渡辺さんと横山君2
夏休みが明けてしばらして前期末のテストがあり、それが終わったと思ったら突然先生が席替えをすると言いだした。
くじ引きの結果、横山君は窓から二列目の前から二番目。私は廊下側の一番前。黒板が目の前のせいでそちらを見ることすらできない。横山君の隣に一之瀬さんが座っていて、ちょっとだけ羨ましかった。
―うらやましい?―
自分が抱いた感情に自分で驚く。
―でもなあ―
思い切って告白でもしてみようかと思ってはみたけど、やっぱりためらってしまう。
私は、何と言うか普通の女子だ。
特別可愛くもないし、派手な化粧とかもしていない。頭だって悪くはないけど、特別良い訳じゃないし。
そんな私が告白なんてしたら、あっという間に学年中に噂が広まるだろう。
―うーん、でも私の噂なんて誰も面白がらないかな―
しかも、と言っては失礼だけど、相手は皆の前では地味&もっさりで通っている横山君。でも、ある意味、立花君に告白するよりは、可能性があるかもしれない。なんて、ちょっと打算的な考えをしてみる。
―学園祭の時に、声、かけてみようかな―
そんな私に千載一遇のチャンスが巡ってきたのは、学園祭でのバザーの当番を決めている時だ。
「あと3人、当日の昼の店番担当、やってくれる人いませんか?」
どうしようかなと迷っていると、学級委員が素晴らしい手腕で、今のところ仕事が割り振られていない人を探す。
「高橋君と、横山君、大丈夫ならやってほしいのだけど、良い?」
―あ、これ、一緒に当番やったら、ちょっと話せるかな―
そうは思いつつ、私が突然名乗り出るのもちょっと変かなとためらってしまう。
―そうだ、この前の準備あんまりできなかったし、って言えばそれっぽい理由になるかな―
それでも、挙げようとしているはずの右手は机に張り付いたままだ。委員がどうしようと悩んでいるのが丸分かりの顔で教室を見渡した。委員の視線がひとめぐりして、こちらを向いた。
―よし、今だ―
「あ、はい!あたしやりたい!」
予想外の所から手が挙がって、机から5cmだけ浮いた右手もそのままにそちらを見る。
「いいの?凛子?合唱部は?」
「うん、店番やりたかったし、始まる前だから、大丈夫。」
「そ、そう?」
何で、一之瀬さん??
クラスの他の人もそう思っているのだろう、みんな不思議そうな顔をしていた。
でも、一之瀬さんのことだ、みんなやりたくない当番だし、しかも他のメンバーが横山君と高橋君で名乗り出る人がいないと思って手を上げてくれたのだろう。そんな風に目立つことを全く気にしない一之瀬さんが羨ましくもあり、ちょっとだけ嫉妬してしまった。
でも、まさか、一之瀬さんがそんな聖人君子的な理由じゃなく、もっと個人的な理由で名乗り出ていたのだと気がつくのは、もっと後のことだった。
週が明けた月曜日。
普段なら一週間が始まったと憂鬱になる所だけれど、やはり金曜日から始まる学園祭が楽しみでちょっとテンションがあがる。
その一方で、何とかして準備のどこかで横山君と話せないかと考えていた。木曜日なら一日準備だし、私が話しかけていても不自然じゃないだろう。その日まで何て声をかけようかと色々考えあぐねていた。
授業の後、横山君がもっさりの方の高橋君と教室を出て行く。なんだかんだ、あの二人はもっさり同士仲良くしているらしい。
―むしろ、高橋君から声をかけてみようか―
そんなこと考えていると、わたなべ~と先生に呼ばれる。何事かと思うとちょっとした手伝いをさせられた。
部活もやってないし、暇そうだったから。
そんな理由で、ホチキス止めに借り出されたらしい。確かに特に予定があるわけでもなかったけれど、どこか釈然としない気持ちになる。
最近のクラスの話を先生と喋りながら、先生の口から横山君の名前が出るたびにちょっとだけ心拍があがっていた。
結局、ホチキス止めは思ったより手間取った。もう一人くらい手伝いに呼んでほしかったなあ、あ、むしろ横山君だって部活やってないらしいし横山君も呼んでくれればよかったのに、とそんな事を思いながら玄関に向かう。
「本当悪かったよ。髪切る羽目にまでなっちゃって。」
「もう振り回さないように言っておいてよ。」
高橋君と連れだって横山君が玄関にやってきた。おや?と思うと、確かに髪が短くなっている。
―いつの間にか眼鏡も変わってるし。っていうか、髪切ったらカッコいいじゃない―
横山君と帰るタイミングが一緒になったことで、用事を言いつけた先生にちょっとだけ感謝した。
高橋君も科学室へ戻って行き、横山君は一人で玄関を出る。
―今ってチャンスじゃない!!?―
