Act.1 乙女の前世
『残酷な描写あり』タグが仕事をしますので、
苦手な方は本文を読まず、後書きまで飛ばしてください。(念のため)
冬の寒さに加え、叩きつけるように降る豪雨が、まるで針を刺すように、冷たく痛い日だった。
少女が一人、コンクリートの上で仰向けになり、ただ真っ暗な夜の空を見上げていた。空は雨雲のせいで星ひとつ見えず、時々雷鳴が轟き分厚く暗い雲海の隙間を雷が走り、大粒な雨が地面の少女を打ち付ける。
少女はただ身動き一つせず、滝のように降る雨を全身に浴びていた。雨が少女の全身を伝い、地面へと流れ着く。だが流れているのは雨だけではない。彼女の生命である血も、止めどなく流れ続け、周囲の水たまりを赤く染め上げていた。
既に痛みはなく、手足の感覚もない。先ほどまで耳元でひどく煩かった人の声も、雨音も聞こえない。視界も霞み、命の灯が消えようとしている寸前、少女は己の過去の走馬灯が走っていた。
経を唱える声が、右から左へと通過していく。少女は微動もせず、泣きもせず、そして目の前の現実を受け入れる事が出来ず、呆然としていた。そんな彼女を、葬式に出席した人々は憐れむ視線を向ける。
「中学の娘さんだけ残して、家族は皆事故だって?」
「かわいそうに……」
なぜかその声だけは、すぐ側で言われているかのように、はっきりと聞こえた。
(なんで?)
少女は問う。
少女は両親と弟の四人家族だった。その日は、弟が所属しているサッカーのユースチームの試合があり、休日だった両親と弟は出かけて行った。少女は体調が芳しくなかった為、玄関で応援しつつ見送った。それが家族との今生の別れとなった。
弟のチームが勝利を収め、試合会場から自宅へ戻る途中、両親と弟が乗った乗用車に大型トラックが激突した。原因はトラック運転手の居眠り運転だった。両親と弟は即死だった。
(なんで、父さん達だったの……?)
普通の家庭だった。中規模の会社で働く厳しいが子供には甘い父、花屋のパートをする明朗快活な母、勉強は得意ではないが頭の回転が速く、ユースではトップ下で司令塔の役割をしていたちょっと生意気な弟。
少女の体調がお昼過ぎには回復したため、簡単に家の掃除を終えた後夕飯の支度をして、家族の帰りを待っていた。だが予定の時間になっても帰ってこず、メールを送っても返信がなく、電話もつながらない。
少女は嫌な予感がして何度も家族の携帯に電話をかける。やっと父の携帯が繋がったと思ったら、出たのは知らない声の男性で、警察だと言われた。そして少女は、その場で家族が全員事故にあい、亡くなったことを告げられた。
警察署で三人の遺体と対面した時、警察が言っていた事を少女は思い出す。
あと五秒でも早かったり、遅かったりしていれば、事故には巻き込まれなかっただろうと。
経の声が遠くで聞こえる。
もっと父と話せばよかった。もっと母の手伝いをすればよかった。もっと弟と遊べばよかった……家族のいない未来を、少女は考えることが出来なかった。
「今日からは叔父さん達が家族だよ。」
呆然自失な少女に父の弟である叔父の言葉で、自分が彼らに引き取られるのだと理解した。
「よろしく、お願いします。」
少女は頭を下げるしかなかった。
引き取られた日の夜、少女は眠れずにいた。
用意された部屋は、居心地がお世辞にもいいとはいえなかった。陽当たりの悪い角部屋、傷だらけの机、音の鳴るベッド、カビの匂いがするクローゼット……だが保護者となってくれた叔父に、文句を言おうとは思っていなかった。否、文句を言う気力もなかった、が正しい。
眠れずに水を飲もうとダイニングに降りると、ドアが少しだけ開いていて、叔父夫妻の話し声が聞こえてきた。
「まったく、本当に愛想のない娘だこと。」
叔父の妻の声だった。確かに何も考えることができず、無表情で愛想が悪かったであろう。だが家族を失ったばかりなのに、なんでそう言われなければいけないのか、少女は理不尽に感じ怒りを覚える。だがそれも一瞬だった。
「そう言うな。」
叔父が窘める。それで少女は怒りを抑えることが出来た。
