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不条識な狼の理20

♗20


『ねえ。ヒカミ。もしもだよ、もしもの話。今、あたしがまた自我を失ったらどうする?』

「そんなこと言ってるうちは。ならねーから大丈夫だよ。」

『そうじゃなくて。ねえ。真剣に答えて。』



 ヒカミは真剣に考えるように。天井を見上げて、そして言った。

「小便を漏らす。」

『いや、そうじゃなくて。』

 まあ、実際リアルな回答なんだろうけど。



『多分。あたし……また食おうとすると思う。』

 自分の中でやってしまった切っ掛けというのがまだ見つからないのだ。そう考えると何か拍子にまたこの怪力で抑えつけて、この爪で引き裂いて、右だけ発達したこの顎で骨も砕いて食いついてしまうのではと、あたし自身があたしに信用が無い。



「なあ。君はどこまで覚えてるんだ。言いたくないなら言わなくても良い。」

 ヒカミの辛辣な質問に。息が止まった。

 どこまで覚えてるって。



『……ぜんぶ。

 全部、憶えてるよ。二人を追いかけた事も。分かれ道で、ヒカミの血の匂いを追った事も。

 この爪が皮膚を突き破って、血が流れてくるのも。あの時あたしさ、血って暖かいんだって思ってたんだよ。だから、叫び声も怖がる顔も全部、全部全部。耳にも目にも残ってるよ。』



 言葉一つ一つ繋ぐ度に、あたしの脳内は普段の覚えの悪さが信じられない程度には。恐ろしくあの時の映像と、声と、体温と、触感と綿密に再生していた。

 なんの躊躇いもなく普通に食おうといしていた、自我とも支配とも言えず、ただまるで履き違えた善であるかのように、あの時の疑問を持たない行動の生理現象というか。

 何度思い返してもあの行動はどう考えてもおかしい。でもあの瞬間のあたしは自分の行動に少しも疑問を感じないで行動してる。叫び声を聞いても何も思わない。血が出ても何も思わない。それが一貫して全て当たり前の動作で次は頬張ろうと……



「そうか。辛かったな。」



 刺さった。



 なぜあれほどの恐怖を体験して、この人は、あたしに配慮するんだ。

「おれの判断ミスでもある。」

 またいつも通り、あたしはヒカミの言葉の意味が全然わからず、続きの解説を待った。

「モブ佐竹が絶対何もしないというのが常識にとらわれた判断だった。この世界で通用するのは条理のみ。だったら条理に沿って、サクの身に何かが起こるのは当然だった。」

 そんなの分かるはずないじゃん。どんなに頭のキレるヒカミでも分かるはずないじゃん。誰が、狼の呪いがあるから狼になってるなんて想像つくの。



「だから。ごめん。」

 何で謝るの。逆だよ。謝らないといけないのはあたしなんだよ。

 あたしは、この湧いてきた感情が理解できないまま咄嗟にヒカミの両肩を掴んだ。



 つもりだった。



 しかし、あたしの制御できないこの怪力は、ヒカミを椅子から落とし、あたしは四つん這いになって、ヒカミの両肩を床に抑えつけていた。

 まるで、あの時の捕食のように。




「あ……うあぁ、サク。」


 ヒカミの声が震えてることに気付いた。声だけじゃなくて。この小さな肩も。

 目は口ほどのものを言う。先人たちは凄い言葉を作ったものだ。嘘付きは目で見抜く。そこにあったのは少しの嘘もなく、あたしを見据えていた。



「いやだ。離して……くれ。」

 言葉一つ一つの、押し出すような、荒い呼吸からは緊張と。履き違えようのないあたしへの恐怖心がふつふつと伝わった。



 多分。世の中の児童虐待ってこんな構図なんだと思う。明らかな体格差、そして過去数度に渡って行われてきた暴行があるからこそ、これから何をされるか、分かっている。この先への恐怖心。叩く用途ではなく、物を取ろうと手を上げただけで、その子は頭を守るように。手前の行動で次何が起こるかを想像して行動する。

 いやでも、ありえない話だけど、ヒカミが味わった恐怖は、これから暴行を受ける恐怖じゃないんだ。



 これからあたしに食われる恐怖なんだよ。



「サク……頼むよ、聞こえてるんだろ。」

 あたしは、そのままヒカミを抱きしめた。


 多分唯一の希望が、この押さえてる体勢からの解放であったんだろう。ヒカミにしてみれば、予想外に近付いてきて、もっと押さえられたように思われたんだろう。

 直後、右耳の鼓膜が弾けそうな、叫び声とともに、小さな体がめちゃくちゃ暴れる。必死に逃れようと、両手足を動かして、蹴ろう外そうと必死だ。


 あたしの親友は。どれほどの苦しさを耐えてくれていたのか。

 辛い気持ちと、悲しい気持ちで、あたしの方こそ気が気でなかった。



『ごめんなさい。』



 声にならないぐらいの、泣きじゃくりながら、あたしの口からはそれしか出なかった。

 暴れるヒカミの動きが止まって、あたしがどれほど、ヒカミの胸の中で泣きじゃくったか分からない。


 意識がなんとなくはっきりしてきたのは、泣き過ぎて強烈な頭痛が始まった時だった。

 あたしが、ヒカミから離れると、ヒカミは自らの指先を見つめていた。ほんのりと血が滲んでいる。さっきの暴れた時に、あたしの身体のどこかを引っ掻いたんだと思う。



「おれも、君に怪我をさせた。これでチャラだよ。」

 圧倒的にヒカミの方が大きな対価を支払ってるはずなのに、これで対等と言い張るヒカミはやはりあたしは何をやっても敵わない。器の広すぎる人間だと思った。



 いやでも。今までは腕力でもヒカミに敵わなかった。ヒカミ曰く、あたしの方が圧倒的に体格は良いし筋肉量もあるけど、要は身体の使い方の問題で、あたしはヒカミより弱いってやつ。

 しかし、今は?身体の使い方関係なく、あたしの身体は一方的に怪力なのだ。人間の方が頭脳があって身体の使い方が上手くても、熊には敵わないように。あたしのこの怪力と、ヒカミの小さな体には、圧倒的な差がある。



 あれ程の恐怖に陥れ、ヒカミを傷つけたこの力を今度は護る力として使いたいと。あたしは心に決めた。

 この常識は通用しない。条理しか通用しないこの世界で。人間より動物の方が強いのはそれは条理だ。



 あたしは、今後。何があってもヒカミを護る。今まで護られてきた分。絶対護り通して、この世界をクリアして元の世界に戻る。そう心の中で一人誓いを立てていた。

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