Act.3 隠された遺跡
複数の影が森の中を疾走していた。影の合計は全部で六つ。その影の先頭、遺跡への道を唯一知っているケイは、ちらりと己の背後を窺う。
そこには身体能力では、人族の上をいく獣人族の疾走に、表情も変えずついてくるフィーリの姿があった。
(本当に、余裕でついてきてるな。)
彼女曰く、己を軽くする【減重】の魔法と、動きを補うために【風】の魔法をかけているということだった。
ケイは魔法に関して疎い方だが、それでも彼女の行使する魔法が、一般の術士が扱う魔法より、格段に優れているということは理解できた。どちらかの魔法を発動し、継続的に効果を得ることは可能だろう。しかし、二つの種類の魔法を同時に発動し、継続させるということは難しく、それを軽々と行使できること自体、彼女の技量を物語っていた。
(神々に愛されし乙女、か。)
昨日、己を捕まえようとしていた男達が言っていたことを思い出す。
名前までは知らずとも、国の片隅の辺鄙な村に住むケイも、行商にきた商人から噂だけは聞いたことがあった。
ただ余りにも現実離れした噂に、腕の立つ女冒険者の噂に、尾ひれがついただけだと思ったが。
そんな噂の女冒険者フィーリは今朝、村を出る前に村長と取引をした。
「条件は三つです。」
そうフィーリは村長に、片手の指を三本たてつつ言葉を続けた。
「まず力のある人を何人か貸してもらいたいです。」
「それは……」
戦闘に参加させるのか、と顔色を悪くした村長に、フィーリはすぐ首を横に振った。
「いいえ、ならず者たちの制圧は私一人で十分です。むしろ手出しはしないでください。」
素人に下手に手を出され、あまつさえ捕まり人質にされたら困る、とフィーリはつけたし、さらに言葉を続けた。
「何人いるかはわかりませんが、制圧した後、捕えた奴らを見張っておいてもらいたいのです。私はそのまま遺跡探索に入りますので。」
フィーリの目的は遺跡探索である。その過程で、ついでにならずものを制圧するのだ。
「遺跡探索にどれくらい時間がかかるかわかりません。その間やつらを放置するのも問題なので、村まで運んでもらうか、見張りをしていてほしいんです。もちろん、反抗しないよう魔法を施しますので、みなさんに危険はありません。」
フィーリの言葉に村長は頷く。村長にとって村人の安全が優先事項なのだ。村長の了承がとれたことを確認し、フィーリが指を一本曲げながら、言葉を続ける。
「次に、昨日男二人も含め捕えたやからに、みなさんは手出し無用です。あいつらは私が責任もって国に突き出します。」
つまり私刑を禁じる、とフィーリは言ったのだ。その言葉に村長は渋面を作った。
「しかし、若い衆が黙っていられるか……」
攫われた娘たちには、親や兄弟はもちろん、恋人もいる。今も彼らは娘達のことを心配し、夜も眠れない状態だ。そんな彼らが、娘たちを攫った犯人を目の前に、自制がきくとは考えられなかった。そうなった場合、村長は見て見ぬふりをしようと思っていた。
村長の心情を察したフィーリが、ふるふると首を横に振る。
「相手が法を犯しているからといって、あなたたちが法を犯していい理由にはなりません。」
フィーリの言葉は正論だった。だが正論だったとしても、心情的に納得できるものではない。
「奴らはあなたたちが手を下さずとも、相応の報いを受けます。だから、堪えてください……これは、絶対条件です。」
「……わかりました。必ず。」
