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左甚五郎  作者: 五作
1/1

一の巻

2006年7月に書いた作品ですが、手直しをして投稿しました。

    一の巻


 今も昔も変わらぬものは、あの日光の東照宮

 山門に燦然と色あざやかに威厳を保ち

 天に向かってそびえ立つ、名工たちの技の粋

 中でもひときわ目を引くは、牡丹に眠る猫の彫り

 見る人すべて感嘆の、声を張り上げ名人と

 誰の作かと聞くなれば、日本一の彫り物師

 花のお江戸は浅草育ち、姓は左、名は甚五郎

 今からざつと四百年以上、 昔のお話しでございます。


 播州明石(兵庫県)に生まれた大工の子供、利勝は今日も父の削ったかんなくずや棒の切れはしをいじって、一人で遊んでいます。

 物心ついた時から日がな一日、父のかたわらで飽きもせず毎日毎日、木を切ったり削ったりすることが、楽しくて楽しくて仕方ありません。

「おい、とし坊、大きくなったら何になるんだ」

 いつものように父が聞くと、決まって同じことを言うのです。

「おとうみたいな立派な大工になるんだ」と、胸を張って答えます。

 そんな嬉しい言葉を聞くたびに、父は子供の利勝にのこぎりやかんなを貸してやり、

「とし坊、板はこうやつて削るんだ、いいかよく見ていろよ」

 そう言っていつも手本を見せてくれました。

 もともと父は腕のいい大工でしたから、利勝は十二歳の頃になると大工仲間が舌をまくほどの上達ぶりでした。十五歳で京都は禁裏の大工、与平次かたへ修業に入って五年がたち、ようやく一人前になった頃でした。

「親方、どうか私を江戸へ行かしてくださいお願いでございます。江戸で自分の腕を試してみたいのです」

 思い詰めた顔で頭を下げると与平次は、

「そうか、お前もいつか独立してやってみたいと言う日が来ると思っていたが、そうかそうか決心したか」

 弟子の利勝を見つめ、二十年前の自分を重ねあわせ感慨深げに、

「若いってことはいいもんだなあ、よし、江戸へ行ってお前の腕を試してきな。ところで一口に江戸といっても広いところだ、お前、知り合いでもいるのか」

「いえ、知り合いはおりません」

「そうかそれだつたら俺の兄貴分で、松吉という人が浅草にいるんだが、まずはそこへ行って厄介になりな。な〜に、松吉あにいは昔から面倒見のいい人だから、心配いらねえよ」

 話がトントン拍子に進んで、いざ京都を立つ前の日に親方の一人娘で、十六歳になるおきよが急にいっしょに行くんだとだだをこね、挙げ句の果てには祝言をあげることとなり、慌ただしく関所手形を揃えたり旅の支度で、出立が四日も遅れてしまいました。

 祝言を期に利勝は名を改め、左甚五郎と命名します。

 野心を抱き、いちろ江戸は浅草柳町、親方の兄貴ぶん松吉宅を目指して東海道をおきよと二人、ひたすら歩きつづけました。

 京都を立って九日目、ようやく浅草についた時刻が四っどき(午前十時)、やっと松吉宅を訪ね当てると気っ風のいいお内儀さんが出てきて、棟梁はいま仕事に出ているとのこと。名をなのり京都の大工、与平次の紹介で来たことを告げると、お内儀さんはすべてを承知しているそぶりです。

「さあさあ、狭苦しいところですが上がってくださいな」

 手早くお茶を出し、

「いま家の人を呼んできますからちょいと待ってておくんなさいな」

 草履をひっかけると慌てて駆け出して行きました。すぐに向こうから黒の雪駄に松葉じるしの袢纏、ねじり鉢巻き姿のいなせな松吉が小走りに駆け込んできました。

「おう、与平次さんとこの若い衆かい、あつしは棟梁の松吉だ」

「私は左甚五郎と申します、こつちは女房のおきよでございます」

 二人いっしょに下げた頭をゆっくり上げると松吉が、

「おっ、おめえ、おきよ坊かい、そうだ、そうだ、おきよ坊だ覚えているかい、そうさなあ、お前さんがまだ二つか三つのころよく肩車をしてやった松あにいだよ。まあ、あの時は小さかったから思い出せねえのも無理はねえ。それにしてもべっぴんになったもんだ、あのよちよち歩きのおきよ坊がねえ・・・」

隣にいた女房のお米が、話に夢中になっている松吉の腰を突っつくと、

「おう、そうだそうだ、お米、おいらがいつも話していた兄弟ぶんの与平次さんとこの娘さんだ」

「その節は家の人がお世話になりました」

「いえいえ、あたしの方こそご主人さまにお世話になって…」

「え〜い、面倒くせえ挨拶はぬきでえ。ところで甚五郎さんこれから先どうするつもりで」

「はい、この江戸で自分の大工の腕を、試してみたいと思っております」

「そうですかい、まあ与平次に就いて修行したんなら腕は確かだろうが、とりあえず夫婦水入らずで住む家がねえことには始まらねえ。そうだこの裏長屋に空き家が一つあったはずだが、おいらが今から大家に掛け合ってやるから、それまでここでゆっくりしてくんねえな。お米、あとはたのんだぜ。ちょっら行ってくらあ」

「なんぶんよろしくお願いします」

 甚五郎とおきよが両手をついて、ふかぶか頭を下げるとお米が、

「いいんだよ、家の人は世話をやくのが三度の飯より好きなんだから、礼はやぼってもんだよ」

「ありがとうございます。お言葉に甘えてしばらくお世話になります」

 そうこうしているうちに松吉が、小走りに帰ってきました。

「おう、今からでも長屋にへえってもいいってよ、大家と話はついたぜ」

「おや、お前さんずいぶんと早いねえ」

「あたりめえよ、こっちとら江戸っ子でえ、ちんたらやってちゃ日が暮れっちまうてえもんだぜ。甚五郎さん、細かいことはお米とおきよさんにまかせて、ちょいと仕事場に来てくんねえな。皆に紹介するぜ、この裏手なんだ。な〜に、手間はとらせねえ」

 松吉の後ろから甚五郎がついて行くと、ちょうど三人の大工が長屋の建て増しをしているところでした。

「お〜い皆、ちょいと仕事の手をやすめてこっちへ来てくんな。この人はおいらの兄弟ぶんの弟子で左甚五郎さんだ。しばらくの間めんどう見ることになったんで、よろしくたのむぜ。年は若いが腕は確かだ、おめえたちもせいぜいきばって腕をあげてくれ。おう、そっちにいるのが半次だ」

