不条識な狼の理30
♗30
強烈な朝日が差し込んできた。どうしてこんな何も陽を遮るものが無いところであたしは寝ていたのだろうか。起き上がると、ヒカミが木に寄り掛かったまま寝ていた。他のみんなは何処で寝たんだろう。
他の人たちを探そうと、歩き出そうと足元には何かがすぐにぶつかった。
固いわけでもないけど、柔らかくも無い。のしっとあたしの足にぶつかったそれは、普通じゃ考えられないものだった、そう普通なら。
少なくとも今のあたしたちは普通ではない。神隠しを切っ掛けに魂を測定する変な実験に巻き込まれてちょっと違う世界にいる。そしてあたしは呪いと科学により半身は狼の身体で、昨日まで牛人間と戦って、そして、野宿をしようと、昨日の夜を迎えた。
その夜を迎える前に、ハクスイが人を斬りあたしがそれを食べるという。そして今あたしが足を躓かせたのはどう考えてもその食べ残しだ。
吐き気。
とにかく走った。川の方へ。状況は良く分かってないけど、ヒカミがとにかく嘔吐音が苦手なのは知ってる。川に行けばヒカミは近付いてこない。
盛大に物音を立てたせいか、起きないで有名のヒカミも起きてしまったらしく、あたしを呼ぶ声がしたが、少しでも発声したら胃の中のものを全部ぶちまけてしまいそうだったので、無視して、川まで走った。
足を止めるは愚か、川が見えた瞬間、走りながら戻した感じがする。
ああでももう良いや。ここならヒカミは来ない。四つん這いになって、下を向くと容赦なく出る。
胃腸炎とかみたく心の準備が出来てから吐く訳じゃないので変な力みかたして鼻からも出てくるし、耳もツーンと圧迫される。っても人間の耳として機能してる左耳だけだけど。ついでに涙も止まらない。
気分は本当に最悪だ。もう何度目かわからない。ビチャビチャと吐瀉物が落ちる音。気持ち悪いも臭いも全部超えた。痛い。もう無理。もう出ないって。多分一生分だした。そんな気分。
自分が昨日何をしたか。全部覚えている。
あまりにも非現実的過ぎるので、夢だったのでは?と少し期待したが、強烈な吐き気と、出たものを見れば、自分が何をしたのかよくわかる。いや表現が甘い。何を食ったのかもよくわかる。の方が正しい。
川辺で手を洗う。口をすすぐ。顔を洗う。あたしの憂鬱を嘲笑うかのような綺麗な朝日で、綺麗な川で、波の中に自分の顔が反射して見える。
勿論、湖じゃなくて川だから、常に水面は揺れてるわけで、なにも鏡のように自分の顔がはっきり見えるわけではないけど、あたしの顔が半分人間で無い事はしっかりわかる程度には良く見える。酷いよね。無様な人食いの化物の面だ。
「おかしいわよね。水で洗って全部落ちたはずなのに、全然、落ちた感じがしないのよね。」
いつの間にか、あたしのすぐ近くで顔を洗ってたハクスイが話しかけてきた。流石に鼻まで自分の吐瀉物の臭いで参ってるので、ハクスイの匂いには全然気付かなかった。
人食いのあたしと、人殺しのハクスイ。あたしは、正直言って、その瞬間の現場には立ち会ってはいない。あたしが見たのは事後なのだ。
あたしが辿りついた時には、返り血に塗れたハクスイは座り込み、キアラはただ泣いて、あの男はもう息絶えていた。本来はすぐにでもハクスイに駆け寄るべきだったんだろうけど、あの時のハクスイが唯ならぬ寄せ付けない空気を纏っていた。それもある。それもあるが一番の問題は、あたしが唯ならぬ状況であったことであろう。
「サク。貴方はどこまで覚えてるの?」
『残念ながら、全部覚えてるよ。ハクスイが放心してるのに、それを助けに行かないで死体ばっか気になってたのも。』
鼻の穴をすすぎながら言った。臭いはまだ消えない。
「あらそう。お互い一生忘れらない日になったわね。」
さらっと言ってのけるから、この女どんな面してんの?神経図太い女だとは思ってたけど。そう思って、顔を拝んでやろうと、ハクスイの方も見やると。
……酷かった。
いや。美人が台無しというか。頬骨が折れてるんじゃないか?と疑う程度には顔が真っ青に内出血を催しながら腫れて。片目がほぼ開いてないのだ。目が開かなくなる程度に顔が腫れるって。
『うわ。お岩さんかと思ったわ。』
だって和服だし。
「失礼ね。お岩さんは瞼でしょ。私のは頬骨。」
あんまし変わらないと思うけど。
「後で、刀を研ごうかと思ってるんだけど、この顔で、和服で刀研いでたら、多分変な気を起こした人間も近付いて来ないと思うの。」
いや、マジで怖いし、別世界に来てまでして怪談撒いてどうすんの。