はっとして、靴を履くのも煩わしく、つま先にだけ引っかけて玄関を飛び出し、声をかけようとした瞬間だった。
「横山君!!ちょっと待って!!!帰らないで!!!」
びっくりして見上げれば一之瀬さんが4階から叫んでいた。
―え?一之瀬さん??―
「今、そこ行くから!ちょっとだけ待って!!」
何事かと、私はそこから動けずにいた。
しばらくすると、茫然としている私の横を、物凄い勢いで一之瀬さんが駆け出していく。
「あの、こんなのお願いして、迷惑なの、分かってるんだけど。急に、合唱部の伴奏者の人が怪我しちゃって。これ、弾いてくれませんか?この、2曲!あ、いや、この2曲のどっちかだけでも良いから!!お願い!!!」
一之瀬さんが必死になって頭を下げてる。
―というか、横山君、ピアノ弾けるの?一之瀬さんってば何でそれを知ってる??―
今まで、全く関わりの無いクラスメイトだろうと思っていた二人のやり取りが、あまりにも意外で私はただ成り行きを見守るしか出来なかった。
「と、とりあえず、頭上げてくれない?すごく、周りの視線が痛くて。」
戸惑ったような横山君の声。
それはそうだろう。みんな、何事かと注目している。
と、横山君が呆れつつも、でも仕方がないなあ、というように笑いながらと溜息を吐く。
「こんな、皆いるところで、頭下げられちゃったら、断れないよ。わざとなわけ?それとも、また嫌がらせ?」
冷たい事を言いながら、顔は真逆の表情だ。
その笑顔がとても優しくて、私は息を飲んだ。
―そんな顔。一之瀬さんにしないでほしいのに―
「そんなことないよ、私せいやくんなら弾けるんじゃないかって!」
その呼び方がざわりと耳に残る。
―せいやくん、って―
訳が分からないことばかりだ。頭が追いつかない。
「この楽譜、借りてもいい?なら、明日の夕方、一度合わせよう。」
横山君が肯定するのを聞いて、はっと我に返る。
「あ、ありがとう!!えっと、それで、こっちの連弾だけでもやってくれたら。」
「でも、弾く人が足りないんじゃないの?」
「う、うん、そうなんだけど。」
「まあ、それまで手が回らないかもしれないから、とりあえず明日の夕方までにこっちの連弾の曲だけでもやっておくよ。」
「本当!?ありがとう!!良かった!!!」
一之瀬さんがほっとしたような顔で戻って行く。玄関で立ちつくす私のことなんて気がついてもいないその様子が無性に腹立たしかった。
―こんなこと、してる場合じゃない、何か話しかけないと―
こういうのを直感というのだろうか。
今すぐ横山君に話しかけないと、もう次はないという焦燥感に駆られ、急いで横山君の後ろを追った。楽譜を見ながら歩く横山君にはすぐに追いつけた。
次の一歩で声をかけようした時、横山君の独り言が聞こえた。
「ほんと、何でも一生懸命だよなあ。」
その声があまりにも優しくて、柔らかくて。
そして、愛おしげで。
早足で歩いていた私は、突然止まることも声をかけることも出来ず、何も知らない振りをしてそのままの早さで横山君の隣を黙って通り過ぎるだけだった。ちょっとだけ、声をかけてもらえないかと背中の神経に集中して後ろの気配を期待したけれど、そんなことはあるはずもなく。
声をかけることすらできない自分があまりにも情けなくて、視界が潤んだ。
そして次の日、横山君は学校を休んだ。
昨日の一之瀬さんとの会話で、合唱部の伴奏をするのだろうということは知っていたので、きっと練習をしてるんだと思った。それが、一之瀬さんのお願いだからなのか、元々横山君が断れない人なのか分からなかったけれど、私の気持ちは憂鬱だった。一之瀬さんが視界に入るたび、横山君がいない席を見るたび、どんどん気持ちは暗くなっていく。
「あ、ゆかちゃん!」
一之瀬さんが学級委員の姿を見つけ、バザーの店番が出来なくなることを話していた。
「そうなの?まあ、一人くらいいなくても何とかなるでしょ。ただのバザーだし。」
「あ、違うの!横山君も練習で抜けるから、二人足りなく…」
学級委員がえっ?という顔をして尋ねている。
「え?横山君が、伴奏なの?」
―普通、そう思うよね。私だって、まさかあの横山君がピアノ弾けるとは思わなかったんだもん―
「うん、すっごくピアノ上手いんだよ。小学校の時とか結構入賞したりして。困ってたから、すごい助かったんだ。急にお願いしちゃったのに引き受けてくれたし。」
クラスがざわつく。
横山がピアノ?マジに合わねえ。本当に弾けんの?
でも、昨日科学室の外で髪切ってたんだけど、なんかすごいカッコよかったよ。
あ、みた見た。玄関で、凛子ちゃんとしゃべってるのみて、誰かと思った。
え~ほんとに?