「へい、よろしくねげえます」

「こっちが留造だ」

「はい、よろしく」

「その後ろにいるのが五作だ」

「へ〜い」

「甚五郎さん、悪いがちょいとそこの板にかんなかけてくんねえな」

「はい」

「半次、甚五郎さんにかんな貸してやんな」

「へい、分かりやした」

 甚五郎はかんなを受け取ると、裏返しにして刃を確かめます。

「親方、ちょっとかんなの刃を磨がさせてもらいます」

「おう、砥石はそこの井戸端に置いてあるから、おめえさんの好きなようにしな」

「はい」

 そう言って、金づちとかんなを持って井戸端に座ると、刃を抜いてからゆっくり磨ぎ始めます。かれこれ四半刻もかけ、一心に刃を磨いでいます。

 一番年下の五作が、兄貴かくの半次にそっと近寄り、

「あの野郎まだかんなの刃、磨いでますぜ。ずいぶんと気のなげえことで、いってえいつまでかかって磨いでいる気なんでしょうかねえ」

「いいじゃねえか、親方の兄弟ぶんの弟子なんだ、好きにやらしておけ」

「へえ」

「お〜い皆、仕事もちょうどきりがいいから昼飯にしようじゃねえか」

「へ〜い」

 皆は車座になって弁当を広げ食べ始めていますが、甚五郎だけは一人、真剣にかんなの刃を磨いでいます。やがて静かに立ち上がると、金づちで刃をはめ込み板の前に立ち、勢いよくかんなをかけ始めました。

「シュル、シュル、シュル」

 薄くて長い帯状のかんなくずが飛び出してきます。

「シュッ、シュッ、シュッ」

 今度は小気味よい調子で、鰹節を薄切りにしたようなかんなくずが舞い上がります。

 もう一枚同じ長さの板を持ってきて、またかんなをかけ始めました。

 やがてかんなをかけ終わると、二枚の板はお天道様の日を受けて、鏡のように光り輝いています。甚五郎がそっと板を重ねると、まるで吸い付くようにぴったりくっついて、どう見ても一枚の板にしか見えません。

 甚五郎はかんなを脇にそっと置き一礼すると、すたすたおきよの待っている親方の家へ帰って行きました。

 握り飯をほうばりながら、少し離れたところからじつと見ていた五作が、

「半次あにい、あの野郎かんなかけ終わったと思ったら、とっとと帰って行きやしたぜ」

「そうか、ど〜れ、あいつの仕事ぶりをじっくり見せてもらうとするか」

 半次はおっとりとした足取りで、さっきまで甚五郎がかけていた板の所まで来て、ふと足元のかんなくずを見るや、急に顔色が変わりました。

「なに、まさか・・・あの野郎が削ったというのか」

 透き通るような薄いかんなくずを手に取り、

「こりゃあ、とんでもねえ奴が来たもんだ。おい、おめえたち、ちょいとこっちへ来てこれをよく見ねえな」

 留造と五作にかんなくずがよく見えるように差し出すと、間のぬけた五作が、

「半次あにい、そりゃあ親方の削ったかんなくずで」

「馬鹿野郎、これはたった今、甚五郎さんが削ったかんなくずだ」

「へ〜え、こりゃあ親方とおんなじだ」

「そうよ、てえことはだな、親方とおんなじ腕前ってえことだ」

「えっ、親方とですかい」

「そう言うことよ」

 半次は考えるように腕を組み、

「もしかすると・・・」

「半次あにい、もしかするとって何です」

「親方よりも仕事の腕が上だってえことよ」

「へ〜え、あの甚五郎さんがねえ」

「五作、おめえさっきまであの野郎呼ばわりしてなかったか」

「へっへへ、あいすみません。あんなりっぱな腕があるとは思わなかったもんで、つい」

 頭をかきながらうつむいてしまいます。半次はきれいに削りあげられた板に目をやり、

「ほ〜う、これはおいら以上の腕前だ」

 なにげに一枚の板を手に取ると、

「な、なに。こ、これはいってえどうなっているんだ」

 そこには板目と板目の違う板が一枚の板となって、吸い付くようにピッタリと合わさっているのです。留造と五作が半次を心配顔でのぞき込み、

「あにい、どうかしたんで」

「おい五作、すぐに親方を呼んできてくれ、いそいでだ」

 ただならぬ半次あにいの顔色に気圧され、五作は夢中になって走りました。

 一方、親方はお米たちといっしょに昼飯を食いながら、のんびりお茶をすすっています。もちろん甚五郎と妻のおきよもいっしょです。

「お、お、親方。は、半次あにいが早く来てくれと言っておりやす。は、は、早く行ってやっておくんなせえ、おねげえしやす」と、急かします。

「なんでえそんなに慌てくさって、昼飯ぐれえゆっくり食わせろってんだ。親が死んでも食休みてえことを知らねえのか」

 五作の慌てぶりに飯もそこそこ駆け付けてみると、半次の様子がいつもと違い、思い詰めるような眼差しで板をじっと見ています。

「おい半次、どうした」

「あっ、親方、こ、これを見てくだせえ。甚五郎さんがたった今、削ったもんで」と言ってかんなくずを差し出します。それを松吉が受け取り、

「う〜ん」と唸ったきり黙ってかんなくずを見続けています。

「親方、この板も見ておくんなせえ。甚五郎さんが張り合わせたものです」

 手にとってよく見れば、なんと二枚の板はピツタリ張り付いて、一枚の板になっています。

「こ、こ、これは・・・おい半次、甚五郎さんの使ったかんなを見せろ」

「へい親方、これです」

 じっくりとかんなの刃を見てから、慎重に親指の腹を刃に当て、

「おめえたち、こりゃあ只者じゃねえぞ」

 若き日の左甚五郎が江戸へ出てきてからの一説、まずはこれまで。


     二の巻

         

      一


 甚五郎とおきよが慌ただしく夫婦となって京を立ち、おきよの父、与平次の紹介でむかし兄弟ぶんだった大工の棟梁、松吉をたよって江戸は浅草柳町、通称うなぎ長屋を世話してもらい、所帯持ちらしくなって二年。

 ようやく江戸の言葉にもなれ、おきよも今ではおかみさんが板に付いてきました。

 八日前から梅雨を思わせるような長雨で、仕事がないのを幸いに甚五郎は少しの晴れ間を見ては神社や寺を見て歩き、屋根や柱、仏像、飾り彫りなど参考になるものはすべて自分の目で確かめ、常に研究に余念がありません。

