その名はゼフュロス
ユウキはマリアを庇いに飛び込もうとしたが、半透明の壁に阻まれてしまう。それは彼を巻き込まないためにマリアが使用したウォールだった。
地に倒れ込んだ彼は、起き上がってその光景を直視する勇気がなかった。彼はマリアの死という悲惨な光景を思い浮かべていた。
だが……。
「っと、こんなもんでよかったかい?」
不意に聞き慣れない声がした。若々しい男の声だ。
「ゼフュロス! 遅いわよ! あなたを探すために私たちこんな目に……!」
「ああ、悪いなハニー。でもほら? これであいつらもう戦えないだろう?」
マリアの声が聞こえ、ユウキは飛び起きる。彼はマリアの無事な姿を見て安堵し、思わず涙を浮かべた。
ひとまず安心することができたが、すぐさま新たな混乱がユウキに訪れる。彼が倒れている数秒の間に、事態は大きく変わっていたのだ。先程の声の主、ゼフュロスと呼ばれる謎の男がマリアのすぐそばにいる。そして、マリアが無傷なのに対し、なぜかアイリスが地へと落ちてもがいている。
「う……うう……。よくも私の技を……!」
「ごめんよ、お嬢ちゃん。でもまあ、悪い子にはおしおきが必要ってことで」
ゼフュロスは背負っていたハープを手に取り、アイリスたちの方を向いた。
ダークがそれを見て深く溜め息を吐く。
「……あ~あ、つまんねえことになったなあ」
「そりゃどうも。俺はそういう男なんでね。さて、それじゃ俺も一暴れしようかな。In the World……この華やかな世界の中で」
ここでようやくユウキは気付いた。
「ハープの男……。それじゃあ、この人がもしかして!?」
「そう、彼が団長の言っていた男、ゼフュロスよ」
改めてマリアに説明され、衝撃を受ける。彼の容姿からは、実力ある戦士という印象は到底受けなかったからだ。背の高い美男子で、青いヘアバンドにより前髪が逆立ててある。服の袖にはスターが着る衣装のような飾りがあり、胸元にはバラが刺さっている。何から何まで、これから戦おうという人間のようには思えない。
そんな彼は、ユウキに気付いて笑顔を向けた。
「おやおや、新入りかい? 俺のハニーを守ってくれて、ありがとな」
「は、ハニー!? あ、あの、マリアさん? 彼とはどういう……」
「あいつが勝手に言ってるだけよ。本気にしないで!」
マリアは照れているのではなく、本気で嫌悪感を抱き身震いしている。
と、そこでようやく体勢を立て直したアイリスが、おぞましい気を放ちながらゼフュロスへと鎌を向けた。
「お話中のところ悪いんだけれど、ちょっといいかしら?」
「おっと、向こうのお嬢ちゃんもやる気出たみたいだ」
「許さないわよ! ネクロマンシー! ブラックパピヨン! シャドウ!」
アイリスは秘術を連発した。三体の骸骨を召喚した後、再び宙へと舞い戻り、そして姿を消した。
「楽しくなってきたな! アクア! ウィンド! ソニックアロー!」
放たれた水魔法と風魔法が骸骨たちを薙ぎ払い、彼の背後に現れたアイリスには見えない矢が応対した。
アイリスはまたもや地に伏して苦しんでいる。
「俺もいること忘れてねえか? 風よ、我が心となれ」
アイリスだけでは敵わないと見て、ダークも相対した。彼は右手を突き出し、何かをつかんで胸に当てる動作を見せた。すると、ダークの体がふわりと宙へ浮いた。
「風の心、か。それならこっちも」
ゼフュロスは不敵に笑うと、ダークと全く同じ動作を行い宙へと浮いた。
「くっ……! 吹き飛ばしてやらあ!」
「ふっ……軽く投げ飛ばしてやるよ」
二人の戦いには下手に割って入らない方がよさそうだ。ユウキはそう判断した。彼らは異様な技を使うので、その全容を知らないとむしろ邪魔になりそうだったからだ。