(お世話になるんだ。すぐには無理でも、ちゃんとしなくちゃ……)
そう少女は自分に言い聞かす。彼女にとって自分は赤の他人なのだ。成人するまでは、この家でお世話になるなら、礼を尽くさねばと少女は思った。
だが次の言葉で、少女は絶望に突き落とされる。
「おかげで兄さん達が残した保険が手に入っただろ?」
叔父の言葉に少女は目を見開く。口を両手でふさぎ、声が漏れないようにする。
確かに父と母、そして弟が死亡したため、多額の保険金が自分の元にきた。保険金だけでなく、事故を起こした相手のトラック運転手からも、慰謝料が払われる予定だ。だが未成年である為、金は全て叔父が管理してくれることとなっている。
「君は心配しなくていいよ。」
そう優しげに言われたから、少女は首を縦に振って全てを任せたのだ。未成年の自分に他に方法がなかったとも言えた。
「まあ、そうだけど……」
叔父の言葉に妻は不承不承納得したようだった。
少女は音を立てぬよう部屋に戻り、ベッドに潜りこむ。布団を頭からかぶり、声が外に漏れぬよう静かに泣いた。
次の日から少女は努力をした。叔父夫婦の目的が金だったとしても、未成年である自分の保護者は彼らしかいない。なら成人するまでは、彼らに従おうと。
彼らの外面はいい。だから表だって自分を蔑にはしないはずだと解っていた。だから彼らが満足するような子供を演じた。最初の頃は、学校では努力し成績は上位をキープし優等生しつつ、なにかあれば叔父夫婦を立てる。おかげで叔父夫婦の評判は鰻登りで、彼らの自尊心を満たした。だが時が少し経つと、二つ上の娘と同い年の息子の叔父夫婦の子供達からはよく思われなかった。
「うぜえ、てめえの家じゃねーんだぞ。」
「邪魔、近くに寄らないでよ。」
幸い暴力はなかったが、言葉の暴力は叔父夫婦のいないところでは日常茶飯事だったが耐えることは出来た。
だが時間が経つと、優秀な兄夫婦の娘と平凡な自分の娘や息子を比べた叔父夫妻は、やはり実の子のほうが可愛いのだろう、人目のないところでは実子との扱いの差をつけ始めた。
己の娘にはブランドものの衣服を与え、少女には安物のみという差は序の口だった。少女を一人家に残し掃除をいいつけ、自分達は有名レストランへ食事に出かけたり、少女があまりにも優等生だと嫌味を言ったりする。同級生の男子と話をしただけで、あばずれ呼ばわりされたりもした。
叔父家族の生活は煌びやかになっていった。ブランド物や貴金属を身に纏い、高級車を乗り回す。従弟達は最新のファッションにゲーム機も手に入れ、とても裕福だった。
その金がどこから出ているか、簡単に想像は出来たが少女はどうでもよかった。家族を失って手に入れた金のなど興味もなかった。
(あの人たちは私の家族じゃない。独り立ちするまでは我慢だ……)
何かある度に少女は自分にそう言い聞かせ、家族がみな笑っている写真の入った写真立てを抱く。
少女は己の為に努力をし続け、中学を卒業し進学校へ進み、年月を重ねた。
そして高校の二年生の進路相談の時、少女は叔父に言った。
「東京の国立大を受けたい?」
「はい。その為に予備校に通いたいです、叔父さん。」
最初は渋り気味だった叔父も、少女が下手にお願いすれば折れた。それに金の事を言えば、後ろめたいのか出し渋りはしなかった。
国立大学なら、私学へ行くよりも学費は安い。学歴があれば、就職先も期待できる。それに兄夫婦の娘を我が子のように扱うことは、彼らの自尊心を刺激した。
少女は来る日も来る日も努力を続けた。勉学だけでなく生活態度も注意した。模擬試験では合格圏内の判定を受けた。それでも慢心することなく、少女は努力を続けた。全ては自由を手に入れるために。
そしてセンター試験を一週間後に控えた予備校帰り。その日は豪雨だった。予備校の自習室で、ギリギリまで自習をしていた為、予備校を出たのは夕方の遅い時間となってしまった。
(あと一週間でセンター試験、大学に受かれば……)
叔父家族の家から出て、東京で一人暮らしが出来る。利用されなくてされることなく、自由になれる。それだけが少女の希望だった。
(ん?)
