生存と絶滅の葛藤
突然だが、生命のピンチである。
ギザギザとした牙が僕を狙っていた。牙の形を例えると、櫛の歯を全て糸鋸に換装したような形状である。ああ、僕ってまさにクシ刺しにされるんだな。
てか、櫛って何?
「何をブツくさ言ってやがる。ジワリジワリと部位ごとに喰われたいのか?」
食べる事は前提らしい。問題は常に食べられ方にあると。
ほら、美味しい食べ物はじっくりと味わいたいし、不味い食べ物は栄養価が高いから飲み込むよね。僕の人生最後の評価は味なんだし、できれば美味しく死にたい。けど、やっぱり痛いのは嫌だなぁ。
「俺様を無視するな。味がないくせに」
「あー、酷い。食べてもないのに味気ない(つまらない)奴とか言われた!」
「お前は脊索に歯ごたえがあるだけの食材だろ。あー、あれだ、味の抜けたガムの食感に良く似ている。集中したいときや、空腹を我慢するのに使える」
「人を定価十円みたいに言うな! それより、ガムって何?」
「知らねぇ。突然ワードが頭に浮かんできた」
海中で既に浮かんでいる彼の脳の中身では、更に知識が沈殿浮遊しているらしい。
僕と彼とでは外見も進化の傾向も大きく異なっていたが、現在感じている微妙な超越知識は共有されているらしかった。
「気味が悪いな。俺様ってこんなに頭が良かったか?」
「原生動物に頭が良いも悪いも無いと思うけど、どうやら、僕たちは未来の知識を突然授かってしまったらしい……」
三流のSFかよ、と訝しる彼の発言自体が、カンブリア紀の文明水準から大きく逸脱してしまっている。
困った事に僕の推測は正しい事が証明されてしまったよ。
「マジかよ……。未来知識なんて、肉食動物の俺様にはどう考えても不釣合いだ。どちらかと言えば三葉虫が持つべき能力だろ」
「三葉虫さんが持っても有効利用はできないと思うよ。むしろ、自分たちが絶滅して、その化石が棚の上で埃被っている姿なんて見たくない、と泣きながら懇願すると思うよ」
未来知識を手に入れた代償として、僕と彼は弱肉強食の掟を忘れてしまったようだ。
十倍以上の体長の差がなんのその。腕も無いのに腕を組み思案を続ける。
「状況を整理する前に、僕たちの名前を未来知識から探りません? 呼び方が分からないと不便だし」
「賛成だ。お前を呼ぶのに、歯ごたえしかなく且つ味気ない奴と毎回言うのは長ったらしい」
酷い言われようだが、僕は彼に歯向かうような愚かな自尊心を持っていない。
何せ彼は現地球上で最大の生物である。凶暴進化の花形、古代生物ヒエラルヒーのタイラントだ。“逆らう”イコール“食べてください”の公式が成り立つこの海中で、悪口に対する耐性を身に付けていない生物は彼の先祖によって完食されてもう居ないよ。
「お前は『ピカイア』か。見た目通り弱そうな名前だな」
彼は僕のヒョロヒョロした細い身体を牙で指す。甲殻を退化させた身体は守備力に欠けるから仕方が無い。逃亡人生には向いているのだけど、そこが女々しいか。
「そういう君は『アノマロカリス』って強そうな名前だね」
彼改めアノマロカリス君は、甲殻で覆われた巨大な身体を見せつける。牙という凶器も装備しており、名前負けしていない。
だが、アノマロカリス君は僕の妬みに反して、苦い三葉虫でも食べた後のように渋い顔を見せる。
名前自体は気に入っているようだが、その原意と逸話が不満らしい。
「カリスは“海老”って意味で、アノマロは“奇妙”だろ。つまり、俺様は人から名前を呼ばれるたびに『おーい、そこの奇妙なエビ君』って呼ばれる訳だ。新手のイジメだろ、これ」
なるほど、これはアイデンティティーに深く関わる問題だ。
エビちゃんと親しまれるのは嬉しいのだろうが、そこに奇妙という接頭語が付いた途端、湧き出たゲテモノ臭に心が蝕まれる。
「将来、俺の子孫が、名前が原因で登校拒否にならないか心配だ……」
その点は心配しなくても良いと思う。君、絶滅するから。
「それに、俺様の名前には『ペユトイア』っていう情けない候補もあったんだぜ」
アノマロカリス君の化石は、牙と口が分離された状態で発掘される事が多く、当初は牙と口の両方に学名が与えられるほど個性的な待遇を受けていた。牙と口とが別生物である、と失礼な勘違いをされていたとも言える。
後の研究で牙と口が同一生物の部位である事と判明するまで、アノマロカリス君は望まない二重生活を続けた。
「もし、口の方の名前『ペユトイア』が先に学会で認定されていたら、俺様は今頃「ペユトイアちゃん」って呼ばれていたんだぞ!? そんな弱々しい名前は絶対に嫌だッ!」
僕としては名前にすらエピソードが存在する彼が羨ましいけどね。
「ピカイアは脊髄動物の祖先になるのだろ。進化できるくせに欲を言うな」
「僕の他にそれらしい生物が発見されたらしいけどね」
もし未来生命体が僕の子孫であったとしても、未来知識を得たアノマロカリス君が嫉妬に駆られ、僕たちを絶滅させるかもしれない。
「はっ、誰が進化に嫉妬なんてするか。俺様たちの目的はあくまでも生存、進化は生存の結果に過ぎない。それに未来生命体が気付いていないだけで、俺様の子孫もきっと生存していらぁ」