フィーリの言葉に、村長は迷ったが頷いた。もしこの条件を飲めず、フィーリが手を引いたなら、娘たちをたすけることができなくなるからだ。
フィーリは指を曲げ、最後の条件を言った。
「最後に、私は男が嫌いなんです。一緒に来る方には、必要以上に近寄らない、話しかけないを徹底して下さい。」
そうフィーリは締めくくり、取引は成立した。
道中、彼女はその宣言通り、ついてきた若く逞しい男たちに近寄ることも、話しかける事も一切なかった。逆に、フィーリの女神のような美貌に呆け、村長の言いつけをやぶり近寄った男には、容赦なく刀の切先を向け、絶対零度の眼差しを送った。
「死にたいの?」
脅しだろうが容赦のない冷めた言葉に、近寄った男は首を横に振る人形と化したのだった。
村を朝出発し、昼過ぎには目的の遺跡に到着する。それは山慣れした獣人族だからこそ、約半日で到着できた。もしこれが普通に人族だったら、倍は時間がかかっていただろう。つまり、フィーリは普通ではない、ということだが、誰も口にはしなかった。
「あれが、遺跡ね。」
遺跡の目の前の森の茂みに隠れながら、フィーリはケイに確認する。
目の前にはそびえる断崖、その崖に埋め込まれるように、遺跡があった。上からは崖に隠れて視認することが難しく、目の前も深い森が広がっているため見つかりにくい。さらに鑑定した結果、予想通り【隠蔽】の魔法が遺跡全体に施されている為、探知魔法での発見も困難だった。偶然でもないかぎり、発見することは難しい立地条件である。
ケイが頷いたことを確認し、フィーリは再度遺跡に視線を転じる。見張りであろう、男達が遺跡に続く石階段に腰をおろして、欠伸を噛み殺していた。
「見張りは二人……ケイさん、中はみていないのですね?」
「ああ……夜まで待つのか?」
ケイが提案する。まだ昼をすぎだ。夜なり寝静まったところで不意をつくという提案だったが、フィーリは少し考えた後、首を横に振った。
「それも手ですが……昨日の時点で仲間が戻っていないことに、警戒をしているかもしれません。」
なら、昼夜の差はさほど大きくない、とフィーリは言い、己の首にいる相棒に話しかける。
「オル、お願い。」
その言葉に、白い蛇は鎌首を持ち上げると一度だけ頷き、フィーリの腕から地面に降りると、遺跡へと進んで行く。そしてフィーリたちが見守る中、見張りに見つかることもなく、音もたてることもなく、遺跡へと侵入していった。
「……なにを?」
「中を探りに行ってもらいました。他にも、ね……では、しばらく待機で。」
オルを見送った後、ケイがフィーリを問と、フィーリはちらりとケイに視線を投げてそう答え、すぐに視線を遺跡へともどした。
それから三十分ほどたったあと、フィーリの肩が揺れた。
「……十六人、わかった。」
そう呟くとフィーリは立ち上がり、外套を脱ぎ棄てる。
黒い光沢のある上半身を覆う皮鎧は彼女の豊かな胸をおおい、年頃の乙女ならまず着ることはない、機動性を重視した短パンからは、白い太腿がのぞき、周りの男達の視線を釘付けにする。
朱塗りの鞘に納められた刀の柄に手を置き、フィーリは歩き出した。
「あんた、なにを!?」
彼女の行動に一瞬呆気にとられたケイが、隠れていることも忘れ声を荒げる。意識して『フィーリ殿』と呼んでいたことも失念し、『あんた』と呼んでしまったことが、彼の動揺を表していた。
「みなさんはそこを動かないで。」
そう振り返らず足を勧めならがフィーリは言った。
「制圧してきます。」