 今日もちょいと足を延ばして、千住方面のお寺を見に行こうと一歩外へ出ると、おきよが隣の三歳になるお花ちゃんと、心配顔で話をしています。

「あっ、甚さん、ちょいとお花ちゃんの相談にのっておくれよ」

「どうしたんでえ、二人してばかに深刻そうな顔じゃねえか」

「じつはね、お花ちゃんの飼っていた子猫がもう十日も帰ってこないんだって。それで毎日雨の日も風の日も、お花ちゃんはこうして家の前に立って、子猫の帰りを待っているんだって。おっかさんが風邪をひくから家の中に入れと言っても、言うことをきかないんだよ。ほら、お花ちゃんたら額がこんなに熱いのに我慢してさ・・・けなげだねえ」

「お花ちゃん、子猫ってえのはあの白い猫のことかい」

「うん、たまというの」

 お花は腫らした目を小さな手でこすりながら、蚊の鳴くような声で答えます。

「よし、甚五郎おじさんが捜してきてやるから、お花ちゃんは家の中で待っていな。さあさあ家へ、へえった、へえった」

 お花ちゃんをむりやりせき立て、家の中へ入れてしまいます。

「おきよ、ちょいとこの辺りを捜してくらあ、な〜にたかが子猫だ、そう遠くへは行かねえだろうよ」

「見つかるといいね、それじゃあ甚さんたのんだよ」

 暮れ六つ頃になって、一雨きそうな嫌な雲行きです。

 甚五郎は肩を落とし、重い足取りで帰ってきました。

「おきよ、いまけえったよ」

 声に張りがありません。

「やっぱり駄目でしたか」

「ああ、八方手をつくしたが駄目だった」

「可哀相に、お花ちゃんの悲しむ顔が目に浮かぶねえ」

「仕方がねえよ、捜すだけは捜したんだからな」

「そうだ甚さん、いいことがあるよ」

「なんでえ、そんなに張り切って」

「甚さんは彫り物が得意じゃなかったかい」

「ああ、こう見えてもてえげえのものは彫れるんだぜ」

「だから、ほら、子猫を彫って・・・」

「そうか、おいらとしたことがそこまで気付かなかったぜ。よ〜し、そうと決まれば可愛い子猫を、お花ちゃんのために彫ってみるか」

 甚五郎はすぐに仕事に取りかかります。女房のおきよも針仕事をしながら、夜中まで付き合います。


      二


 隣り合わせは親戚同様、かわい子供のためなれば

 一肌ぬぐが男伊達、待ってておくれお花ちゃん

 きっと気にいる可愛い子猫、真心こめて精魂こめて

 のみの動きも滑らかに、ときを忘れて打ち込む姿


 明け六つ、昨日までのうっとうしい雨が、今日は一転して雲一つない日本晴れです。     井戸端で、お花ちゃんのおっかさんが、朝げの支度で大根を洗っています。

 おきよは甚五郎の彫った子猫を抱えて足早に近寄り、

「おはようございます、お勝さん」

「おや、おきよさん、おはようさん今日は少し早いんじゃないのかえ」

「はい、家の人がこれをお花ちゃんに渡してくれと」

 そう言って甚五郎が彫ったばかりの子猫を差し出します。

「おや、ずいぶんと可愛い子猫だねえ。いまにも動き出しそうだよ、この子猫を見たらお花はきっと喜ぶよ、ありがとうよ。じつはね、昨日もろくすっぽご飯を食べていなくてね、家の宿六とどうしたものかと心配していたところなんだよ。本当にありがとうよ、そうだこの大根持ってお行きよ、甚五郎さんに食べさせておやり。それとこの山芋も、精がつくんだよ」

「お勝さん、いつも頂いてばかりですみません」

「隣どうしじゃないか、そんなに気を使わなくていいんだよ。あたしゃさっそくこの子猫を、お花に見せてやるよ」

 お勝は嬉しそうに子猫を抱いて、小走りに家へ入って行きました。

さあそれからというもの、お花はどこへ行くにも、甚五郎の彫った子猫を抱いて出かけます。

 今日は、おっかさんとおとっあん三人で、神田明神の祭りに行くんだと、お花は朝から大騒ぎです。昼の九つすざから神輿や山車が出るからと、少し早めにでかけて行きました。

 まだ日射しも強い暮れ六つどき、お花親子が顔色を変えて祭りから帰ってきました。

「じ、じ、甚五郎さん、て、て、てえへんだ」

 息せき切って引き戸を開けて、親子三人飛び込むように中に入ると、ちょうど甚五郎は上がり框で、たばこ入れに下げる根付を彫っているところでした。側でいつものようにおきよが、内職の針仕事をしています。

「あら、隣の熊吉さんにお勝さん、お花ちゃんまでいっしょでお祭り楽しかった」

「お、おきよさん、そんなのんきにしている場合じゃないんだよ。たいへんなことが起きちまったんだよ、いえね、あたしら三人が祭り見物をしながらぶらぶら歩いていたら、身分の高そうなお侍さまが目の前に急に現われて、お花の抱いている子猫を見せてくれと言うんだよ。しばらく見たら今度は売ってくれと言うからあたしゃ言ってやったんだよ。お売りできるような大層な品ではございません、これは先日飼っていた子猫がいなくなり、代わりに作ってもらったもので、それにこの子も気に入っておりますと言ったら、だれが作ったか教えてくれと言うんだよ。あまりにお侍さまが真剣に聞くから、あたしゃ少し怖くなり、家の人に助けてもらおうとしたらなにさ、この役立たず。お花を盾にあたしの後ろにぴったりくっついて震えていたじゃないか」

「な、なにお、あ、あれは震えていたんじゃねえ。第一相手は二本差し、お、おいらは丸腰とくりゃあ、武者ぶるいに決まっているだろうが」

「ふん、怪しいもんだねえ、まあそんなことはどうでもいいんだけどね。あたしゃつい、浅草柳町うなぎ長屋の甚五郎さんだと言ってしまったんだよ。そしたらお侍さまが、余は寺社奉行脇坂淡路守重行じゃ、と言うじゃありませんか。もう、あたしゃ生きた心地がしませんでしたよ」

「お、お、おいらもでえ」

 それでお奉行さまが家の人に銭をむりやり握らして、ぜひ譲ってくれと頭を下げたものだから、子猫を思わず渡してしまったんだよ。そしたら、かたじけないと一言いったらくるりと背を向け、あっという間にもう人ごみの中へ見えなくなってしまって。そうこうしていたら、家の人の様子がおかしいんだよ」