「前向きだね。でも、そうでなければ古代の海中で君臨できないか……」
僕は感心から無意識に尾を揺らし、ふと、気付いてしまった。
何故僕たちは古代海中で活用できない、無駄に素晴らしい未来知識を手に入れてしまったのかを……。
「――お前も気付いたか。未来知識には西暦二千年までの歴史が欠損なくコレクションされているが、西暦二千五十年が近づくにつれて曖昧になっていく。西暦二千五十年以降の知識は……無い」
「でも知識が無い事は、その事自体が重大な事実を示唆しているよ」
僕と彼に表情筋が存在したなら、間違いなく笑っていただろう。それも爆笑だ。
「まったく、お前の子孫は馬鹿だねぇ。せっかく俺様たちが生存競争に青春を賭けているというのに」
「本当だね。進化の果ての絶滅にしてはかなり早いよねぇ」
未来知識が無いという事はつまり、知識を生産する生物が地球上から全て消えてしまった事を意味する。
正確には未来知識を生産した知的生命体と、生命体の快適生活の道連れになった数千種の多細胞生物に限る。
もしかしたら絶滅十億年後ぐらいには新たな知的生命体が繁栄しているのかもしれないが、そんな事は僕たちにとっても未来生命体にとってもどうでも良い。
肝心な事は、西暦二千と五十年で絶滅する生命体の知識が、僕たちに託された事だ。
「僕は理解したよ。何故、僕たちが未来知識を手に入れたのか。きっとこの知識は絶滅に陥った生命体の最後の足掻きであり、僕たちに託した一握の希望なんだ。託した相手が僕たちなのは最良とは言えないけれど、進化をやり直すのにカンブリア紀は最適だ」
僕とアノマロカリス君に未来知識を託した未来生命体は五億年後、自身の犯した過ちによって滅亡した。
それは約束されていた突然死であり、無意識的な自殺に近い。隕石のような外的要因で絶滅した恐竜と比べ、自身の繁栄という内的要因で滅んだ未来生命体は非常に惨めだ。
「じゃあ、そろそろ僕を食べてくれない、アノマロカリス君。僕たちピカイアを含めた現世の生命体が全て絶滅しないと、未来生命体の絶滅を救えない。絶滅が絶滅を救い、未来の間違った進化を正すんだ」
そして、未来生命体は惨めなだけでなく厚かましくもあった。
なにせ、自分たちの絶滅を古代生物に救わそうとしているのだから。
もちろん、未来知識を得てしまったとはいえ僕がそれに付き合う必要はない。しかし、未来生命体は酷くずるかしこい。ただ食されるだけの存在であった僕に、未来の救済という真っ当な死に方を授けてしまった。
古代英雄ピカイア。
このかっこいい死場を手に入れてしまった僕は、アノマロカリス君の牙で捕獲されやすいように身体を横に向ける。一方のアノマロカリス君も食欲旺盛なようで、ジリリと左右の牙を僕に接近させていった。
では、ごほんっ。辞世の句。
痛くない、ように美味しく、食べて欲しい。
……字余りとは情けないなぁ。
「……はッ! 何が美味しくだ。お前には味が無いと俺様は言ったはずだろ。俺様はもう腹八分目だ、デザートで喰うなら味わい深いオパビニアしかねぇ」
牙を収納し、口を固く閉じるアノマロカリス君。彼は人生で初めて本能に逆らってしまう事に憤り、小さく舌打ちを行う。
「それに俺様は言ったはずだ、進化は生存の結果であって目的ではない。目的と結果を取り間違えるな」
言い終わりと同時に、アノマロカリス君はぎこちなく背を向けた。
もしかしたら恥ずかしいの?
「俺様は他の生物を食いまくる。お前は俺様から逃げまくる。その純粋な生存本能を未来へと受け継がせ、昇華させる事こそが正しい進化だ。未来知識を得た俺様とお前の使命は、以前よりも獰猛な生への執着だ!」
暴力的にヒレを動かし、反動で生じた海流で僕の小さな体は吹き飛ばされる。体勢を平行に戻すまでの一瞬で、アノマロカリス君は遥か遠くへと消えてしまった。
「次に逢ったら、満腹でも喰ってやる」
「覚えておくよ。その時までに、僕は少しでも味わい深く進化しておくね」
―――― 約五億年後 ――――
故郷の情景は感慨深く、僕たちは宇宙船の展望ブロックから母なる地球を見下ろす。
「おい、降りられない地上に憧れても無駄だ。さっさと博物館に行くぞ!」
「せっかちだねぇ。あと半世紀も生きていればテラフォーミングが完了して、人類の地球再居住も可能になるよ」
「今から爺さんになった時の話をするな!」
口の悪い親友は僕を引き連れて、展望ブロックからほど近い地球古生物館へと進む。彼は荒い気性に反して、懐古趣味な青少年だったりする。
「君も好きだねぇ。特に好きなのはバージェス動物群のペユトイアだっけ?」
「アノマロカリスだッ!」
「いや、学名はペユトイアだし。アノマロカリスは牙っぽい部位に付けられていた昔の名前だよね。確か、昔は牙と口で別々の生物だと間違った解釈がされていて、結局、先に学会で承認されていた口の方の名前を優先したんだよね」
「外見はどうみてもエビだ。だから、アノマロカリスの方が正しいんだ!」
奇妙なエビさんが「ペユトイア」へと未来が分岐したのは、
一生懸命他の生物を食い荒らして牙がすり減って、化石としてほとんど残らなかった所為です。