不条識な狼の理36
♗36
真っ黒だった。
真実の暗闇とかそんな表現じゃなくて、もっと雑で汚くて黒々とした。
まるで漫画の一ページでべた塗りの世界に、自分の身体だけ描画されたようだ。だって、光が一切ないのに、自分の身体は認識出来る。その異質な空間で圧迫感と不安感と。
確かに死神の本とは納得出来る。そのくらいぶっ飛んだファンタジーを用意してくれないと納得できない。だって何もかも見えない世界なのに自分の姿だけはハッキリ見えるなんで色々辻褄が合わない。
「さーて辻褄合わせの抗議の時間だよ。樫山さくら。」
その声を認識した途端その声の主はあたしの目の前に描画された。といっても描画される前から声の時点で分かっていた。あたしがこいつの声を忘れる筈がない。
二場三命というあたしたちを巻き込んだ張本人があたしの目の前に立っていた。相変わらずあの死神のような黒いローブを着ている。まあ死神の本ってぐらいだしね。
「納得いかなそうな顔をしてるねえ。」
『そりゃねえ。なんでもアリのあんたにこんなにも嫌がらせされて、こちとらお手上げだよ。』
「おっと。心外だな。嫌がらせじゃなくて私なりのお手伝いと助言だっていうのに。今だってわざわざ君の目の前に現れたのは【条理】に触れる直前までの辻褄合わせをしてやろうと親切に来てやったんだよ。」
条理に触れる?相変わらずよく分からない事ばかり言う。
「まずは、木皿亜美の契約によって、田中ヒカミの魂は返してやる。ただその契約の内容上。お前も対価が必要という事だ。」
その対価ってのは一つの魂を取り返すのに、二つの魂を差し出すというものか。なんだやっぱりあたしの所に死神が来たじゃないか。もう一つの魂はハクスイか。
『へえ。それであたしに死ねって。話としては筋通ってるけど、それでヒカミは本当に戻って来るの?』
「おいおい。自分が死ぬ事への突っ込みじゃなくて、私の契約に信用があるかどうかが君の疑問かよ。まあ君らしいと言えば君らしい。まず契約に関してだが、君の対価は魂じゃない。」
死神が目の前にいるし、もともと死神には魂をって話のくだりなのに、あたしの対価は魂じゃないと。
「それと、田中ヒカミの魂ちゃんとここにある。」
二場が手を開くと、ボッと手の中で火が燃えていた。赤くて、白い普通の炎とは明らかに違う炎が。
『赤くて、白い……これがヒカミなの?』
「ほう。やっぱり色までハッキリ視えてるんだな。流石呪詛巻きの狼の子だ。」
何言ってるの?普通にこの色で燃えてるじゃん。あたしは色盲じゃない。
「これ、私と君にしか視えないよ。今回契約人の木皿亜美にも視えない。君がよく言ってたオバケって言われてるものだからねえ。」
魂がオバケ……?確かにあたしは生きてる人と死んでる人の区別がつかない程度に視える体質ではあった。しかし、こっちの世界に来てからオバケは視えなくなってたんだ。
それってつまり元の世界では呪いの所為で、オバケが視える体質でこっちの世界では呪いの所為で狼になったから、わざわざ視えるまでもんじゃないって、勝手に納得してたのに違うの?
「君がこっちの世界にいようが元の世界にいようが、視えるのは変わらないよ。だって、こっちの世界で肉体をコピーする時点で、君の身体のオリジナルは視える身体なんだよ。それを元にこっちの世界の肉体も転写してるんだから当然視える体質は引き継がれている。」
だとしたら、この一ヶ月。なぜ少しも視えなかったんだ?冷静に思い出せば視えない事がおかしい場面は何度もあった。それは一昨日のキアラの悲鳴とハクスイの殺人の時の念もそうだし、ついさっきハクスイと本気で睨み合った時に、本来ならもっとハクスイから黒い筋が視える筈だ。でも一切視えなかった。
「君が視えなくなったじゃなくて、この世界がオバケを視えなくしている。というのが正解だ。」
『視えなくしている……?』
「最初に言ったろ。この世界は魂を測定するシステムだ。魂に直結する感情もそうだ。佐竹も説明していたろ。だから、君が普段視ていた魂や残留思念。強い感情から生まれるオバケは発生と同時に君に視られる前に、この世界の中枢に回収されてるだけだ。」
あたしが視る前に、持っていかれてしまう。システムに。
「ゴールしたら願い事を叶えてやるって話だったろ。しかし願い事だってどうやって叶えるかといえばそれ相当の対価が必要だ。それとこの世界に新しい魂が入った時に支給される肉体の製作も全て対価つまりはエネルギーが必要だ。だからこのシステムは魂も念も全て中枢に回収される。」
なら、今二場の手の平にある赤い炎は本当にヒカミの魂で、返してもらえるのかもしれない。
「そして、ここから先はついでの道徳の授業だ。これはババアのお節介。君が無意識に木皿亜美を信用していないのは、オバケが視えなかったせいだ。君はいつだって無意識に人のオバケをみてこの人は自分の信頼に足る人物かどうかの判断をしている。まあ友達が二人しかいないのも何よりもの証拠だ。」
ああ。確かにそうだ。図星。あたしがキアラに抱いていた違和感はそれだ。あたし自身がキアラの正の感情すら視えなかったから、無意識に壁を作っていたのかもしれない。
「まあ今回は、木皿亜美の覚悟のお陰で、君も白水京香も余村歩も魂だけは勘弁してもらえるんだ。木皿亜美にはちゃんと感謝してやらないと。」
待って。どうして、今勘弁してやるの話にキアラの名前は上がらなかったんだ?
あたしがその疑問をぶつける前に、ぞっと二場の冷たい声が走った。
「君の対価は、人間の肉体。」
喉に何かが刺さった気がした。
何事だろうと、喉に手を添えると、歩が最初に貰ったというあの狼を躾ける首輪という外せない筈の首輪がボロボロに割れて落ちて行った。
割れた首輪が落ちて、見えなくなっていく。この黒いべた塗のような世界に首輪の破片が消えてくのを認識すると、
あたしの身体もこの黒い世界へ溶けて行った。




