横山君と一之瀬さんと合唱部
―駄目かな。だって、この前、あれだけ酷いことを言っちゃったのに。図々しいよね―
走ったせいか、緊張したせいか心臓のドキドキする音が耳ざわりだった。んノイズの向こうから横山君の声がする。
「と、とりあえず、頭上げてくれない?すごく、周りの視線が痛くて。」
言われてから、はっと気がついた。
―窓から大声で叫ぶし、なりふり構わず走ってきたし、あ、髪ぐしゃぐしゃだ。っていうか、みんな見てる―
恥ずかしくなって、視線を下に落として、彼の言葉の続きを待つ。
はあ。
横山君が溜息を吐くのが聞こえて、全身が冷えて行くのが分かった。
―あ、やっぱり迷惑だったな。完全に嫌がられてしまった―
足の裏の感覚がおかしくなって感じる。
案の定、続く声は冷たかった。
「こんな、皆いるところで、頭下げられちゃったら、断れないよ。わざとなわけ?それとも、また嫌がらせ?」
―それは違う!!―
「そんなことないよ、あたし、せいやくんなら弾けるんじゃないかって!」
と、顔をあげると横山君と視線がばっちり合った。
―えっ?―
横山君が、呆れたように、でも優しげに微笑んでる。
しかも、動揺してて気がつかなかったけれど、いつの間にか髪が短くなっていて、細いメタルフレームの眼鏡がすごく似合ってて、あのきれいな顔で微笑んでて。
思考が停止してしまった。
―良く分からないけど、突然横山君がカッコよくなってて、しかもあたしに笑ってくれて、なんて、え?これ幻想?むしろ、あたしの妄想?―
「一之瀬さん?」
「はっ、はいぃっ!?」
「これ、連弾でしょ?もう一人は誰?」
「あ、あたしだけど…。」
「この楽譜、借りてもいい?なら、明日の夕方、一度合わせよう。」
あまりに緊張していて横山君のしゃべる言葉が分からなかった。返答にしばらく時間がかかった。
「え、えっと、弾いて、くれるの?」
「断れないでしょ、さすがにこれは。」
周りを見渡すと、近くにいた人皆が注目していた。さすがに恥ずかしい。
「あ、ありがとう!!えっと、それで、こっちの連弾だけでもやってくれたら。」
「でも、弾く人が足りないんじゃないの?」
「う、うん、そうなんだけど。」
「まあ、それまで手が回らないかもしれないから、とりあえず明日の夕方までにこっちの連弾の曲だけでもやっておくよ。」
「本当!?ありがとう!!良かった!!!」
「じゃあ、とりあえず、ちょっと髪切りにいかないといけなくなったから、今日はこれで。」
「うん!!」
その後、きっと伴奏者が見つかったからという理由だけではなく、軽くなった足取りで音楽室に帰った。
自分の楽譜を横山君に渡してしまっていて、何やってんだって篠原先生に怒られたけど。
次の日、横山君は学校を休んだ。大事にしてしまったなと、思いながらも、どこかほっとした。
「凛子、昨日、玄関前ですごかったって聞いたけど、どうしたの?」
「ああ、ちょっとね。」
そういって、ピアノの伴奏者を探して走り回っていたことを話す。
「え、土曜日にやるんでしょ?間に合うの?」
「うんと、さすがに土曜は無理だよねってなったから、吹奏楽部と交代してもらって、日曜にしてもらったよ。あ、ゆかちゃん!」
学級委員の姿を見つけ、事情を説明する。さすがに昼の店番をやってる暇がなくなってしまった。
「そうなの?まあ、一人くらいいなくても何とかなるでしょ。ただのバザーだし。」
「あ、違うの!横山君も練習で抜けるから、二人足りなく…」
クラスの空気が固まった。
「え?横山君が、伴奏なの?」
ゆかちゃんが、固まった空気を代表して聞いてくる。
「うん、すっごくピアノ上手いんだよ。小学校の時とか結構入賞したりして。」
―あ、やばい、本人のいないところで、余計な事を言っちゃったかも―