「お、お、お勝、こっ、こっ、こっ・・・」

「どうしたんだよ、お前さん。鶏のしくじりみたいな声だして、何が言いたいのさ」

「こっ、こっ、小判だあ」

 ふだん見たこともさわったこともない熊吉が驚いて叫びました。

「あたしも山吹色に光る小判を見たら、急に頭の中が真っ白になって、あとさきも考えず大急ぎで帰ってきたわけなんだよ」

 お勝はしっかり握りしめた四枚の小判を、甚五郎の膝元へそっと差し出して、

「これはそっくりお返ししますよ。もともとあの子猫は甚五郎さんが彫ったものだからね、ねえ、お前さん」

 お勝は亭主の熊吉に目配せして同意を求めます。

「あ、ああ、これは全部、甚五郎さんのものですぜ」

「待ってくだせえ熊吉さん、そりゃあいけねえよ、あれはおいらがお花ちゃんのために彫ったものだ。受け取る筋合いのものじゃねえんだ、だからこれはそっくり熊吉さん、おめえさんのものだ」

 いや受け取れねえ、いや受け取ってくれとどちらも意地の突っ張り合いで話は尽きません。見かねたおきよが中に入って、

「まあ、まあ、甚さん、家と熊吉さんとで半分づつにわけたらどうです」

「そうだ、それがいい、ぜひそうしておくんなせえ。熊吉さん、お勝さん、そうしてもらえりゃあおいらとしても恨みっこなしで気が楽だ」

「いいのかい、おきよさん」

 お勝はうれしい反面不安げに二両受け取りました。皆のやり取りをお花ちゃんはぼんやりと見ています。おきよがすぐに気付いて側により、

「お花ちゃん、子猫がいなくなって寂しいね」

「うん」

 つぶらな瞳で小さくうなずく仕草がどこかいじらしく、はた目にも気の毒です。

「今度はもっと可愛い子猫を作ってもらおうね。ねえ、甚さん、いいでしょ」

「あっ、そうだ」

 甚五郎は思い立ったように柏手を一つ打ち、

「たったいま子猫の根付けが出来上がったところなんだ」

 根付とは煙草入れや印籠などが落ちないように、ひものはしに付けた小さくて精巧な細工ものです。この時代、腰に刀を差さない町人に広く愛用されました。

「お花ちゃん、おいで、これを帯にしっかり付けておけば、いつでも子猫といっしょだぜ」

 お花は甚五郎から子猫の根付けを受け取ると、小さな両手のひらに乗せてたいそう嬉しそうに見ています。

「お花、礼を言わなきゃいけないよ」

「うん、甚五郎おじさん、ありがとう」

「ハッハハ、いいってことよ」

 お花はペコリと頭を下げると、また嬉しそうに両手のひらに子猫の根付けを乗せ、あきもせず一所懸命ながめています。

「また甚五郎さんに子猫を作ってもらってすまないねえ」

 そう言ってお勝はすぐににぶい亭主の尻を小突くと、熊吉はおずおずと前に出てきて、おきよと甚五郎に何度も何度も頭を下げ、帰って行きました。

                             

     三


 数日がたち、甚五郎は相変わらず寺や神社を見ては、コツコツと建築や飾り彫り物の勉強をしています。おきよの針仕事では日々の生活もたかが知れていますが、いよいよ銭に困ると背に腹は変えられぬと、大工の棟梁、熊吉をたよって仕事の手伝いをさせてもらいます。手伝いといっても甚五郎は人並み以上の腕を持っていますから、松吉も二つ返事で承知です。難しい細工ものや、親方のやる仕事はほとんど任されて、反対に助言をするほどです。大工仲間も甚五郎には一目置いてますから、仕事は思いのほかはかどり松吉も大喜びです。

 そんなある日のこと、とつぜん寺社奉行、脇坂淡路守重行より呼び出しの命をうけ、神妙な顔つきで出かけて行きます。

 途中、甚五郎は大川を渡って向島までの道のりを、ゆっくりと歩きながら考えます。

「はて、おいらどうして呼ばれたんだろう。何か悪いことをした覚えはねえし、いや待てよ、相手はお奉行さまだ、こりゃあ下手をすると一生けえってこれねえかも、そんなことになったらおいら、おきよとは二度と会えねえで…」

 悪い考えばかりが頭をよぎります。

 やがて寺社奉行の門前に着くと、覚悟を決めて門番に取り次いでもらいます。

 客間に通された甚五郎は、緊張しながら待っていると奥のふすまがサラリと開いて、お奉行さまが現われ気さくに声をかけました。

「待たせたの、まあそう堅苦しゅうせずともよい。茶でも飲んで楽にいたせ」

 奉行はゆっくり座布団に座ると、おうようにひじを脇息にのせ、

「今日そちを呼んだはほかでもない。先日、神田明神祭礼見物のおり見事な猫の彫り物を見つけての。無理に頼んで買い上げしが、あまりの立派な出来ばえゆえ床の間に飾っておいたのじゃ。折しもその日に家老、細川越中守さまが見えられての、早々そちの彫った猫に目を止められ、長いこと見ておったのじゃ。たいそう気に入ったご様子で、一向に手から放そうとなさらず、ただただ猫を誉めるだけなのじゃ。内心は欲しくて欲しくてたまらなかったのじゃろうが、遅まきながら気づいての、そんなに気に入ったのなら差し上げましょうと言って、細川さまの手に無理矢理おしつけたのじゃ。口では遠慮していても、顔は満面の笑みを浮かべておった。それから三日後に、今度は吉報を持って訪ねてきたのじゃ。それでじゃ、日光山東照大権現さま社殿改築にともなう装飾彫り物を、ぜひともそちにと、な。どうじゃ甚五郎」

「ありがとうございます、身に余る光栄でございます」

「では引け受けてくれるか」

「はい、あっしのような者でよければ、喜んでお引き受けいたしやす」

「そうか、そうか、拙者もそちの彫った猫を、細川さまに差し上げたかいがあったというものよ。今日はご苦労であった」

 甚五郎は上々の首尾で、寺社奉行をあとにしました。


     四


 甚五郎は家へ帰って一部始終をおきよに話すと、我が事のように喜んでくれました。話はすぐに大工の棟梁、松吉夫婦に伝わり大工仲間も駆け付けて、うなぎ長屋は大騒ぎです。酒をとるわ赤飯は炊くわ、大家さんからは尾頭付きの鯛が届けられるわで、祝ってくれました。

 あくる日、甚五郎は目の回るような忙しさです。

 試し彫り用の材料を調達したり、どんな図柄にしようかと考えたり、忙しい中にも充実した一日です。いよいよ図柄が決まると試し彫りに入ります。試し彫りと言っても、実際の大きさの四分の一くらいの板に彫るのです。

