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不条識な狼の理34

♗34


 出発してから二時間弱。突然霧が深くなった。



「だいぶ視界が悪いな。おい忍者。アタイに幻術でもかけたのかい?」

「かけてねえよ。あと言っておくが、カラクリ村の忍術は実質全部体術だ。火遁の術に至っては、体力で常にブン回すから、火傷しないだけで、あれ一瞬でも止めたら普通に火傷するからな。」



 あーまだヒカミがショーではやらせてもらえない練習だけの火遁の術ってそんな力業でやるもんなんだ。動画とかのファイヤーパフォーマンスってみんな簡単にやってのけるから簡単なものだと思ってけど、やはり並みならぬ努力は必要か。


「憶測でしか言えませんが、幻術って実際、麻薬による幻覚症状だと思うんですよね。麻薬などの取り締まりが始まったのは近代なので、江戸以前では山に入ればダチュラとか普通に手に入ったと思うんですよ。それを敵将のお茶に入れるなりなんなりで、身体に入れてしまえば、恐ろしい幻覚が見えると。わたしなりの見解ですが。」


 キアラが真面目に言う。確かにこれは信憑性が高い。幻覚系の葉っぱを飲ませて、幻覚を見せる。昔の時代を生きた人がいるわけじゃないから本当の正解は分からないけど、これはかなりアリの発想だ。


「やっ、でもわたしが今提唱したいのは幻術をどうやって起こすかじゃなくて、幻術の後に何が起こるかって話なんですけどね。」


 え?なに、その意味深なフラグ。


「攻撃。じゃねえの?」




 ヒカミの不吉な一言の後だった。ヒュッと風切り音が聞こえた。なんだろ、一番近い表現でバドミントンのスマッシュの時のあの高い音。


 さあ何が起きたと、見渡すと。ハクスイが頬を押さえていた。



「結構痛いわね。傷残りそうね。」


 ハクスイの手首には、抑えた頬から出血が伝っていく。見ると、頬から耳までしっかりと切り傷が刻まれているのだ。

 全員で指示もなく、臨戦態勢となった。


 歩が拳銃を抜く。ヒカミも短剣を抜いた。キアラもナイフを構えた。ハクスイも柄に手を添える。あたしは耳に全神経を集中させて、あたりの音を探る。あの風切り音の方角を知りたい。もう少し音が欲しい。

 そもそも。この霧の中でハクスイの身に何が起こった?確かに視界は悪い。ってもお互いの姿が認識出来る程度には見える。


 ハクスイの目の前に何かが現れて、攻撃を仕掛けたというのなら。ハクスイに限ってこれは絶対にありえない。居合抜き全世界三位という意味不明過ぎるスペックの彼女が目の前に敵が現れて抜かないはずがない。

 だとしたら、考えられる可能性は、この霧による視界外からの攻撃。銃撃なら銃声が鳴る。しかしさっき聞こえたのは風切り音。物理的に何かを振るったような音だった。

 では物理的に投げられたそれは何だ?あんなにもバックりとハクスイの顔に傷を刻んだ、それは。大きいのか小さいのか?



 匂いで追えないか。あたしたち五人以外の匂い。しかし、この霧に囲まれて霧独特の湿っぽい葉っぱの匂いと馴染んで何処かに変な匂いがするとかも特定出来ない。失礼だけど、キアラの変な体臭も邪魔だし、歩の持ってる火薬の匂いも強い。この自然界で他の異常な匂いが分からない。

 霧の外だろうか?霧の外からの攻撃で納得がいくし、この濃い霧の中で匂いが追えないのも納得がいく。少なくともあたしたちが風上に立っていると考えて。


 何物の攻撃か、どこからのものか?そんなものは答えが出る前に。この話は突然終わりを告げる。

 あたしの身体は傾いた。

 あれ?と後ろを振り返るとヒカミの姿が見えた。ヒカミに押されたとあたしの身体がぐらーっと後ろの地面に吸い込まれるその瞬間に。ヒカミの身体が消失した。








 顔はある。表情も見る。頭もある。腕もある。

 ああでも、片っぽだけ。

 あたしが急いでヒカミに駆け寄ると、



 ヒカミの身体は頭と左側の胸と腕しか無かったのだ。 


 何が起こったのか全く理解が出来ない。ヒカミの身体はどこに行ったの?

