不条識な狼の理2
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結局三人で集まる事もハクスイの先約により実現しなかったので、あたしは就職先の介護センターに来ていた。
「あら、樫山さん。今日も寄ってくれたの?」
あたしが来た事にすぐに気付いてくれたのは、いつもこの辺の掃除を好んでしているパートの方だ。
『ええ。あっ、でも顔出し程度ですよ。あたし昨日ここにタオル忘れちゃったんですよ。』
「ああ。もしかしてあの黄色いタオル、ごめんなさい。樫山さんのじゃなくて、会長のかと思って会長室に持って行ってしまったわ。」
『いえ。忘れたのはあたしの方なので。大丈夫ですよ。ちゃんと自分で取りに行きます。』
あたしはそう言って、事務室を出た。
三年間ここの介護センターで働いた割には、あたしは未だに会長室に行った事が無かった。
用も無いし。会長室は別棟なのだ。バイトのあたしがわざわざ行くまでもない。
っても来週からは、バイトじゃなくて、訓練生として行く事になるんだろう。
更栄の大改革の一つでこの国は、教育と就職の制度が変わった。
令和時代までは、大学卒業が就職の条件だったらしいけどデフォルト後の貧困少子化に伴い、大学まで出るのは学者志望のみに絞られた。
高校も普通科制度がほぼ撤廃され、職業訓練校のような専門分野制度の高校となった。
ってね、経済の授業で聞いただけだからどこまで本当か知らないけどさ、あたしたちが生まれるちょっと前の更栄の大改革で、旧大和時代のデータは殆ど情報規制が掛かったみたいだし。
でも、旧大和国時代の、先進国として活躍は世界でも目立っていたらしい。あの国土の小ささで世界に匹敵する経済力と生産性を誇っていたって。でもそれも五十年以上前の話。第三次世界大戦もとい第二次冷戦と言われるあの世界恐慌が起きた時に、旧大和国が一番最初に経済破綻させてくれたお陰で、世界戦争を免れた。他国の人は賢い民族だというけど、結果残ったのが発展離脱国と言われるあたしたちの世代に受け継がれた負の遺産。少子高齢貧乏国家大和国である。
そんなんで、ハクスイは進学だけど、あたしとヒカミは働くわけだ。
女子の場合は出産すれば補助金出るという選択肢もあるけど……残念ながらあたしにそんな相手はいないので、出来るなら普通に結婚して子供二人産んで普通に幸せな家庭を築きたいこの夢も一度リセットして。こんなあたしには介護関係の学校しか選択肢が無かったのだ。そんなもんだ現実。恋したい!相手いない!ハクスイ一人ぐらい分けてって一瞬思ったけど、なんかやだなぁ親友のお下がりって……
あたしは別棟へ向け歩き出した。
すると別棟入り口で、老人が独りぼうっと立っていた。
あたしは『こんにちは』と挨拶をすると、老人の横を通り過ぎた。
ふと、通り過ぎた老人の方へ振り向くと。そこに老人の姿は消えていた。
しかし。これはわりかし日常なのだ。
『ああ。今日は、お天気ですからね。』
あたしは姿の見えなくなったドアに向かって言った。
そうなんだ。
いつもの事。みんなが見えないものが視えてしまう日常。
所謂オバケと言われる。迷子になった霊体……というか残留思念。恨み辛みの生霊。
悪巧みの強い悪魔の様な念。そして呪い。なんなら守護霊様も。
それを定義することも証明することも出来ないけど、あたしには物心ついた時から、それが視えていた。
そんなあたしが、競い合い蹴り合いの競争社会の一般職など着ける筈が無いのだ。
誰かよりも良い成績を上げようと野心家がのさばる社会の中、あたしはヒトだけではなく、其のヒトから溢れ出ているオバケにまで気を使わないとならない。
だったら、何もかもがゆったりの流れるお爺さんとお婆さんに囲まれた介護センターがきっと一番の天職だ。
ここではヒトを恨む程の心の力を持った人はいない。