 十日たち二十日が過ぎたころ、甚五郎の手がときどき止まるようになり、何か物思いにふけっている素振りです。おきよが心配して、

「甚さん、はかばかしくないようだけど、どうかしたのかい」

「いや、なんでもねえ」

 試し彫りの板をじっと見つめていますが、目は心なしかたよりなげです。

 しばらくして甚五郎はのみを脇に置くと、

「おきよ、なんとか出来上がったぜ、ちょいと見てくんねえな」

「あいよ、ずいぶんと立派な彫りものですね。これは獅子に牡丹ですか」

「ああ、牡丹の花の中に獅子が踊っている図柄だ」

 おきよは食い入るように見ていましたが、やがて試し彫りの板をそっと床に置き、覚悟を決めたきびしい表情で、

「甚さん、悪いけどこの仕事はやめた方がいいよ」

 甚五郎は思いもよらぬおきよの言葉に、

「な、なにお、この仕事のどこがいけねんだ、言ってみろ。事と次第によっちゃあ女房のおめえでも容赦はしねえぞ」

 いきり立つ甚五郎をしっかと見すえ、

「こう見えてもあたしは禁裏の大工、与平次の娘だよ。この仕事がいいか悪いかぐらいのことはわかります。いまここにおとっつあんがいたら、あたしとおんなじ事を言ったでしょうね」

 目には涙を浮かべながらも、甚五郎をしっかと見据えています。

 甚五郎は自分の気持ちの迷いが、試し彫りに出ていることをすべておきよに見透かされていたと悟り、力なくなく両手を床に突き伏し、

「す、すまねえ、獅子は彫れても牡丹はどうしても彫れねんだ。生まれてこの方、一度も花なんぞ彫ったことがねえし、やっぱりおいらにゃこの仕事は荷が重すぎるんだ」

 自分の腕の未熟さと悔しさに、握った両のこぶしは震えています。

「甚さん、なにをそんな弱音を吐いているんです。甚さんほどの腕があれば、牡丹なんてきっと彫れますよ」

 言い終わるやおきよは立ち上がり、玄関へ行くと勢いよく草履をはき、外に飛び出して行きました。甚五郎は呆気に取られて見ていましたが、四半刻して両手に牡丹の花をいっぱい抱えて、おきよは嬉しそうに帰ってきました。

「お、おきよ、いってえその牡丹はどうしたんでえ」

「この近くのお寺さんで、わけを話して牡丹を少し頂きたいと言ったら、話の分かる住職さんだねえ、いくらでも持っていけと、ほらこんなに沢山くれたんですよ」

「ほ〜う、よく見ると牡丹てえのは、ずいぶんときれいな花だったんだなあ」

「ホラホラ甚さん、そんなに見惚れている場合じゃないでしょ」

 おきよはそう言うと、手際よく桶に水を入れて牡丹を生けると、甚五郎の前に置きました。

「よし、おいらおめえのためにも、人様から立派な牡丹だと言われる物を、きっとこの手で彫って見せるぜ」

「そうだよ、その意気だよ、甚さん」


      五


 思い込んだら命懸け、岩をも砕く執念で

 脇目もふらずのみを打つ、鬼神と化したその気迫

 昼夜をとわず彫り続け、一心不乱に彫りあげた

 真心こめて愛をこめ、陰におきよの励ましが

 あったからこそ彫れたのだ、牡丹に踊る唐獅子を


「甚さん、とうとうやりましたね。りっぱな出来栄えですよ」

「ああ、おめえの励ましがなかったらおいら、こうは上手く彫れなかったぜ」

 甚五郎の目からは、みるみる熱いものが込み上げて、おきよが霞んで見えます。

 二人は手と手を握り合い、今までの苦労をねぎらうのでした。

 ようやく落ち着きを取り戻すと、おきよは濡れた頬を着物のたもとで拭き拭き、試し彫りの板を今度は少し離して壁に立て掛け、また二人でじっくりとながめ直します。

「甚さんは、やっぱり名人だねえ」

「へん、そんなにおだてるねえ、照れるじゃねえか」

「ところでどうして獅子に牡丹なんです。何かいわれでもあるんですか」

「ああ、昔から獅子は百獣の王、牡丹も百花の王とかで富貴の象徴なんだ。それによ、あの楊貴妃も牡丹が大好きだったんだとよ」

「へ〜え、甚さんは物知りだねえ。あたしも牡丹は大好きだよ」

「そうか・・・おめえも楊貴妃みてえに綺麗だぜ」

「ウフフフ、ありがとう甚さん」

 牡丹に踊る唐獅子を苦心の末に彫りあげた一説、まずはこれまで。


     三の巻


      一


「てえへんだ、てえへんだ〜、甚五郎さん、てえへんだ〜」

 隣に住まいする熊吉が、息せき切って駆け込んできました。

 おきよは注文の針仕事をしながら、

「あら、またいつもの熊吉さんのてえへんだが始まったこと」

 と、つぶやきながらのんびり構えていると、

「お、お、おきよさん、そんなのんきに針仕事なんかしている場合じゃねえよ。お、おいら、たった今、み、見てきたんだよ」

「まあまあ熊吉さん、そんなに慌てないで何がどうしたんです」

 おきよは湯呑に水を汲んで差し出すと、熊吉は一気に呷って一息つくと、

「おきよさん、怒らねえで聞いておくんなさいよ。いや、ほんの今なんで、おいらが明神下の鳥居の前までくると、黒山のような人だかりなんでさあ。何だろうと人を掻き分け首を伸ばして脇から覗き込むと、道端にむしろが敷いてあって、その上にいっぺえ小さな彫り物が並べられてあるんで。どれもこれもりっぱな細工もんで、思わず見惚れていたらその野郎が言うことにゃ、おらは将軍家の御用をおおせつかっている左甚五郎と言うもんだ」

「えっ、なんだって、家の甚さんが、冗談じゃないよ。あたしゃ痩せても枯れても亭主に金輪際、貧乏臭い真似なんか…」

「まあまあ、おきよさん、そんなに怒らねえでおいらの話を最後まで聞いておくんなせえ。それでその野郎が言うには、今日はおらの彫った根付けを売りにきただ。こっちのちいせえ根付けは一分、大きい方が二分だ。どうだ買わねえだか、ほれ手にとってよく見てくんろ。と言うもんで、前の人を押し退け一番前に出てよく見たんでさあ。そしたらこれが何と小憎らしいじゃねえですか」

