第一話 はじめまして欠陥王子、そうしてさようなら 2
駆け上がった屋上は意外にも無人のようで、珍しいなと思いながら、貯水タンク近くまで足を運んだ。
いつもだったらもう少し人がいると思うんだけど。
ちょっとだけ違和感を覚えたが、もう少しで終わりそうな昼休みを思うと、そんなことに疑問を巡らせている場合ではない。
風を体全体で受け止めながら、鼻歌交じりに腰を下ろす。
屋上からの景色はさほど良いものではないが、街全体が見通せるのはなかなかにしてすばらしい。
あと少ししか時間はないが、晴れ渡った空の下、さわやかな風を一身に受けて食べるお弁当は、さぞ美味しいことだろう。
突然走って鼓動は乱れていたが、ほっと、ひと息ついたところで、
「好き。あたしと付き合ってほしいの」
突然声が聞こえた。
い、い、いきなりなに!
びっくりしたものの、そこからの行動は慎重ながら素早かった。そそくさと貯水タンクの裏に隠れ、存在感を消し去るようにして息を殺す。
まさか漫画みたいに誰かの告白現場に失礼するなど、実際に経験するとは思わなかった。体は隠しても好奇心を隠すことはせず、その様子をじっとうかがう。
ふるえているようにも聞こえた声は、言い手の緊張や興奮をものの見事に表現しており、「本当に告白現場なんだ」と実感させられた。
と同時に、好奇心というものがわき上がり、今後の展開が気になって仕方がない。覗き見とは趣味が悪い。自分にそう告げるが、離れる気はさらさらなかった。
「ごめん。僕、いまは恋愛とかに興味がなくて」
恋愛とかに興味がない?
雛梨は聞こえたセリフに、静かに口角を上げる。
恋愛に興味がない――おもしろい言い訳だ。
そうおもうのも無理はない。なぜならこれは断るときの定番文句。この裏から流れる副音声には、「お前に興味がねーんだよ」という意味が隠されているのだから。
つまり、遠回しに完全拒否を意味しているのだ。
遠回しと言っても、そのことに彼女が気づかないはずはないだろう。考える時間を要したわけでも、難解な問いかけで試されているわけでもないのだから。
さて、どう出る。それはまるで獲物を狙う肉食獣のように、息を潜めて二人の様子を見守る。
「お」
つーかあの女の子、顔がパンダみたい。
告白中の女子は、バッサバッサと羽ばたくような、まるで空でも飛べるのではないかというほど、密度の濃いまつ毛を持っていた。「つけま」だろう。
それに加えて目の周りの化粧が濃いため、パンダに見えて仕方がなかった。顔はブサイクではないが、パンダ顔で台無しである。
「あれ、あのひと……」
そして更なる発見。
それは告白されている男が、現在雛梨が通う高校『私立須凰学園』において、「王子」と称されている人物である、ということだった。
彼が王子と呼ばれるのは、「彼はいわゆる完璧な人間である」という周囲の見解がもたらしたものである。完璧という言葉に似合うだけの能力を、彼は持ち合わせているのだ。
雛梨は直接彼と話したことはないが、周りの証言によると。
容姿はもちろん見た通り言うまでもないが(確かに恐ろしいほどの美形である)、運動神経も良く成績良好であり、よく気が利くやさしい人間、らしい。
あまり大声で騒ぎ立てることはせず、少しおとなしめ。だからと言って暗いわけでもなく、上品なオーラを漂わせているという。
少し儚げな姿が印象的で、その雰囲気は冷たくはないものの、独特のものがある、とか。
その姿はまさに王子様。
白馬に乗って美しく白い歯を輝かせているが、どこか儚げに笑う姿はまさに白雪姫!
であるとかなんとか言われているが、王子なのか姫なのかハッキリしてほしいものである。
また、これまた誰かの話によればだが、雪のような男だとも聞いた。儚げな印象が、そのように思わせるのだろう。
確かに肌は透き通るような白さで、同じ人間なのかと疑いたくなるほどには綺麗な顔立ちをしている。
それが、雪を感じさせることもあるのだろうというのは、すこしわかる気がする。
けれど――。雛梨は目つきを鋭くする。
ここであえて言わせてもらおう。雪の代名詞は、多希だけで十分だと!