「困ってたから、すごい助かったんだ。急にお願いしちゃったのに引き受けてくれたし。」
「そ、そうなんだ。良かったね。」
クラスがざわつく。
『横山がピアノ?マジに合わねえ。』
『本当に弾けんの?』
そんな声が聞こえてくる。あ、横山君はこれが嫌だったのか。今の今まで、自分のことばかりで、そんなことにすら気が回らなかった自分が恥ずかしくなる。
『でも、昨日科学室の外で髪切ってたんだけど、なんかすごいカッコよかったよ。』
『あ、みた見た。玄関で、凛子ちゃんとしゃべってるのみて、誰かと思った。』
『え~ほんとに?』
そんな声が聞こえて自己嫌悪を一旦中断する。
―元々、カッコいいんです!!しかも、半端なくピアノ上手いんです!!学園祭楽しみにしてなさい!!―
半信半疑のクラスメイト達に心の中で宣戦布告する。
授業が終わると、真っ先に音楽室に向かった。実は、HRが終わったあたりからピアノが聞こえてきたのだ。
『廊下を走るな』の表示を丸っと無視して階段を駆け上がって行ったけど、音楽室の手前で、息を整え、ゆっくりと音を立てないように歩いた。なんとなく、子どもの様に走りこんでいくのが恥ずかしくて。
普段、どうやってスムーズに歩いているのかが分からなくなるくらい、歩きがぎこちなくなってしまう。
―いた。やっぱり、せいやくんだ―
「横山君!早かったね。」
何食わぬ顔で入っていくけど、走ったせいかまた心臓の音がうるさい。
「ああ、帰る人たちとすれ違う前に入っちゃおうって思って。さすがにサボった手前、堂々と逆走は出来ないから。」
昨日はグサグサに切られていた髪が整えられて、細いメタルフレームの奥の目が優しく笑う。顔が熱くなるのが分かった。赤くなってないだろうか。どうやら、大丈夫だったようだ、いつも通りの声で横山君が言った。
「じゃあ、時間ないし、さっさと合わせちゃおう。」
それからの、猛特訓は、これまでの3倍の密度だったかもしれない。横山君の指導の厳しいのなんの。そのおかげか、その日の夜には、早くも連弾の伴奏が完成していた。やっと一息ついた頃、近それまで寄りがたかったのだろう。他の部員が寄ってくる。
「す、すごいね。昨日の今日で。」
「心当たりがあるって言ってただけあるね、一之瀬さん。」
「というか、すみません、あなたどこのクラスのどちら様?」
女、三人寄れば姦しいとはよく言ったものだ。56人中45人が女子の合唱部。姦しいどころの騒ぎではない。
「横山君、お母さんがピアノ先生なんだよね?っていうか横山君もすごい上手だね、すごいね~。」
「え、あ、横山君?たまにコンクールとか出てたよね?」
「Cクラの横山君って、こんな感じだったっけ??カッコよくない??」
と、一気に周りがしゃべりだす。あたしは話の輪からはじき出されて、ちょっとむかっとしている。その時、救世主がやってきた。
「おまえら、せっかく伴奏が見つかって嬉しいのは分かるけど、帰れ帰れ。もう7時だ。」
篠原先生の一声で、みな散っていく。
なんだかにやにやしながら腕組みをした篠原先生が横山君を見下ろしていた。
「横山、お前がこんな爪隠していたとはなあ。ただのがり勉野郎だと思ってたよ。」
「隠してたんじゃなくて、一回はがして、最近生えてきただけですよ。」
「そういう可愛くない事言うと、体調不良で休んだ横山が合唱部に来てたって職員室で吹聴するぞ。」
「良いんですよ?やっぱり気分悪くなって帰っちゃっても?」
「ほお、音楽の評定が楽しみだな?」
横山君と篠原先生の間に火花が散る。
―いやいや、なんでそこ二人ともケンカ腰になるの?―
次の日も横山君は体調不良で学校を休み、夕方には2曲目の伴奏を完成させてきたのだった。