「どこが小憎らしいのさ」

「へい、それが・・・その〜、いい腕をしていやがるんで」

「なにさ、熊さん、いま、家の甚さんよりいい腕だって言ったね」

 おきよの目は吊り上がり、今にも噛み付きそうな顔色で突っ掛かってきます。

「まあまあ、おきよさん、話はまだ途中ですぜ、気を静めてよく聞いておくんなさいよ」

 熊吉は知らせにきて、噛み付かれたんでは割に合いませんから、必死におきよをなだめます。

「おいら彫り物のことは詳しく知りませんよ、ただ最初に見たとき甚五郎さんが彫ったものかと、一瞬思ったぐれえいい出来なんで。いえね、野郎の顔は甚五郎さんとは似ても似つかねえ顔なんで、どうもおいらの見たところ話し方に訛りがあるんで、ありゃあ、きっと田舎もんですぜ」

 おきよと熊吉が話しているところへ、甚五郎が研いだのみと小刀を持って裏口から入ってきます。

「おや熊吉さん、また真剣な顔つきでどうかなすったんで」

「甚さん、そんなに落ち着いている場合じゃないよ。じつはいま、熊吉さんが明神下の鳥居の前まで来たら、これこれ、しかじか、こう言うわけなんだよ」

 甚五郎はおきよの口から一部始終を聞かされると、べつだん慌てる様子もなく、

「ほ〜う、おいらの偽者がね〜え」

「のんきにしている場合じゃないよ」

「そうですぜ、甚五郎さん。今から三人で明神下まで乗り込んであの田舎野郎、ぐうの音も出ねえようにとっちめてやりやしょう」

 腕まくりをして気負い立つ熊吉を、甚五郎は穏やかにおしとどめながら、

「まあまあ、ここはおいらに任しておくなせえ。な〜に、相手にも事情があってのことなんだろうが、いきなり行って喧嘩腰じゃあ話にならねえ。ここはひとつどうでしょう熊吉さん」

「へい、何かうまい考えでもあんなさるんで…」

「おいらも大工のはしくれだ。名前を語られ、おまけに偽者が彫った細工物を、なんにも知らねえ世間の人が見て、なんだ、左甚五郎って奴はこんな泥くせえものしか彫れねえのか、と思われたんじゃあご先祖さまに申しわけねえ。そこでどうでしょう、おいらと偽者で<腕くらべ>てえのは…」

「大丈夫かい、偽者はだいぶいい腕をしているそうだよ。もしも本物の甚さんが負けるようなことになったら…」

「おきよさん、何を馬鹿なこと言ってるんでえ。まちがっても偽者に負けるようなこたあござんせんよ。なんたって将軍家お墨付きの、正真正銘の左甚五郎さんですぜ」

 甚五郎は手早く道具箱をかつぐと、

「さあ、熊吉さん、明神下まで行きゃしょう。おきよ、何をぐずぐずしてるんでえおめえもいっしょだぜ」

「あいよ」

「おめえ馬鹿に威勢がいいじゃねえか」

「あたりまえだよ。威勢が良くなかったらこの勝負、偽者に負けるでしょ」

「おいおい、腕くらべはおいらがやるんだぜ」

「なにを言ってるんです。夫婦は一心同体、甚さんの腕くらべはあたしの腕くらぺでもあるんですよ」

「そうかい、それならおいらもおめえを見習って、しっかり気張って行くぜ」

 道々、甚五郎は腕くらべの段取りを、おきよと熊吉に話しながら行きます。


     二


 おきよと熊吉が明神下の鳥居の前まで来ると、まだ一人むしろの上に並べてある根付けを、丹念に品定めしている者がおりました。年の頃なら四十過ぎで、身なりからして商家の旦那ふうです。

 手はず通り、おきよが鳥居の前を通り過ぎようとすると、熊吉が大きな声で、

「おきよさん、ちょっと待ってくんねえな」

「どうしたんです」

「いえね、この細工もんの根付けが、あまりにいい出来なんでつい目が止まっちまって。ほら見ておくんなせえよ、この鳥の根付け、これなんざあいい仕事ぶりだ。おいら一目で気に入りやしたぜ、ちょいと兄さん、そっちの鳥はいくらでえ」

「へ〜い、あんたは目が肥えているだ。これは三分だども二分に負けておくだよ」

 腹の中で熊吉は、

「へん、ふざけやがって、さっきは二分だって言ってやがったくせにこの田舎野郎め」

 顔にはおくびにも出さず、

「ほ〜う、これが二分じゃあ安い買い物だぜ。どうでえ、おきよさん、おいら鳥年だからちょうどいいや」

「そうだねえ、そういえば家のおとっつあんは牛年だし、そうだそうだ弟は確か鼠年だったよ。まとめて三つ欲しいねえ」

「エッヘッヘ、お客さん、鼠と牛は今ねえだども、ちょっくら待ってくれたら、おらあすぐ彫るだよ。値段は一分負けて、一つ二分でええだよ」

 またも腹の中で熊吉は、

「野郎、いやに二分にこだわりやがるな。それにしてもすぐ彫るだと、いまいましい糞野郎め。今に吠えずらかくなよ」

 煮えくり返ってはち切れそうなはらわたを、じっと忍の一字でこらえます。

 おきよが威勢よく、

「それなら三つたのもうかね」

「ちょっと待った」

 そのとき打ち合わせ通り甚五郎がひょっこり顔を出し、

「その鳥の根付けが二分とは、いくらなんでも高すぎるってえもんだぜ。おいらなら十六文でも買わねえな」

「おめえ誰だね、おらの根付けにけち付けるだか。はは〜ん、そうかわかった、銭がねえからおらの悪口いうだな」

 さきほどから根付けをずっと見ていた、商家の身なりをしたかっぷくのいい旦那が、

「わたしも二分なら買いませんね、こちらのお方の言う通り、十六文でも高いと思いますよ」

「何だ、何だ、おらを田舎もんだと思って、みんなで寄ってたかって馬鹿にしくさって」

 甚五郎はきぜんとした態度で一歩前に出ると、

「いや、馬鹿になどしちゃいませんが、こんな細工物を見たんじゃ同業として黙って見過ごすわけにゃいきやせん。おいら、おめえさんのためを思い、親切心で言ってるんでどうか悪くとらねえでおくんなせえ」

「言わしておけば好き勝手なことぬかしくさって、なんならここでどっちが上手かおらと腕くらべすべえ。そうだ今、鼠と牛を彫ろうとしたところだで、この二つを彫っておらがあんたより上手なところを、たっぷり見せつけてやるだよ。そんであんたが負けたら地べたに土下座して、未熟もんだと言って謝るだよ。もしもおらが負けたらおんなじことするだよ、どうだね」