「隙あり! 残風!」
突如、ユウキたちの背後に現れたアイリスが襲いかかった。だが……。
「させない! ウォール!」
マリアが即座に対応し、半透明の壁で衝撃波を阻む。
「何で? ねえ何で? 楽にしてあげるって言ってるでしょう? ねえ……。ねえ!」
「勝手なことを……!」
防戦一方のマリアに、アイリスは猛攻を浴びせる。瞬時に移動しながら、あらゆる方向から攻撃を仕掛けている。
このままでは時間の問題だ。何とかして助けなければ。ユウキがそう思って駆け寄ろうとしたその時。
「おっと、お嬢ちゃんの相手もしてあげるぜ?」
「なっ! 痛っ!」
ゼフュロスが疾風のような速さで駆け付け、アイリスの腕をつかみ投げ飛ばした。
「嫌がってる相手に強引に言い寄るなんて、ダメだぜ?」
「ゼフュロス、それはあなたもでしょう?」
「ハニーは冗談が上手いなあ」
冗談でも照れ隠しでもなく、マリアは本気で嫌がっている。
「さて、そろそろ片付けるか。ヒュプノスハープ!」
ゼフュロスはアイリスとダークの方へ向かってハープを弾き鳴らし始めた。
「うっ……まずい。アイリス! 意識がある内に退散するぞ!」
「言われなくても……」
「あ! ……また逃げられた」
ユウキは悔しそうにアイリスがいた場所を睨んだ。
だが、ゼフュロスは目的達成と言いたげに、満足気な顔を見せる。
「任務完了っと! あのまま音色を聞いてたら寝ちまうもんな! 敵ながらいい判断だぜ」
「ゼフュロス!」
マリアが彼の名を叫ぶ。
「おお、ハニー! 無事だったかい? さあ、抱きしめてあげ……」
「一体どこで遊んでたのよ! このばか!」
「痛い!」
マリアは容赦なく鉄拳を食らわせている。その鬼のような形相に、ユウキは唖然として立ち尽くしていた。
「ちょ、ちょっと! 女子に暴力は似合わないって!」
「あんたのせいでこんな目に遭ったのよ!? わかってんの!?」
「まあまあ、俺のおかげで助かったんじゃん?」
「反省しなさい!」
「痛い痛い! わかったから、殴らないで!」
ゼフュロスは一方的に殴られ、頭を手で庇いながら屈している。
ユウキは困惑した。目の前で繰り広げられる茶番に、どう対処していいのかわからない。
「……さ、帰りましょうユウキ」
「あ、はい。マリアさん」
「お、おい! ハニー、そいつとどういう関係なんだい!? 待ってよハニー!」
ゼフュロスはすぐさま立ち上がり、懲りずにマリアへと駆け寄る。
「ええと、ゼフュロスさんって個性的な人ですね」
「良く言えば、そうなるかしらね」
「またまたー。ハニーは冗談がきついって」
ゼフュロスは少し変わった男だった。しかし、団長の言った通り実力は確かだ。
「あ、そういえば……。あのー、さっきどうやってデッドクレセントを止めたんですか?」
「こいつに敬語なんて使わなくていいわよ」
そう言うと、マリアはゼフュロスに肘打ちした。
「痛た! 酷いなあハニーは。でも確かに、堅苦しいのは好きじゃないかな」
「あ、じゃあ普通に話すことにするよ。それで、どうやったの?」
「あんなの俺のエレガントダンスで投げ返したよ」
「エレガントダンス……?」
「こいつの技よ。魔法でも何でもつかんで投げ飛ばせるのよ」
「え? 魔法も!? それって、水とか風とかも……?」
「簡単さ。こっちに向かってくる攻撃なら何でも投げ飛ばせるさ」
「……すごい」
そうこうしている内に本部へと着いていた。
「さあて、団長にたっぷりと怒ってもらうから」
「えー!? 今怒られたばっかりじゃん!」
「いいから来なさい!」
「ヒェェ! 助けてー!」
ゼフュロスは情けない悲鳴を上げながら引きずられていった。