ふと前方から人がやってきた。黒い傘をさしていて顔まではわからないが、体格から男性だろうと予想がついた。よたり、よたりと前屈みに歩いている。
(なんか、気味が悪い……)
なぜか、少女はそう感じた。だから出来る限り、距離をとるように、歩道の隅を歩く。
男性が真横を通る瞬間、肩に力がはいる。傘の柄を握る手に力が入り、ボストンバックをギュッと握りしめる。ちらりと視線を向けると、傘の陰から男性と目があった。
光のない、感情も読めない虚ろな瞳が自分を見ていて、少女の背中をゾクリと寒気が走り、歩みを止めてしまう。
だが男性は視線を前に戻して歩いていった。それに少女は安堵し、自分も視線を前に向け歩き出そうとした瞬間、肩を掴まれた。
「……え?」
力任せに引っ張られ、振り返る。
目の前にはさきほどすれ違ったはずの男性がいた。口の両端を上げて嗤っていた。
「あは……」
その口から、声が漏れる。その瞳にはついさっきまではなかった狂気の光を称えて。
少女は動くことが出来ずにいた次の瞬間、腹部に熱さを感じた。
ゆっくりと視線を動かすと、自分の腹に、ソレが突き立っていた。
「あはははははははッ!!」
男の狂った声が豪雨の中響き渡る。
男が少女の腹に刺さったソレを……ナイフをゆっくりと引き抜いた。少女の血で汚れたナイフが、雨で洗い流され、鈍く銀色に光る。
「……あ……」
口から声が漏れる。脳がそれをナイフだと認識した瞬間、全身に痛みが走った。
傘もバックも地面におち、少女は崩れるように倒れながらも刺された腹部を反射的に抑える。
「ははははははははは!」
男は狂ったように笑い続けていた。遠くで雷がなったが、それよりも男の声が少女に纏わりつく。
「皆死ねばいいんだ、みんな俺の馬鹿にしやがって……シネバイインダ、シネバイイ……」
男はぶつぶつとうわ言のように呟くと、倒れた少女を仰向けに転がし、馬乗りになる。
「や、やめ……」
少女が恐怖に顔を歪めた。刺された痛み、雨の冷たさ、豪雨が地面をうつ音、遠くで聞こえ雷鳴、そして男の歪んだ表情や吐息、匂い、振り上げられた銀色のナイフ。全てが恐怖だった。
「シネバシネバシネバ………アハハハハ!!!」
ナイフが何度も何度も少女に振り下ろされた。
両腕で己を守ろうにも、馬乗りの体制ではナイフで掌や腕を斬られるだけだった。
胸や腹を何度もさされ、血の味が口の中に広がる。逃げようにも恐怖が身体を支配し、抵抗ができなくなる。暴力が少女を蹂躙した。
(イヤ、イタイ、アツイ、ヤメテ、ヤメテ……ヤメテッ!!)
少女は声を上げることも出来ず、最後は力尽きるように手を上げることもできなくなった。
「なにやってんだ!?」
「きゃああああッ!!」
男性と女性の声が響いた。それを聞いた男は、少女からゆっくりと立ち上がる。
「あはは……ミンナ、シネバイイ。シネバイイ……あはははは……」
男はそう呟き嗤いながら立ち去っていく。
少女は動かない。否、動けなかった。身体が冷たく、石のように重たかった。すでに痛みは感じない。視界もまるでスリガラス越しに見るかのように、ぼんやりとしていた。
「おい、大丈夫か!? 早く救急車を呼べ!」
遠くで声が聞こえた。
(なんで……?)
そう少女は問いかける。
(私が、何をしたというの……?)
それはこの世界の理不尽への問いかけだった。
(私が、何が悪いことをしたというの……?)
家族を失い、親族には食い物にされ、他人からは腫物扱いされ、最期はこうなった。
家族を失ってから、一人で努力を続けて、もう少しで自由になれるはずだった。
それなのに、なぜこの世界はこんな理不尽な仕打ちをするのだろうか。
(死んだら、会えるかな……?)
思い浮かべるはいなくなってしまった本当の家族。ずっと会いたかった。ずっと一人は寂しかった。もう一度家族に会いたかった。
(ただ、普通に、幸せに、なりたかった ……だけ、なの……)
家族がいた日常。失ってから気が付いた、本当の幸せ。
少女は天へ手を伸ばそうとしたが、だが途中力尽き、血で赤く染まった血だまりに手を投げ出した。
そこで彼女の意識は途絶え、瞳からは光が失われた。
それが少女の死を告げていた。
残酷描写苦手な人のための本編総括。
主人公は家族を亡くし、とても苦労し、努力し、その努力が報われると思った矢先、通り魔に惨殺されました。
以上。