背後からの制止の声を無視し、フィーリは散歩するかのような足取りで、遺跡へと向かう。フィーリの姿を認めた見張り役の男達が、武器を手に立ち上がった。
「こんにちは。」
そんな彼らにフィーリは話しかけ、にこりと微笑む。その微笑みに魅了され、男達は息を飲んだ。
これまでに見た事もない、美しく若い乙女に、まるで知り合いのように話しかけられたのだ、無理もないことだった。だが男達はすぐにこの場のことを思い出し、武器を持ち直す。
「おまえは」
誰だ?と問おうとした男がその場から崩れ落ちる。それは一瞬の事だった。フィーリが間合いを詰め、男の鳩尾に刀の柄を叩きこんだ。崩れ落ちる相方に、もう一人の見張りの男が、何が起こったか理解が出来ず固まる。それが命取りだった。フィーリは跳躍すると、宙で一回転し、男の脳天に踵落しを叩きこむ。男は地面に顔面からのめり込み、うめき声を上げた。
「人攫いの連中に、名乗る名など持ち合わせていない。さてまずは二人、残り十四人。」
動かなくなった二人に【催眠】の魔法をかけ無力化し、フィーリは遺跡を見上げる。
古いものだ、とフィーリは直感する。長年雨風にさらされていたため、フィーリの身長三つ分の高さの入口の左右にある太い石柱には、ヒビが走っていた。壁面に施された彫刻も削られ、凹凸がはっきりしないし、砂が入り込んでいた。
フィーリは遺跡を注意深く観察しつつ、石造りの扉が開け放たれたままの入口を潜り抜けた。
日光のささない遺跡の中はほんのりの明るかった。フィーリが光源に目を向けると、等間隔おきに、天井すれすれで光の玉が浮かんでいて、室内を柔らかく照らしていた。
(……なるほど、ね。)
フィーリは一人納得しつつ、歩みを進める。
入口から続く横幅の広い廊下を歩きつつ、フィーリは内部を確認するために【探索】の魔法を行使した。遺跡の外では【隠蔽】の魔法がかかっていた為、失敗に終わるかもとフィーリはあまり期待していなかったが、予想通り【探索】の魔法は失敗に終わる。
(【隠蔽】の魔法はこの遺跡全体にかかっているのか。)
ということは、この遺跡には己が探していたものがあるかもしれない、とフィーリはほくそ笑んだ。
そのまま歩みを進めると、廊下が左右に分かれていた。ふと足音が聞え、フィーリは曲がり角に隠れて様子を窺うと、二人の男がこちらへ向かってくるところだった。
フィーリは息を殺し、男達が己の間合いに入ってくる瞬間を待つ。そして、男が間合いに入った瞬間、角から飛び出した。
「おまえ……がッ!」
手前の男が全てを言い終える前に、刀を鞘に入れたまま、男の胴に思い切りたたきつける。フィーリの一太刀を受けた男は、勢いよく吹き飛び、石壁に叩きつけら意識を手放した。
本来、フィーリの腕力では、大の男を吹き飛ばすことは不可能。しかし、フィーリの持つ朱塗りの刀の特殊能力により、持ち主の能力以上のことをやってのけたわけだが、それを男たちが知る術はない。
「三人。」
そうフィーリは呟くと、流れるような動作で片手をもう一人の男に向ける。
「【風】よ。」
フィーリの力ある言葉が発動し、空気の塊が男を襲った。だが空気の塊は男を襲ったが、彼のものを吹き飛ばすほどの威力はなかった。
「し、侵入者だああああ!!」
フィーリが片眉を上げるのと、男が叫ぶのは同時だった。フィーリすぐさま彼の相方同様、刀の鞘で物理的に男の意識を奪う。
遠くが騒がしくなったのがフィーリの耳に届いたが、それよりもの己の発した魔法が不発だったことが気になった。
(威力が弱い……遺跡自体に魔法効果低下が付与されているかも?)