「おいらに異存はありませんぜ」

 商家身なりの旦那がニコニコしながら、

「まあ、まあ、お二人さん」

 と言いながら割り込んで来ました。

「私はこの先の材木町で商いをしている、木曽屋と言う者でございます。根付けにはめっぽう目がなくて、ほれ、このとおり」

 腰の煙草入れを取り出して、手の込んだ根付けを見せます。

「私はほかの人より幾分か目は肥えているつもりです。そこでどうでしょう、腕くらべの勝ち負けを私に決めさせてくれませんかね。いえ、勿論ただとは言いません。ここに十両ありますから、勝った方にこれを全部差し上げましょう。そのかわりと言っては何ですが、勝った方の根付けは私が二つとも貰い受ける。いえ、十両で買い受けると言うことでどうでしょう」

 木曽屋がそっと小判をむしろの上に置くと、

「お、お、おらは、い、異存ねえだよ。あ、あ、あんたは、どうだね」

 小判に釘付けになったままやっといい終えると、

「もちろん、この期におよんで異存はありませんぜ」

 甚五郎もすかさず言い返します。

「それじゃあここにいるお二人さんに、証人になってもらっては」

 木曽屋の旦那は、おきよと熊吉に同意を求めます。

「ようがす。おいらはうなぎ長屋の熊吉てえもんだ、こっちは隣に住まいする、おきよさんだ。二人とも喜んで腕くらべの証人になりやすぜ、ねえ、おきよさん」

「はい」

「では証人も決まりましたので、腕くらべを始めましょう」

 少し離れて見ていたお下げの可愛い女の子が、心配そうに側に寄ってきて小声で言いました。

「五平あんちゃん、だいじょうぶ」

 五平も小さい声で、

「ああ、おらは今まで負けたことがねえだよ。小鶴はなんもしんぺえいらねえだ、いい子だから黙って後ろで見ていてくんろ」

 さとすように言うと、五平は小鶴を後ろに座らせます。

「それではお二人さん、よろしいですかな。一つ、勝負は鼠、牛、二つの根付けを四半刻のうちに彫ること。二つ、勝敗は私の判定で決まり勝った方が十両受け取り、その根付け二つは私がいただく」

 木曽屋の旦那は二人を見据えると、

「お二人ともこれで異存はありませんな」

 確かめるように問うと、

「おらは、ねえだよ」

「そちらのお方は」

「もちろんありません」

「それでは証人のお二人さんもこの勝負、しっかり見定めてくださいよ。では只今より腕くらべの勝負、始め」

 五平はのみを持つと心の中で、

「おらは小鶴のためになんとしてでも勝つだ」

 と、つぶやき二年前の悲しい出来事を思い出していました。

ーーー身寄りのねえおらは、親戚の伝手をたよって大工の弟子となり、、つらい修行も四年がたってようやく一人前になった頃だ。大屋根の下で床柱を削っていたら、折からの突風で大屋根の瓦が崩れ落ちてきた。おらは親方に突き飛ばされてかすり傷ですんだども、運悪く親方はしたたか腰に瓦を打ち付けて、それが元で一年後には亡くなってしまっただ。不幸はつながるもので、病弱だったお内儀さんも後を追うようにして、去年の秋に亡くなってしまっただ。あれはちょうどお内儀さんが亡くなる三日前の夕方だった。おらはいつものように仕事帰りに立ち寄ると、めずらしくお内儀さんは床から起きて、小鶴ちゃんが煎じた薬草を飲んでいただ。

「五平、ちょっとこっちに来ておくれ」

 お内儀さんに言われて奥に入ると、横に可愛い小鶴ちゃんがちょこんと座っていただ。

「お前を呼んだはほかでもない、じつは小鶴のことなんだよ。もうあたしもそう長く生きられそうもない体だ。そこでお前に折り入ってたのみたいことがあるんだよ、小鶴はまだ年端もいかぬおさな子だ、すまないがこの子が嫁に行くまで、面倒見てはくれないかね」

「お内儀さん、そんな水臭いことはどうか言わねえでくだせえ。身寄りのねえおらを、どうにか一人めえの大工に育てていただいたのは、みんな親方やお内儀さんのご恩があったればこそでこぜえますだ。小鶴ちゃんの面倒を見るなくてことは、おらにとつてはあたりめえのことですだ」

「五平や、お前は本当にやさしい思いやりのある大人になったねえ。家の人も草葉の陰できっと喜んでいるよ、嬉しいねえ」

 流れる涙を拭こうともせず、おらを見つめていた。思い起こせば、これが末期の会話になってしまうとは…。

「よ〜し、この腕くらべなにがなんでも勝って、親方やお内儀さんのご恩に報いるだ」

一心不乱に彫り続ける五平、かたや甚五郎も精根込めて、のみを打ちつづけます。

 周りにいる四人は、固唾を飲んで見守っています。おきよはとうとう我慢しきれず、目を閉じ両手を合わせて拝みはじめました。

「どうか家の甚さんが勝ちますように、神様、仏様、ご先祖様、お天道様」

 わらをもすがる思いで、無心に拝んでいます。

 ようやく二人はほぼ同時に鼠を彫りあげました。

 木曽屋の旦那が受け取り、二つの鼠を鳥居の石段に並べてじっくり眺めています。

「う〜む、どちらも甲乙つけがたい細工物だ。次の牛が楽しみじゃのう」

 嬉しそうに腕組みして、二人が真剣に彫る手先を、また食い入るように見つめています。熊吉も出来上がったばかりの鼠を見て、

「う〜ん、おいらにゃあどっちがいいか、さっぱりわからねえや」

 頭をかしげながら腕組みをしてしまい、それっきり言葉が出ません。

「出来た」

 突然声を張り上げ、五平は牛の根付けを木曽屋の鼻先に突きだし、さも勝ち誇ったようにニタリと笑います。そしてゆっくり振り向き、じっと待っていた小鶴を見ると、二度、三度と自信満々のうなずきをしました。それを見た小鶴も、あんどの笑みを浮かべ嬉しそうです。