―ああ、もう、うるさい―
クラス中が私の馬鹿な行動を知っていて、わざと横山君と一之瀬さんのことを話しているんじゃないか、そんな気分だった。耳を塞いで叫びだせたらどんなに良かったか。
分かってた。
私は横山君に何もしていない。何もしていないのに、横山君が私のことを意識するはずがない。
それに、最初の頃、私は横山君をどんなふうに思っていただろう。
「地味で、むさ苦しくて、なんとなく気持ち悪いクラスの男子」
だから、声すらかけなかった。
あいさつだってしたことない。
横山君からしたら、ただクラスが一緒のよく知らない女の子だ。
一之瀬さんみたいに周りの目なんて気にしないで、声をかけていればもっと違ったのかもしれない。
でも、そんな勇気すらない私を一体誰が見てくれるというのか。
美紅ちゃんが、落ち込んでいる私に気がついたみたいで、どうしたのと聞いて来たけど、私は何でもないと首を横に振るしかできなかった。
―だって、言えるはずがない―
横山君のこと勝手に見下して、その上、ちょっと良い所あったからって勝手に好きになって。しかも、横山君なら付き合ってくれるかも、ってまた見下して。でも、結局周りからどういう風に思われるかが気になって、告白すら出来なくて。
挙句の果てに、横山君の目が一之瀬さんに向いているのを見て、勝手に嫉妬してるだなんて。
―そんな恥ずかしい人間だと言う事を言えるはずがない―
結局、横山君に話しかけることが出来ないまま学園祭の最終日を迎えた。
行きたくない、近づかないと思っていたはずなのに、気がつけば私の足は礼拝堂へと向いていた。中に入れば、思ったよりも人がいて、椅子はほとんどがうまっていた。仕方なく、真ん中よりも少し後ろ側の壁際に立つ。
私が入った時にピアノを弾いているのは一之瀬さんだった。いつものちょっとだけ小動物を思わせる笑みを浮かべてピアノを弾いている。その様子が、本当に楽しそうで、笑顔が輝いて見えた。
―可愛いな―
素直にそう思った。きっと顔立ちだけじゃない。あのいつもにこにこしている雰囲気が可愛いんだ。誰にでも屈託なく笑ってくるから可愛いんだ。
相手の見た目や周りの評判なんて気にしてるから、私はこんなままなんだ。
分かってしまえば簡単なのに。
礼拝堂の荘厳な空気の中、讃美歌が流れる。
その美しい旋律と窓から差し込む色とりどりの光が、ここがいくら学校に隣接された礼拝堂とはいえ、祈りの場であり、神に近い場所なのだと示している。
今まで、ちゃんと見たこともなかった聖母子画の聖母は醜い私から愛し子をかばっているように見えた。壁にかけられた絵画から優しげに微笑む天使達ですら、私の後ろ暗いところをあざ笑っているのではないかと思えてきた。
神を讃えるその歌が、神の慈悲を乞うその歌が。
私に懺悔を求めているのだと、そう思えてきた。
ふと気がつけば、私の近くに立っていた人たちが席についていて、ぽつんと私一人が壁際に残されていた。そんな些細なことですら、今の私の孤独感をあおる。
美しい音楽が止み、拍手が起こる。その間も私はぼうっとステージを見ているだけだった。傍から見たら、賛美歌に聴き入っているようにもみえたのだろうか。
アナウンスが入り、次は中等部と高等部の全員で歌うのだと伝えられた。
一之瀬さんが下がり、入れ違いで横山君が椅子をもう一つ持ってきて並べ、楽譜を整えた。
合唱部員が並び終わった後に、一之瀬さんが戻ってくる。横山君が、一之瀬さんに何か話しかけていた。
何を言っているのかなんて全く分からなかったけれど、その表情が、その視線が、その気持ちが、向いている先は一之瀬さんだけなのだということだけは分かった。
指揮棒が振られ、二人が目で合図をして鍵盤を同時に鳴らす。
一音一音が響くたび、二人が合図をし合うたび、二人がどんどん遠ざかって行った。
事実、私は自分でも気がつかないうちに少しずつ少しずつ後ずさっていた。
知らぬ間にきつく噛んでいた唇は乾いていて、なのに目は潤んでいる。無意識にしっかりと組んでいた両手は白くなって、指先は冷たい。もう、膝に力が入らない気がしてきて、曲が終わる直前に私は礼拝堂を逃げ出した。
扉を開けた瞬間、後ろで割れんばかりの拍手が鳴り響いて、邪魔もの私は外に押し出されたのだ。
見上げれば、高い高い秋の空が広がる。乾いた風が吹き抜けて、目からこぼれた雫を吹き飛ばす。
ぽつんと一つだけ浮かぶ白い雲を見ていたら何だか、笑いがこみあげてきた。
―あーあ、失恋しちゃった―
「年に2回、クラス替えがあれば良いのに。」
今まで、一度も考えたことがなかった希望を口にして、教室へ向かった。
春はまだ遠い。