ますます己の求めていたものが、ここにあるかもしれない。そう思い、フィーリは見た者を魅了するような微笑みを浮かべ、足取り軽く、騒がしいほうへと進むのだった。
そしてフィーリは開けた場所に辿りつく。天井は高く、そうれに比例して部屋自体も広い場所だった。柱や壁には龍らしきものを象った彫刻が刻まれ、目の前には祭壇のようなものがあり、もしかしたら昔はなにかが祀られていたのかもしれない、とフィーリは考察する。
だが待っていたのは司祭などではなく、傭兵のような男達と、その者達と比べると一回り体格のいい男だった。
「女一人だと……?」
体格のいい男がフィーリの姿を見て、驚きの表情をする。そんな彼にフィーリがわざとらしく肩を竦めてみせた。
「あなたがリーダー? まったく、女一人によってたかって……あんたたち、男なのについてるの?」
その言葉に、男達は一瞬だけ呆けたが、すぐににやにやした笑いに変わった。それはリーダー格の男も同じだった。
「生意気な女は嫌いじゃない。そういう女を組み敷いて屈服させるのも、な……しかも滅多にお目にかかれない、上玉だ。」
男達の下品な嗤い声が、石壁を反射し、室内に響き渡った。
だがその嗤い声にも動じず、フィーリも口を開く。
「そう、私も嫌いじゃないわ。あなたたちみたいな……」
朱塗りの鞘から刀を引き抜きつつ、フィーリは言葉を続けた。
「下種をぶっ潰すことがね。」
フィーリは不敵に笑うと、一歩踏み出した。
リーダー格の男は、己の眼を疑った。それほど、男の目の前で繰り広げられていることは、ありえなかったのだ。
先ほどからさほど時間はたっていない。だが既に仲間達の半数以上は、地べたにふっしている状態だった。
「な、なんなんだこの女……」
今、また仲間の一人が、女の手によって崩れ落ち、無力化された。
女は襲いかかってくる男達の攻撃を最小限の動きで避けると、刀……正確には刀の刃ではない背、もしくは逆手に持った鞘で男達の急所を打ち据え、昏倒させていく。全ての動作が優美で、踊りを舞っているかのようだった。
「御頭、もしかして、あの女、フィーリじゃないですか!?」
「『神々に愛されし乙女』か!?」
隣にいた男の言葉に、リーダー格の男、御頭と呼ばれた男からフィーリの二つ名が口から飛び出た。
冒険者なら誰もが一度はその名と噂を聞いたことがある。
神々から数多の祝福を受けた女冒険者。一国の王でさえ、その功績と名声に一目を置く。
「さて、残るはあなただけみたいだど?」
その女冒険者が言った。彼女の周りには、意識が無い者、意識はあるが起き上がることができず呻く者の二種類の男達のみだった。
「……ちくしょう!」
御頭は反射的に隣にいた男の背を押して、フィーリの前に突き出すと、己は背を向け駆け出す。
目指すは、獣人族の女たちを捕えている部屋だ。
(人質をとって逃げ出すしかねぇ!)
それ以外に方法が考えることが出来なかった。
いくつかの角を曲がり、女たちを捕えている部屋に辿りつくと、鍵をかかった木の扉を、叩き壊すようにして開ける。
中から悲鳴が聞こえた。その悲鳴のもとに視線を向ければ、薄暗い部屋の片隅で、手に錠を嵌められた獣人の女たちが、身を寄せ合い震えている。
「大人しくこいっ……!?」
男が室内へ足を大きく踏み出した瞬間、なにかに弾き返され、尻もちをついた。
「な、なんだ!?」
男はすぐに起き上がり、なにもないはずの空間に手を差し出す。だがそこには何かが存在した。
「壁?」
透明な壁。向こう側は見えるのに、男が入室を拒むかのように、そこには壁があった。
男が視線を落とすと白い蛇が鎌首を持ち上げ、金色の双眸で男を睨み、赤い舌をチロチロと出していた。
「白い蛇、だと?」
そういえば噂だと『神々に愛されし乙女』は、一匹の白い蛇を連れていると聞いたことがあった。
