不条識な狼の理38
♗38
「お目覚めですね。」
聞いた事のない声だった。
まだ寝ぼけた感じで、あたりを見渡すと、そこは森の中だった。柔らかい木漏れ日が差し込める。視界の隅では川が流れてる。随分と綺麗な場所だ。
あたしを起こしたその声の主は、完全に顔を布で覆っていた。顔を見られたら都合が悪いのか。
『あなたは?』
「私も、貴方と同じ、【異形】ですので、顔を見せるのは些か抵抗がありまして。この姿のままで失礼します。」
異形……?そうだ。あたしも半分狼だ。あれ?半分……?
『すみません。今あたしの顔。どこまで人間の顔が残ってるか教えていただけませんか?』
「そうですね。半分でしょうか。もしかしたら元の骨格からだいぶ変わってらっしゃるかもしれませんが、明らかに異形と解る、獣毛と眼球の色素といった変化は半分に留まっています。」
ってことは。顔は無事って事ね。
あたしはすぐに起き上がろうとしたが、ビキッと全身に痛みが走る。歯を食いしばって立ち上がったが……
立ちあがったのだが……
「その骨格ですと二足歩行は厳しそうですね。」
二足で立てないのだ。
『めちゃくちゃシュールですよね。』
思わず呆れた乾いた笑みがこぼれる。
ここ一ヶ月で人狼と言われ、人狼ってのは半分人間で、半分狼だから当然人の形に近いフォルム。つまり二足歩行のイメージが先行するけど、冷静に考えたらあたしが受けてるこの呪い自体、人狼の呪いではなく、狼の呪いなのだ。
なので最終着地点が、獣毛に覆われた二足歩行の生き物でなく、どっちかと言えばボンジロウになることぐらい少し考えれば分かったはずだ。
人狼ではなく人面犬……酷い。泣きたい。
「お互い辛い身ですね。呪いというのは条理の上に成り立つので、何かしら理由がある筈ですが、あなたはそれだけの呪いを身に受けたのですから、きっと願いは叶ったのでしょう。」
そうだ。あたしの願い。
あたしは対価だと言われてこの首輪を割られた。死神こと二場三命に。そもそも、死神が現れた理由はキアラがヒカミを助ける為に呼んだのだ。ヒカミは?ってかみんなは?
『すみません。あたし以外誰か見かけませんでしたか?和服着た長身の侍みたいな女と。ヤクザみたいな刺青の女。あとこの二人に比べたら普通の見た目の女子を。』
というか。今話しながら気付いたが、この森。もともとあたしたち四人がいた崖を下ったところじゃないのだ。来たことのない森だ。
「残念ながら。私が見つけたのは貴方だけです。同じ呪いを受けた異形の身として、貴方が生きてるか死んでるのか解らなかったのでこうして近付いて声をかけただけなのです。」
知らない場所にいるわけだし、あたし達は死神に散らされたのか?
『差し支えなければ、あなたの呪いに関して聞かせていただけませんか?』
「自ら作り出した。【愛した人に殺されないと死ねない呪い】です。もうこの呪いの発動に関しては、前々から予言されていたので、どうにかして呪いを防ぎたくて情報を集めていたのですが、とうとう昨晩に発動してしまったようで、早速顔が潰れてしまったのですよ。」
【愛した人に殺されないと死ねない呪い】それがどうして、発動すると顔が潰れるのか、その呪いも自ら作り出したいう説明に。全般的に納得いかない。というか理解できない。これが、呪い全般に関わってくる二場思想というものなのか。
『すみません。あたしこんな身体になってまで、まだ呪いってのよく分かってなくて。あたしがこの姿になってるのは、あたしの爺さんが狼を酷い目に遭わせて呪いを起こそうとして、その対価にあたしを指名したせいであたしが代わりに対価を要求されてこんな姿になってるんですよ。だからあたしの呪いはまだ、納得まではいかなくても理解まではするんですけど、あなたの呪いがまだちょっと意味が分からなくて。』
「無理ないですよね。常識で考えるとそうなってしまいます。常識の世界に於いて因果応報というのは存在しません。裁判で正しい方が口を封じられ、戦争でも戦った者は報われず、盤面のチェスの駒を動かすものだけが富と名声を得ます。つまりは不公平なんですよ。常識の上に成立した社会は。
しかし、条理の上に成り立つ世界はそうはいきません。必ず因果応報が存在します。呪いを使えば対価を要求され、身の程に合わない大きな願い事は身を滅ぼすように。そこには必ず条理の力が作動します。」
つまりあなたの作り出した呪いってのは、
「いつかしっぺ返しは来るだろうなと覚悟はしていました。
私は、現実世界では小説家の卵をやってたんです。とある偉大な思想家に影響されてそれのオマージュ作品を書こうと、友人を誘って制作を進めていました。
建前上は、偉大なる思想家のオマージュでいろんな人に布教するという形ですが。私は友人と制作を進め、友人に近付けば近付くほど、友人そのものが欲しいという欲に悩むようなります。
どうすれば、彼女は手に入るのか?殺せば永遠に私のものになるのでは?とトチ狂った考えも持ってしまいました。
