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いつも通り穏やかな世界

作者: utu-bo

 20xx年、殺人事件が起きた。ある男が罪のない青年を包丁で刺し殺したのだ。流れる血には刑事ドラマにはない現実味があった。高熱のアスファルトが吹き出した血を焦がしていた。

 現場は繁華街、急ぎ足で人が列を作り、ありふれた生活感が現場には溢れていた。こんな場所で殺人事件が起きるなど想像できるわけがない。男は青年とすれ違うのを待つ。凶器の包丁を紙袋に忍ばせる。凶器の包丁は犯行直前に購入した。美しさを気取る日本刀でもない。サバイバル性に特化したアウトドアナイフでもない。どこの家庭にもありそうな、ごく普通の包丁だ。男はスーツを身に纏い、月が満ちるのを待つように時を待つ。ある青年がある時間、この場所を通るのを知っていたから。

 ごく普通の青年だった。パズルでいえば、空色のピース。隣のピースと全く区別がつかない。お菓子でいえば、金太郎飴。みんな同じ顔だ。その顔は笑っている。スマホを弄りながら、歩く足は軽快だった。ワイヤレスなイヤホンで耳を塞いでいる。青年の視覚と聴覚はデジタル機器と同化し、前も見ていないし、何も聞こえない。超音波で暗闇を切り裂く蝙蝠のように器用に人波に紛れる。だが、青年だけではない。誰もがスマホを弄り、耳を塞ぎ、ぶつかることなく街を歩く。この時代はそんなものなのだ。

 男と青年は全く面識がなかった。男はいたって普通のサラリーマンで仕事場での評判もいい。いや、むしろ誰からも好かれる男だった。男の離婚歴が嘘っぱちに思えるくらいだ。殺された青年も近所の評判も悪くなかった。可もなく不可もないレベルだが、普通の地元育ちの青年だった。しかし、事件は起こり、青年は殺され、男はそのまま取り押さえられ、逮捕された。男は逃げることもせず、青年の死体の横に突っ立っていたと言う。

 白昼堂々、繁華街の犯行にワイドショーが騒ぎ立てる。男は46歳、バツイチ。黙秘して、動機も分からない。男の心の闇をクローズアップしてみるが、何も見えない。そもそも闇など第三者の定義で作られたイメージに過ぎない。深淵なる闇など小難しい表現でかっこよく言っても、それが男が抱えている闇と言えるか分からない。そもそも男は闇を抱えているのかという疑問も沸いてくる。所詮、ワイドショーは面白おかしく事実をねじ曲げるだけで、真実などそこにはない。真実は男しか分からないのだ。

 だが、唯一真実を知る男は黙秘した。何も語らず、逃げることもなく、全てを受け入れた。よくある誰でもよかった殺人的な見方という風ではない。黙秘した男は真実という秘密を抱えたまま、牢獄に繋がれている。

 一方、未来を奪われた青年の家族は男を恨み、何故と問いかける。裁判が進んでも、その答えはない。失われた青年の命にただ悲しみ、泣き崩れる。裁判の中、男は青年の家族に土下座をした。それが何のための土下座であったのか。そこにどんな心の闇があったのか。そもそも闇などなかったのか。著名な心理学者が過去の症例を挙げて、男の行動を説明するが、どれもピンとこない。青年の家族の時間は止まってしまったが、世間の時間がただただ過ぎていった。

 そして、男に死刑が求刑される。よくある身勝手な殺人で幕引きがされた。真実は男しか知らない。男は死刑宣告に上告することなく、裁判が終わり、この国の死刑までの執行猶予時間を静かに過ごす。

 男は離婚後、家族と関係を絶っていた。手紙を書くこともなかった。死刑が宣告されても、それは変わらない。わざと関わりを持たないような素振りに見えた。しかし、元家族も殺人犯の元旦那など関わりたくないだろう。

 マスコミは青年に同情的であった。青年の奪われた未来に悲劇的な演出をかけて、映像を垂れ流す。しかし、青年の家族の苦悩は終わらない。犯罪被害者が救われる道はない。何故、息子が殺されなければならなかったのか。止まってしまった時計が動き出すこともない。ワイドショーで青年の姿が流れるたび、胸をかきむしるほどの苦しみに襲われ、眠れない夜を過ごす。

 犯罪者の元家族は父のことがばれないよう誰にも行き先を告げず、見知らぬ土地へ引っ越し、ひっそりと世界の片隅で目立たぬように生きるだろう。

 加害者の家族は犯罪者じゃないのに、晒され続ける苦しみと青年を失った悲しみと男への怒りが尽きることなく溢れて、止まってしまった時間の中で生きるだろう。

 そして、数年後、男の死刑が執行された。男の絶命と裏腹な、雲ひとつない空が広がっていた。人権団体のデモを危惧してか、死刑執行のニュースは死刑執行の数時間後に流れる。思い出したかのようにインターネット上に溢れる熱が発生する。みんな忘れていたはずなのに、あの人は今的なゴシップが垂れ流される。一時的なものだとしても、青年の家族を傷付けて、男の元家族を怯えさせる。世間が忘れてくれたお陰で、苦しみが消えるわけでもないが、恐怖が消えるわけでもないが、ハリボテの平和の中で生きてきたのに。青年の家族にマスコミが心ない取材攻勢を行う。男の元家族はまた次の町へ逃げるため、荷造りをする。