しかし、なぜその蛇がこの部屋にいるのか、そしてなぜ女たちを守る様に、男の目の前に立ちはだかっているのか……
「やっぱり、下種が考えることは皆同じね。」
男の思考を中断させたのは、鈴の転がるような乙女の声だった。
「まさか……」
男が恐る恐る振り返りながらも、言う。その言葉にフィーリは肩を竦めてみせるだけだった。
「そ、危なくなったら、きっと捕まえた獣人さんたちを人質にとると思ってからね。相棒に守るようにいっておいたの。ありがとう、オル。」
そう女神のような微笑みを浮かべ、フィーリは相棒に礼を言った。
それが男の万策が尽きた時だった。
「……くそがああああああ!!」
男が手に持っていた長剣を振り上げ、フィーリに襲い掛かかる。しかしフィーリは慌てず、その斬撃を避けると、抜刀をした。次の瞬間、男の利き腕に痛みがはしり、長剣を持ち続けることが出来ず落すと、石畳に落ちた長剣は甲高い音をあげ、男は膝をついた。
「誰が、くそだって?」
膝をついた男の首筋に、刀の刃を当てる。
「女性を攫い、傷つけ、金儲けしていたクソ野郎に、そんなこと言われる筋合いはないわ。」
降参を示すように両手を上げた男に、フィーリは吐き捨てるように言った。
「フィーリ殿、十六名全員捕えた。」
ケイは祭壇の会談に腰かけ、オルを撫でているフィーリへと歩み寄りつつ、そう報告した。遺跡を根城にしていた人攫い集団は、祭壇のある大きな部屋の中央に集められ、縄で縛りあげられている。抵抗もする気がないのだろう、全員が項垂れていた。
「ありがとう、重傷者はいないわね?」
「ああ、問題ない。」
ケイは事実を答えつつ、驚きを隠せずにいた。
彼女は遺跡に侵入して三十分も満たないうちに、遺跡内を制圧を完了したからだ。しかもたった一人で、相手に死者も重傷者もなしで。
ケイの言葉にフィーリは頷くと、オルを定位置に……つまりは首飾りのように首に巻き、頭を己の頭にのせた状態にすると立ち上がり、捕えられた男達の元に歩み寄った。
「さて、御頭さん。」
その言葉に、男は顔を上げる。フィーリに斬られた腕はすでに簡単だが治療され、包帯を巻かれていた。捕えられた男達の中で、彼が一番の重症者だったが、時が経てば傷は癒え、握力も戻るだろう。
「あんたたちの背後には、誰がいる?」
フィーリの言葉に、男が目を見開く。その表情をフィーリは見逃しはしなかった。
「やっぱりね。ここに来る前に聞いたのよ。ここ最近、隣国の奴隷市場に、獣人族の出品が多いって。」
冒険者ギルドでは自国だけでなく、他国の情報も多く手に入る。それは庶民の食卓事情から、貴族の噂話、そして奴隷の市場まで。数多の情報から己の必要な情報を獲得することも、冒険者には必要な能力の一つである。
「その国との国境に隣接するここらの地域一帯で、獣人族の行方不明者が多発している、というのもね。」
フィーリの言葉に男の肩が揺れた。フィーリはその反応はあえて無視し、言葉を続ける。
「それに遺跡の中にあった、光球。あれ、それなりに値段するのよ。」
魔法道具は金がかかる。それがそれなりの数が用意されていたということは、かなり裕福なスポンサーがいるということだ。
「さて、ここから導き出される答えは、子どもでもわかりそうだけど、あなたのおつむでもわかるかしら?」
そうフィーリは問うが、男は俯き沈黙を守った。
「……依頼主に義理を通すのはいいけど、あんた自分の立場、理解している?」
そう言ってフィーリは刀の鞘の先を男の顎の下に持っていくと、くいと男の顔を己に向けさせる。
「直接、あなたの記憶に聞くのもいいけど、私、精神感応系の魔法得意じゃないの。前もうっかり手元がくるって、廃人にしかけちゃったこともある。本当にうっかり、ね。」
フィーリがにやりと口角を持ち上げて微笑む。もし彼女が悪魔で、魂を所望したら、うっかり差し出してしまうかもしれない、そんな妖艶な微笑みだった。
