて、耐えないとこの連鎖は永遠に終わらない。

 歩が最後。一人で。たった一人で耐えて。誰かと一緒に過ごす事を諦めて。犠牲になったように。」



 そう語る貴志さんの姿は、行き場のない悲しみを訴えるわけでもなく。諦めというか悟りに近いように冷静に、独り言のように語った。

 ベビーベットには、何も知らずに何も理解できないまま、すやすやと眠る、歩と貴志さんの息子の姿があり、何だか、滑稽な冗談のように映ってしまう。

 雨はいずれ止む。歩が支払った対価。しかし、まだタイムラグがあり止まない雨。歩だけがいない家族。その事実に対し、他人事のように冷静な旦那様。

 達観してるのか、これ以上考える苦しいから壊れてしまって、こんなにも冷静なのか。結婚も子供も得たことのないあたしにはその悲しみは計れない。




「貴志さん。気持ちは痛い程わかるけど、それ言っちゃったら、こんなに悲しい気持ちになるなら出会わなければ良かったって言ってるのと同じです。

 こんなに苦しい思いをするなら生まれてこなければ良かったと。

 確かに苦しいよ。誰かを愛した。誰かに会いたい。そんな気持ちが新たな悲劇を生むって苦しいよ。

 でも、その苦しさをわかった上でも。誰かの腕の中は暖かいし、誰かと笑うその日々は、掛け替えのない時間だ。」


 ヒカミはそう言って、マグカップを握ったままの貴志さんの手の上に自らの手を重ねて、続けた。


「なあ、誰かに会いたい気持ちがこの世界にまた誰かを呼び、また悲劇を呼ぶ。それって別にこっちの世界じゃなくても、宇宙の根本原理に問うようなもんだ。

 人は何で生まれて人は何で生きてる?

 人に限らず、生命もエネルギーも何故生まれて、何故存在する?

 そこに行き着いちまう。

 二場の作ったこの世界ももしかしたら、その疑問を解くためなのかもしれない。

 難しいこと言ったけど、おれは今この姿でも、今こんなに苦しくても何一つ後悔はしてません。

 歩と出会った事に得た悲しみよりも、出会った事により得た喜びの方が遥かに価値があります。

 だから、おれはこの悲しみを糧に。歩に託された命で。なんとしてでも、ゴールして、この世界の救済を願います。」




 ヒカミはそうやって、希望を伝えたけど、部屋には沈黙が流れ、雨の音だけが響いた。

 頭の悪いあたしは、こんな時になんて言えば気の使えた一言になるのかが、全然わからない。思えば、こういう時に一番頭が回るのはハクスイだった。


「ヒカミさんを初め、あなた方が世界の救済を願えば、きっと僕も救われます。

 そもそも、僕が、十年も経ってから耐えきれずに歩に招待状を送った理由をまだあなた方に話していませんでしたね。」


 沈黙を破ったのは貴志さんであった。

 貴志さんはシャツのボタンを開け、胸元を露わにする。当然、あたしとヒカミはその姿に注目した。


「僕の牛頭。これはこっちの世界の時間軸で十年前の時点での佐竹の実験結果です。

 サクさんの狼のように、呪いの条理に任せて、細胞を組み替えたわけではなく、僕本体の顔を剥ぎ、牛の顎と皮膚や鼻、角を移植した、フランケンシュタインのようなものです。

 よって。僕の胸部から上で、元々僕の体であった、部分は脳と眼球だけで、あとは佐竹に工作されたものです。

 ここ十年はまともに動いていましたが、僕自身の体の老化による細胞分裂のペースが変わり、それが佐竹の組み合わせた牛の細胞と上手く噛み合わなくなって、この人間の皮膚と牛の皮膚の繋ぎ目のあたりみたく、部分的に細胞が死んだような、黴のような腐った細胞のような部分が年々増えていきました。」


 確かに、人間の皮膚と、牛の皮膚の間が爛れたような見た目だ。

 同じように、人間の皮膚と異形の皮膚の繋ぎ目の肌を持っているヒカミにはそんな痣のようなものはない。


「この黴のような腐敗は少しずつ進行していきました。そして、僕は長くは生きれないなと。悟った時に、歩へ招待状を送っていました。本当は、歩には向こうの世界で生きてもらって、こんな世界に巻き込みたくなかったのですが。自分の命に制限時間がある理解した時に、僕は弱くて、甘えて、愛する人に会いたいと願ってしまいました。」


 そんなこと言ったって。

 あたしだって、最初怖くてすぐに、ヒカミに助けを求めて招待状を送って。貴志さんみたくもとの世界のことなんて考えなくて、自分の都合だけで。


「軽率な判断。僕の弱さです。

 僕が歩に会いたいと願ってしまった罪です。

 その断ち切れない悲しみを、歩は身をもって終わらせてくれました。」


「貴志さん。話し戻ってますよ。あなたは悪くない。あなたが悪くて、歩が全てを背負ったわけでもない。

 あなたの言葉通りだと。この世界で希望を託して招待状を送った人も、誰かに会いたいと望む心も。誰かを愛することも全部悪に定義されてしまう。

 歩が死んだことを、自分一人の悲しみで自分一人の罪だと思わないでください。

 そもそも、歩の左腕が無くなったのはおれのせいでもあるんです。

 おれにも背負わせてください。

 おれはこの世界の涯のゴールで救済を願います。

 あと、どんな理由があろうと、二場三命のことは一発ぶん殴るので任せてください。」



 今のヒカミの言葉はあたしへの気遣いもあったのだろうか?そう言わないと、軽率にヒカミに助けを求めたあたしが気負ってしまうから……?

 あたしの頭ではヒカミの頭の中は理解できないし、やっぱりこの状況下でも気の利いた一言はあたしからは出てこない。


 ただ、貴志さんは、ヒカミの言葉を聞いて声を殺して泣いていた。

 そして、小さく、「歩……」と呟き、拳を握り締めるのも見逃さなかった。

 何かを理解したかのように、二人の息子が泣き出したのもほぼ同時であった。

 あたしに出来ることは、二人の息子を抱き上げ、あやす事だけであった。

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