そんな彼女の欲に溺れる中、彼女を繋ぎ留めるための出汁として、偉大なる思想家を言い訳にしてることは、思想家に対する冒涜であることも薄々気付いていて。
早く死のう。何かが起きてしまう前に早く死のうと。何度も死のうとする私を、彼女はいつも止めてくれました。私が貴方の為に死ぬことも知らずに、彼女はどんな時も私を止めました。
一ヶ月前。私はこの自らの黒い欲と向き合うようにと、呪いの蟲の卵を身体に埋められました。
この蟲が孵化する前に、彼女を殺して、自分も死ぬか、自分だけで死ぬか。
選択に迫られた時弱い私は、彼女を殺そうとしました。
しかし彼女は死にませんでした。今も生きてます。
私の殺人未遂の罪と因果は彼女の運命と因果を狂わせたので、やがて彼女の選択は私の蟲の孵化の切っ掛けになるであろうと、予言されました。
私は孵化の前になんとか呪いを解く、または弱める方法を探して奔走しました。
結構努力したんですけどね。厳しいもんです。只の条理なんですが、昨日孵化しました。」
おもむろに、私の目の前で顔の布を外した。
『 』
視界に入るや否や、叫んだ。
文字に表せない程度の、女の子らしい悲鳴が上がったと思う。というか人生此処一番の悲鳴だ。
「ね。だから人前で出せないんですよ。この顔。」
また顔に布を巻きがながら言う。
顔が、ほぼ蟲だった。
いや某特撮なんとかライダー系見たく複眼でとかそんなんじゃなくて、目以外の、顔の皮膚の上、というか皮膚の間から透けて見えるところにのゴキブリようなものが蠢いてるのだ。あの一瞬を思い出しただけで息が止まるし。今日から早速夢に出そうな怖さだ。向こうの世界にいた頃にオバケは一通り見てきたし、ここにきて死体も人骨も、何なら自らの人食行為もあったわけだから、これ以上のおぞましいものを見ることなんてないだろうと思っていたが……人間の皮膚の間を蟲がが這いずり回っている何て恐ろしすぎる。
あたしが何も言えないでいると、その人は、地面に置いていた何か……槍を拾い上げ、あたしの前で服の袖をまくりあげ、腕をさらけ出した。
女性らしい白い腕には無数の自傷痕があった。
あたしがその傷跡を見ていると、彼女は、槍の先で、自らの腕を切った。
もともと自傷癖があるからこのくらい躊躇いは無いのか、いやそれも正しいだろうけど、彼女の今の自傷行為は、もっと忌むべき理由があった。
傷口に、血が滲むことなくぞぞぞぞぞぞぞぞと皮膚の間から黒い虫が這い出て、傷口を塞いだのだ。
正直言って、同情より。気持ち悪くて怖いというのが先行した。
「見た目だけじゃなくて、効力もおぞましいでしょう。死ねないのです。死のうとしてた罰。【愛した人に殺されないと死ねない呪い】の創作を言い訳に、愛する人を繋ぎ止めた罰。愛する人に自死を止めさせた罰。
私の死を止めてくれた、私が愛したあの人にしか私を殺せないし、私は死なないと救済されない。
しかし、愛する人の前でこの姿を晒すのは心苦しい。こんな人の想像を超えた醜い姿でね。」
ごめん。何も言えない。
何て言えば良いの?
あたしは、自分が狼になって、親友を殺そうとして、その親友に命を助けられ、結構悲劇のヒロイン的なポジションでかなり困難に立ち向かってるなあなんて思ってたけど。
何?今の話?何なの?どうしてこうなるの?条理って何?そんな大きなものを望んだの?大好きな人に大好きって言えなかっただけでこんなにも大きなものを支払うことになるの?
自分より上には上の不幸な人がいるとか、そういう話をしたいわけじゃないけど、私は希望がまだ見えるけど、彼女の目には一線の希望すら見えない。黒い罪と黒い絶望、黒い蟲を飼っている。誰かを愛しただけで、どうしてこうも踏み外してこんな事に。
誰かを愛するというのは、こうも紙一重で呪いを生み出すのか。
「私の呪いに関しては、まだ緩和方法が見つかりませんが、あなたの呪いはまだ、ある程度緩和が効くようですね。
今は傷口で、その呪詛を刻んでますが、多分治癒してしまったら呪いはまた進行してしまいます。傷口が完全に治癒して呪詛が消える前に刺青で消えないように刻むことをお勧めします。」
その人はあたしに背を向けた。
というか、あたしがさっきから何も言えない。言わないから気を遣って早く去ろうとしてるのかもしれない。
「この森を南下したところにある街は、ムハ教の信者が多い街ですので、女性は顔全体を隠す文化が罷り通っています。なのであなたや私のような異形の者が潜伏して、必要品を買いに行くには良い街です。」
歩き出した。行ってしまう。
「私は、少しでもこの呪いを緩和出来ないかもう少し情報を探すので先を急ぎます。然様なら狼さん。また何処かで逢うことがあれば。」
『あたしはサクって言います。あなたの名前は?』
彼女は最後に一度振り向いて答えた。
「シキ。です。」
聞き覚えのあるその名前を聞かなきゃ良かった。酷いね。条理って。
頭の悪いあたしでも、珍しく、キアラが死神を呼び出した事と蟲の孵化が何か関係している事ぐらい察していた。