疲れきり枯れきり。安らかに余生を大事にする笑顔だけだ。
誰しも介護は痴呆が怖いっていうけど、痴呆の人は想念が強くないから、オバケも出せないから、あたしからしてみればそっちの方がよっぽど安全。
実はあたしが、ヒカミとハクスイしかまともに友達いないのもここに理由がある。
幼稚園児の時から、生きてる人と死んでる人の見分けがつかなったあたしは物凄い不思議ちゃん扱いで、幼きながらも避けられてるのがすぐにわかった。
小学生に上がった時、最初に出来た友達がヒカミだった。
どうやら、あたしがオバケと話してるという行為自体にヒカミは物凄く興味を持ったらしく、ヒカミの方からガンガン話しかけきた。
家も近かったし、当たり前の様にヒカミと一緒にいた。
二年生に上がってからかな。ハクスイと凄く仲良くなったのは。まーあれは良い話とは、言えないけど、多分あの件が無かったら、今ハクスイとはこんなに仲良くなってないんだと思う。
流石にね。ここまで大きくなればね。オバケ視えるのバレたら学校の居場所なくなるの分かるから、もう視えるのは内緒にしてるし、どっちが生きてる人間でどっちが想念かの見分け方もだいたいわかってきた。
まーそれも思い出せば、ヒカミの『サクの言う壁にめり込んでる奴は多分オバケだぜ!普通の人間は壁に入ると怪我する』って確かガラスに腕突っ込んで血塗れなりながら、言ってたんだよね。まだハクスイと仲良くなる前だから、あれ小一の時か。
あの時なんでヒカミはガラスに突っ込んだんだっけ?壁にめり込んでる奴はオバケ論がインパクトありすぎて、何で突っ込んだのか全然思い出せない。
あたしが急いで先生呼んでくるから大人しくしててって言ったのに先生と一緒に現場に戻った時には、自力で引き抜いて出血多量で失神してた。あたしは、それ見てヒカミが死んだと思ってボロクソ大泣きしてたんだよね。
そこまで思い出せるのに、やっぱり肝心のガラスに突っ込んだクダリが全く思い出せない。
会長室はこの通路を真っ直ぐに。
ふと、廊下に黒い煙が立ち込めた。
火事?……じゃない。経験論から言える。
犯罪者並みのただならぬ黒い想念。
これ程の実体化。っても視えるのあたしだけなんだけどど出来る程の凄まじい集中力。
凄まじい悪巧みや、物凄い瞑想の後、世界の悪いものを凄く憂うとかじゃないと、こんなトンデモない大物は滅多に出ない。
背筋に鳥肌が登った。嫌な事を思い出した。
こんな感じに煙じゃなくて、黒い水の想念は見た事があった。
五年前の地震だ。あの時の津波警報が尋常じゃなく、実際はそんな大きな津波はこなかったんだけど、あたしたちが生まれるずっと昔に起きた平成の大津波の恐怖を思い出した大人たちの怖いという感情が、黒い水になってあたしには視えた。
この黒い想念は怖い。小さいものなら、見慣れたもんだけど、この集合体のように大きなものは途轍もなく怖い。飲まれる。この大きな黒いものは基本的に災害時じゃないと視えないんだけど。これを視る度に思う。
『オバケが視えなくなりますように。』
小さい頃から、あたしだけが知る恐怖。他の人には視えない。
恨みを超えた黒い想念は、恐怖と憂いだ。
今ここに立ち込める煙もあの時の黒い水に似ている。
しかし、この黒い煙の感情は、怖いよりかは憂いに近いし、そして、あの黒い水は多くの人の声から形成された集合体だったのに対し。この煙。多分個体から出てるのだ。個体から、こんなにも黒い煙。まるで呪いの様な。
あたしは煙の出どころの部屋の中を覗いた。中は煙の中に老人が座っていた。
まさか?老人が?ありえない。
どう見たって年齢的に脳の機能が低下してるのに、こんな集中力を保ってるはずがない。あたしはその老人と煙のたち込めるドアを開けてしまった。
この、選択がのちに死ぬほど後悔に繋がる。運命が狂う瞬間だった。
結論から言うと。あたしは明日、卒業式には行けなかった。
いや、あたしたちは。だ。