 あれだけ霧で鼻が利かないって困ってたのに、今はヒカミの血の匂いが凄く強い。

 どうしてだか、ヒカミは安堵の表情を見せた。いや、違うよ。今その顔は間違ってるって。緊急事態だよ、何安心してるの?止血しないと。

 ヒカミは何か伝えたそうにしていた。あたしはヒカミに顔を近づける。良かった耳が大きくて。これでヒカミが伝えたい事小さい声でも聞こえるよ。

 それもヒカミが何かを伝えそうに口を少しだけ開いて、あたしを見据えたその目は。




 瞼を閉じる事無く、色を無くした。




 笑っちゃう話なんだけど、あたしが殺すのと誰かに殺されるのはどうやら違う話らしい。

 あたしはヒカミに一ヶ月前にこれをやろうとしていたから驚きだ。

 そしてその一ヶ月前のあの日以上にあたしも狂えるみたいだから驚きだ。




 自分でも信じられない程の唸り声を上げながら、ハクスイと歩を振り払おうと必死だった。それがあたしの中でのヒカミの顔の次のコマの記憶である。

 自分でも何言ってるのか分からない唸り声で必死に振り払って走り出そうとするけど、一体どこに向かって走るんだろう。



 そして次の瞬間。またあの風切り音がした。

 目の前にハクスイの髪の毛が舞った。

 その様子を茫然と見てあたしは冷静になった。

 冷静というか。冷静に無理を悟った。

 今の攻撃を誰も予想出来なかった。勝てない。




 歩の舌打ちが聞こえて。


「逃げっぞ。」

 あたしは歩に持ち上げられた。そのまま歩は走り出す。ヒカミを置いてあたしだけを担いで走り出した。


『いやだ!ヒカミがまだいる!ヒカミを助けにいく!』


 何を言ってるんだ。あたしは。ヒカミを助けに行く?だって、ヒカミは。


「駄目だ。無理なもんは無理だ。今のアタイらは逃げれるかも危うい。遺体は諦めろ。」





 死んだんだ。



 霧を抜けて、崖崩れの斜面が現れて。気が付いたら崖下にいた。

 あたしだけじゃなくて、歩もハクスイもキアラもそこにはいて。ヒカミだけがいなくて。

 最期のヒカミの目は見開いたままだった。

 あたしはヒカミを連れてくる事は愚か、目を閉ざしてあげる事も出来なかった。

 短い時間を、何時間経ったかわからないって思う事はあるけど、どうやら時間はそれなりに経ってしまったみたいで、西日がきつくなってきた。



『あたしさ。護るって決めてたんだよ。あたしの安易な助けてから、ヒカミとハクスイを巻き込んで、実際二人には何度も助けらて。だってあたし初っ端から怪我してんだよ。一人で生き残れるはずないじゃん。二人に護ってもらえたから、最初の休憩所まで辿りつけたし。

 だからさ。こんな姿になって目覚めて、人間の時とは違う圧倒的な力を手に入れてさ。

 絶対護るって決めてたんだよ。今まで護ってくれた分、今度はあたしが護ろうって決めてたんだよ。

 なのにさ。あたし。また護られたよ。あたしのせいで、ヒカミは死んだよ。』

 独り言。


 カシャンと金属の擦れる音がして、煙草の匂いが鼻をついた。

 そういえば歩。出会って最初二日ぐらいは煙草吸ってたけど、それから煙草吸ってる姿を一度も見ていない。


「最後の一本だからさ。願掛けで吸ってなかったんだ。煙って死者への餞じゃねえか。線香がそうであるように。だから、これに火をつける時は、全てが上手く終わって、達成感に満ちた一服か、誰かが欠けた時。そう決めて、この一本は取っておいたんだ。」


 歩が、煙を吐きながら上を向く。


「煙草って美味いはずなんだけどな。この煙草は美味くねえな。流石に湿気っちまったかな。」


 歩の声が震えていて、歩から嗅いだことのない匂いする。でも体臭は歩のものだ。多分歩は泣いているからいつもと違う匂いなんだろう。

 あたしの狼の呪いも妥協点までなんとかする事は出来た。ミノタウルスも倒せた。多分何処か傲りはあったのかもしれない。

 人間の傲慢の象徴とされるバベルの塔の到着を前にして、あたしたちは無残にリタイアした。一人欠けた状態で。


 いや、なんだ何言ってるんだ?

 欠けた。死んだ。殺した。

 あたしが殺したようなもんだ。あたしを守ろうと。最後ヒカミはあたしを押して、あの瞬間に死んだ。

 あたしを押さずに、あたしがあのままあの場所に立っていたら死んだのはあたしだ。

 ねえ。どうして。あたしさえいなければ。あたしさえいなければ。全部全部全部こんな苦しみも何もかも全部。


 馬鹿みたいに涙が止まらなくなってしまった。

 あたしだけじゃなくて、ハクスイの嗚咽も聞こえた。ああ。なんかもうなんだよ。なんだよ実験。二場くそやろう。あたしくそやろう。




「皆さんに。」




 切り出したのはキアラだった。

「わたしが一つだけ話していなかった事を今からお話します。」




 煙草の煙の巻く、西日時。

 誰もが絶望を抱える中。彼女は凛とした態度で、話し始めたのだ。

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