「さ、どうする?」
フィーリの誘惑を、男は踏みとどまった。無言のまま、拒否するように顔を逸らす。その様子に、フィーリが小さくため息をつく。
「わかったわ……ケイさん。」
「な、なんだ?」
唐突に話しかけれ、フィーリの微笑みに見惚れていたケイが慌てて返事をする。フィーリはケイのぎこちない返事については触れず、視線は目の前の男から外さずに言葉を続ける。
「あなたは、私が助ける寸前、去勢するとか言われてたよね。」
「……ああ。」
嫌な事を思い出し、ケイは眉間に皺を寄せながらも頷いた。その言葉にフィーリは男の顎から鞘を話すと、鞘尻を石畳へと打ち付けた。それも男の股間のすぐ前の石畳だった。
「この男、去勢しよう。」
「は?」
フィーリの言葉に、ケイの思考が停止した。
「去勢すると従順になるんでしょ? それにアレがなくなっても、死にはしないわ。たぶん。斬った後はちゃんと治療してあげる。繋げないけど。」
にこりと微笑みながら、恐ろしい事をいうフィーリに、思考を再開したケイは血の気がひくことがわかった。まさか、女神の美貌を持つ乙女の口から、それほど恐ろしいことが出るとは思わなかったのだ。
「ちょ、待て、フィーリ殿!」
「なに? 同じ男だから庇うわけ?」
止めに入るケイに、フィーリは眉を顰める。
「捕まっていた女の子たちのことを考えれば、まだ手ぬるいわ。」
そう言ってフィーリが視線を向ける先には、縋りつく女性を抱きとめる青年がいた。フィーリが村を出る時につれて来た青年だが、彼は恋人が攫われていたのだ。他にもまだあどけない少女が泣きながら父親に抱きついていた。男達に介抱される、憔悴しきった女達もいた。
彼女達は『商品』として手荒には扱われていなかっただろう。しかし、捕えられ手錠をかけられ、暗い部屋に押し込まれ、家族や恋人に会えないまま、どこかに売られていくという恐怖に支配されていたのだ。
その気持ちを考えれば、男達のやった行いは到底許されることではない。
「しかし、あなたは私刑を俺たちに禁じたではないか!?」
それが取引の条件だった。そのことをケイが持ち出すと。フィーリはあっさりと言った。
「私とあなた達では立場が違うから。」
まさかの言葉にケイは開いた口がふさがらない。そんなケイにフィーリは言葉を続ける。
「私は国に認められた『二つ星』の冒険者。あなたたちと違って必要とあれば、罪人を罰することも出来る。」
『星持ち』になった時点で、国はその冒険者に『特例』を与える。下手すればその辺の貴族よりも、『星持ち』の地位は高く、発言力も強い。その分国に縛られることになるが。
それに、とフィーリは言葉を続ける。
「彼らは一応冒険者ギルドに所属しているみたいだからね。ギルドの規定に反する者を『星持ち』は独断で処理できるの。」
彼らは冒険者ギルドが支給するプレートを持っていた。階級は『赤銅』と『白銀』だ。その程度の冒険者はごまんと存在し、依頼で受け取る報酬は十分とは言えない。その為、しばし犯罪に走る冒険者もいるため、その場合は犯罪が発覚次第、上位の階級者は処罰できるのだ。
「私、犯罪者には人権はないと思っているの。」
そうフィーリはにっこりと笑って、すらりと刀を抜く。
「と、いこうことで、去勢するわ。」
「全部話すッ! だから切らないでくれッ!!」
青くなった男はすぐに折れた。
「……ちっ。」
ケイはなぜかほっと胸を撫で下ろしたが、そんな彼の垂れた長い耳に、小さな舌打ちが聞こえたのだった。
【楠より連絡事項】
お気に入り1000件突破しました。ありがとうございます。
感謝御礼ということで『転生乙女備忘録』というページを作成しました。
内容は登場人物紹介をステータス風味に書いてる、おまけ要素です。見なくても全く問題ないです。
目次の下部より飛べます。(タグの設定、ひさびさにやった……)