「でも、ほら私髪がすごく長いから、腫れてる部分髪で隠して、私って綺麗?って言いながら近付いて、綺麗って言われたら、これでも?って言いながら顔だして、抜刀して追いかけるってどう?」
『いや、どうって何?怪談にならないで。どっちかと言えば、あたしの方が、人狼でリアル怪談なんだから。その話は人間であるヒカミやキアラにふってよ。』
別に歩を差別したわけではないが、ここでに人間という表現に無意識に歩を抜いてしまったのはわざとではない。
「あはは。人間であるヒカミね。」
何がおかしいのだろう。
「後で、ヒカミにちゃんと詫びぐらい入れるのよ。」
『詫びって、何?』
「アンタ。狼になってる時は本当に倫理観があてにならないわね。」
それは。ごもっともだ。あたしの一連の行動に至っては常識が無いではなく倫理観が無いという表現が一番適切だ。だってあたしの中ではあれは食事という常識の元で行動していたのは確かだ。
「誰が、好き好んで、人間が人食いを見守ると思う?呪いとかで被害者ぶらないで。アンタと同じくらい、ヒカミも苦しんでる事ぐらい。わざわざ考えなくても分かる話じゃないの?」
ああ。そうだ。あたしが目覚めた時。ヒカミは隣にいてくれた。あたしはそこでヒカミに何も言わずにこの川に走ってきて、ずっと吐いてた。まあヒカミが嘔吐音が苦手だから急いで離れたってのもあるけど、礼の一つも無しに、ここにきたのは間違いだったと思う。
「先に行くわ。落ち着いたらちゃんと戻ってくるのよ。ヒカミだけじゃなくて余村もキアラも心配してたから。」
ハクスイはあたしを置いて、先にキャンプ地へ歩き出した。
その時にボソッと独り言で「私は人の姿でも倫理観が欠落しているけどね。」と呟いていたのも。あたしの聴覚が異常に発達しているせいで聞こえただけであって、ハクスイはまさか聞かれてたとは思わないと思う。
直ぐに戻る気にはなれなかった。ハクスイの言ってた落ち着いたらちゃんと戻って来るのよ。の落ち着いたらに甘える事にして、あたしは昨日の自分を辿るように、猪の糞を見つけた林の中に向かった。
思えばこの辺から自分はおかしかったような気がする。苛々してとにかく空腹でそれで猪を狩ろうって話をして。その途中でキアラの声を聞いて、朝起きたあの場所に行ったんだ。
それで、ずっとあの死体を見てたんだ。その死体以外に見たものは……
林の中を歩き回ると、キノコが視界に入った。ヒカミが懸命に色々見ていたけど、結局どれが食えるキノコかわかんねーとも言っていた。確かにキノコってのはどれが食べられるものなのか分からない。一見丸くて美味しそうなのに……
まるくて?そうだ。思い出した。
『満月。』
キアラも言ってたじゃないか。二場の人狼の呪いは満月の夜に人を食うと。
だとしたら、あたしは月一で人を食うって事なのか。それは……
『でも、ほら。もうゴールは目の前だから大丈夫だって。』
ゴールさえしてしまえば、元の世界、元の肉体に戻れる。人間の身体にさえ戻る事が出来れば人を食う呪いなんてもう無縁だ。きっと。
本当に?
どうしてこういう時、人間は怖い妄想をしてしまうのだろう。
あたしは元の世界に戻れば、また今までのように生活出来るのか?呪いなんて無縁で。
『君の場合。呪詛巻きの汚れた血で視えてる。』
二場はそう言っていた。あたしの視える体質を呪いと言っていた。じゃあ今のあたしの人狼の姿は?これも呪い。呪いの可視化?だとしたら一つだけ納得のいくことがある。こっちの世界に来てから一度も視えて無いのだ。
世界自体が異常だからあまり考えてこなかったけど、これはあたしにとって異常事態だ。あまりにも日常的に視えるから全然気にしてなかったけど、今更ながら、いくらこちらに人が少ないとはいえ視えないというのは異常だ。
現に昨日だって、あたしは悲鳴と匂いで、あの男の元まで辿りついた。もし、もしもだ。元の世界で昨日と同じシチュエーションがあったとしよう。
『あたしは、キアラの恐怖と男の欲を視て、駆け付けるはずだ。』
それが、視えなくなっている。
視えていたのは呪いのせい。狼になったのも呪いのせい。
【この世界において常識は通用しない。
通用するのは条理のみ】
これが条理か。
これは、ヒカミにも相談しよう。ヒカミの考えも聞きたい。少なくともあたしの元々生まれ持っていた呪詛は元の壱世界では視える体質という形で表れて、こちらの世界では狼になるという形で表れた。
そもそも、こちらの世界ではオバケが視え辛い何か仕掛けがあるのかもしれないけど、これ以上あたしの頭では考察出来ない。
そしてあたしの思考に一区切りが入ったのと、猪の匂いがしてきたのはほぼ同時の事。