 そんな事実を知らない男が絞首台の上から落ちる。まるで紐にくくられたおもちゃの人形みたいに。揺れて、揺れて、揺れて、止まる。首が絞まり、絶命したことで身体は力を失う。まるで夏祭りでテキヤのくじで貰える景品レベルのクオリティのおもちゃの人形だ。

 熱は一時的なものだった。次から次へとニュースが上書きされて、男の死刑執行などあっという間に埋もれてしまった。その頃の人々の興味は男の心の闇にも、青年の悲劇にも向いていない。消費税が上がるとか、政治家のスキャンダルとか、芸能人の離婚騒ぎとか、世界にはたくさんのニュースが溢れていた。



 そう、ある意味、いつも通り穏やかな世界があった。



 21xx 年、私はモニターに映る男を見ていた。男は妻と娘を愛していた。娘が生まれた時、涙を流して喜び、寝る間を惜しんで、子供の名前を考えていたと言う。夜泣きも可愛くて、深夜のドライブによく連れていった。ある日、医者に呼ばれた。清潔感のある白い診察室で、妻と2人、医者の言葉を待つ。不安が溢れてくる。男はあの手を握る。妻も握り返す。お子さんは拡張型心筋症という病気です。 助かるには臓器移植しかない。冷たい刃物のような言葉が二人を切り裂いた。処理しきれない感情に冷静でいられない。どうして娘なのか。問いかけても、誰も答えてくれない。医者は丁寧に病気の説明をしてくれるだけだった。そして、病院と自宅と会社を行き来する、ドナー待ちの日々が始まった。


 私は男の資料と顔つきをじっと眺める。この男ならば適任だ。私は心を決めた。この荒廃した世界を救う為に。タイムテレホン。これは画期的な発明だった。時間と空間に負荷を与えて、意識的に歪みを生じさせる。タイムスポットと呼ばれる穴を作りだす。そこに電気信号を送り、過去に言葉を伝える。私は科学者ではないから、詳しい仕組みや原理は分からない。しかし、過去の人間と会話ができ、その結果、過去を変えること、過去から繋がる未来を変えることができる。それは非常に危険な発明でもあった。だから、国が管理し、世界的に規制をかけている代物だ。私は20xx 年の男がいる時代にタイムテレホンの設定を合わす。そして、男の携帯電話の番号を押した。



 不思議な電話だった。知らない番号からのいたずら電話だ。深く沈む声が耳にこびりついた。娘の臓器を用意する代わりに殺人をしてほしい。馬鹿げた内容だ。感情に熱が帯びる。こんなに苦しんでいるのに、何故、こんな電話を、こんないたずらをしてくるのか。腹が立った。馬鹿げた連中が世界には溢れている。死ぬほど臓器はほしい。もし、できるなら、僕の心臓を娘にあげたい。常にそう思っている。しかし、それは無理なんだ。だから、ドナーをずっと待っているのに。怒りが溢れ、感情が壊れる。娘に臓器をくれるなら何でもする。そう叫ぶと、電話は切れる。何を言いたかったのか。何をしたかったのか。ただの愉快犯のいたずら電話だったのか。 かけ直しても、現在、使われておりませんとメッセージが流れるだけ。 妻にはこの電話のことを話さなかった。妻は十二分に苦しみながら生きている。僕らはすでに限界に達しているから、毎日が限界で、必死に頑張っている。こんな話をしたら、耐えられるわけがないから。



 数日後、ドナーが現れたと突然、連絡が来た。日々の暮らしにいたずら電話のことなど忘れていた。僕らは喜び、娘の為に奔走する。術前検査、移植手術は迅速に行われた。不思議なほどスムーズだった。何の問題が起こることもなく、手術は成功し、その後の経過も良好だ。僕らは涙を流して喜び、娘は普通の日常を取り戻した。これから娘は青春を謳歌し、たくさんの希望が待っているだろう。僕らの未来は希望しか見えなかった。


 娘は幼稚園に、妻はパートに行く。そして、僕は仕事に行く。普通の生活が戻った頃、再び電話が鳴った。知らない番号だった。しかし、深く沈む声を聞いて、あのいたずら電話を思い出した。こちらは約束を果たしたから、約束を果たしてほしい。10年後のx月x日にある青年を殺してほしい。心が凍りつく。僕は悪魔と契約を結んでしまったのだ。



 

 僕は理由を言わず、妻と別れた。会社も辞めた。妻と娘の未来の為に退職金と貯金で、必要以上の養育費を一括で支払う。新しい職場のことも教えなかった。 一切、僕とはもう関わらない人生を送ってもらう為に。 全ては10年後の殺人の為に。





 21xx 年、私はタイムテレホンを切った。これで全てが終わる。あの男が青年を殺してくれるから、世界は救われる。煙草に火をつけて、満足げに煙を吐く。煙は見えない蜘蛛の糸に絡まるように踊る。3分後、私は秘書に連絡をした。そして、世界はどうなっていると聞いた。秘書は不思議そうに答える。




 いつも通り穏やかな世界ですよ。国防長官。




 青年は数年後、過激派の影響を受け、偏った思想を抱く。それは破滅的な思想にたどり着いてしまう。そして、世界の軍事システムにハッキングし、核ミサイルを世界中にばらまいた。そのせいで世界は荒廃した。 人類の5割が死んでしまった。大地は死体で溢れ、大気は濁り、前が見えない。もう海で海水浴を楽しむことはできない。青年がいなければ、世界は穏やかだったはずなのだ。これで全てが元に戻った。世界は救われたのだ。私はいつも通りの穏やかな世界に満足し、タイムテレホンの着信履歴を削除した。


































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