 すぐさま甚五郎ものみを置き、

「出来ました」と言って牛を差し出します。

 木曽屋の旦那は、また石段の上にいっしょに並べると、

「どちらもいい出来で、勝ち負けを決めるのは心苦しいが、あえて決めさせてもらいますよ」

 五平は顔を乗り出し、根付けを見比べると、

「こりゃあ、おらの勝ちだ。ハッハッハどうだね、木曽屋の旦那」

「まあまあ、お前さんがそんなに急くのは無理もないが、これをじっくりとご覧なさいな」

 甚五郎の彫った根付を半回転させると、なんと今まで一匹の鼠だったものが、今は二匹の鼠になっているではありませんか。

「夫婦鼠でございます」甚五郎が言うと、

「う〜ん、これはすごい」と言ったきり一同、二の句が出ません。

 五平が甚五郎の彫った根付を食い入るように見つめていると、木曽屋の旦那が、

「まだ納得がいきませんか、それならこれを御覧なさい」

 またも牛を半回転させると、そこには牛といっしょに歩く、笑い顔の大黒様が彫ってありました。

「これで腕くらべの勝負はつきましたな」

 木曽屋は甚五郎に向かうと、

「手間をかけてすまんが、この根付けの裏にお前さんの銘を入れてもらいたいのじゃが…」

「へい、ようがす」

 甚五郎はシュ、シュ、シュ、と手ぎわよく彫り、木曽屋の旦那に渡します。

 銘を確かめるべく根付を裏返しにしたとたん、

「ひえ〜っ」

 いきなり素っ頓狂な声を発しました。

「お、お、お前さんが、あ、あの左甚五郎さんですか」

「へい、申し遅れましたが、あっしは左甚五郎です。べつに名前を隠すつもりは毛頭ありませんでしたが、気を悪くしたらどうか勘弁しておくんなさい」

 その声に、隣にいた五平は目が飛び出しそうなくらいびっくりしました。そうでしょう、そうでしょう、今の今までおらは左甚五郎だと、本人のいる目の前で大見えを切っていたのですから。

「申しわけねえだ、甚五郎さん。おらは取手宿の五平と言う者だども、悪いこととは知りながら、ついお前さまの名前を騙ってしまっただ。本当に申しわけねえことで、この通りあやまるだ、勘弁してくんろ」

 両手をついて地べたに額を擦り付けると、隣で年端も行かぬ少女がいっしょに頭を下げて泣いています。

「小鶴、おめえもいっしょに謝ってくれるだか。すまねえ、すまねえ、みんなおらが悪いだよ」

 五平は声をおしころし、肩を震わせ涙しています。

 ようやく落ち着きを取り戻すと、胴巻きに手を入れ、

「これはおらが今日まで根付けを彫って稼いだ銭だども、そっくりおめえさまにお返ししますだ」

 甚五郎の足元へ鷲づかみにした銭を差し出します。

 静かに見ていた甚五郎は、

「五平さんと言いましたね」

「へえ」

「こんないたいけな女の子を連れて、どんなわけがあったか知らねえが、差支えなかったらどうかおいらに話しちゃくれませんか。話によっちゃあ相談に乗りますぜ」

 五平は身なりを正して座りなおすと、

「じつは、これこれしかじかこういうわけで、親方夫婦の一人娘、小鶴ちゃんを面倒見ることになったんでごぜえますが、なにせ貧乏宮大工。いまだに親方の墓さえ建ててやれねえ身の上ですだ。いっそのこと江戸へ出て一旗あげ、いっぺえ銭っ子貯めて立派な墓を建てるんだと。それが今まで世話になった親方への恩返しになると思えばこそ・・・。おらあ、おめえ様の名前を騙って、ほんに申しわけねえだ。この通り勘弁してくだせえ」

 今度は拝むように両手を合わせて謝っています。

「話は大方わかりやした。そういう事情なら五平さん、この銭はおめえさんが納めておくんなさい。それにおいら、困っている人から銭は受け取れねえ主義なんでさあ」

「甚五郎さん、そこまでしてもらっては…。おらあ、この銭返してもらって本当にいいんだべか・・・」

「五平さん、あんたもくどい人だ。おいらがいいと言ったら…」

 話の途中から女房のおきよが割り込んで、

「いいんですよ五平さん。家の人がああ言ってるんだ、さあさあこのお金は仕舞って仕舞って。それとこの十両、これはお墓を作るお金だよ。これもいっしょに仕舞っておくれ、ねえ、甚さん、いいだろう」

「ああ・・・。ところで五平さん、折り入ってたのみがあるんだが、じつは日光山東照宮の造りかえにあたって、腕のいい職人を捜しているところなんだが、どうだろう、おいらに手を貸しちゃあもらえねえだろうか」

「えっ、このおらが甚五郎さんの手伝いを…あり、あり、ありがてえことですだ。おらの方からぜひ手伝わせてくだせえまし、この通りおねげえしますだ」

 五平は両手をつきふかぶか頭を下げると、あふれでた涙が地べたをとめどなく濡らしています。甚五郎はそんな五平の両手をしっかり握り、

「これからは、おいらといっしょにこの大仕事に励みましょう」

 そばで聞いてた木曽屋の旦那が思わず膝をパンと叩いて、

「えらい、この人情うすい世の中で、こんな男気のある人を見たのは木曽屋勘兵衛、今が初めてです。私も江戸で一番の材木商と言われた男、およばずながら甚五郎さん、力になりますよ」


 人の真心なさけの心、ときを越えても変わらない

 語る涙に嘘はない、まして嘘で人の涙は出ないもの

 真の涙は胸を打つ、この世に生まれ生をうけ

 清く生きれば悪はなし、善の道こそ人の道


 元和二年四月十七日。

 徳川家康公が亡くなり、遺言により久能山に葬られ翌年四月、日光の奥宮宝塔の地に改葬。

 国家鎮護の神として東照大権現の神号が下され、三代将軍家光は寛永十三年から十九年の歳月をかけて、社殿を完成させます。

 この中にひときは目を引く極彩色豊かな陽名門に、昇り龍、唐獅子牡丹、眠り猫があります。

 ほかに上野寛永寺の昇り龍をはじめ、建築彫刻の粋を極めた作品を各地に残し、なぜか四十路にして忽然と歴史の舞台から姿を消したのです。

 人は大工の域を超えた天才、または伝説の大工職人と言い、左甚五郎の作品はいつまでも当時のままの姿を残し、後世の語り草となって、今も見る人を驚嘆させています。

 左甚五郎の名はこれから先もずっと消えることなく、歴史の一ページにしっかりと刻まれ、卓越した作品とともに永遠に生き続けるのです。

                      

                                    (了)


  

   

 

     

     

左甚五郎についての資料がまったくありませんでしたので、ほとんどが空想です。天才大工の甚五郎なら、これぐらいしたであろうと、思って読んでいただければ幸いです。

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