ある日の朝
カーテンの隙間から光が差し込み、雀の顔に当たる。雀は片手を顔の前に持ってきて光を遮った。
「ん……、眩しい」
ゆっくりと目を開けると、そこには見覚えのない天井があった。ごろんと横を向いて見ても、やっぱり見なれない三角形の屋根裏部屋。
(そっか、お母さんが死んじゃって、黄金お婆ちゃんに引き取られたんだ)
こっちに来てから既に7日。雀は、未だにこっちの生活に慣れる事ができずにいた。
ベッドの頭の上の方にある台に手を伸ばして、ごそごそと動かし目覚まし時計を探す。見つけた時計の針は7時15分を指していた。大丈夫、学校までは15分。まだまだ時間に余裕がある。
雀はベッドから、のろのろと目を擦りながら下りて、写真の飾ってある窓の前にきた。
写真には、優しそうに笑う女性が金色の髪を揺らしている姿が映っている。雀の母――杏の唯一の生前の写真だ。
雀は、空気を入れ替えるために窓を開ける。部屋に朝のまだ少し肌寒い、風が入り雀の茶色の髪が靡いた。
窓の外には、一本の木と雲が少しあるが、澄み切った空があった。こんな日は、空の上まで声が届きそうな気がする。
雀は神に祈りを捧げるように、そっと片膝をついて手を組み、目を閉じた。
これは杏が死んでしまってから始めた、空の上の杏に近況を報告するための習慣だ。
(お母さん、学校へ通って3日が経ったよ。こっちの学校は、私の通っていた学校より授業が進んでて大変なんだよ。友達も……)
報告しかけて、雀は止まる。
雀は、学校では1人でいることが多い。教室では周りのクラスメイトが仲良く会話している中、1人ぽつんと席に座り、本を読んでいる。当然、友達など出来ようはずもない。
それを空の上のお母さんに報告したくはなかった。心配をさせたくない。
母が死んで間もない事もあり、どうしても笑顔で過ごすことが雀にはできなかった。実はまだ、杏の死を思い出して雀は1人で隠れて泣いている事さえあった。
その光景を思い出して少し気を落としたが、雀は顔を上げた。
(……でも、頑張るよ、お母さん)
(伝わったかな……?うん、伝わった気がする)
晴れ渡った空を目にして、雀はそう思った。
(それに何か素敵で不思議なことが起こるような気がする)
その時、理由もなくただなんとなく何故か誰かに呼ばれるような気がして後ろを振り向いた。しかし部屋の扉は開く気配はない。気のせいかと思い直した時、階下から声が聞こえてきた。
「雀~早く下りてきなさい!遅刻するわよ~!」
「はぁ~い!」
1階から聞こえてきた菫の声に答えて、雀は着替えて学校の支度を整えた。最後に机の上においてある眼鏡を掴んで雀は階段をパタパタと下りて行った。
(伝わってるよ、雀)
窓の傍の木の枝に半透明の杏が座って、窓から部屋を覗いていた。当然、部屋の中を見ることができるのだから、部屋の中からも見えるはずだが、雀の目には杏は映っていないようだ。
杏には、これから起こることが心配だった。
(目覚め始めているのね。魔女の力に……)
僅かに先の出来事が予感としてわかるのは、魔女の力だ。雀が呼ばれる少し前に振り向いたのが、その魔女の予感だ。
魔女の予感は、生前の彼女が持っていた、特異な力だ。
大昔は、魔法を使う人を魔法使いと呼び、それに加えて女性に発現し、血に受け継がれる特異な力を持つ人は、魔女と呼ばれていた。しかしその特異な力は、長い年月の中、普通の人と交わる中で薄れていき、消えていった。そのため今では、魔法を使える女性を魔女と呼ぶようになってしまった。
雀は、そのかつて魔女と言われた者達の持っていた特異な力を持っている数少ない人間の1人だ。
当然、その力を利用しようとする者もいるだろうし、魔女達は仲間に引き入れようとするだろう、何よりも魔女狩りに狙われる事になる。
雀には、他にも1つ大きな問題がある。
雀を救いたくても、助けたくても、もうこの世にいない杏にはどうする事もできない。
(だから雀をお願いね、晃)
本当は自分で救いたいが、それができなくて、人に任せるしかできないのが悔しい。
(せめてあの人がいてくれたら……)
そう思ったが、それは考えでも無駄な事だ。そう思いなおして杏は諦めた。
木の上に座る彼女は悔しそうに、そして辛そうに顔を伏せるのであった。
雀が1階に下りると美味しそうな、お味噌汁の匂いがした。
(ん~、この匂いからすると、人参と大根……かな?)