雛梨はさっき読んだ携帯小説の王子である「多希」を思い浮かべながら、そんなことを脳内で主張した。お前なんぞにその称号は渡さん、渡さんぞ。
美形であることは認めよう。噂はよく聞く。その雰囲気というものも、確かに頷ける部分はあるだろう。
けれども、けれども貴様なんぞに……!
そこまで思って、「ん?」と思った。彼の名前、なんだろう。
「や、本当に、なんだっけ」
おもわず眉間にシワを寄せる。
「えーっと……」
人間というのは忘れる生き物であるというが、「思い出す」という行為が非常に難しいと痛感せざるをえないだろう。
記憶をどのようにして結びつけ、引き出していけば良いのか、これは訓練するしかないと言われているが、それにしても、思い出せないときのもどかしさは、たまらなく不快である。
「あっ!」
そして、彼女は重要なことを思い出した。
「ご飯、ご飯! お弁当食べなきゃ!」
お弁当を食べに屋上までやってきたのだから、食べなければ意味がない。
一方で、名前を思い出そうと少々イライラしながら思考を巡らせ、無意識に動かした手が、箸を取り出した。
なんだっけなぁ。むずかしい響きだった気もするが、どこか親近感さえわいている。
もしかして知り合いとおなじ名前だっただろうか。そんなことを思うが、喉奥でつっかかったまま出てこない。
他人の名前を覚えるのが苦手なのは健在ということか。結局思い出すことはなかった。
さて、名前について思考を巡らせていても、耳だけはフル活動。きちんとすべきことは忘れてなどいない。
そう、聴覚は『ドッキドキ☆パンダちゃんの告白シーン!』に集中していた。相変わらず息を潜めながら、音を聞き取るために集中する。
「あたし、美王くんのこといつも目で追ってしまって」
ストーカー直前。
「美王くんのことを考えてしまうの」
脳内ストーカーにレベルアップ。
「それくらい好きで」
ほ、ほう。
「だから、あたしは真剣に美王くんと付き合いたい」
日本語の繋がりがすこしおかしいな。
このようにして告白台詞を添削したが、良い点数にはなりそうにない。
ちなみに、名字が『美王』であると判明し、ようやくすっきりだ。
一方現場では、遠回しの拒否に気付かなかったらしいパンダのしつこさに、白雪王子(勝手に命名)の表情にも困惑の色が浮かんでいるようだった。
眉を下げて口元が苦笑で歪んでいるあたり、非常に困っているらしい。どうすれば良いのかわからない、といった戸惑いの感情が容易に読みとれた。
だからなのか。うつむき加減に伏せられた彼の長いまつ毛が、雛梨の意識を誘った。そのまつ毛はパンダとちがって、まさしく天然のもの。
ああ、人間は自分にないものに強く憧れを抱くというが、実はパンダも白雪王子のこのまつ毛に惚れこんだのかもしれない。
変なことを考えながら、引き続き現場を見守る。
「ごめん。僕、本当に今は君と付き合う気はないんだ。ごめんね」
「『今は』」
「え?」
「じゃあ待ってる」
「、え」
「あなたに余裕ができるまで待ってる!」
「え」
彼らしからぬつぶれたような声の響きは、白雪王子のどうしようもない困惑を示しており、明らかに動揺を隠せない視線がぐらついていた。
が、そんなものはパンダの目には映っていないらしい。彼女はさながら悲劇のヒロインのような表情で「さよなら」と言い、屋上からすばやく走り去ってしまった。
その後ろ姿を、白雪王子はただただ茫然と眺めている。
いったい、なにが起こったのか。そんな気持ちを露わにしている白雪王子。彼にとってパンダの返答は予想外だったのだろう。
やばいウケる! 雛梨はまたふるえてきた肩をなんとか抑えながら、もう一度彼に視線をやった。
……ん?
彼は壁に背中からドンっと寄りかかり、顔を手で覆っている。その表情はうつむき加減に加え、手で覆われているため分からない。
疲れたように見えるその姿は、壁に身体を預けることで、緩和しようとしているようにも思えた。
けれど。そう、けれど。
雛梨はなんとなく、醸し出される雰囲気が変わったことを感じ取っていた。気だるげな様子は、疲れを緩和するなどといったやわらかなものではない。
どちらかと言えば「面倒くさい」。このことばがぴったりであるかのよう。
表情が見えないからなんとも言えないけれど。
そう思いながら彼を見つめていれば、彼の頭上の段に二人の少年がやって来ていた。
類は友を呼ぶ、というやつだろうか。やって来た二人もずいぶんと格好良かった。