ぐぅ~~
雀のお腹が鳴る。
早く食べたくて雀はすぐに台所に向かい、暖簾をくぐった。台所には菖蒲お姉ちゃんと黄金お婆ちゃんが、テーブルの椅子に座って、朝ご飯を食べていた。
つんとした感じの菖蒲お姉ちゃんと、ゆっくりふっくらした感じの黄金お婆ちゃんとは対照的だ。
「おはよう」
「……」
雀が家族に小さい声で挨拶したが菖蒲は、返事をしない。雀は菖蒲が苦手で、どうしても声が小さくなってしまう。
「雀、おはよう」
2人を見比べながら雀が席に着くと、ずずーっと味噌汁を飲んでいた黄金が独特の発音で挨拶をしてきた。
「うん、おはよう」
雀が黄金に答えると、菖蒲は椅子の上に置いてあった鞄を持って立ち上り、雀の方をちらっとだけ見てから雀を避けるように台所を後にした。
菖蒲に雀は好かれては、いない。どちらかと言えば、雀は嫌われている気がする。
テレビでは天気予報の後、大神製薬会社の薬品製作所に火災に関してのニュースが流れていた。
『大神製薬会社で、先日13日に原因不明の出火。火は薬品に火が燃え移り、広がってしまったもよう。出火の原因は未だ不明で、消防が原因究明に力を入れるとのこと』
(これは……やれやれ、やっと見つけたよ)
黄金は急に顔をあげて珍しく真剣にそのニュースに耳を傾けていた。
菫が雀の前にお味噌汁をテーブルに置いて、ご飯を雀に手渡した。ご飯を受け取った雀は、箸をとって食べ始めようとした。
「行ってきま~す」
「?」
声が聞こえて雀は、椅子を傾かせて、玄関の菖蒲を覗きこむ。
「菫さん、菖蒲お姉ちゃんもう学校に行くの?」
雀が下りてきたばかりでまだ時間には余裕があるはずだ。不思議に思って雀は菫に尋ねる。
「当然でしょ、もう7時30分を回っているんだもの」
「えっ!?」
雀は、慌てて壁にかけてある時計を見る。時計は7時35分を指していた。
(もしかして、部屋の時計が遅れてた!?いけない、このままじゃ遅刻する!)
そう思って、慌ててご飯を口に詰め込んで……喉に詰まらせた。
「ぐっ……」
「ほらほら、慌てて食べるから」
そう言って、雀の前に水の入ったコップが黄金から差し出された。
雀は慌ててコップを受け取り、水を飲む。
「ふ~、黄金お婆ちゃんありがとう」
菫が、呆れたように片手を頬にあて、その様子を見ていた。そもそも菫は、こんな事にならないように起こしたのだ。
雀は、すぐにご飯の残りを食べて、椅子にかけていた上着を持って台所を出て行く。
ゆったりとしている菫も雀も黄金が差しだしたコップにはさっきまで水が入っていないことに気付かなかった。黄金は、立ち上がってすらいないにも関わらず。
玄関に着いて雀が靴を履いていると菫が、雀の弁当をもって台所から出てきた。
「はい、これ忘れ物」
「えっ?あ、本当だ」
肩にかけている鞄を開け、仲をごそごそと確かめる。鞄の中には、弁当は入っていなかった。
「ありがとう、菫」
雀は、弁当を受け取って鞄に入れた。
「行ってきま~す」
そう言って雀は、玄関を出て学校に向かって走って行った。
「……まだ、私をお母さんって呼んでは、くれないのね」
菫は雀が出て行った後も、悲しそうに玄関にたちつくして、外を見ていた。
(早く、お母さんって呼んでほしいよ、雀……)
黄金が、菫を気遣うようにとても穏やかな優しい眼で、その様子を台所から見ていた。
トントン。
足を玄関に打ちつけ皮靴を履いた。妹の雀は私服で高校に通えるが、別の学校に通う菖蒲は紺のブレザーに灰色のスカートを着ていた。
(正直、私服で登校できる雀が羨ましいのよね。着替えるのめんどくさいし)
そんな事を考えながらパタンと扉を閉じた。
「行ってきます」
呟くように言って菖蒲は玄関出て胸の高さくらいまでしかない黒い鉄格子の扉を開けて家を出て行った。
雀に対してつんとした態度で接してしまうのは、魔女の家系であるために雀の持つ魔女の才にある暗さを感じてしまうからだ。
普通の人は無意識に感じて、雀を避けるが、菖蒲は意識的に感じて、近づかれないようにしてしまっていた。
雀は、家を出て塀の横を辛そうな顔をして走っていた。
(ごめんね、菫。気持ちは知ってるんだよ。わかってるんだよ……でも、私のお母さんは1人だけなんだよ)
だから、雀は菫をお母さんとは呼ばない。
もし菫をお母さんと呼んでしまったら、母の杏のことを忘れてしまうような気がする。雀にとって、杏はとても大切な人なのだ。だから、絶対に忘れたくなかったのだ。
「まだ、私をお母さんって呼んでくれるのね……」
雀の様子を木の上から見ていた杏が微笑む。
(でも、……これから、きっと……悩む。だって、私が……)
杏の顔が、これからのことを考えて曇る。少しして辛そうに顔を上げる。
(でも、頑張って、雀……)
杏が、ふと顔を上げると電柱の影にいた晃を見つけた。晃も杏に気づいて顔を上げたので目があった。
雀の様子を私と同じように気にしてやや離れた場所から見守っていたのだろう。
(雀をお願い、晃……)
晃は、杏が何を言いたいのかわかったが、無言で目を背け、日の光を嫌い、影に溶け込むように消えていった。
晃と入れ替わるように杏のいた木の上に髪の赤い少年が、長いマントの様な衣服を翻し、景色を歪めて陽炎のように現れた。
(確か今はこの辺りであいつの気配がしたが……気のせいか)
辺りの様子を伺うが、目的の気配は見つからない。僅かの間ではあったが、彼は影のあたりに注意を払っていた。それは、彼が探しているのはまるで日の光を嫌うものでもあるかのようだった。
(この辺りにいるのは間違いないんだが……もう少し探さなくては)
木の枝に座る杏に一礼をして彼は、陽炎のように消えた。




